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真実には蓋をして

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 結婚式の日のことを昨日のようにはっきりと覚えている。
 神前式の衣装に身を包んだ草太に、胸が甘く締め付けられた。
 明るく元気な普段の姿は形をひそめ、どこか気恥ずかしそうに俯く姿には仄かな色香が感じられた。
 戸惑いに揺らいだ瞳に見つめられるだけで、身の内から熱が湧き上がってくるような気がした。
 この場ですぐに押し倒してしまいたい衝動を抑えて、震える指でぎゅっと手を握った。

「真心をもって信じ合える伴侶に出会えましたことを心から喜び、良い家庭を築いていきます」

 誓詞奏上を読み上げて二人で頭を下げた時、堪え切れずに涙が一筋こぼれ落ちた。
 それをバレないように拭って草太と向かい合う。
 黒曜石のように澄んだ草太の瞳には伊織だけが映っている。その事実に、どうしようもない愛しさが込み上げた。
 たとえこの先何があっても、今日この日この瞬間を決して忘れないだろうと思った。


 それから二ヶ月。念願の新婚生活に伊織は完全に浮かれていた。

「今日のお弁当、どうだった?」

 不安と期待がないまぜになった目をして、草太が上目遣いに見上げてくる。
 その顔を見ていると、可愛くて愛しくて堪らなくなると同時に、嗜虐心が煽られた。
 大切にして優しくしたいと思うのに、同時に意地悪して泣かせたいとも思ってしまうのだ。
 そしてつい、心にもないことを言ってしまう。

「卵焼き、殻が入っててジャリジャリした」
「え!? ちゃんと掻き混ぜる前に確認したのに……あっ、肉巻きおにぎりは!?」
「味が濃くて喉乾いた。あと焦げてて苦い」
「そんなぁ……早起きして頑張ったのに」

 しゅんと肩を落とした仕草が縮こまるハムスターのようで胸が甘く締め付けられた。

(可愛すぎだろ! 手のひらでこねてくちゃくちゃにしてやりたい……クソ、可愛すぎて腹立ってきた)

 思わず手を伸ばしたくなる気持ちを抑え、わざと突き放すように冷たく言い放つ。

「ったく、いつまで経っても成長しないな」
「……ごめんなさい」
「まぁ俺は優しいから気長に待ってやるよ。明日は殻入れんなよ」
「うん、気をつける」

 素直に頷いた草太がとぼとぼとキッチンに向かった。
 夕飯の準備を始めた草太の後を追い、特に理由もないのにキッチンで時間を過ごす。
 味噌汁をかき混ぜる草太の後ろ姿を眺めながら、時折揶揄いまじりに声をかけた。
 その度に草太が泣きそうな顔でキッと睨んでくるのが堪らなく可愛かった。

(あ~マジで、可愛すぎてどうにかなりそう)

 存分に草太との時間を満喫する伊織とは違い、草太がこの新婚生活に不満を募らせているのは薄々勘付いていた。
 だからこそ積極的に家事を手伝ったり、好きでもない仕事をこなして給料の全てを草太に渡した。
 若いのにお小遣い制だなんて可哀想だと周囲に同情されたが、草太以外のために金を使う気も起こらなかったため、苦には感じなかった。
 そんな日々が続いたある日、思い詰めた表情の草太から離婚話を切り出された。

「俺たちやっぱり合わないと思う。これ以上伊織に無理させんの申し訳ないし、離婚したほうがいいと思う」

 その言葉を聞いて、目の前が真っ暗になるような絶望感を覚えた。
 けれどそれを悟らせないよう、必死に平静を装った。

「急だな。なんか不満でもあんの?」
「不満っていうか……お互い好き同士じゃないのに一緒にいても不毛なだけだろ」

 お互いじゃない。少なくとも伊織は草太のことが好きだった。
 その想いを素直に吐露できたらどれだけ良いだろうか。
 けれどきっと、伝えてしまえば全てが終わってしまう。
 いまだに伊吹のことを忘れられない自分を責めて、草太が離れて行ってしまうとわかっていた。だからこそ、わざと悪態を突いて罪悪感を抱かせないようにした。

「家同士で決められたんだからそんな簡単に離婚できねぇだろ。それに、結婚指輪してると言い寄ってくる奴が減って楽なんだよ」

 最低なことを言ってしまった自覚はある。
 テーブルに視線を落としたきり、草太は顔を上げなかった。

「……そっか、わかった」

 ポツリとこぼされた声に胸が痛んだ。
 泣いてしまうかもしれない。危ぶんだ伊織を見透かしたように、パッと草太が顔を上げた。
 その顔には、いつも通りの明るい笑顔が浮かんでいる。

「確かに伊織の言う通りだな。そう簡単に離婚なんてできないだろうし、伊織は嫌かもしれないけどこれからもよろしくね」
「草太──」
「あーごめん、なんか頭痛いから先寝るね。お風呂沸かしてあるからよかったら入って。じゃあおやすみ」

 伊織の返事を聞くことなく草太が逃げるようにリビングを後にした。
 その背中を見送ることしかできない自分が情けなかった。

(俺が伊吹だったら、素直に好きだって言えた。草太のことを追いかけて、抱きしめてやれたのに)

 草太のために何もしてやれないことが歯痒くて、どうしようもない自己嫌悪に陥った。


 それから一ヶ月。結婚生活も三ヶ月目に突入したが、相変わらず草太との関係に進展はなかった。
 それどころか、パソコンの履歴からとんでもないものを見つけてしまった。

『【急募】旦那と離婚する方法』

 それは紛れもなく草太が某掲示板に投稿した書き込みだった。
 ハンドルネームは崖っぷち主夫。崖っぷちなのはむしろ伊織の方だった。
 震える手で過去の投稿を遡り、伊織には明かさない草太の心境を知って愕然とした。

「草太……こんなこと思ってたのかよ」

 書き込みのほとんどが"夫に嫌われている"という趣旨のものだった。
 客観的に己の行動を振り返ってみれば、確かに嫌われていると勘違いされてもおかしくはない。

「ヤベェ、ダサすぎるだろ」

 最愛の妻に対して、好きな子をいじめる小学生男子のような態度をとって嫌われるだなんてあまりにも情けない。
 今更ながらに己の行動を悔いた伊織だったが、今日からいきなり態度を変えればそれはそれで怪しまれてしまうに違いない。

(なるべく自然に、かつダサくないやり方で草太に俺の気持ちを伝える方法……)

 数日間悩んだ末に出した結論は、赤の他人を装って草太に夫夫関係のアドバイスをする、というものだった。
 早速、仕事の休憩中にスマホから草太の立てたスレッドに書き込みした。
 ハンドルネームはこんぺいとう。草太が幼き日のやり取りを忘れているだろうと踏んで、夫夫円満の願いも込めてこの名前をつけた。
 案の定というべきか、草太は全くこんぺいとうの正体に気づいていなかった。

『こんぺいとうさん、いつもありがとうございます。お陰で少し自信がつきました。夫と少しでも歩み寄れるように頑張ってみようと思います』

 草太から前向きな言葉が返ってくるたびに安心した。
 けれど同時に、言葉の端々に感じられる"こんぺいとう"への好意に胸の辺りがモヤモヤした。

(草太、最近は暇さえあればこんぺいとうとやり取りしてるな。いや、こんぺいとうは俺なんだし焦るな。別に浮気ってわけじゃなくて、単に親切な友人ができて嬉しいだけだろ)

 そう己に言い聞かせてはみるものの、日に日にもう一人の自分であるこんぺいとうへの嫉妬心が募った。
 ついにはこんぺいとうに対抗するべく、あえて土曜日を狙ってデートのお誘いをする始末だ。

「映画のチケット貰ったから観に行かねぇ?」

 チケットを貰っただなんて嘘で、デートの口実のために草太の好きそうな映画を選んでチケットを買った。

(頼む、行くって言えよ。ネットの顔も知らねぇ男なんかより、目の前の俺を選べよ)

 そんな伊織の願いも虚しく、草太は困ったように眉を垂らした。

「……金曜の夜とかじゃダメかな」

 その後のことはあまりよく覚えていない。
 嫉妬心から子供じみた態度をとってしまったことだけはなんとなく覚えている。
 ダメな自分が情けなくて格好悪くて、結局金曜の夜にも映画に行かず、頭を冷やすために土曜の昼間から一人であてもなく車を走らせた。


 それからも、良き相談相手という立ち位置で、こんぺいとうとして草太とやりとりし続けた。
 予想外だったのは、伊織が自分以外の誰かとメールのやり取りをしていると草太が勘違いしたことだった。

「最近よくスマホ見てるね。メールするの、楽しいんだ?」
「んー、まぁそれなりに」

 怪しまれていると感じて、あえてそっけない態度を取った。
 もしもこんぺいとうの正体が伊織だとバレたら、怒った草太に今度こそ離婚を突きつけられると危惧したからだ。
 そんな伊織の態度をどう思ったのか、草太が不満げに鼻を鳴らした。

「ふぅん。お仕事の人?」
「いや、SNSで知り合った人」
「へぇ。DMで連絡きたとか? それともそういうアプリでもやってるの?」
「……んー、まぁそんな感じ」

 もの凄く疑われている。珍しく深く追及してくる草太に戸惑いながら、ボロを出さないようにと曖昧な返答を繰り返した。
 目を合わせれば嘘を見破られてしまう気がして、スマホから顔を上げることなく話を続けた。それが草太の目にどんな風に映っているかを考える余裕はなかった。

 その晩、珍しく草太から夜のお誘いがあった。
 いつもは伊織になされるがままの草太だったが、今晩は自ら腰を振り、妖艶に伊織の欲を刺激した。

「伊織っ、伊織……っ」

 伊織の上で乱れながら、切なげに何度も名前を呼ばれた。
 その度に愛されているような、求められているような錯覚を覚えた。

(勘違いすんなよ、草太は今でもずっと伊吹が好きなんだ。俺はただのお飾りの旦那なんだから、期待なんかしちゃいけない)

 愛していると伝えたくなる気持ちを堪えて、柔くほぐれた媚肉を欲望のままに貪った。
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