屋烏の愛

あこ

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番外編

お江戸で猫の日!:後編

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らしからぬ行動をした兵馬は翌日、そう猫の日の今日、朝から吉村家の門をくぐった。
昨日だって朝からだっただろうけれど、本日は来る必要がない日。
確かにゆづかと恋人同士であり、婿養子になる彼ならば別にいつでもきていいのかもしれないけれど、兎も角彼が“来なければならない日”ではない。
お客を見送り表を履いていた丁稚が何やら荷物を持った兵馬を見つけ、首を捻って呼び止める。
「若様。どうなさったんです?」
「ああ、ゆづかは?」
「はい。お嬢様は奥様とお宅の方でご一緒だと思いますよ」
「ありがとう」
無表情が標準装備の兵馬に幼い丁稚らは気後していたが、無表情なだけであって無理を言うわけでもなければ、怖いわけでもない。
丁稚が偶然兵馬に外で会った際「今から吉村屋に帰るのかい?」と聞かれそうだと言ったら「なら丁稚のみんなに甘いものでも買って帰るといい」と小遣いをもらったりして、見た目と中身は随分違う人だななんて思っていた。
なるほど、こう言う人だから旦那様も奥様もお嬢様のお婿さんにするんだなあと、丁稚奉公仲間でしみじみ言ったものである。
「ああそうだ。これを丁稚のみんなで分けて食べてくれ。小さいが、甘くて美味そうだ」
「ありがとうございます!」
「中で女中に渡しておくからね」
ペコペコと頭を下げる丁稚に小さく頷いた兵馬は中に入って行く。
あの顔で随分と町の女性を虜にしたという彼の噂を知らないわけではないが
(本当の若様と、女性たちの思う若様像はかけ離れているんじゃないかなあ)
丁稚はそう思い自分の考えに納得して、また掃き掃除を再開した。

中に入った兵馬は番頭を始め昨日ぶりの彼らに挨拶をし、奥から出てきた勇蔵にも挨拶をする。
「坊、今日はどうしたんだ?」
「今日は、猫の日なので」
「はあ?まあ、そいつはよく知らんが、ゆづかは奥だぞ」
「はい」
猫の日だからなんだろうか、と訝しげな顔の勇蔵の横を通りすぎて歩いて行けば店と母屋を繋ぐ廊下。
渡りきって奥の方へ歩いて行くと、ゆづかの部屋の辺りから楽しそうな声が聞こえてきた。
耳をすませば猫がどうのと話をしている。
どうやら、ゆづかとお香が猫の日に関する何かを話しているようだ。
兵馬がゆづかの部屋の前まで来ると、部屋から女中が出てきた。
部屋の中のゆづかは女中を目で追っていたようで、兵馬を見つけて目を丸くしている。
何も分かっていないお香がそれでも少しにやけているのは、若いっていいわね、なんて思っているからかもしれない。

「兵馬さま、どうなさったんですか?」
「いやなに……、ゆづかが猫の日を楽しみにしていると聞いてね」
お香に礼をし部屋に入って座る。お香は兵馬と代わるように立ち上がり部屋の入り口にいる女中と部屋を後にした。
「はい、だって、ふふ。猫の日、なんだかかわいい日だなと思って」
「ゆづかは猫が好きなんだと、昨日知ったよ」
「でも、お庭に小鳥がくるんです。猫がいたらきてくれなくなってしまうかもしれないので、飼いたいけど、やめているんです」
「そうらしいね」
どこか恥ずかしそうに話すゆづかを愛でていると、部屋の前で会った女中が断りを入れてから入ってくる。
茶と煙草盆を置いてにっこり笑って去って行く女中は、昨日会えると思った兵馬に会えずにちょっと落ち込んだゆづかを見た一人だ。
嬉しそうなお嬢様を見るのが、ここ吉村屋の人間は大層好きなのである。
兵馬は煙草盆と茶を自分から遠ざけ、持ってきた風呂敷を自分とゆづかの間に起き
「そんなゆずかが気に入ってくれるといいのだが……」
言って風呂敷を広げた。
「わ。わあ……これは、兵馬さま、これは?」
「今日は猫の日だろう?」
目を瞬かせたゆづかの前の風呂敷から出てきたのは、昨日飛んで帰った兵馬が自分のコネとツテと駿を使って用意したものだ。
細く白いゆづかの指がそっと風呂敷を摘んで、全てがちゃんと見れるように広げる。
まずゆづかが手に取ったのは三色の布──茶色と白、黒の布──で作られたお手玉だ。
端切れなのでそれぞれの色に少しだけ模様が入っている。
手の中で転がすと、小さな三角の突起がふたつついているのを見て
「まあ、兵馬さま。これ、猫ですか?」
「そうだよ。お手玉を猫らしくやってほしいとお願いしてね」
「可愛らしい。投げて遊ぶなんて、かわいそうで出来ませんね」
「遊ぶものだから、気にせず遊んでいいと思うが……ゆづかならそう言うだろうなとは思ったよ」
かわいいと目を細めて二つの猫手玉をそっと膝の上に置いたゆづかは次に大きさな布の塊──のように一見見えたもの──を手に取って嬉しそうに頬を染めた。
「猫!兵馬さま!かわいい猫のお人形です!」
ゆづかの頭ほどの大きさもある、猫の形の今で言うぬいぐるみ。駿河屋のはぎれで作るとおとわが話していた人形を大きくしたものだ。
兵馬がはぎれから選んで、お針子に頼んで作ってもらったものである。
「兵馬さま、ふわふわしています。可愛い……とっても可愛いです」
珍しく興奮気味にぬいぐるみを抱きしめて言うゆづかを見て、兵馬は嬉しそうに目を細めた。
(全く、実に愛らしい)
もちろんゆづかが。
嬉しいとぬいぐるみをギュッと抱きしめるゆづかを、思い切り抱きしめたい衝動に駆られたが兵馬はグッと堪えた。
まだ風呂敷の中には一つ残っているのだ。
ゆづかはぬいぐるみも膝の上に乗せ、最後に残った布をとる。
ひらりとした布は一見ただの布にしか見えない。
それを広げて見たゆづかは少し考えてから兵馬に聞いた。
「袖頭巾ですか?」
「そうだよ」
猫の日なのになぜ袖頭巾──着物の袖の形をした頭巾で、これを袖口から顔を出すようにして被って使う──。不思議に思ったゆずかはとりあえず被ってみる事にしてハッと気がついた。
「ひょ、兵馬さま!猫です!猫になれるんですね!」
「ゆづかが猫が好きと聞いたからね、ならばどうかと思って作ってもらったんだ」
「まあ!!」
嬉しそうなゆづかに兵馬はホッとした。
なにせ提案して作ってもらい完成したこれ頭巾を見た家族の反応は「え?それ需要ないよ」「これをゆづかちゃんが……?喜ぶのかしら?」と言うような、そんなだったのだ。
それなのに兵馬がこうしてこれも持ってきたのは、ゆづかならと思う気持ちがあったのと、全否定されたのがちょっと悔しかったからである。
ゆづかは家族の反応とは対照的に、頭巾の顔を出すところを自分の正面に持ち広げ猫の耳がついていると楽しそうに笑っていた。
これも端切れで作ったもので厚みはそこまでなく耳も猫の様にピンと立っていないのだけれども、それがまた可愛さを演出しているようだ。その垂れた耳が可愛いとゆづかは顔を綻ばせている。
「喜んでもらえてよかったよ」
本心から、安堵の気持ちも込めて兵馬は言う。
ゆづかは頭巾を胸のところで抱き締めると、綻ぶような笑顔を見せた。
「可愛い猫をいただけたからだけではありません。兵馬さまが私を思ってくださったんですもの、嬉しいんです」
笑顔の告白は兵馬の胸をついた。砕けた言い方をすると、「俺の恋人死ぬほど可愛い!まじ天使」と言うところだろう。江戸にはこんな言い回しはないだろうが。
可愛い恋人に内心身悶えている兵馬は、いつもの自分に戻ろうと──つまりゆづかの言う「兵馬さまばかり余裕があってずるい」の兵馬である──離しておいた煙草盆を引き寄せ、キセルを取り出す。
さあ火をつけて一服しようとしたところで、ゆづかが兵馬を呼んだ。

「兵馬さま!見てください。猫になっていますか?」

恥ずかしそうに、でも嬉しそうにはしゃぐゆづかは猫耳付きの袖頭巾をかぶっている。
桜色に染まった頬が、柔らかい色合いと模様の端切れだけで構成された頭巾に良く栄え、首を傾げた際に少し揺れた猫の耳がなんとも愛らしい。
なんだか自分の知らない場所にある、何やらを開きかけた兵馬はゆづかにばれないように首を小さく振って
「とてもよく似合っていて、実に愛らしい。ゆづかのような猫がいたら、私は迷わず家に連れ帰って慈しむだろうね」
と言う。もちろん本音である。知らない扉を開きかけても、思った事はちゃんと言うのだ。
「でしたら私が猫になっても安心ですね」
「そうだね。まあ……そうさねえ、ゆづかがもし猫になったら、お前が口が聞けない事を良い事に日がな一日私の膝で撫でていようかね。うん、それもいい」
「兵馬さま……!」
ついに真っ赤になったゆづかを見て、兵馬は火をつけなかった煙管を煙草盆に立てかけて、ゆづかを引き寄せ抱きしめた。

真っ赤な顔で、猫の耳なんてついた頭巾をかぶって、それでも嬉しそうに身を寄せるゆづかを抱きしめて。
なんだかよく判らないが、猫の日も悪くはない。
兵馬はそう思ったのであった。




2と0しかない2022/02/22の猫の日小説でした。
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