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第二章 またネズミが鳴きました
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「説明は後だ!」
社長が叫んだ。
「石井ちゃん、ドアを閉めろ!」
「は、はい!」
「つかっちゃんは開いている窓がないか確認して!」
「え? あ、はい!」
僕と大塚さんは訳がわからないわかまま社長の指示に従う。密室の完成だ。
「よし、これで犯人は現場から逃走できないな」
満足げな社長を見上げ、こはるちゃんが「ダイフクは逃亡犯じゃないです」と抗議した。社長はすぐさま「そうか、ごめんな」と謝ったが、今村課長は「まあ脱走犯ですけど」と呟いた。
そのやり取りを見ていた大塚さんが小学生みたいな挙手をした。
「あのぅ、なにが起こっているのかさっぱり……ねえ?」
同意を求められ、僕が頷くと同時に始業のチャイムが鳴った。
今村課長はこはるちゃんの腕に触れながら腰をかがめた。
「こはる。お母さんはお仕事の時間なの。ダイフクのことはお願いしてもいい?」
「うん。ちゃんと見つける」
「それでは、社長、すみませんが、私はこれで」
「おう。心配すんな。今日もよろしくな」
背筋を伸ばして口を引き結んだこはるちゃんの頭を優しく撫でると、今村課長は社長室を出ていった。こはるちゃんは昨日みたいにお城のチェックを始めた。
仕事の時間なのは僕や大塚さんも同じだ。けれどもこの状況が気になって去るに去れない。
大塚さんが再び挙手をする。
「あのぅ、仕事をサボる気はないんですけど、わからないことが多すぎて。ひまわりの種とか、ダイフクとか、ネズミとか。それに、なんでまたこはるちゃんがいるんですか? いえね、いるのはいいんですけど、学校がお休みなのは昨日だけですよね?」
僕にしたってネズミの件以外はいまいちわからないから、大塚さんに言葉にいちいち頷いた。
「そうだよなあ」
社長は短髪のごま塩頭をガシガシ掻いた。
「まずはこいつだな」
そう言って差し出されたのは、一枚の写真だった。さっき今村課長から見せられた画像と同じ白い塊。
「ああ、たしかにこれは大福ですね」
僕が納得の声を上げると、大塚さんも深く頷いた。
「そうね、おいしそうな大福ね」
「ハムスターです。ジャンガリアンハムスター。食べ物の大福じゃありません。名前です」
お城のチェックをしながら、こはるちゃんが不服そうに言った。
わかってはいるが、ぽてりとした感じも色も、おそらく大きさも、まさに大福としか言いようのない姿だ。
「そのダイフクってハムスターが行方不明なんだと」
磯貝社長は、今村親子からその報告を受けていたところだったという。
昨日の朝、のんびりしているこはるちゃんに今村課長は「遅刻するわよ」と声をかけた。
「え? 今日学校ないよ?」
こはるちゃんの返事で、今村課長はやっと小学校が休校であることを思い出した。そしてすぐさま、今日をどう切り抜けるか思案した。
小学生を丸一日一人で留守番させるのは不安だった。もし留守番させる予定であればお昼ごはんを用意しておいたり、インターホンが鳴った場合の対応を指示しておいたり、さまざまな注意事項を伝えなければならない。けれどもそんな時間はない。かといって、夫は出張中だし、預け先も思いつかない。
出勤時刻が迫り、今村課長はとりあえず出勤することを優先して、こはるちゃんにも出掛ける用意をするよう指示したのだった。
こはるちゃんにしてみれば、開校記念日であることはずっと前から伝えてあったし、当然母親が休暇をとっていると思っていた。だから日曜日と同じようにだらだらしていたのだが、急遽出掛けることになったこはるちゃんは焦った。いつもは登校前に済ませているダイフクの世話がまだだったのだ。休みだから後でゆっくりダイフクと遊びつつやるつもりでいたからだ。
今村課長が慌ただしく出勤準備を進めている間に、こはるちゃんは大急ぎで大福のケージの戸を開け、給水器の水を取り替え、ペレットを与え、固まったトイレ砂を掃除した。
それからこはるちゃんは暇つぶし用にお絵かきセットやお気に入りの本などをリュックに詰めた。
そしてどうにか今村課長は遅刻せずに出勤できたのだが。
事情を聞いた磯貝社長は、子どもが事務所や作業場に足を踏み入れたら危なかろうと、社長室で預かることにした。社長も常に在室しているわけではないし、いたとしても子どもの相手をしているわけにもいかないが、問題はないと判断した。
ところが、磯貝社長が席を外した隙に問題は発生した。
ひとりになったこはるちゃんは、お絵かきか読書をしようと持参したリュックを開けた。そのリュックにダイフクが入っていたのだ。
どうやら知らぬ間にケージから脱走したらしい。慌てていたためお世話の後、ケージをちゃんと閉めていなかったのだろう。そしてダイフクは近くに置いてあったリュックに潜り込んだようだ。
「あらまあ」
そこまで聞いた大塚さんは、びっくりの見本のような驚いた顔をした。
「あれ? ダイフクといえば、昨日、給湯室に大福が落ちていたような……」
僕は食べ物の方の大福を思い浮かべて言った。正確には、落ちていた大福をこはるちゃんが拾っていった情景を。
こはるちゃんはハッとした顔で僕を見たかと思うと、キッと睨みつけてきた。それで察した。
「あっ。あれって大福は食べ物の大福じゃなくて、ハムスターのダイフクだったのか!」
知らぬ間に未知の世界に連れてこられたダイフクは、興味からかパニックからかわからないが、社長室からも脱走したのだろう。それを危うく踏み潰すところだった僕のことをこはるちゃんは睨んでいるのだ。
小さくても今村課長と同じ顔に睨まれているのは怖い。僕は磯貝社長に向けて質問した。
「でもそれって昨日のことですよね? ちゃんと捕まえてましたよ?」
「一度は、な」
給湯室で捕まえて社長室に連れ帰ったものの、今度は社長室で迷子になったという。こはるちゃん作のお城の中に入っていったところまでは見ていたらしい。ラップの芯を組み合わせて作ったお城はハムスターにとって格好の遊具なのだろう。
「あっ。じゃあ、昨日こはるちゃんがお城をあちこち眺めていたのはチェックとかメンテナンスのつもりじゃなくてダイフクを探していたのか」
今もこはるちゃんがお城の穴という穴を覗き込んでいるのはダイフク捜索ということになる。
「……ということは、もしかして、まだ見つかってないとか?」
「二度あることは三度あるってやつだな。昨日はお城の中で眠っているダイフクを見つけたらしい。そしてまたリュックに入れて連れ帰ったつもりだったんだとよ」
「つもり、ですか」
「つもり、だな」
つまり、この社内で三度目の脱走をしたということか。帰宅してそのことに気づき、ショックと責任を感じたこはるちゃんは学校を欠席してダイフクを探しに来たというわけだ。そこら中に置かれたひまわりの種はダイフクを誘き寄せるためのもの。
「石井ちゃんよー。手が空いてたら手伝ってやってくんねぇか?」
「あー……。そうしたいんですが、今日は午前中の納品があるんですよ」
フリップ時計がパタリと微かな音を立ててめくれた。そろそろ作業場に寄って完成品を受け取らなければならない。
「私、探しますよ」
大塚さんが名乗り出た。
「ダイフク探しのためだし、事務所に戻らなくても今村課長だってなにも言いませんよ」
「おお。そうだな。じゃあ、つかっちゃん、よろしく頼むよ」
「はい。任せてください。……こはるちゃん、一緒に探そうね」
ひまわりの種を手に乗せ、ダイフクの名を呼ぶ大塚さんを残して、僕は社長室を後にした。
社長が叫んだ。
「石井ちゃん、ドアを閉めろ!」
「は、はい!」
「つかっちゃんは開いている窓がないか確認して!」
「え? あ、はい!」
僕と大塚さんは訳がわからないわかまま社長の指示に従う。密室の完成だ。
「よし、これで犯人は現場から逃走できないな」
満足げな社長を見上げ、こはるちゃんが「ダイフクは逃亡犯じゃないです」と抗議した。社長はすぐさま「そうか、ごめんな」と謝ったが、今村課長は「まあ脱走犯ですけど」と呟いた。
そのやり取りを見ていた大塚さんが小学生みたいな挙手をした。
「あのぅ、なにが起こっているのかさっぱり……ねえ?」
同意を求められ、僕が頷くと同時に始業のチャイムが鳴った。
今村課長はこはるちゃんの腕に触れながら腰をかがめた。
「こはる。お母さんはお仕事の時間なの。ダイフクのことはお願いしてもいい?」
「うん。ちゃんと見つける」
「それでは、社長、すみませんが、私はこれで」
「おう。心配すんな。今日もよろしくな」
背筋を伸ばして口を引き結んだこはるちゃんの頭を優しく撫でると、今村課長は社長室を出ていった。こはるちゃんは昨日みたいにお城のチェックを始めた。
仕事の時間なのは僕や大塚さんも同じだ。けれどもこの状況が気になって去るに去れない。
大塚さんが再び挙手をする。
「あのぅ、仕事をサボる気はないんですけど、わからないことが多すぎて。ひまわりの種とか、ダイフクとか、ネズミとか。それに、なんでまたこはるちゃんがいるんですか? いえね、いるのはいいんですけど、学校がお休みなのは昨日だけですよね?」
僕にしたってネズミの件以外はいまいちわからないから、大塚さんに言葉にいちいち頷いた。
「そうだよなあ」
社長は短髪のごま塩頭をガシガシ掻いた。
「まずはこいつだな」
そう言って差し出されたのは、一枚の写真だった。さっき今村課長から見せられた画像と同じ白い塊。
「ああ、たしかにこれは大福ですね」
僕が納得の声を上げると、大塚さんも深く頷いた。
「そうね、おいしそうな大福ね」
「ハムスターです。ジャンガリアンハムスター。食べ物の大福じゃありません。名前です」
お城のチェックをしながら、こはるちゃんが不服そうに言った。
わかってはいるが、ぽてりとした感じも色も、おそらく大きさも、まさに大福としか言いようのない姿だ。
「そのダイフクってハムスターが行方不明なんだと」
磯貝社長は、今村親子からその報告を受けていたところだったという。
昨日の朝、のんびりしているこはるちゃんに今村課長は「遅刻するわよ」と声をかけた。
「え? 今日学校ないよ?」
こはるちゃんの返事で、今村課長はやっと小学校が休校であることを思い出した。そしてすぐさま、今日をどう切り抜けるか思案した。
小学生を丸一日一人で留守番させるのは不安だった。もし留守番させる予定であればお昼ごはんを用意しておいたり、インターホンが鳴った場合の対応を指示しておいたり、さまざまな注意事項を伝えなければならない。けれどもそんな時間はない。かといって、夫は出張中だし、預け先も思いつかない。
出勤時刻が迫り、今村課長はとりあえず出勤することを優先して、こはるちゃんにも出掛ける用意をするよう指示したのだった。
こはるちゃんにしてみれば、開校記念日であることはずっと前から伝えてあったし、当然母親が休暇をとっていると思っていた。だから日曜日と同じようにだらだらしていたのだが、急遽出掛けることになったこはるちゃんは焦った。いつもは登校前に済ませているダイフクの世話がまだだったのだ。休みだから後でゆっくりダイフクと遊びつつやるつもりでいたからだ。
今村課長が慌ただしく出勤準備を進めている間に、こはるちゃんは大急ぎで大福のケージの戸を開け、給水器の水を取り替え、ペレットを与え、固まったトイレ砂を掃除した。
それからこはるちゃんは暇つぶし用にお絵かきセットやお気に入りの本などをリュックに詰めた。
そしてどうにか今村課長は遅刻せずに出勤できたのだが。
事情を聞いた磯貝社長は、子どもが事務所や作業場に足を踏み入れたら危なかろうと、社長室で預かることにした。社長も常に在室しているわけではないし、いたとしても子どもの相手をしているわけにもいかないが、問題はないと判断した。
ところが、磯貝社長が席を外した隙に問題は発生した。
ひとりになったこはるちゃんは、お絵かきか読書をしようと持参したリュックを開けた。そのリュックにダイフクが入っていたのだ。
どうやら知らぬ間にケージから脱走したらしい。慌てていたためお世話の後、ケージをちゃんと閉めていなかったのだろう。そしてダイフクは近くに置いてあったリュックに潜り込んだようだ。
「あらまあ」
そこまで聞いた大塚さんは、びっくりの見本のような驚いた顔をした。
「あれ? ダイフクといえば、昨日、給湯室に大福が落ちていたような……」
僕は食べ物の方の大福を思い浮かべて言った。正確には、落ちていた大福をこはるちゃんが拾っていった情景を。
こはるちゃんはハッとした顔で僕を見たかと思うと、キッと睨みつけてきた。それで察した。
「あっ。あれって大福は食べ物の大福じゃなくて、ハムスターのダイフクだったのか!」
知らぬ間に未知の世界に連れてこられたダイフクは、興味からかパニックからかわからないが、社長室からも脱走したのだろう。それを危うく踏み潰すところだった僕のことをこはるちゃんは睨んでいるのだ。
小さくても今村課長と同じ顔に睨まれているのは怖い。僕は磯貝社長に向けて質問した。
「でもそれって昨日のことですよね? ちゃんと捕まえてましたよ?」
「一度は、な」
給湯室で捕まえて社長室に連れ帰ったものの、今度は社長室で迷子になったという。こはるちゃん作のお城の中に入っていったところまでは見ていたらしい。ラップの芯を組み合わせて作ったお城はハムスターにとって格好の遊具なのだろう。
「あっ。じゃあ、昨日こはるちゃんがお城をあちこち眺めていたのはチェックとかメンテナンスのつもりじゃなくてダイフクを探していたのか」
今もこはるちゃんがお城の穴という穴を覗き込んでいるのはダイフク捜索ということになる。
「……ということは、もしかして、まだ見つかってないとか?」
「二度あることは三度あるってやつだな。昨日はお城の中で眠っているダイフクを見つけたらしい。そしてまたリュックに入れて連れ帰ったつもりだったんだとよ」
「つもり、ですか」
「つもり、だな」
つまり、この社内で三度目の脱走をしたということか。帰宅してそのことに気づき、ショックと責任を感じたこはるちゃんは学校を欠席してダイフクを探しに来たというわけだ。そこら中に置かれたひまわりの種はダイフクを誘き寄せるためのもの。
「石井ちゃんよー。手が空いてたら手伝ってやってくんねぇか?」
「あー……。そうしたいんですが、今日は午前中の納品があるんですよ」
フリップ時計がパタリと微かな音を立ててめくれた。そろそろ作業場に寄って完成品を受け取らなければならない。
「私、探しますよ」
大塚さんが名乗り出た。
「ダイフク探しのためだし、事務所に戻らなくても今村課長だってなにも言いませんよ」
「おお。そうだな。じゃあ、つかっちゃん、よろしく頼むよ」
「はい。任せてください。……こはるちゃん、一緒に探そうね」
ひまわりの種を手に乗せ、ダイフクの名を呼ぶ大塚さんを残して、僕は社長室を後にした。
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