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白椿のワルツ
玖
しおりを挟む――留学を許した当主・継直の判断に、直倫だけではなく息子たちも不満そうだった。実際、何度か継直に直訴したそうだが、継直は一度決めたことを揺るがすような男ではない。
伊豆にいる祖父に兄弟たちは話を持っていったそうだが、継直が決めたことならば仕方が無いとのことだった。七種家は男子直系であるため、当主の言葉は絶対なのだ。
雪人自身も掻き抱かれ、説得されたが、頑として気持ちは揺らがなかった。
そんな兄弟たちが留学の手伝いをしてくれるわけがない。兄弟たちの反対を受けている雪人と共に準備をしてくれたのは、百合子だった。といっても、何から何までというわけではなく、継直に頼まれて義務的にやっているようだった。
雪人の知らせを受けたコウキも、一緒にビザの申請をしてくれた。その帰りに、あの教会によって、ふたりでお祈りをした。
日に日に地下室で集まっていくトランクの中のものを、毎日のように確かめるのが雪人の日課だった。トランクを見つけた兄弟たちは苦い顔をするのが常だったが、雪人は気にならなかった。
継直は自ら雪人を洋服屋に連れて行き、オーダーメイドのスーツを作ってくれた。スーツを作ってもらうなど初めてだ。ブラウンの生地にチェック柄が良く似合っていた。靴も帽子もそろえ、あちらでもしパーティーに出る事があれば…とタキシードも仕立てた。
着慣れないものに雪人は恥ずかしそうだったが、継直は「似合う」と褒めてくれた。その称賛に裏はなく、旅立つ息子のために、父親の役割をこなしているように見えた。
そして…家を出る日を迎えた。雪人とコウキは東京から九州へ船に行き、九州から英国へと航海することになった。
約40日程度はかかると言われており、途轍もなく長い旅路であるのは間違いがなかったが、雪人は心が躍った。
雪人はその日起きてスーツを着込むと、食堂にて早々と食事を済ませた。コウキが迎えにくるまで大分時間があるにも関わらず、玄関のソファで待っているのだった。
ここまでくれば、もう誰も引きとめようとしないようだった。寂しそうな顔をして雪人に別れの接吻をする兄弟たちを雪人は見送った。
しかし、コウキは来なかった。一刻、二刻と時間が過ぎてもたっても…雪人はコウキの身を案じた。コウキに何かあったのではないかと、雪人が不安そうな顔で、執事に確かめても、何も七種家には連絡がないとのことだった。
コウキが来ない理由が判明したのは、急いで大学から帰ってきたらしい継貴だった。継貴は玄関の雪人を見つけると、駆け寄ってきたのだった。
「雪人、コウキが憲兵につかまった」
継貴の言った言葉は衝撃的なものだった。
「どうして!?コウキがいったい何をしたの?」
いくらコウキが雪人の心を奪った人間だからといって、継貴にとって友人であることは代わりが無いのだろう。雪人と同じく不安が入り混じった顔で、腕の中の雪人を見下ろしていた。
「何でも、通訳を頼まれていた英国の公人と一緒にいった海軍で、機密文書を持ち出したらしいとのことだ。何だって、あいつ、そんなことを…」
「継貴、まさかそれを信じてるの!?」
コウキが誰よりも高潔な人間であることは、継貴もよく知っているはずだ。
「俺だってまさかと思ったさ。だけど、俺も父さんから連絡が来たんだ。公人が軍の者たちに案内されていた時、別行動をとっていて、そこで文章を持ち出そうとしたらしい。父さんに直接、海軍大臣から連絡も来たそうだ」
「海軍大臣って、そんなに大袈裟なことに?」
「クライムが七種家と繋がりが深いことは大臣も知っていることだ。だから、温情で父さんに先に連絡をくれたらしい」
「そういうことだ、雪人」
玄関口から低い声がし、二人ははっと振り向いた。其処にいたのは、継直だ。コートを着たまま玄関口に留まっている継直に出迎えた執事が近寄ったが、継直はそれを手で制した。
「わたしはこれからコウキを受け渡してもらいに行く。といっても、単に身分が証明されるだけで、コウキ自身は明日強制的に母国に返されてしまうが」
「コウキは帰ってしまうのですか?どうしてですか?」
雪人が近寄り腕にすがり付いてくるのを見ながら、継直は言った。
「雪人、いくらコウキが英国人といっても、治外法権はすでに適用されていないんだ。日英通商航海条約が結ばれているからね、彼は日本政府の判断で本国に返される。お前たちは強制送還と思っているかもしれないが、これでも日本政府の温情といえるのだよ」
「なら雪人の留学は」
微かな喜色を滲ませて継貴は尋ねる。
「留学どころのはなしではないだろうな」
「そんな…」
雪人は愕然とした。コウキに着いて留学する夢も、コウキと幸福に過ごす日々も、全てが失われようとしているのだ。
「さて、わたしも行こう。遅くなってしまっては、あちらも迷惑だろう」
「いってらっしゃい。コウキを頼みます、父さん」
継貴は頭を下げて、コウキを頼む。しかし友人を心配する心はありながら、一方で安堵していた。雪人を奪われずにすむ。
「父さん、俺も行きます!連れて行ってください」
「雪人駄目だよ、父さんは遊びに行くわけじゃ」
継貴は雪人のほっそりとした肩を掴んで留めようとするが、雪人の手は継直を掴んで離さない。
「俺はどうしてもコウキがそんな事をする人間に思えないのです。きっと何か、別の事情が…」
雪人の真摯な顔を見て継直は暫く何かを考えていたが、頷いてくれた。
「早く車に乗りなさい」
「はい!」
雪人は父に促されるまま、トランクにかけてあったコートを取ると早々と車に乗った。雪人がいくならば…と継貴も同行しようとしたが、継直は留めた。
「お前は家で待っていなさい。他の者たちにも伝えてあるから、ここに残って落ち着かせてやってくれ。――なに、コウキとは雪人も挟んで、3人で話がしたい」
継貴は、父が何を考えている理解ができなかった。雪人にたいして一方ならぬ想いを抱いているのは父も一緒だ。
いや、父の場合は、雪人の母である肖像画に描かれた美しい雪子から続く想いだろう。その想いは、息子である己たちにもどういったものなのか、教えてもらったことがない。
だが、確かにあるはずなのだ。もしかしたら己たち以上に、強く、深いかもしれない雪人への想いが…。
継貴は屋敷から遠ざかる車を静かに見つめていた。
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