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男たちの仁義なき闘い

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 子供の成長はあっという間だ。ついこの間までハイハイしていたと思ったら、今では立派に立ち上がって言葉まで話せるようになった。

「ママー」

 てちてちと可愛らしい足音を鳴らして新が駆け寄ってくる。ぎゅっと俺の足に抱きついた小さな温もりを抱き上げれば、まろいほっぺたをふくふくと笑ませた新が俺の首に腕を回した。

「ママ、かわいい」
「ふふ、パパの真似してるの?」
「んーん、僕がおもってるの。ママが世界でいちばんかわいくてキレイだよ」

 湊さんがよく俺を褒めてくれるからか、新も真似をして俺のことを可愛いという。
 それ自体はとても嬉しいことなのだけど、親としては少し心配でもあった。
 将来有望なアイドルフェイスのこの子のことだ。幼稚園のお友達にも同じことを言っているとしたら、新を巡って乙女たちの仁義なき闘いが幕を開けていてもおかしくない。
 それとなく幼稚園の先生に聞いてみた時には、『園でもお母様のお話ばかりされていますよ。僕のお姫様っていつも嬉しそうにお話ししてくれるんです』と微笑ましいエピソードを教えてもらった。
 賢くて優しい子だから大丈夫だろうとは思いつつも、親心からどうしてもトラブルに巻き込まれないかと心配になってしまう。
 こつんと新のおでこに額を寄せて、長い睫毛に縁取られた大きな瞳を間近に見つめた。

「新、かわいいとかキレイは、将来本当に好きな子ができた時のためにとっておいてあげてね。その子にだけ、可愛いね、大好きだよって伝えてあげるんだよ」
「ママが好きだから、ママにいうの」
「ふふ、ママの好きとは違う好きだよ」
「どんな好き?」
「えっとね、物語の王子様がお姫様にプロポーズをしてキスをするでしょ? そういう好きだよ」
「じゃあやっぱり僕はママが好き」

 にこり、と笑った新がもみじのように小さな手で俺の頬を包んだ。
「どうしたの?」と小首を傾げるのと同時に、ちゅっと唇の横に柔らかなものが触れた。
 びっくりしてパッと顔を離せば、新が「あ~!」と非難の声を上げた。ほっぺたを膨らませてむくれている顔が可愛い。じゃなくて、今口にチューしようとしてた?

「新、チューはほっぺかおでこのお約束でしょ? お口にチューするのは結婚する子とだけだよ」
「ママは僕のおよめさんになるんだもん。だからママとチューするの。はい、チュー」

 唇を突き出してキスをせがむ我が子の可愛さに、ズキュン、と心臓を撃ち抜かれた。
 こんなにも可愛いおねだりをされたらなんでも叶えてあげたくなるけど、口にキスをすると虫歯菌がうつると聞くから我慢しなきゃ。それに何より、俺と新がイチャイチャしすぎると湊さんが拗ねてしまうのだ。
 愛しい我が子には申し訳ない思いながらも、心を鬼にして首を横に振った。

「だーめ、ママとお約束したでしょ?」
「ふえっ、ママは僕のことキライ?」
「えっ、まさか、そんなことないよっ。ママも新が世界で一番大好きだよ、だから泣かないで。意地悪したんじゃないよ、ごめんね」

 大きな瞳をうりゅうりゅとさせて涙を堪える新に胸が締め付けられた。
 小さな唇を食いしばって懸命に泣くまいとする仕草が健気で愛おしい。唇が切れてしまわないように指の腹で優しく撫でれば、ぱくりと小さな口に指先を咥えられてしまった。

「汚いからダメだよ~、ほら、離して?」
「ん~」
「イヤなの? じゃあ後でデンジャラスマンチョコ買ってあげるから離してくれる?」
「ん~」
「う~ん、じゃあ今日は絵本を二冊読み聞かせしてくれるようにパパに頼んでみるね、それじゃダメ?」
「ん~」
「ダメかぁ、じゃあママがなんでも一つお願いごと聞いてあげる、それならいい?」
「ん、いいよ」

 あっさりと解放したあたり、この言葉を狙っていたらしい。この年にしてすでに要求を通す術を心得ているなんて、我が子ながら末恐ろしい子だ。
 こういう頭のいいところは湊さんに似たんだろうなぁ。顔も湊さんに似てお人形さんみたいに整ってるし、お義父さんは早くもこの子はきっとアルファだとはしゃいでいた。
 俺に似たところといえば、一切の癖がないストレートヘアくらいかもしれない。サラサラの髪に指を通せば、新がくすぐったそうに笑った。

「ふふ」
「くすぐったかった?」
「んーん、かみの毛はね、ほかの子にはさらわらせてあげないの」
「そうなの?」
「うん。ママは僕のかみをさわるのが好きでしょ? だからママだけとくべつ」
「ふふ、そっか、ありがとう」
「ママもいい子いい子してあげるね」
「うん、お願いします」

 小さな手が拙い手つきで髪を梳いてくれる。時折頭皮を引っ掻かれて少し痛かったけど、そこも含めて愛おしく思えるくらい我が子というのは特別な存在だ。
 自分の命より大切だと思える世界で一番な宝物。こんな素敵な子と出会わせてくれた湊さんには感謝しても仕切れない。
 今頃は仕事に励んでいるだろう夫に思いを馳せていれば、新がムッとしたように俺の服を引っ張った。

「ママ、僕といるときにほかの男のことかんがえちゃダメ」
「……そんな言葉、どこで覚えたの?」
「ナイショ。ねぇママ、今日は僕と二人でねるんだよ。なんでもお願いきいてくれるやくそくだもんね?」
「二人でかぁ……パパ寂しがっちゃわないかな?」
「パパはいいの!」
「いいの?」
「いいの! だってパパは僕のライバルだもん」
「ふふ、ライバルじゃなくて親友じゃないの?」
「ちがうの。僕はしょうらいパパからママをりゃくだつするからライバルなの」

 子供の成長は本当に驚くほどに早い。
 略奪だなんて難しい言葉、一体どこで知識をつけてくるんだろうか。なんとなく意味がわかっていて使っていそうなあたり、賢い子だなぁと感心すらしてしまった。

「略奪したらパパ悲しんじゃうよ? ママは今みたいに、新とパパと三人で仲良く暮らしたいな」

 いつかは新も家庭を持って俺たちの元を離れる時が来る。
 でもそれまでは、できるだけ長く三人仲良く一緒にいたいと願ってしまう。
 新が大きな目をパチパチと瞬いて、困ったように眉を垂らした。

「ママのお願いはなんでもかなえてあげたいの。だってママは僕のお姫さまだから。でも、パパがママをひとりじめするのはイヤ」
「ふふ、ありがとう。ママの王子様も新だよ。でもパパもママの王子様だから、やっぱり三人で一緒にいたいな。パパもきっと、新と一緒にいたいっていうよ」
「ん~、パパも好きだけど、ママがいちばん好きなの。ママも僕がいちばん好きじゃなきゃヤダ。パパがいちばんのママはいけないんだよ」
「ふふ、いけないの? そっか、じゃあママのいちばんも新だよ。パパにはナイショね?」
「うん、ナイショ。僕がいちばんなら、チューしてもいい?」
「チューはほっぺかおでこだけだよ」
「ヤダ! パパはお口にチューするのになんで僕はダメなの! やっぱりママはパパがいちばんなんだぁ、うあぁ~んっ」

 いつもら聞き分けが良くてめったにわがままを言わない新がここまで駄々をこねるのは珍しい。言葉を話すようになってからは、大声をあげて泣く姿なんて数えるほどしか見ていない。
 大好きなお父さんと自分の扱いが違うことがよっぽど悲しかったんだろうか。子供にはまだ、恋愛と友愛の違いなんてわからないだろうし、新にどう説明していいかわからなかった。

「新、ごめんね、泣かないで? 新のことが大好きなのは本当だよ? でもお口にチューしたらバイキンさんが移っちゃうかもしれないからダメなの、ごめんね」
「うぅぅ~っっ、じゃあパパもしちゃダメ! ママにバイキンさんうつしちゃダメ~っ、うあぁぁ~~んっ」
「うんうん、そうだね。ママのこと心配してくれたんだね、ありがとう。じゃあパパにもチューしちゃダメだよっていうから、それなら許してくれる?」
「んっ、グスッ、うぅ、パパとチューしない? ひっく」
「うん、しないよ」
「ん、じゃあいいよ、ぐすっ、なかなおりのチュー、する?」
「うん、仲直りのチューしようね」

 ちゅっと音を立てて新のほっぺたにキスをする。お返しのように新もおでこにキスをしてくれた。

「ママ、だいすき」
「ママも新がだいすき」
「ふふ、僕が大きくなったらいっしょにお城にすもうね」
「うん、楽しみだね」
「ママはおんなの子とおとこの子どっちがいい?」
「え?」

 小さな手にお腹を撫でられて流石にびっくりした。
 目を丸くする俺に、「ママかわいい」なんて新は笑っている。

「……赤ちゃんはお嫁さんと結婚したらコウノトリさんが運んできてくれるよ。女の子でも男の子でも、新とお嫁さんに似て可愛くて優しくて素敵な子になると思うな」
「およめさんはママだよ。ママみたいなおんなの子がいいな。かわいくてあったかくて甘いにおいがするの。ぎゅーってしたら笑うんだよ」
「ふふ、そっか。楽しみにしてるね」
「うん、約束だよ」

 息子にお嫁さんにしたいと言ってもらえる期間はきっとそう長くない。
 後数年もすれば照れてこんなことは言ってくれなくなるだろうし、今だけの幸せなんだと思うと嬉しいけどちょっと寂しくなった。


 その晩、遅くに帰宅した湊さんと食卓を囲みながら、今日の新との出来事を報告した。

「それでね、新がバイキンが移っちゃうからって心配してくれたんだ。だから、しばらくキスは控えようね」
「無理」
「え?」
「真といたらすぐキスしたくなるから無理」
「っ……湊さん、もう酔っちゃったの?」
「酔ってないよ。真は俺とキスしなくて平気なの?」
「それは……したいけど、新が泣いちゃうから我慢する」

 恥ずかしいことを言っている自覚があるだけに、あっという間に顔が熱くなった。
 羞恥から指先が震えて、湊さんに口移しするために箸で掴んでいた冷奴がつるりと滑り落ちた。間一髪、湊さんが取り皿で冷奴を受け止めてくれた。
 赤くなった俺の頰を包む手がひんやりとして気持ちいい。ゆっくりと近づいてくる端整な面差しにはいつまで経っても見惚れてしまう。
 ダメだとわかっていても、拒むことなんてできなかった。

「真……」
「湊さん……」
「ん~、ママ、ねむい。パパまだごはん食べおわらないの?」

 後少しで唇が触れ合う。その寸前で、カチャリとリビングの扉が開いて、寝ぼけ眼を擦る新が顔を出した。お気に入りのクマのぬいぐるみをズルズル引きずりながら駆け寄ってきた新が、湊さんの膝に座って顔を寄せ合う俺たちを見て大きな目を見開いた。

「パパまたママにあーんしてもらってる! ダメっていったのに!」
「あ、これは違うの、ママがちょっと転んじゃって、ごめんねすぐに下りるから」

 慌てて湊さんの膝から下りれば、新がひしっと俺の足にしがみついた。
 まるで威嚇するようにキッと湊さんを睨みつけている。一方の湊さんは涼しい顔のままだ。
 困ったように息を吐くと、新と目線を合わせるためにその場にしゃがみ込んだ。

「新、パパは毎日怪人と戦いながら町を守ってるって話したよな?」
「うん、パパはデンジャラスレッドだもんね」
「そうそう。だからパパは毎日疲れて帰ってくるんだよ。で、デンジャラスグリーンのママに癒してもらってるんだ、わかるか?」
「……ママはお姫さまだから、デンジャラスマンじゃないもん。王子さまの僕とお城でくらしてるんだもん」
「ママはお姫様だけど優しいからデンジャラスレッドも癒してくれるんだよ。お膝抱っこもアーンもその一環で、キスするのだってパパが町を守るためには必要なことなんだよ。新は賢いからわかるよな」
「……わかる」
「うん、いい子だな」
「でもチューはダメ! ママは僕のお嫁さんになるんだから、ほかの男とチューしたらフリンになっちゃうんだよ!」
「……そうか、その話は新がもう少し大きくなってから男同士腹を割ってじっくり話そうか」
「うん? お腹わるのいたくない?」
「安心しろ、パパが新に痛いことするわけないだろ」
「そっか! じゃあお腹わって話す!」
「よしよし、いい子だな」

 ぽんぽんと湊さんが頭を撫でてあげれば、新は誇らしげに頰を染めた。なんだかんだとお父さんのことを尊敬しているのが伝わってくる。
 湊さんは当初、俺の膨らんだお腹を撫でながら『立派な父親になれる自信がない。自分が父親を尊敬できないから、子供に尊敬してもらえるような父親にれないかもしれない』と珍しく弱音をこぼしていた。でも、実際に父親になった湊さんは誰が見ても百点満点の優しくて強くてかっこいいお父さんそのもので、やっぱり俺は湊さんと結婚してよかったと改めて思えた。
 愛しい旦那さんと我が子のやり取りを微笑ましく思っていれば、チョンチョンと新に服の裾を引っ張られた。

「ママ、僕がんばっておきてまってるから、早くおへやにきてね。いっしょに寝るやくそく、わすれちゃダメだよ」
「ちゃんと覚えてるよ、もう少しだけ待っててね」
「うん! だんなさんだから、おくさんのことちゃんとベッドでまってるよ。あかちゃんはまだいないけど、僕が大きくなるまではミスターモリスがあかちゃんね」

 クマのMr.モリスは三十歳のサーカス団員という設定だけど、新の中では生まれたての赤ちゃんクマさんらしい。

「可愛い赤ちゃんだね。赤ちゃんが寂しくないように、一緒に待っててあげてね」
「うん! まってるね。パパ、おやすみなさい」
「おやすみ新」

 お行儀よく挨拶した新がMr.モリスを連れて部屋に戻っていく。小さな後ろ姿を微笑ましく見送っていれば、スッと目の前に影がさして柔らかなものが唇に触れた。

「湊さん、キスは……」
「バレてないからいいんだよ」

 しー、と人差し指を唇に当てた湊さんが、今度は深く優しいキスをしてくれた。
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