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しおりを挟む日々は流れる。あれからまだわたしは森の小さな家で暮らしていた。あいつと小さな子供達との四人の平和な日々。うっかりここに来た目的を忘れてしまいそうになる程穏やかな日々。
分からなくなる。目の前にいる優しい瞳で子供達を見る人と、わたしの故郷を愛する人を眉一つ動かさず焼きつくした魔法使いが本当に同じ人なのか。
いいえ、忘れてはいけない。敵は目の前にいるのよ。
毎日呪文のように心の中で繰り返す。けれど無邪気な子供達と一緒にいると、効果は薄れてしまう。
そんな混乱と闘っているある日、森の家に一人の来客があった。わたしがここに来てから、初めての客。
「おーい。女泣かせの魔法使いと、かわいいおちびさんたちはご在宅かな?」
陽気な、そして大きな声と遠慮のないダンダンと扉を叩く音が家中に響く。
「あ、オルテイさんだ」
「オルテイさん、いらっしゃーい」
子供達が嬉しそうにパタパタと駆け寄り、扉を開いた。扉の向こうには大柄な朗らかな男性が立っていた。
「誰が女泣かせですか。子供達の前でおかしな事を言わないで下さい」
ほんの少し不機嫌そうな声を出しながら、この家の主も客を迎えた。
「何言ってんだ。本当の事じゃないか。都じゃ崇拝者達がお前の帰りを今か今かと待ちわびているんだぞ」
ニヤニヤと笑いながら彼の首に腕をかけるオルテイさん。ふとした瞬間、わたしと目が合い笑顔が消えた。
たぶん、いきなり知らない者がこの家に上がり込んでいたので驚いたのだろう。けれど声の出ないわたしはここにいる事情も自己紹介も出来ずただ小さく会釈をするしかなかった。
「オルテイさん、おみやげはー?」
「やくそくした絵本、持ってきてくれたー?」
ぐいぐいと服を引っ張る子供達に、彼はすぐに笑顔を取り戻した。
「もちろん元気なおちびさん達との約束は守るさ。だけどその前におちびさん達、いつの間に師匠はあんなきれいな女性を引っ張り込んだのかな?」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。彼女は……」
彼が怒ったように説明しかけたけれど、子供達がその言葉を塞いだ。
「小鳥さんだよ」
「森で倒れてたの。だから連れてきてかんびょーしたの」
パタパタとこちらへやって来て、わたしの手を取った。そしてそのままわたしの手を引きオルテイさんの前へ連れて行こうとする。
引かれるままに歩いていると、不意に彼がオルテイさんとわたしを遮るように出てきて、わたしの肩に手をやった。
「そうなんです。森で倒れていた所を保護したんです。喋れない様ですし、帰す場所も分からないのでひとまずここにいてもらっているのですよ。ね、可愛い小鳥さん」
どういう意図があるのか、彼はぐいとわたしを抱き寄せた。可愛い小鳥さん、と言った声はいつもより殊更優しい声音だった。
それはまるで「これは私の恋人ですから手を出さないで下さい」と牽制しているようにも思えてわたしは頬が熱くなるのを感じた。
ばかね。あいつには何か理由があってそうしているのよ。それをそんな風に受け取るなんて。
わたしは沸き上がりかけた感情を否定した。
オルテイさんは一瞬、真顔になったけれどすぐにニヤリと笑って彼を見た。
「これでまた都にいる何人の女性が泣くことか」
間に受けたようにオルテイさんは片手で顔を覆うと、大袈裟に首を振って見せた。それからすぐに笑顔に戻り、ひょいと片手をこちらに差し出す。
「はじめまして、可愛い小鳥さん? オルテイと申します。引きこもりの魔法使いとかわいいおちびさん達の為に様々な物資を届けております配達人です。以後お見知り置きを」
握手を求められていると気づき、戸惑った。この人も故郷を焦土と化した敵国の人間。この人があの戦いに参加していたかは定かではないけれど、敵には違いない。
握手しなければ変に思われるのではと思いながらもわたしは手を差し出すことが出来ずにいた。
「ねー、オルテイさん。お土産まだー?」
「早く早くーっ」
わたしの躊躇いに気づきかばってくれるかのように双子達がオルテイさんの服を引っ張りだした。
「おう、待て待て。今取ってくるからな」
オルテイさんもわたしが手を出さなかったのを気にする事なく、子供達を引き連れて扉の外へと出て行ってくれる。
思っていたより緊張していたのだろう、自然と安堵の息が漏れた。
するとわたしを抱き寄せていた手が軽く肩を叩き、わたしの体から離れた。
「悪い人間ではないのですがね、オルテイは。ただちょっと冗談が過ぎる時がある。貴女の事もからかうかもしれませんが気を悪くしないでやって下さい」
優しく笑う彼の言葉にわたしも笑みがこぼれた。
「ししょー。おにもついっぱいだよー」
「おてつだいしてよー」
外から双子達の呼びかけが聞こえる。
子供達の声に導かれるようにわたし達も荷物を運ぶため、外へと向かった。
様々な物資を届けているというのは本当で、オルテイさんの馬にはたくさんの荷物が積まれていた。この森の小さな家である程度のものは自給自足しているけれど、やはり足りないものもたくさんある。オルテイさんはそういったものを届けてくれるのだという。でも、代金はいったいどうしているのだろうという素朴な疑問が浮かんだ。それが顔に出ていたのだろうか、オルテイさんがそれに答えてくれる。
「こちらの代金は旦那のパトロンからちゃ~んと頂いていますから、ご心配なさらぬよう」
そうか、確かにあれだけの力を持つ魔法使いならパトロンがいてもおかしくないわね、と納得しかけたけど、笑ってそう言ったオルテイさんの後ろで魔法使いがまた渋い顔になっていた。
「誤解を招くような言い方はやめてもらえませんか。この荷の代金は私が働いた報酬から支払われているはずですが」
低い声で紡がれた言葉に、言われてみればと思った。今はもう右手が使えず引退しているのなら、パトロンがいるのではなく以前の報酬が残っていると考える方が正解だろう。
「そうだった、そうだった。けどお前、報酬をその場で受け取らずにそのまま預けっぱなしってのもどうかと思うぞ」
けろりと笑いながらオルテイさんが言う。
「…もし代理でその報酬を引き出しているオレがこっそり使い込んでたらどうするんだ?」
ふと真顔になったオルテイさんに、けれど彼は笑顔で答える。
「私はオルテイを信用していますから。万が一そういう事が起きたとしたら、それは余程の理由があるのでしょう。だとしたら今までこうやって荷を運んでくれた謝礼として差し上げますよ」
にこやかに言う彼と、脱力するオルテイさん。
「お前なぁ……」
深くため息をつき、それからがばりとオルテイさんは彼の肩を掴んだ。
「配達料はちゃんともらってるだろうが。それに使い込みがちょっとの金額じゃなくて全額持ち逃げしたらどうするつもりだ? お前はともかくおちびさん達にひもじい思いをさせる気か?」
興奮したオルテイさんが大声でまくし立てる。当のおちびさん達はオルテイさんのお土産の本を読むのに夢中でこちらには気づいていないようだ。
「ほらほら、大声を出すから可愛い小鳥さんが驚いているじゃありませんか。……オルテイはすぐ大声を出しますが、悪気はないんです。気にしないで下さいね」
オルテイさんの手を払いのけ、わたしに微笑みかける。そんな彼に再びため息をつきながらあきれたようにオルテイさんは言った。
「お前は気にしろ。だいたいオレが使い込む理由が豪遊するためだったらお前どーする気だよ」
それは問い掛けというより呟きに近かった。
そんな二人のやりとりに、つい笑みがこぼれる。仲が良いのね、なんて言ったら彼らはきっと否定するでしょうけれど。
荷を解きながらそんなことを思い、それを言葉に出来ない自分に気づき、思い出した。
口の中を苦いものが走る。和んでる場合じゃないでしょう? 目の前にいるのは敵なのよ。思い出しなさい。あの時、冷たい瞳でわたしたちを見下ろし、炎を放った彼を。陽気なオルテイさんだって、あの戦いに参加して誰かを殺しているかもしれないのよ。
きゅっと下唇を噛む。
忘れてはいけない。わたしは復讐しに来たのだという事を。この背には呪いの翼を背負っているのだという事を。
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