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第三十話 大量のお守り
しおりを挟む私が社会人一年生だった頃の話です。
念願の広告代理店へ入社でき、毎日はりきって働いていました。
私は住んでいる場所が少々不便なところにあるため、通勤電車の本数が少ないんです。
ちょうどいい時間帯の便がなくて、いつも早すぎる電車に乗って一番乗りです。
本来新入社員にカギを持たせることはありえないそうですが、私は特別な配慮で合いカギを預かっていました。
ある朝のことです。
まだ誰もいないオフィスに出社すると、パソコンを立ち上げてメールやスケジュールを確認していました。
始業時間までかなり時間があったのですが、どうにも落ち着かずお茶を入れて飲もうと思いました。
給湯室でお湯を沸かし、コーヒーを入れているときです。
後ろから足音がしたので(誰か出社してきたかな)と思って振り返り、あいさつをしました。
「おはようございます」
しかし、その声は虚しく無人の空間に響き渡りました。
確かに足音が背後まで近寄ってきたと思ったのに、そこには誰もいなかったのです。
(あれ? 確かに人がきたと思ったけど……)
不思議に思って周囲を見回しますが、やはり人の姿はありません。
(空耳だったのかしら)
首をかしげながら自分の席に戻り、再び仕事を始めようとしました。
ところが今度は『ギギッ』という、まるで誰かが椅子に座ったようなきしみ音が聞こえました。
オフィス内を見回してみましたが、やっぱり誰もいないんです。
ぎょっとすると同時に、心臓が大きく跳ね上がりました。
でもすぐに気を取り直し(きっと空耳だろう)と自分に言い聞かせます。
今度こそ本当に仕事に取りかかろうと机に向かった時、またもやドアの外から足音が聞こえてきたんです。
しかもそれは、こちらに向かって一直線に進んでくるようでした。
ドキリとして顔を上げ、思わず息を殺します。
コツッコツッと固い靴底で床を踏みしめるような音は、どんどん大きくなってきました。
やがてドアの前まで到達した足音はピタリと止まり、かわりにガチャリとドアノブを回す音とともに……
入ってきたのは、直属の上司でした。
「お、お、おはようございます!」
慌てて立ち上がり、頭を下げました。
「どうした? そんな青い顔をして。さてはサボってたところを見つかりそうになって焦ったな?」
上司がクスクスと笑いながら尋ねてきました。
「はい! そうです!」
大声でトンチンカンな答えを返す私の顔を、まじまじと見つめてくる上司。
「なんだ? 本当になにかあったのか?」
その上司の言葉に、やっと私は安心のため息を漏らしました。
安心したら気が抜けて、その場にへたり込んで大泣きしてしまいました。
上司が驚いて駆け寄り、背中を擦ってくれながら言いました。
「ああごめん、断りもなく体に触るのはNGか。セクハラ上司だなんて訴えないでくれよ。
……さあ、何があったのか話せるか?」
私は上司に背中を擦られながらハンカチで顔を拭って、嗚咽混じりに事情を説明しました。
「あの…… 実はさっき、給湯室で…… オフィスでも……」
涙をこぼしながら途切れがちにしゃべる私を見て、上司はしばらく考え込み……
そして、ようやく口を開きました。
「実は、このビルには『出る』って噂があったんだ。
怖がらせちゃいけないから、そういう話はしないようにしてたんだけど……
なんの予備知識もなく遭遇してしまうなんて、かえって怖い思いをさせてしまったな」
そう言って上司は頭をかき、詳細を語ってくれました。
──そもそも、君より以前の社員がみんな男性であることに違和感を持ったことはないか?
君はわが社が採用した久々の女性社員なんだよ。
というのも、その幽霊を目撃するのが女性社員ばかりだからなんだ。
社長は現実主義だし、古い時代の男性だからね。
女性社員がどんなに騒いでも、幽霊が出るなんて話とうてい信じてはくれなかった。
それで女性社員はどんどんやめていったし、新入社員が入っても長くは続かなかった。
女性がやめるたびに人員の補充のためにまた中途採用の求人を出すにもコストがかかる。
これでは仕事にならないからね、社長にお祓いをするようにお願いした人もいたよ。
でも、社長自身が信じてないからね、ダメだった。
このビルは会社のものだから、社長が認めていないのに俺らが勝手にお祓いを依頼するわけにもいかないし……
仕方ないから、長いあいだ人事部が意図的に女性を採用しないようにしてきたんだ。
でも、時代もかわって『女性だから採用しない』は通用しなくなってきただろ?
女性社員を入れないことで長年目撃情報もなかったもんで、俺らも喉元すぎればなんとやらだったのかもしれん。
何も解決をしていないのに、女性の新入社員を採用することになってしまったんだ。
それが君だよ──
上司は申し訳なさそうにうつむいて続けました。
「ごめんな、社長のことを理解のない古いジジイみたいに思っていながら……
結局俺らも、自分の目で見ることがないせいで認識が甘かったんだ」
「私は広告代理店で働くのが昔からの夢だったんです。
今年から女性社員を受け入れると方向転換してくれたから入社がかないました。
突然のことでびっくりしちゃってお恥ずかしいところをお見せしましたが……
幽霊なんかに負けてはいられません」
私はブンブンと首を横に振り、精一杯のガッツポーズを見せました。
正直、強がりでしたけど……(幽霊なんかに負けていられない)という気持ちは本物でした。
私たちが会議室で話し込んでいる間に、他の社員たちも出社してきているようでした。
言われてみれば、去年・おととし入社の先輩たちもみんな男性。
上司は「そういう話はしないようにしてた」と言っていたし、彼らは女性社員がいた時代を知りません。
きっとこのビルに幽霊が出るなんて話、聞いたこともないのでしょう。
「もし今までの女性社員と同じく続けられないということであれば、せめてものおわびってわけじゃないが……
退職理由を『会社都合』に融通するくらいならできる。
今すぐ決める必要はない、耐えられなくなったらいつでも相談してくれ」
上司はそう言いますが、私はここで辞めるつもりはありませんでした。
(でも…… 昔の、ただでさえ女性の立場が弱かった時代……
一度就職した会社を辞めてしまえば、現代よりもっともっと再就職が厳しかった時代。
それでも、誰一人この会社に残ることはなく、全員が辞めてしまった)
その事実をあらためて考えると、少し背筋が寒くなりました。
女性社員は私だけ…… 誰にも相談はできません。
(自分の身は自分で守らなきゃ)
私はとにかくお守りを買い集めました。
パワーストーンや開運グッズのお店、アジア系雑貨のお店なんかにも足を運んで、目についたものを片っ端に買い漁ったのです。
行ける範囲の神社という神社、お寺というお寺を巡るのが休日の日課になりました。
家に帰ってきてからも、部屋中に盛り塩をしたり、必死で祈りをささげました。
夜寝ているときに枕元に立ったらどうしようかと思い、ベッドを窓際に置いてカーテンを閉め切って眠るようにもしました。
そんな努力もむなしく、私はたびたび会社でひとりぼっちの時間帯、幽霊を目撃することとなりました。
いえ、音を聞くだけだから『目撃』とは言わないのかしら?
そんな生活を続けて数週間ほどたった頃には、オフィスの中の雰囲気が違ってきていました。
それに気がついていないのは、社内で私だけだったのです。
私の席の後ろで同僚たちがひそひそと話しているのが耳に入りました。
「ほら、例の……」
「ちょっと怖いよね……」
それを聞いて、私は
(もしかして私以外にもこのビルの幽霊に気付いた社員がいる!?)
と思い、振り向きました。
「ですよね! 怖いですよね! 私もいつも怖くて、でも負けたくなくて……!」
そこまで言って口をつぐみました。
同僚たちの『気味悪いものを見る目』それは私自身に向けられていたんです。
私はその頃既に、カバンだけではなく首からいくつもお守りを下げ、胸ポケットにはみ出るほどのお守りを差し込み、数珠ブレスレットをじゃらじゃらと身に着け、魔除けの指輪をいくつも重ね……
さらにはオフィスの自分の机の上にもいくつも魔除けを置き、マットの下にも引き出しの正面にも貼れる面という面にお札がびっしり。
そして給湯室のすみにいつもお供えとしてお菓子とお茶を置いていたのです。
彼らから向けられた視線で、私は初めて自分の異様さに気が付きました。
『幽霊に負けたくない』という思いが暴走するあまり、周りが見えなくなっていたみたいです。
結局私は、上司の強い勧めでメンタルクリニックにかかり、その後退職することになりました。
でも結果的にこれで良かったのかもしれません。
当時の上司とはSNSで薄~いつながりが続いているのですが……
あの会社、役員のセクハラ体質が明るみに出て炎上してて、いま大変みたいです。
私もあのまま務め続けて役員との接点ができるようになれば、いずれセクハラ被害にあっていたかもしれません。
(女性にしか見えない幽霊、もしかしたらこのことを警告してくれていたのかな)
なんて今では思います。
そうそう、会社を辞めてから必要がなくなって神社に返納しにいったんですけど、受付の巫女さんに怒られちゃいましたよ。
──こんなにたくさんのお守りを持ってたんですか!?
ダメですよ、お守りは数持てばいいってものじゃないんです。
お守りに宿る神様同士の相性が悪ければケンカしちゃうし……
ケンカするような相性じゃなかったとしても遠慮しあっちゃって、結局どっちも守ってくれないみたいなことも発生しちゃうんですよ。
それにあなたが持ってるの、神社のちゃんとしたお守りだけじゃないでしょう?
神様が宿ってないただの小物みたいなグッズをお守りだと信じ込んで大事にしてると、その信仰心をわが物にしようと良くないものが入り込むことがあるんですよ。
不安な気持ちはわかりますし、たくさん持てば持つほど安心するような気になるのもわかります。
でも正しく持たないと、お守りは本来の効力を発揮できなくなっちゃうんですよ。
これからは自分の一番の目的にピッタリのお守りをひとつだけ選んで持つようにしてくださいね──
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