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28 攫う黒い影

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太陽が東に傾きはじめ、日差しがじりじりと娘の肌をほんのりと赤にそめる。夏の暑さが身に染みてわかる今日、娘は少しだけ足取り軽く皆んなが待っている屋敷へとナギと共に帰る。

「嬉しかったな…」
「それは両親に会えたことがか?それともあの子供に覚えてもらえてたことか?」
「全部よ。記憶だって少しだけ思い出せたし、父さんと母さんも元気そうにしてた、村の子供達の笑顔も見れたもん。それで十分だよ」

娘はナギに笑ってみせた。ナギがその笑みにそっと手を伸ばして触れようとするがその腕を掴まれ嫌みたらしく言う者が1人。不敵な笑みを浮かべながら現れたのは御津羽みつはだった。

「ナギ、僕を置いて帰ろうなんてそんなことないよね?」
「御津羽か。別にそのまま現世に残っててもいいんだぞ、それだけ思い入れがある場所ならな」
「……ないから」

御津羽みつはは苦虫を潰したような表情を一瞬見せたがまたいつもの気を取り直し娘の方を見た。いつも何を考えているか分からない御津羽だがその一瞬の表情にどこか違和感を感じた。

花雨かうちゃんも良かったね、ご両親に会えて」
「ありがとう御津羽」
「それじゃあ帰ろっか」

村から少し離れた人の気配がない山の中、御津羽が神域へと繋がる札を懐から出したその時。
ーーーー空気が重々しいものへと変わった。
突風が吹き、木々の葉が擦れる音があたりに騒つく。そして目の前に現れたのは禍々しい黒い靄、その靄を吸い込み娘はむせた。けれど見たことがある靄の正体に娘が身構えるのも束の間ナギが術を唱えて攻撃しようとするがその時間さえないほどに黒いものは大きさを増し、人の形を作っていく。
昼間だと言うのに辺りが暗くなり、そこからひっそりと現れたのは1人の男だった。黒い瞳に黒い髪、闇を形作ったようなその男は3人を見据えて鼻で笑った。
黒く長い小袖の袖を右手で押さえ細く白い腕を露わにする。けれど驚いたのは腕の所々に見える蛇のような鱗が普通の人間ではない事を物語っている。娘は体の内側がざわついているのに気づく。怨念達が、近づいては行けないと警鐘を鳴らしているようだ。

「花雨‼︎」

ナギが必死な声で娘の名前を叫んでいるのを聞き、良くないことが起こると思った娘は2人の元に逃げようとするが、一瞬だった。後ろからとても冷たい手で視界を塞がれ耳元で誰かが囁く。

「逃げたらだめでしょう。生贄なんだから」

体の中にいる怨念のざわめきがぴたりと止んだ。地を這うような声に娘が恐怖で動けないでいると男はもう片方の手で娘の首筋を長い爪でゆっくりと引っ掻く。小袖の襟に赤い血がしみを作る。

「俺、腹が減ってしょうがないんだよ。なんで逃げるかなぁ……………」

とても不機嫌といった様子の男は身動きが取れない水神2人を見ると嘲笑う。

「俺の物に手を出すからだよ」

そして男は指についた血を舐めると最後娘にこう言った。

「罰として1番むごい殺し方してあげるよ」

すると体の中にいる怨念が一斉に騒ぎ出す。あの沼に沈められた生贄達の痛みが全身に駆け巡り激痛を起こす。身体中を刺すような痛みが思考力を奪っていく中、立っていられなくなり娘は膝から崩れ落ちると自身を抱くようにして痛みに抗う。

「嫌ぁぁあああああああ‼︎‼︎」
「………花雨ちゃんっ‼︎‼︎」

御津羽が口封じの術を解き、娘に叫ぶ。

「そいつに耳を貸すな‼︎そいつはあの沼の邪神だよ‼︎逃げて‼︎」
「無茶言うよ、死にそうなのに。でも………」

全身の痛みがふっと消え、娘はそれと同時に意識を失った。男は娘を脇に抱えると御津羽に告げる。

「水神様総出で殺り合うっていうのなら受けて立つよ。ただこいつを食べた後だったらもっと力が増しそうだよね」

ニヤッと笑うその表情は人間が土地神様と崇める神のものではない。男は娘を抱えたまま闇の向こう側へと消えていってしまった。男の拘束の術が解けたナギと御津羽は心臓が早鐘を打っていた。

「ねぇナギ。なんでなんもしなかったの、僕よりも圧倒的に君の方が強いよね?」
「していた。花雨の袖にあの沼の結界を破る術をかけた。どうせ行き着く先はあの沼だからな、厄介な結界を張られて入れないのが最初のオチだ」
「……あそこは本当に人間にとっては辛い場所だから早く行ってあげないと…………。屋敷にいるみんなを呼びに行ってくる」

そう言い、神域へと繋がる札を取り出した御津羽にナギが問いかける。

「お前は、あの沼の結界を破って入ったことはあるんだな」
「………そんな話してる暇ないでしょ」

御津羽は札に術をかけると狭間の中に入っていった。ナギはそれを見届けるとあの生贄の沼へと早足で行く。ここから遠くないためすぐに着くだろうが、あの邪神の力は贄のおかげで相当強くなっているはずだ。屋敷のみんなと戦うのであれば娘が食われる前にナギが先に先手を打たなければならない。
あの笑顔を側で見ていたいから。
そんな思いがナギの中で密かに思っている願いだった。

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