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“和食は沁みる”
2-2 それなのにピアス外してくれたんですか?
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【ルールその2の補足】
対価の受け渡しはソファで。唾液は夜だけ!
「……ほら、いいよ」
食器の片付けを後回しにした和唯が言われた通りソファに座って待っていると、出掛ける準備を終えた琉架が和唯の隣に腰を下ろしてそう言った。琉架は黒地に水色とベージュが入った鮮やかなジャガードニットを着ていて、左耳には出掛けるときいつも欠かさずしているシルバーのフープピアスを入れている。人目を引く大胆な柄のニットを着ていても服に負けない華やかさが琉架にはあって、和唯は自分の右側に座った少し年上の男をまぶしそうに見た。
和唯をここに置いて以来、食事を作ってもらったり他の家事をしてもらったりするたびに、琉架は和唯にからだのどこかを舐める行為を許した。場所はリビングのソファでと決め、舐めたい場所は和唯が決めていいことになっていた。この一週間で指先、首筋、鎖骨、背中などの皮膚を舐め、夜にだけ許される唾液の受け渡しのために短いくちづけを何度かした。
「ホントは唾液がいいんですけど」
隣に座った琉架をじっと見て、和唯がダメ元で言ってみる。
「……っ、口は夜だけって最初に決めただろうがっ……今は口以外だ」
隣からの和唯の熱い視線に気圧されそうになりながらも、ルールはルールだと琉架が主張する。
「じゃあ耳たぶいいですか? 耳はまだ舐めたことないですよね」
和唯は今琉架の様々な部分を試して、どこがいちばん舐めやすいかを探っている最中だ。
「……わかった」
琉架は小さく言って左耳のピアスを抜き、ソファの前のローテーブルに置く。
琉架に許されると、和唯はからだを琉架の方に向けた。遠い方の肩に手を置いて琉架を軽く抱き寄せると、舌を出しそっと耳に触れる。
「……っ」
濡れた舌がゆっくりと耳たぶをなぞる感覚に、琉架が少しびくっとする。柔らかいそこを飴玉を舐めるように舌の上で転がされ、耳をじっくりと溶かされる。
「耳も、あまいですね……おいしいです」
耳から離れずすぐそばでうっとりとそう言われると、和唯の低音が強く琉架の頭の中に響き渡った。
「……いちいち、んなこと、言わなくていい……知ってる」
「感想伝えるのって大事ですよ」
さっき琉架にもらったうまかったの感想を胸の中で何度も反芻すれば、和唯の心は幸せに充ちた。
耳朶を丁寧に味わったあとの舌は、そのまま耳輪に沿って上がっていき複雑なひだの中に侵入した。細いひだの中を何度もしつこく這いずり回る和唯の舌先に、琉架のからだは次第に強張っていく。
「……、っ……」
「琉架さんの耳おいしい……もっとください……」
また声がからだの左側で強く響いた。舌が器用に動くたびに和唯の息づかいが熱い音として伝わり、かかる息で耳の中が激しくくすぐられる。琉架の耳は唾液でたっぷりと湿らされ、和唯の暴れ回る舌の支配に酔っていく。
「……っ、……あぁっ……」
思わずあまい声が漏れ、琉架は慌てて自分の口を両手で塞いだ。
抱いた肩からいつもとは様子が違う琉架に気づき、和唯が舌を耳から離した。こんなにからだを緊張させている琉架には初めて出会う。
「琉架さん……?」
琉架は口を塞いだまま動かない。
「……もしかして、ちょっと感じてます?」
「はぁ!? 何言ってんのおまえ! んなわけねぇだろ!」
口元を開放した琉架が和唯に突っかかった。
「じゃあ今の、そういう演技ですか?」
自分のからだを商品にしている琉架は、感じた振りをして男を喜ばす癖がつい出るのかもしれないと和唯が問う。
「……なんでおまえ相手に演技すんだよ……客じゃねぇのに……」
琉架がうつむいて、ぼそっとそうつぶやいた。
「お客さんにはするんですか?」
「……まぁ、そういうこともなくはない、かもしれない……」
なんとなく濁しながら琉架が答える。店でのことはあまり鮮明には思い出さないようにしている。
「演技じゃないなら、今のは本物のあぁっ……ですか?」
「さ、再現すんな! ……だって、それは……おまえがわざといやらしく舐めるからだろ!?」
琉架のあまい声が自然とこぼれたものだと知り、琉架の肩を抱く和唯の指先がじわっと熱くなる。口唇をまた琉架の耳元へ寄せる。
「琉架さん煽ってます……?」
「ちがっ、……オレ、単に、昔から、み、耳がめちゃくちゃ弱くて!」
和唯にまた耳を犯されそうになった琉架が、慌てて自らネタばらしをした。弱点を晒すのが恥ずかしいのか少し言葉もたどたどしくなる。
「特に左が、ホントにダメで……正直息がかかるだけでもやばい……」
「それ知ったら、みんな左耳攻めますよね」
「わ、わざわざ教えねぇよそんなの。……触られたくねぇからピアス入れてんだし」
「え……」
そう聞いた和唯の動きが止まる。
「外さなかったら舐められることもねぇから、店ではずっと付けっぱなしにしてる、のにさ……」
責めるように、琉架が和唯を上目遣いでのぞく。
「……それなのにピアス外してくれたんですか?」
「……っ!?」
指摘されたくなかったところを突かれ、琉架の情けない言い訳が始まる。
「だっておまえそっち側座ってるし! わざわざ場所変わるのもなんか変だろ!? 舐める場所和唯が決めろよって偉そうに言ったくせに、オレが日和ってんのクソダセェじゃん!?」
変なところで律儀な琉架に、和唯の顔が一気にほころんだ。防御のピアスを外してまで、弱いところを素直に預けてくれた人。
まったく、この人は──。
「俺に教えちゃっていいんですか? 左耳が弱いって」
「な、なんだよ、悪いかよ。耳弱いとかガキじゃんって思ったんだろ、どうせ」
投げやりになってふくれている琉架の左耳に、遠慮しない生意気な和唯の舌がまた強く吸いついた。
「!?」
「……違います。琉架さんの左側、もう譲らないってことです……」
「耳もあまいですけど、やっぱり唾液の方があまいですね」
琉架の左耳を心ゆくまでしゃぶり尽くして満足した和唯が、隣で少し放心状態になっている琉架にしれっと話しかけた。
「は? え? あまさの話……?」
声を掛けられ、琉架が遠くから戻ってくる。もうこれ以上は絶対に無理だと、琉架はローテーブルからピアスを引っ掴みすぐさま左耳の穴にぶっ刺した。
「耳は首筋や背中と同じ感じです。同じ皮膚の分類だからですか?」
「そ。皮膚舐めんのって結局汗舐めてんのと同じだから、基本的にはからだ中どこも同じあまさらしいな。ま、オレにはよくわかんねぇけど」
自分のあまさを永遠に知ることができない琉架が、客のフォークから聞いた知識を和唯に教えてやる。
「皮膚……っていうか汗がいちばん糖度が低くて、涙、唾液、血液、の順番でだんだん糖度が上がっていって……」
突如琉架がひどく艶のある眼をして、和唯の顔をゆっくりとのぞき込んだ。それは琉架が時折見せる男娼の眼だった。
「……いちばんあまいのが、ここ」
そうささやくように言って、琉架が自分の股間を指で差した。指の先にある濃度の高いあまさの意味を理解し、和唯が琉架の指先をじっと見つめる。白濁の、とろりとした、あまい蜜。琉架が興奮したときしか与えられないそれは、一体どれほど甘美なのか。
「興味ある?」
「……」
黙ったままの和唯に琉架は少しだけからかうように、
「初心者フォークのおまえにはハードル高ぇよな」
と言ってふふっと笑った。
「あぁ、あとは個体によって味は全然違うらしいな」
思い出したように琉架が付け加える。
「? そうなんですか?」
「あまいっつってもいろいろあんだろ? チョコだったり、キャラメルだったり、はちみつだったり……そういう違いがケーキの中にもあるってこと。味が違うってことは当然優劣もある。あまさがあっても正直まずいケーキもいるし、人気不人気も出てくる。ま、好みの問題だけどな」
もちろんその違いがわかるのはフォークだけで、これも聞いただけの話だ。希少な部類のケーキを日常生活の中で食べ比べることなどまず不可能だが、ボーイが全員ケーキである【Vanilla】なら食べ比べて味の優劣を付けることができてしまう。
「で、ケーキの中でもオレは……最上級ランク、らしいよ?」
客たちにそう評価されていると、琉架がどこか自嘲気味に和唯にそう教えた。素直に褒められているのか男娼のくせに浅ましいと蔑まされているのか真意はわからなかったが、その最上級のおかげで琉架目当ての客は後を絶たず、琉架は無職の男をしばらく養えるくらいの余裕ある生活を今している。
「だから琉架さん毎日遅くまで……引っ張りだこなんですね。あなたが人気者なのはなんとなくわかりますけど」
道に落ちていた男を拾うほどの面倒見の良さもあれば、愛嬌だけで人を手玉に取るような狡猾さも持ち合わせている。琉架と関われば、皆少なからずこの男の魅力に惹かれるのではないかと和唯は思ってしまう。
「別にオレが人気者ってわけじゃねぇよ。オレのあまさがたまたま万人受けするってだけ」
誰も男娼の本質なんか見ていないと、琉架は苦笑してそう言った。自分の取り柄は最上級と評されるそれだけだと本気で思っている琉架は、ケーキとは関係ない自分の言動が人に与える影響などまるで信じていない。
「……和唯にもいつか、好みの味のケーキが見つかるといいな」
ふとひどく柔らかい顔つきで琉架にそう言われ、和唯の胸がぎゅっと痛んだ。突然突き放されたような気持ちになり、焦る。期間限定の関係だともちろんわかってはいるが、いつか他を見つけてほしいなんていう言い方は今はまだ欲しくなかった。そんなこと言わないでと強く言いたかったが、その気持ちをぶつけるにはまだ和唯は琉架との距離を詰めていない。
「今は琉架さんだけで充分です」
精一杯の抵抗で和唯がそう言うと、
「……そっか」
と、琉架がいつもの愛くるしい瞳で笑った。
「というか琉架さん、一体いつ出掛けるんですか? いくらなんでものんびりし過ぎでは?」
夢中で左耳を食んでいた時間のことは棚に上げ、さすがにおかしいと和唯が訊く。
「あー、そうだな、もうそろそろ行くわ」
壁掛け時計をちらっと見て、琉架がなんとなくニットを直した。
「もしかして予約の時間結構遅めなんですか? なんでこんな朝早くに起こせって……」
もっと寝ていても充分間に合ったのにと、和唯が疲れているだろう琉架を心配する。
「……おまえが朝も飯作ってくれるっていうから、ゆっくり、一緒に食うのもいいかな……って」
「!」
いつも昼まで寝て夜の帰りも遅い琉架とは、なかなかゆっくりと向かい合って食事をとることができていなかった。向かい合うための早起きだったのだと知り、和唯の胸がまたぎゅっとなる。今度は先程とは違う、熱い熱い痛み。
少し照れた琉架が、急いでソファから立ち上がった。
「……口の中、まだあまいの残ってんの?」
「? ……はい、たくさんいただいたので」
「その味で残りのパンちゃんと食えよ。スクランブルエッグも! うまいから! あと余韻でいけたらそのまま昼も食え! いいな!?」
それだけ言い放つと、琉架はポールハンガーからコートを乱暴に掴んで玄関に向かった。
──ごはんの前に、あまいのくれた。
和唯は参ったなとしばらく呆然としてしまう。こんなことを打算なく素でやっているのだとしたら、この先心臓は本当にもつ気がしない。和唯は琉架に知られてはいけない大きなため息をついてから、見送るためによろよろと琉架のあとを追う。
「いってらっしゃい」
玄関で靴を履いている琉架の背中に和唯が言った。
「ん、いってきます。美容院のあと、そのまま仕事行くから」
「わかりました。……ねぇ、琉架さん」
呼び止められて、琉架が振り向いた。
「早く帰ってきてくださいね」
「え……なんで……?」
「ごはん作って待ってます」
信じられないほど穏やかな笑顔で和唯にそう言われ、琉架が思わず見惚れてしまう。
「……あ、はい」
何故かかしこまって返事をし、琉架はよろよろと玄関を出た。
コートのポケットに両手を突っ込んでマンションの廊下を歩き始めた琉架は、最後に見た和唯の笑顔が脳裏に張りついて離れず大きくため息をつく。振り回されている自覚が、十二分にある。
エレベーターホールで階下行きのボタンを押し到着を待つ間、琉架はポケットから出した左手で左耳にそっと触れた。和唯がなぞったのと同じように指を滑らせると、拾ったフォークの舌がよみがえってからだが熱くなる。
客じゃねぇ男って、調子狂う──。
琉架は思い出した舌の感触を消し去るように左耳を乱暴に引っ張ると、少し火照ったからだのまま扉が開いたエレベーターに乗り込んだ。
対価の受け渡しはソファで。唾液は夜だけ!
「……ほら、いいよ」
食器の片付けを後回しにした和唯が言われた通りソファに座って待っていると、出掛ける準備を終えた琉架が和唯の隣に腰を下ろしてそう言った。琉架は黒地に水色とベージュが入った鮮やかなジャガードニットを着ていて、左耳には出掛けるときいつも欠かさずしているシルバーのフープピアスを入れている。人目を引く大胆な柄のニットを着ていても服に負けない華やかさが琉架にはあって、和唯は自分の右側に座った少し年上の男をまぶしそうに見た。
和唯をここに置いて以来、食事を作ってもらったり他の家事をしてもらったりするたびに、琉架は和唯にからだのどこかを舐める行為を許した。場所はリビングのソファでと決め、舐めたい場所は和唯が決めていいことになっていた。この一週間で指先、首筋、鎖骨、背中などの皮膚を舐め、夜にだけ許される唾液の受け渡しのために短いくちづけを何度かした。
「ホントは唾液がいいんですけど」
隣に座った琉架をじっと見て、和唯がダメ元で言ってみる。
「……っ、口は夜だけって最初に決めただろうがっ……今は口以外だ」
隣からの和唯の熱い視線に気圧されそうになりながらも、ルールはルールだと琉架が主張する。
「じゃあ耳たぶいいですか? 耳はまだ舐めたことないですよね」
和唯は今琉架の様々な部分を試して、どこがいちばん舐めやすいかを探っている最中だ。
「……わかった」
琉架は小さく言って左耳のピアスを抜き、ソファの前のローテーブルに置く。
琉架に許されると、和唯はからだを琉架の方に向けた。遠い方の肩に手を置いて琉架を軽く抱き寄せると、舌を出しそっと耳に触れる。
「……っ」
濡れた舌がゆっくりと耳たぶをなぞる感覚に、琉架が少しびくっとする。柔らかいそこを飴玉を舐めるように舌の上で転がされ、耳をじっくりと溶かされる。
「耳も、あまいですね……おいしいです」
耳から離れずすぐそばでうっとりとそう言われると、和唯の低音が強く琉架の頭の中に響き渡った。
「……いちいち、んなこと、言わなくていい……知ってる」
「感想伝えるのって大事ですよ」
さっき琉架にもらったうまかったの感想を胸の中で何度も反芻すれば、和唯の心は幸せに充ちた。
耳朶を丁寧に味わったあとの舌は、そのまま耳輪に沿って上がっていき複雑なひだの中に侵入した。細いひだの中を何度もしつこく這いずり回る和唯の舌先に、琉架のからだは次第に強張っていく。
「……、っ……」
「琉架さんの耳おいしい……もっとください……」
また声がからだの左側で強く響いた。舌が器用に動くたびに和唯の息づかいが熱い音として伝わり、かかる息で耳の中が激しくくすぐられる。琉架の耳は唾液でたっぷりと湿らされ、和唯の暴れ回る舌の支配に酔っていく。
「……っ、……あぁっ……」
思わずあまい声が漏れ、琉架は慌てて自分の口を両手で塞いだ。
抱いた肩からいつもとは様子が違う琉架に気づき、和唯が舌を耳から離した。こんなにからだを緊張させている琉架には初めて出会う。
「琉架さん……?」
琉架は口を塞いだまま動かない。
「……もしかして、ちょっと感じてます?」
「はぁ!? 何言ってんのおまえ! んなわけねぇだろ!」
口元を開放した琉架が和唯に突っかかった。
「じゃあ今の、そういう演技ですか?」
自分のからだを商品にしている琉架は、感じた振りをして男を喜ばす癖がつい出るのかもしれないと和唯が問う。
「……なんでおまえ相手に演技すんだよ……客じゃねぇのに……」
琉架がうつむいて、ぼそっとそうつぶやいた。
「お客さんにはするんですか?」
「……まぁ、そういうこともなくはない、かもしれない……」
なんとなく濁しながら琉架が答える。店でのことはあまり鮮明には思い出さないようにしている。
「演技じゃないなら、今のは本物のあぁっ……ですか?」
「さ、再現すんな! ……だって、それは……おまえがわざといやらしく舐めるからだろ!?」
琉架のあまい声が自然とこぼれたものだと知り、琉架の肩を抱く和唯の指先がじわっと熱くなる。口唇をまた琉架の耳元へ寄せる。
「琉架さん煽ってます……?」
「ちがっ、……オレ、単に、昔から、み、耳がめちゃくちゃ弱くて!」
和唯にまた耳を犯されそうになった琉架が、慌てて自らネタばらしをした。弱点を晒すのが恥ずかしいのか少し言葉もたどたどしくなる。
「特に左が、ホントにダメで……正直息がかかるだけでもやばい……」
「それ知ったら、みんな左耳攻めますよね」
「わ、わざわざ教えねぇよそんなの。……触られたくねぇからピアス入れてんだし」
「え……」
そう聞いた和唯の動きが止まる。
「外さなかったら舐められることもねぇから、店ではずっと付けっぱなしにしてる、のにさ……」
責めるように、琉架が和唯を上目遣いでのぞく。
「……それなのにピアス外してくれたんですか?」
「……っ!?」
指摘されたくなかったところを突かれ、琉架の情けない言い訳が始まる。
「だっておまえそっち側座ってるし! わざわざ場所変わるのもなんか変だろ!? 舐める場所和唯が決めろよって偉そうに言ったくせに、オレが日和ってんのクソダセェじゃん!?」
変なところで律儀な琉架に、和唯の顔が一気にほころんだ。防御のピアスを外してまで、弱いところを素直に預けてくれた人。
まったく、この人は──。
「俺に教えちゃっていいんですか? 左耳が弱いって」
「な、なんだよ、悪いかよ。耳弱いとかガキじゃんって思ったんだろ、どうせ」
投げやりになってふくれている琉架の左耳に、遠慮しない生意気な和唯の舌がまた強く吸いついた。
「!?」
「……違います。琉架さんの左側、もう譲らないってことです……」
「耳もあまいですけど、やっぱり唾液の方があまいですね」
琉架の左耳を心ゆくまでしゃぶり尽くして満足した和唯が、隣で少し放心状態になっている琉架にしれっと話しかけた。
「は? え? あまさの話……?」
声を掛けられ、琉架が遠くから戻ってくる。もうこれ以上は絶対に無理だと、琉架はローテーブルからピアスを引っ掴みすぐさま左耳の穴にぶっ刺した。
「耳は首筋や背中と同じ感じです。同じ皮膚の分類だからですか?」
「そ。皮膚舐めんのって結局汗舐めてんのと同じだから、基本的にはからだ中どこも同じあまさらしいな。ま、オレにはよくわかんねぇけど」
自分のあまさを永遠に知ることができない琉架が、客のフォークから聞いた知識を和唯に教えてやる。
「皮膚……っていうか汗がいちばん糖度が低くて、涙、唾液、血液、の順番でだんだん糖度が上がっていって……」
突如琉架がひどく艶のある眼をして、和唯の顔をゆっくりとのぞき込んだ。それは琉架が時折見せる男娼の眼だった。
「……いちばんあまいのが、ここ」
そうささやくように言って、琉架が自分の股間を指で差した。指の先にある濃度の高いあまさの意味を理解し、和唯が琉架の指先をじっと見つめる。白濁の、とろりとした、あまい蜜。琉架が興奮したときしか与えられないそれは、一体どれほど甘美なのか。
「興味ある?」
「……」
黙ったままの和唯に琉架は少しだけからかうように、
「初心者フォークのおまえにはハードル高ぇよな」
と言ってふふっと笑った。
「あぁ、あとは個体によって味は全然違うらしいな」
思い出したように琉架が付け加える。
「? そうなんですか?」
「あまいっつってもいろいろあんだろ? チョコだったり、キャラメルだったり、はちみつだったり……そういう違いがケーキの中にもあるってこと。味が違うってことは当然優劣もある。あまさがあっても正直まずいケーキもいるし、人気不人気も出てくる。ま、好みの問題だけどな」
もちろんその違いがわかるのはフォークだけで、これも聞いただけの話だ。希少な部類のケーキを日常生活の中で食べ比べることなどまず不可能だが、ボーイが全員ケーキである【Vanilla】なら食べ比べて味の優劣を付けることができてしまう。
「で、ケーキの中でもオレは……最上級ランク、らしいよ?」
客たちにそう評価されていると、琉架がどこか自嘲気味に和唯にそう教えた。素直に褒められているのか男娼のくせに浅ましいと蔑まされているのか真意はわからなかったが、その最上級のおかげで琉架目当ての客は後を絶たず、琉架は無職の男をしばらく養えるくらいの余裕ある生活を今している。
「だから琉架さん毎日遅くまで……引っ張りだこなんですね。あなたが人気者なのはなんとなくわかりますけど」
道に落ちていた男を拾うほどの面倒見の良さもあれば、愛嬌だけで人を手玉に取るような狡猾さも持ち合わせている。琉架と関われば、皆少なからずこの男の魅力に惹かれるのではないかと和唯は思ってしまう。
「別にオレが人気者ってわけじゃねぇよ。オレのあまさがたまたま万人受けするってだけ」
誰も男娼の本質なんか見ていないと、琉架は苦笑してそう言った。自分の取り柄は最上級と評されるそれだけだと本気で思っている琉架は、ケーキとは関係ない自分の言動が人に与える影響などまるで信じていない。
「……和唯にもいつか、好みの味のケーキが見つかるといいな」
ふとひどく柔らかい顔つきで琉架にそう言われ、和唯の胸がぎゅっと痛んだ。突然突き放されたような気持ちになり、焦る。期間限定の関係だともちろんわかってはいるが、いつか他を見つけてほしいなんていう言い方は今はまだ欲しくなかった。そんなこと言わないでと強く言いたかったが、その気持ちをぶつけるにはまだ和唯は琉架との距離を詰めていない。
「今は琉架さんだけで充分です」
精一杯の抵抗で和唯がそう言うと、
「……そっか」
と、琉架がいつもの愛くるしい瞳で笑った。
「というか琉架さん、一体いつ出掛けるんですか? いくらなんでものんびりし過ぎでは?」
夢中で左耳を食んでいた時間のことは棚に上げ、さすがにおかしいと和唯が訊く。
「あー、そうだな、もうそろそろ行くわ」
壁掛け時計をちらっと見て、琉架がなんとなくニットを直した。
「もしかして予約の時間結構遅めなんですか? なんでこんな朝早くに起こせって……」
もっと寝ていても充分間に合ったのにと、和唯が疲れているだろう琉架を心配する。
「……おまえが朝も飯作ってくれるっていうから、ゆっくり、一緒に食うのもいいかな……って」
「!」
いつも昼まで寝て夜の帰りも遅い琉架とは、なかなかゆっくりと向かい合って食事をとることができていなかった。向かい合うための早起きだったのだと知り、和唯の胸がまたぎゅっとなる。今度は先程とは違う、熱い熱い痛み。
少し照れた琉架が、急いでソファから立ち上がった。
「……口の中、まだあまいの残ってんの?」
「? ……はい、たくさんいただいたので」
「その味で残りのパンちゃんと食えよ。スクランブルエッグも! うまいから! あと余韻でいけたらそのまま昼も食え! いいな!?」
それだけ言い放つと、琉架はポールハンガーからコートを乱暴に掴んで玄関に向かった。
──ごはんの前に、あまいのくれた。
和唯は参ったなとしばらく呆然としてしまう。こんなことを打算なく素でやっているのだとしたら、この先心臓は本当にもつ気がしない。和唯は琉架に知られてはいけない大きなため息をついてから、見送るためによろよろと琉架のあとを追う。
「いってらっしゃい」
玄関で靴を履いている琉架の背中に和唯が言った。
「ん、いってきます。美容院のあと、そのまま仕事行くから」
「わかりました。……ねぇ、琉架さん」
呼び止められて、琉架が振り向いた。
「早く帰ってきてくださいね」
「え……なんで……?」
「ごはん作って待ってます」
信じられないほど穏やかな笑顔で和唯にそう言われ、琉架が思わず見惚れてしまう。
「……あ、はい」
何故かかしこまって返事をし、琉架はよろよろと玄関を出た。
コートのポケットに両手を突っ込んでマンションの廊下を歩き始めた琉架は、最後に見た和唯の笑顔が脳裏に張りついて離れず大きくため息をつく。振り回されている自覚が、十二分にある。
エレベーターホールで階下行きのボタンを押し到着を待つ間、琉架はポケットから出した左手で左耳にそっと触れた。和唯がなぞったのと同じように指を滑らせると、拾ったフォークの舌がよみがえってからだが熱くなる。
客じゃねぇ男って、調子狂う──。
琉架は思い出した舌の感触を消し去るように左耳を乱暴に引っ張ると、少し火照ったからだのまま扉が開いたエレベーターに乗り込んだ。
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