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彼らの証言─ 篠宮寛人の場合2

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 来る金曜の夜、早々に仕事を片付けた一同は、間宮に連れられて彼の自宅へとやって来た。
 鍵は持っているようだが、奥さんに出迎えてもらうのが習慣なのだろう。慣れた様子で間宮がインターホンを鳴らせば、少しの間があって内側から玄関が開いた。

「おかえりなさい、間宮さん。皆さんも、お仕事お疲れ様です」

 数日前に写真で見た通り、地味だが優しげな面差しの男性が出迎えてくれた。一見するとベータのようにも思えるが、しなやかな腰つきや眼差しから感じられる色香が彼がオメガであることを物語っていた。これはアルファにしか感じ取れない類のものだ。
 ベータである里崎や今村の目には、どこにでもいる平凡な男性に映ったことだろう。呆けたような顔をしていた二人が、ハッとしたように頭を下げた。

「あ、初めまして里崎です! 間宮さんにはいつもお世話になってます」
「初めまして、今村です。こちらつまらないものですが、よろしければぜひ」
「ご丁寧にありがとうございます。かつら……間宮真と申します。どうぞ皆さん、あがってください」

 真さん──頭の中で何度か反芻しているうちに、挨拶するタイミングを逃してしまった。
 しまったと内心で頭を抱える篠宮はスルーされ、間宮を先頭にゾロゾロと玄関に足を踏み入れる。
 間宮が何かいうまでもなく、当たり前のようにコートや鞄を受け取っていた。貞淑な妻らしく、彼の一歩後ろを静々と着いていく。
 二人のやり取りを静観していた篠宮の脳裏に、大和撫子という言葉が浮かんだ。

『間宮さんは普通だって言ってたけど、今時こんな貞淑な人も珍しいよな。男の求める奥さんとしては理想的なんじゃないか』

 内心でそんなことを思っていれば、隣を歩いていた里崎に肘で脇腹を小突かれた。口元に手を当てた里崎が小声で囁く。

「お前奥さんのこと見過ぎ。失礼だろ」
「別に失礼な意味では見ていませんが」
「じゃあどんな意味だよ。思ってた感じと違う~ってのがバレバレだぞ」
「それは里崎さんのことじゃありませんか? 俺は事前に写真を見せていただいたので、そういったことは特に思いませんでしたが」
「え、マジで? でも最初見た時お前もイメージと違うって思ったろ? もっとなんていうかさ、こうゴージャスな感じの色気たっぷりナイスバディのセクシーな人かと思ったよな?」

 胸元に手をやって下品なジェスチャーをする里崎に、「いえ」と首を振った。

「十分、セクシーだと思いますよ」
「え!? やっぱアルファだと感じるものがあんのかな」
「そうかもしれませんね」
「なるほどなぁ、だから間宮さんも……っじゃなくて、じゃあなんであんな見てたんだよ」
「特に意識はしていませんが……気づいたら目で追っていたのかもしれません」
「……お前さ、NTR系のAV見たりする?」
「はい?」
「冗談だっつの! まぁいいや、くれぐれも間宮さんの奥さんに失礼なことはすんなよ」

 里崎さんのほうが失礼なんじゃないですか。喉元まで出かかった言葉はギリギリで飲み込んだ。


 テーブルに所狭しと並んだ料理を見て、ごくり、と喉が鳴った。
 両端に腰掛けた里崎と今村も瞳を輝かせて料理を褒めちぎった。

「うわ、すげぇ。流石間宮さんの奥さん、料理上手っすねぇ」
「わー、すごい。私今日お昼食べれなくてお腹ぺこぺこだったんです。でもこんなに素敵なご馳走を用意していただけてるなら、かえって良かったかもしれないです」
「そんな、大したものではないですが、皆さんのお口に合えば嬉しいです」

 照れたように頰を赤らめて僅かに顔を俯かせる。写真で見たはにかみ笑いと同じだ。視線を下げて笑うのがくせなのかもしれない。

『もっと普通に、明るく前を向いて笑っている顔が見たい』

 なんてことを思って、何を馬鹿なことをとハッとした。他人の、それも上司の奥さんを前にして思うことではない。
 意識を切り替えようとした篠宮の耳に、どこか不機嫌そうな間宮の声が届いた。

「真」

 その場にいた全員が間宮に視線を向けた。一方の間宮は真っ直ぐに真だけを見つめている。
 篠宮たちの視線など気にならないのだろう。真だけを視界に捉えた間宮が、豪勢な料理を見回して不機嫌な声を出した。

「……今日は洋食なんだ?」
「あ、うん。皆さんそのほうが喜ばれるかと思って、和食のほうが良かったかな?」
「別に、どっちでもいいけど」

 全然、どっちでも良さそうじゃない。
 おそらく、その場にいた全員が同じことを思ったはずだ。
 真から視線を外した間宮が、ちらりと篠宮を横目に見た。何か言いたげな目をしているが、周りに人がいるからか特に何かを言ってくることはない。
 ただなんとなく、嫉妬されているのだと感じた。

『そういえば、和食か洋食だったら洋食派だって話を前に里崎さんとしたな』

 ミーティングが始まるまでの待機時間に、和食が好きそうなのに意外だな、なんて談笑をしていたことを思い出す。
 あの場に間宮もいたが、特に興味はなさそうだった。ただその数日後にランチミーティングをした時には洋食をチョイスしてくれたので、部下のことをわかっている上司の鑑だと里崎が感激していた。
 まさかとは思うが、今夜のメニューが洋食であったことで篠宮に対抗心を燃やしているんだろうか。間宮がその話を真にしているならまだしも、篠宮が洋食派だなんて情報は真の耳に入っていないはずだ。
 こんな些細なことで嫉妬する間宮が家庭で他の男の話題を出すとも思えない。

『間宮さん、奥さんのことが好きすぎておかしくなったのか?』

 飛躍しすぎた間宮の思考回路に戸惑いが隠せない篠宮に対し、何も知らない真は悲しげに目を伏せていた。
 そんな顔をさせた間宮への苛立ちと、悲しまないでどうか笑ってほしいという気持ちが同時に押し寄せた。自分でも理解のできない感情に戸惑いながら、どうにか奥さんを喜ばせられないかと思考を巡らせる。

『皆さんのお口に合えば嬉しいです』

 つい先ほどの真の発言を思い出して、考えるより早く体が動いていた。
 目の前に置かれた皿からごっそりと肉料理を取り皿に持って、「いただきます」と手を合わせるなりバクバクと口に運んだ。

「美味い」

 奥さんを喜ばせたいから、その気持ちはもちろんあったが、本心から言葉が口をついて出ていた。
 今度はその場の全員の視線が篠宮に向けられる。悲しげに目を伏せていた真が、ほっと安堵したように口元に笑みを浮かべた。
 ──好きです、と口にする寸前、ベシッと頭を叩かれてハッとした。

「おい篠宮! 間宮さんたちがお話ししてる最中なんだから勝手に食うなよ」
「すんません、腹減ってたんで」
「ったくお前は~……あ、奥さんすみません、コイツ新卒で入ったばっかのペーペーで、後でちゃんと言っとくんで今回は見逃してやってください」

 ペコペコと里崎が頭を下げれば、真が「ふふ」と微笑んで手を振った。

「あ、いえいえ、冷めないうちに皆さん召し上がってください」
「いいんすか? わー、じゃあお言葉に甘えていただきます」
「わーい、いただきます」

 里崎と今村が嬉しそうに手を合わせ、篠宮と同じように料理に手をつけていく。
 口々に「美味しい」と口にする里崎たちに、ふわり、と真が柔らかく微笑んだ。
 先ほどまでの悲しげな笑顔とは違う、穏やかで満ち足りた笑み。控えめながらも清楚で可憐な笑みは、カスミソウを彷彿とさせた。
 その笑顔を見ていると堪らない気持ちになって、誤魔化すように口いっぱいにご飯をかき込んだ。あっという間にご飯茶碗が空になってしまった。それでも気持ちを抑えるにはまだ足りない。

「飯、いいっすか」

 緊張で少し吃ってしまった。思春期男子のような口調に羞恥心が込み上げる。
 どうか気づかれませんようにと願ってポーカーフェイスを貫けば、小さな目を不思議そうに瞬いていた真が小首を傾げた。

「あ、お代わりいりますか?」
「お願いします」

 またしても緊張で声が硬くなってしまった。いい加減、耳たぶが赤らんでいるかもしれない。
 恥ずかしい奴だと里崎に揶揄われることも覚悟したが、聞こえてきた笑い声は柔らかく耳心地のいいものだった。

「ふふ、今よそいますね」
「……ありがとうございます」

 茶碗を渡す際にわずかに指先が触れた。そんな些細なことにすら心臓が跳ねる。これでは丸切り思春期男子そのものだ。
 キッチンへと下がっていく真の背を見送りながら、彼がフリルのついた白いエプロンを身につけている姿を頭の中に思い描いた。

『寛人くん、ご飯が食べたい? それとも……』

 脳内の真が柔らかく微笑んで、しゅるりとリボンを解いた。
 しなやかな背中か続く細い腰と、肉付きのいい臀部があらわになる。美しい双丘に引き寄せられるように手を伸ばして──

「はい、どうぞ」

 いけない妄想を中断させたのは、妄想の中であられもない姿にされていた真本人だった。
 ハッとして慌てて思考を切り替える。なんでもない風を装って茶碗を受け取った。

「ありがとうございます」
「いえ、たくさん食べてくださいね」
「はい。……真さん、綺麗ですね」

 ポロリと本音が溢れていた。自分でもびっくりしたが、それ以上に驚いたのは篠宮以外の全員だ。

「へ?」
「は?」
「え?」

 篠宮と間宮を除く全員の声が被った。
 これはまずい。頭ではわかっていても、気持ちが抑えきれなかった。

「綺麗ですね」

 はっきりと澱みなく口にすれば、隣で息を呑む音がした。

「……お、おいお前、相手が誰だかわかって言ってんのか? つーか下の名前で呼ぶなよ、失礼だろーが」
「そ、そうよ。間宮さんの奥さんに対してそんな、失礼でしょ」

 里崎と今村の非難する声が聞こえるが、正直そんなことよりも間宮からの視線が痛かった。
 まずい、殺されるかもしれない。チリチリと肌を焼くような殺気立った視線に恐怖しながらも、ここで負けては男が廃ると勝負を選んだ。

「お二人は番ではないですよね? 結婚していても番っていないなら、俺が横恋慕しても問題ないですよね」

 部屋の温度が確実に五度は下がった。
 不穏な気配を察したのか、真が戸惑いがちに声をかけてくれた。

「あの、もしよろしければお布団を敷きましょうか? 少し休まれたほうが……」

 違う、酔っているわけではない。確かに顔は赤いかもしれないがそれは別の理由だ。
 思いの丈を全て伝えたかったが、絶対零度の間宮の声がそれを阻止した。

「いや、帰れ」

 怒りを通り越して無機質な間宮の声に、背筋に悪寒が走った。絶対的なアルファの逆鱗に触れたことで、本能が恐怖したのだ。
 室内に緊張が走る中、顔面を真っ青にした里崎と今村がわざとらしく声をあげた。

「あー、忘れてた、俺明日早いんだった。間宮さんに帰れって言われなきゃ忘れるとこだったー」
「そうね、私もだわ。篠宮も用事あるって言ってたよね?」
「いえ、俺は」
「用事あるよな! よし、そうとなったら帰るぞ~、ほら、ちゃっちゃと歩け」
「間宮さん、奥さん、ご馳走様でした。今後ともよろしくお願いします!」

 明らかに演技とわかる棒読みを披露した二人に押し出されるようにして、篠宮は強引に間宮家から引っ張り出された。
 その後はもちろん、終電まで里崎と今村にこってり絞られて、最終的に「NTRもののAVは二度と見ません」と謎の宣言をさせられる羽目になった。
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