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14【亜楼+海斗Diary】一回だけ

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 もう何度思い返したかわからない秀春との誓いの夜を、亜楼は自室のキャスター付きの椅子でくるくる回りながらたどっていた。今夜は珍しく仕事を持ち帰ってはおらず、椅子の上で行儀悪くヤンキーごっこ時代に得意だった座り方をし、だらしなく煙草を噛んで煙を吹かしている。淡い記憶を思い返しても素直に感傷に浸ることはできず、またしても苛立ちと喪失感を募らせている自分に反吐が出る。

 いくら上司兼恋人のことで苛立っていたとはいえ取り返しのつかないことをしたと、亜楼は右のてのひらを開いてじっと見つめた。大切に大切に守ってきた弟を、この性にだらしない乱暴な右手であっさりと汚してしまった。後悔と己に対する嫌悪だけが、てのひらの上にしぶとく残っていることを知る。

 あれから海斗とは家の中でもあまり会わないし、会っても必要なこと以外しゃべらない。互いに目もまともに合わせていないし、夜に告白だと言って部屋に押しかけてくることもなくなった。さすがに嫌われちまったか……と亜楼は故意に避けられている感じのする今の状態を、嘆くでもなく安堵するでもなく複雑な思いで受け入れようとしていた。海斗の告白を真面目に受け取ってやらなかったのだから嫌われるのは自業自得だとも思うし、海斗の想いを受け入れてやれないのならばやはりわざと嫌われるしか方法はない。

 誓ってんだよ、俺はおまえの兄貴になるって。……兄貴、完璧にやってやるって。

 あのゆびきりを、亜楼はそんな簡単に無効にはしたくなかった。世界を軽蔑することしか知らなかった自分をなんの見返りもないのに本気で叱って更正させてくれた人の、荒くれ者の人生を引き取ってくれた人の、恩を仇で返すような真似は絶対にしたくない。それだけは、どうしても譲れない。

 ……けど、秀春さんに顔向けできねぇな。海斗にあんなひどいことしちまって。……結局俺は、本物の兄貴にはなれなかったんだな。

 慎重に育んできたはずの家族の絆を、自分のくだらない刹那的な苛立ちのせいで壊しかけている事実に打ちのめされながら、亜楼は自嘲じみた苦笑をもらした。ただ自分は誠実に海斗の兄になりたかっただけなのに。あいつを傷つけちまって何が兄貴だ、馬鹿馬鹿しい。

 そのとき、荒いノックが闇夜を揺らし、こちらが返事をする前に勢いよく扉が開いた。海斗だった。

「なんだよ」

 驚いている亜楼をよそに、海斗は許可なく勝手に入室し無言でずかずかと亜楼に近づいていく。

 海斗はくるくる回っている亜楼の椅子を止め、煙草を取り上げて灰皿にねじ込み、左手で兄の胸ぐらをつかみ、右手であごをすくい上に向かせると、上から乱暴に口唇を押しつけた。

「!?」

 あまりに一瞬の出来事で、亜楼は不覚にも海斗にされるがままだった。まるで練習でもしてきたかのように美しく流れる一連の所作に亜楼は唖然とするばかりで、しばらく無になり弟の震える口唇を感じていた。抵抗する、という動作を機能から抹消されたみたいに、亜楼は動けなかった。

 海斗がようやく口唇を離した途端、我に返った亜楼は海斗を思いっきり突き飛ばした。

「てめぇ、何しやがる」

「亜楼、好きだ」

 突き飛ばされてよろけた海斗は、初めて亜楼に好きだと告げたときとなんら変わりない調子で、まっすぐに言った。一切の迷いなく亜楼を射貫く瞳は変わりないどころか、前よりも強く激しく亜楼を欲している。

「ふざけんな。何言ってんだよ……この前ので懲りただろ」

 ここ数日わざと避けるような態度を取っていたのは自分を軽蔑したからじゃなかったのかと、亜楼は愚弟の思考回路が理解できずに困惑した面持ちで海斗を睨みつける。

「……今度ふざけたこと言ったらまじでヤるって、亜楼、言っただろ」

「あぁ?」

「ふざけたこと、言った。……だから、やれ」

「!?」

 あの夜投げやりになって吐き捨てた戯れ言を、律儀に覚えてたっていうのか、おまえは。

「……ちゃんと、やり方調べた……オレ、どうせ、いれられる方なんだろ? ……からだも、綺麗にしてきた、から……」

 兄を組み敷くという密かな野望は亜楼にも眞空にも理解されなかったためさすがに捨て去り、海斗は自分のからだを容易く差し出す。

「……おまえ、自分が何言ってんのかわかってねぇだろ。……おかしいだろ、兄弟だぞ!?」

「わ、わかってる! ……兄弟ではしねぇことだって、ちゃんとわかってるよ。……でも、どっかで覚悟見せなきゃ、おまえはオレの気持ち本気で受け止めねぇだろ!? このままじゃ、亜楼にずっと、好きになってもらえねぇから……」

 口調だけは一丁前に偉そうな海斗の指先は、無理やり口唇を押しつけてきたときからずっと小刻みに震えていた。亜楼はその震えに気づき、胸を締めつけられるような痛みを知る。きっと本当はセックスも、乱暴な自分も怖いに違いない。

 バカみたいに必死になって虚勢を張る生意気な弟を目の前にして、亜楼は心がかき回されるような気持ち悪さに襲われていた。ふと、心を預けてくれなかった薄情な恋人の顔が脳裏をよぎる。あの人はこんな風に自分を求めてくれたことがあっただろうか。指先を震わせてしまうほどの恐怖と闘いながら、自分を愛してくれたことが果たしてあっただろうか。……わかっている。そんなことは、ただの一度もないことくらい。

「……やれよ。この前言ったの、あれウソかよ……」

「……そんなに、俺がいいのか」

 亜楼はもう本当にあきらめて、床に敷いている青いラグを穴があくほど凝視しながらぼそっとつぶやいた。今夜突き放しても、海斗はきっとまたここを訪れてしまう。また指先を震わせながらこんなくだらないことをせがむ海斗を、亜楼はもう見たくなかった。

 俺がいいのかと問い、目線だけを上げて弟を見ると、海斗がコクリと首を縦に振ったのがわかった。亜楼がいいと、本当にバカみたいに、まっすぐ振った。

 そういえば海斗はガキの頃からずっとそうだったと、亜楼は今さらながら弟の何にでもがむしゃらに突進していく性質を思い知らされる。何も怖れず勇敢に、自分を信じてまっすぐに。そんな弟を、亜楼はずっとまぶしく思っていた。

「多分おまえは勘違いしてんだ、この前のでちょっと味を占めたってとこだろ?」

「ちげぇよ! そうじゃなくて、オレは亜楼に……」

「思春期だからな。おまえは今、ただ無性にえろいことしてぇだけだ」

「はぁ? 違うって……何言って……」

「してくれる相手がいねぇから、近くにいた兄貴を頼っただけ、そうだな?」

 亜楼は言い訳を作るしかなかった。誰に尋ねても、それは仕方ないねと許してもらえるような言い訳を。これからすることに、意味を持たせないような言い訳を。

「だから、ちが……」

「……とにかく忘れんな。これからすることは兄から弟への手ほどきだ。好奇心旺盛で、セックス経験したいだけの、童貞のガキ黙らせるためのな」

「なんだよ、それ……」

 海斗の顔がひきつったのがわかったが、亜楼は構わなかった。

「一回だけだ、一回で覚えろ。……それであとは、外の男とやってこい」

 一回のセックスで気が済むなら。海斗がもう指先を震わせて俺を好きだと言わなくなるなら。

 たった一度きりのなんの意味もない禁断ならば許されないこともないだろうと、亜楼は自分に強く言い聞かせる。あくまで兄として、弟に手本を見せるだけだ。

「来い」

 亜楼は冷たく言い放った。海斗の腕をつかんで引きずるようにベッドに連れていくと、汚してしまったあの夜と同じように荒々しく、真っ白いシーツのひだの中に弟を埋めた。
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