春風の中で

みにゃるき しうにゃ

文字の大きさ
上 下
39 / 92
シガツの風

出逢い

しおりを挟む



 降り立った港街はにぎやかな場所だった。そう、イヤミなくらいに。

 立ち並ぶ店々や行き交う人々は活気にあふれ、楽しそうに話をしている。甲高い笑い声が頭に響き、シガツは悪態をつきそうになった。

 船を降りたばかりだったが、決して船酔いではない。そんな事で気分が悪い訳ではない。そもそも船に乗る前から気分は最悪だったのだ。

 誰のせいでもない。自分の責任だというのは分かっている。細かい作業の出来なかった自分の手先の不器用さが悪いのだと。

 恩師や友に別れを告げ、風の塔を後にした時はまだここまで気持ちは荒れていなかった。これ以上そこにいられない事は理解していたし、納得もしていた。

 だが、数年前に希望に満ちてやって来た道を逆にたどり、志を果たす事なく故郷へと帰る為の船を待っている間に段々シガツは腹が立ってきた。

 風使いに憧れて、家出をしてまで風の塔へとやって来たのに、力の弱い風の精さえ捕まえる事が出来ないなんて。

 一番最後に作った、自分の作った中では一番出来の良いと思える契約の指輪。風の塔を去る際記念にとポケットに潜ませ持って来た。

 船に乗り、甲板から海を見下ろす。持って来た指輪を握りしめ、きっぱりと諦める為にもこの指輪を海へと投げ捨てようかと思った。

 けれど船に乗っている間中、指輪を握りしめたその手を振り上げる事は出来なかった。

 そんなわけで最悪な気分のままシガツはこの港街へと降り立ったのだった。

 故郷まではまだ、陸路で何日も歩かなければならない。来た時にはじれったくも短い道のりだったが、きっと帰りは重く長い道のりになるだろう。

 どんな顔をして両親や祖父母に会えば良いのか。

 両親はまだ良い。怒りながらもきっと自分を温かく迎えてくれるだろう。祖父もまた、そうかもしれない。だが祖母はどうだろう。記憶の中にある祖母はシガツが何か失敗をするとすべてそれを母のせいにした。お前の育て方が悪いから、お前なんかの血を引いているからだと……。

 家出をしてまで風の塔へと行ったのに、風使いになる事が出来なかった事を知れば祖母はまた母を責めるのではないか。

 そう思うと自然と足取りは重くなった。

 賑やかに行き交う人々の流れについて行く事が出来ず、ため息をつき道の片隅へと腰を下ろす。港に降り立った時の苛立ちはすでに治まっていたが、気分はやはりすぐれない。こんな気持ちの時でなければ市場のこの賑やかさは心を浮き立たせただろうに。

 立ち並ぶ店々は様々な物を売り買いしている。魚や果物等の新鮮な食材から珍しい宝石を使った装飾品や布、生活用品等々、ここへ来れば何でもひと揃い揃えられるだろう。

 そんな市場の様子をぼんやりと見ていたシガツの目にふと一人の少女が目に留まった。キョロキョロと物珍しそうに市場を見て歩いている彼女は、女性らしく特に装飾品や衣類の店を好んで覗いている。

 シガツはゴクリと息を飲んだ。

 上手く気配を隠しているが、あれは風の精霊だ。しかもまだ年若く、力も弱い。

 シガツは無意識にポケットへと手を伸ばしていた。そこには海へと捨てようとしてどうしても捨てられなかった指輪が入っていた。

 力の弱い精霊さえ捕まえられないだろうと言われた指輪。

 だけど本当に? あんなに若く力の弱い精霊にさえ、通用しないのだろうか……?

 気がつくとシガツは指輪を握りしめ、ゆっくりと風の精霊へと歩み寄っていた。



 ソキは浮かれながら市場を歩いていた。

 人間は精霊を忌み嫌うから、あまり頻繁には来れないけれど、こんな風に人混みに紛れて立ち並ぶ店々を覗いて歩くのが大好きだった。

 特にこの港の市場は余所の街から来た人々もたくさん行き交っているから、見知らぬ顔が歩いていても特段目立ちはしない。

 気配を隠し、人間のフリをして歩いていれば誰も彼女が風の精霊だとは思わないだろう。

 実際彼女が歩いていても誰も騒ぎ立てる者はいなかった。たまに彼女に目を留めて声をかけてくるのは、若い女性が好みそうな装飾品や衣類を売っている店の人達ばかりだった。

 そんな店主達の声を巧みにかわしながらソキはあれこれと店を見てまわり、楽しんでいた。

 やっぱり人間はおもしろい。こんなに様々な美しい品物を自分達の手で生み出し、惜しげもなくそれを手放す。

 人々の会話も面白かった。風の精霊は基本、群れる事はない。もちろん精霊同士で話をしないわけではないのだが、そう頻繁に同じ者と話す事は滅多とない。

 だからソキにとって人間同士の会話を盗み聞く事も楽しみのひとつだった。その会話の中に入れたら……とちらりと思わなくもなかったけれど、万が一精霊だと気づかれた時の事を思うと、やっぱり会話に入る事は出来なかった。

 そんな風に店先の品物を見て回ったり人々の会話を聞いて楽しんでいたソキに、声をかけてきた人がいた。

「あの……これ、落としましたよ」

 振り返るとひとりの少年が、ハンカチをこちらに差し出し立っている。

「え…。あの……」

 わたしのじゃありません、と言おうとしてその小さなハンカチの美しさに目を奪われた。白い布地にはかわいらしい小花が刺繍してあり、縁取りにはレースがあしらってある。

 その美しさについ、自分のものではないのに手を伸ばしてしまう。もちろん、偽って自分の物にするつもりなんてなかった。ただ、手に取って近くでよく見てみたかったのだ。その後でやっぱり自分の物ではないと返せばいい。

 だけどその布に触れる直前、聞こえてきた少年の言葉にビクリと我に返った。

 魔法の呪文だ。何の呪文かはっきりとは分からないけれど、きっと彼は風使いで自分を捕まえようとしているのだ。

 ザッと血の気がひいた。上手く人混みに紛れたと、誰も自分を精霊だと気づいていないと油断していた。

 呪文が身体にまとわりつくのを感じる。きっと一時的に身体の自由を奪う魔法なのだろう。

 呪文を唱え終えた少年はソキの左手をとると、隠し持っていた指輪をポケットから取り出す。

 ああ、やっぱり。

 目の前が真っ暗になるような気持ちでソキは少年を見た。少年はニヤリと笑いながら言葉を紡ぐ。

「汝、風の子、風の一族。創世の二神より風と共にある事を定められし者。名を、なんと言う?」

 ここで名を答えてはならない事をソキは知っていた。ソキがもっと力の強い精霊だったなら、もしくは目の前の少年の魔法がもっと稚拙なものであったなら、ソキは口を噤む事も出来ただろう。だけど少年の魔法は正確にソキの身体を捕らえ、そして意志をも捕らえようとしていた。

「名を名乗れ」

 長い時間続く魔法ではないと、ソキも知っていた。けれどあらがえない。

 言ってはならない、と分かっていながらも、言葉が紡がれる。

「……ソ…キ……」

 呪文に絡め取られ、答えてしまう。名前を知られてしまう事自体は問題ではなかった。恐ろしいのは、名前を知られる事によって、風使いとの契約が可能になってしまう事だった。

 少年が呪文を唱える。風使いが風の精霊と契約を交わす為の呪文だ。

「汝、風の精霊ソキ。この契約のリングにて我シガツの僕とする」

 そう言うと少年はソキの指にするりと契約の指輪をはめた。

 それがシガツとソキ、二人の出逢いだった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

側室は…私に子ができない場合のみだったのでは?

ヘロディア
恋愛
王子の妻である主人公。夫を誰よりも深く愛していた。子供もできて円満な家庭だったが、ある日王子は側室を持ちたいと言い出し…

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

【完結】愛人を作るのですか?!

紫崎 藍華
恋愛
マリエルはダスティンと婚約し愛され大切にされた。 それはまるで夢のような日々だった。 しかし夢は唐突に終わりを迎えた。 ダスティンが愛人を作ると宣言したのだ。

侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています

猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。 しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。 本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。 盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。

旦那様に離婚を突きつけられて身を引きましたが妊娠していました。

ゆらゆらぎ
恋愛
ある日、平民出身である侯爵夫人カトリーナは辺境へ行って二ヶ月間会っていない夫、ランドロフから執事を通して離縁届を突きつけられる。元の身分の差を考え気持ちを残しながらも大人しく身を引いたカトリーナ。 実家に戻り、兄の隣国行きについていくことになったが隣国アスファルタ王国に向かう旅の途中、急激に体調を崩したカトリーナは医師の診察を受けることに。

私を棄てて選んだその妹ですが、継母の私生児なので持参金ないんです。今更ぐだぐだ言われても、私、他人なので。

百谷シカ
恋愛
「やったわ! 私がお姉様に勝てるなんて奇跡よ!!」 妹のパンジーに悪気はない。この子は継母の連れ子。父親が誰かはわからない。 でも、父はそれでいいと思っていた。 母は早くに病死してしまったし、今ここに愛があれば、パンジーの出自は問わないと。 同等の教育、平等の愛。私たちは、血は繋がらずとも、まあ悪くない姉妹だった。 この日までは。 「すまないね、ラモーナ。僕はパンジーを愛してしまったんだ」 婚約者ジェフリーに棄てられた。 父はパンジーの結婚を許した。但し、心を凍らせて。 「どういう事だい!? なぜ持参金が出ないんだよ!!」 「その子はお父様の実子ではないと、あなたも承知の上でしょう?」 「なんて無礼なんだ! 君たち親子は破滅だ!!」 2ヶ月後、私は王立図書館でひとりの男性と出会った。 王様より科学の研究を任された侯爵令息シオドリック・ダッシュウッド博士。 「ラモーナ・スコールズ。私の妻になってほしい」 運命の恋だった。 ================================= (他エブリスタ様に投稿・エブリスタ様にて佳作受賞作品)

【完結】種馬の分際で愛人を家に連れて来るなんて一体何様なのかしら?

夢見 歩
恋愛
頭を空っぽにしてお読み下さい。

処理中です...