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第四十七話 不思議な喫茶店と鍵と夢
しおりを挟む私がある日迷い込んだ喫茶店と、それをきっかけに起きた不思議な体験のお話です。
ある日のこと、大学からの帰り道で私は普段は通らない道を選んでみました。
ほんの気まぐれだったんです、なんとなく気が向いて
(いつもと違う道を見てみよう)
という感じで。
古い民家が並ぶ通りで、昭和レトロといった感じの喫茶店を見つけました。
時間帯のせいか路地裏だからなのか、人通りもなくて、まるで世界に取り残されたような印象を受けました。
店先には『営業中』の札が出ていたので、興味本位でその喫茶店に入ってみることにしました。
「いらっしゃい」
店主らしき老婦人に声をかけられて、私は窓際の席に腰かけました。
メニューを見ればおいしそうなケーキの写真が掲載されていましたが、コーヒーだけを頼むことにしました。
店内の空気は静まり返っていて、時折、風が小さく吹き抜ける音だけが聞こえました。
家具や装飾はアンティークな雰囲気で、何十年も前のもののようでした。
薄暗い明かりが弱々しく灯され、壁に映し出された影が揺れているのが薄気味悪かったことを覚えています。
キッチンの奥には暗くて長い通路が伸びていて、そこから何か不気味な気配が漂っているように感じられました。
とにかく居心地が悪くて、だけどお店に入って何も頼まずに出るわけにもいかなくて、コーヒーだけにしたんです。
やがて運ばれてきたコーヒーを一口飲むと、店主が声をかけてきました。
「今日はケーキ食べないのかい? ダイエットかな」
「? はあ、まあ」
違和感を覚えましたが、初対面から距離感の近い人間というのはいるものです。
この店主はそういう人種なのだろうと、気にしないことにしたものの……
さっさと退散したくて、コーヒーを飲み干し立ち上がりました。
「ごちそうさまでした。お会計を」
レジに向かい、代金を支払った時でした。
「あら、ちょっと待ってね」
と店主がポケットからなにかを取り出して、お釣りと一緒に私の手に握らせてきました。
それは、鍵でした。
古ぼけたキーホルダーのついた、鍵。
「なんですか?」
お釣りだけを財布にしまい込み、鍵を突き出して返そうとしたのですが……
「あなたの忘れ物」
そう言ってグイグイと私に握らせてくるのです。
私の忘れ物のわけがありません、私がこの喫茶店に来たのは初めてだし、そもそもこんな鍵に見覚えなんかないんです。
でも、握らされてみるとその鍵がなにか懐かしさがあるような、手にしっくりくるような気がして……。
そして私はなぜかその鍵を持ち帰りました。
家に帰ってから、どうして受け取ってしまったのか頭を抱えました。
なんだか気味の悪さを感じて、引き出しの奥深くにしまい込んだんです。
そうして日々を暮らすうち、その存在をすっかり忘れていました。
ところで、私はある時期から同じ夢を繰り返し見るようになっていました。
私は夢の中では子供で、もうひとりの私と一緒に遊んでいるんです。
ある日は砂場でお城を作ったり、別の日には庭で追いかけっこをしたり。
また別の日には絵本を読んでもらったりしました。
夢の中では楽しく遊んでいるのですが、目を覚ませば親元を離れて一人暮らしの大学生の身。
なんだか寂しさを感じてしまって、落ち込んで一日が始まる。
そうして私の大学生活はどんどん暗く塞ぎ込んでいきました。
ある日、私の様子がおかしくなっていくことに気づいた友人が声をかけてくれました。
「ねえ、最近どうしたの? なんだか元気ないように見えるけど……」
気遣ってくれる友人の優しさに甘え、私は自分が抱えている悩みを打ち明けたくなりました。
でも…… 頭がおかしいと思われるだけだし、言えるわけがありません。
なにより、どう説明したらいいのか自分でもわからないんです。
言い悩む私を見て、友人はなにかを察したようにこう言いました。
「話しづらいことなら、無理には聞かないよ。
でも、話せる人がいるなら誰かに相談しなね」
気を遣わせてしまいました。申し訳なくて涙が出そうになりました。
でも、そのおかげで決心がつきました。
(友人には話せないけど、せめて親には相談してみよう)
そう思えました。
その晩、私は久しぶりに実家に電話をかけました。
懐かしい声に少しだけホッとし、近況報告の後、頃合いを見計らって……
「ねえお母さん。私ね、毎晩変な夢を見るの」
「夢?」
「うん。もうひとりの私がいてね、一緒に遊ぶ夢」
そんな夢の話をすると、電話の向こうからため息が漏れてきました。
母にしては珍しい反応に驚いて、私はすぐに言葉を訂正しました。
「あ、で、でも、ただの夢だしね。楽しく遊んでる夢だから何も悪いことじゃないんだけど」
それでも、母は黙ったまま。
しばらくの沈黙の後、母はこんなことを言いました。
「今まで黙っていたんだけど…… あなたは一人っ子じゃなくて双子の姉がいたはずだったの。一人は死産だったのよ」
「えっ!?」
突然の告白に私は驚いて、電話を落としそうになりました。
「夢に出てくる、その『もうひとりの私』は…… お姉ちゃんなんじゃないかしら」
電話越しで、母は少し涙ぐんでいるようでした。
「そ、そうなのかな……?」
不思議なのは、私が今までこんな夢を見たことなど一度もなかったのに、突然毎晩夢に見るようになったことです。
どうして今になって、という疑問が頭を離れません。
母との電話を切ってからも思案に暮れていると、引き出しの奥にしまい込んだ鍵の存在を思い出しました。
(そういえば、この夢を見るようになったのは、あの喫茶店に行ってからだったかもしれない。
あの喫茶店は最初から最後までどこかおかしかった。
初めて入ったお店なのに、さも私のことを知っているような振る舞いをする店主。
そして手渡された謎の鍵)
考えれば考えるほど、あのお店が気になって仕方がなくなりました。
それで、私は再びあの喫茶店に行ってみることにしたんです。
だけど…… 一度しか行ったことのないお店、しかも通りすがりに気が向いてふらりと立ち寄っただけの。
かすかな記憶を頼りに探し回りましたが、どうしても見つけることはできませんでした。
大学が終わったらすぐに喫茶店探しに向かう生活を続けていたら、見かねた友人がまた声をかけてくれました。
「あんたどうしたの? 最近付き合い悪いじゃない。お茶くらい付き合ってよ」
「ごめん、私探してる喫茶店があるんだけど……」
私がそう言うと、友人は楽しそうに笑いました。
「じゃあ一緒に探そうよ。それで、見つかったらお茶しよ!」
それから、ふたりで街に出て喫茶店を探すのが日課になりました。
そんな時です。
ふたりの共通の友人が喫茶店にまつわる都市伝説を聞かせてくれました。
『その喫茶店にはこの世を去った人々が一時の安らぎを求めて訪れるという伝説。
生者は決してその場所に足を踏み入れることはできないという』
「あんた、もしかしてそんな『はざま』にうっかり迷い込んじゃったのかもね」
友人は冗談めかしてそう言いましたが……
(これだけ探しても見つからないということはナイ話ではない)
そう思いました。
そんな話を聞いたことをきっかけに、喫茶店探しは諦めることにしたんです。
だって、いつまでも友人を私の妄想のような話に付き合わせるわけにもいかないじゃないですか。
残った手がかりは、私の手元に残されたあの鍵だけです。
あの鍵は一体なんなのか…… お寺とか神社とか、そういうところに持ち込むことも最初は考えました。
でも、母が言っていた『双子の姉』の存在がどうしても気にかかって、先に母にたずねてみることにしたんです。
私は土日の休みを利用して久々に実家に帰りました。
母はこの間の電話の件には触れずに笑顔で迎えてくれたので、近況報告やたわいもない世間話をして過ごしました。
私もどう話を切り出せばいいのかわからなかったのです。
とはいえ、このまま帰ってはただ帰省しただけに終わってしまう、目的を果たさなければ。
夕飯の後、意を決して例の鍵の話を切り出しました。
最初はなかなか私の話が要領を得ませんでしたが、母は首をかしげながらも聞いてくれました。
でも、鍵を受け取ったくだりの話をしながら、実物をバッグから取り出したとき、母はハッとした表情になったのです。
「それは私の鍵だわ。あんたが生まれる前から住んでた家の鍵。
その古ぼけたキーホルダー、間違いない。
当時流行してたキャラクターでね、私が自分でつけたんだもん」
そう言って、母は懐かしそうにキーホルダーを手に取りました。
「ああ、懐かしい…… このキャラクター大好きだったのよ。
でもね、双子のうち一人しか無事に産んであげられなかったことがショックで、私塞ぎ込んじゃって。
妊娠中ずっと過ごした家にいると思い出してつらいだろうからって、お父さんが引っ越しを提案してくれたの」
「そうだったんだ…… でもどうしてその鍵が私に渡されたのかな?
喫茶店の店主さん、お母さんと私を間違えた?」
私の疑問に、母は神妙な顔つきになりました。
「そもそも、その鍵がこんなところに出てくるわけがないのよ。
だって、家はもう取り壊されたし、鍵はお姉ちゃんを埋葬するときにお骨のツボに一緒に入れたんだもん」
私はその言葉を聞いて、すべてがふに落ちた気がしました。
──家の鍵を骨ツボに入れたということは、お姉ちゃんがあの世へ持っていったということ。
この世では取り壊された家も、あの世では健在で……
鍵をもらったお姉ちゃんはずっとその家に住んで、私と同じく成長していった。
それで、私も大学生になった今の年頃、お姉ちゃんはこの世ならざるものが集うという喫茶店の常連になった。
うっかり鍵を置き忘れて帰っちゃったことがあったのかもしれない。
そしてそのタイミングでたまたま、同じ顔をした双子の私がそこへ迷い込んだ──
本当に偶然に偶然を重ねなければそんなことは起こり得ないし、そもそもそんな都市伝説の喫茶店が実在するなんてこと自体も半信半疑だけど。
そう考えればすべてのつじつまが合うんじゃないかな、なんて思うんです。
ああ、夢ですか?
お寺さんにお願いしてお姉ちゃんの骨ツボを確認してもらったら、やっぱり鍵がなくなってたので、入れ直したんです。
そしたらぱたりと夢を見ることもなくなりました。
お姉ちゃんが鍵を返してほしくて夢枕に立ってて、それで返したから気が済んだ…… 最初はそう思いました。
でも私、思い返せば大学生になって一人暮らしを始めてからというもの、全然実家に帰ってなかったんですよね。
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だけど今回のことがきっかけで、頻繁に親に顔を見せるようになったし、電話もするようになりました。
『せっかく無事に生まれることができたのに、親をないがしろにするんじゃないよ』
そう、お姉ちゃんからのお叱りだったのかも。
夢を見なくなったのは鍵を返したからじゃなくて、私が生活をあらためたから…… なのかな?
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