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シガツの風
出逢い
しおりを挟む降り立った港街はにぎやかな場所だった。そう、イヤミなくらいに。
立ち並ぶ店々や行き交う人々は活気にあふれ、楽しそうに話をしている。甲高い笑い声が頭に響き、シガツは悪態をつきそうになった。
船を降りたばかりだったが、決して船酔いではない。そんな事で気分が悪い訳ではない。そもそも船に乗る前から気分は最悪だったのだ。
誰のせいでもない。自分の責任だというのは分かっている。細かい作業の出来なかった自分の手先の不器用さが悪いのだと。
恩師や友に別れを告げ、風の塔を後にした時はまだここまで気持ちは荒れていなかった。これ以上そこにいられない事は理解していたし、納得もしていた。
だが、数年前に希望に満ちてやって来た道を逆にたどり、志を果たす事なく故郷へと帰る為の船を待っている間に段々シガツは腹が立ってきた。
風使いに憧れて、家出をしてまで風の塔へとやって来たのに、力の弱い風の精さえ捕まえる事が出来ないなんて。
一番最後に作った、自分の作った中では一番出来の良いと思える契約の指輪。風の塔を去る際記念にとポケットに潜ませ持って来た。
船に乗り、甲板から海を見下ろす。持って来た指輪を握りしめ、きっぱりと諦める為にもこの指輪を海へと投げ捨てようかと思った。
けれど船に乗っている間中、指輪を握りしめたその手を振り上げる事は出来なかった。
そんなわけで最悪な気分のままシガツはこの港街へと降り立ったのだった。
故郷まではまだ、陸路で何日も歩かなければならない。来た時にはじれったくも短い道のりだったが、きっと帰りは重く長い道のりになるだろう。
どんな顔をして両親や祖父母に会えば良いのか。
両親はまだ良い。怒りながらもきっと自分を温かく迎えてくれるだろう。祖父もまた、そうかもしれない。だが祖母はどうだろう。記憶の中にある祖母はシガツが何か失敗をするとすべてそれを母のせいにした。お前の育て方が悪いから、お前なんかの血を引いているからだと……。
家出をしてまで風の塔へと行ったのに、風使いになる事が出来なかった事を知れば祖母はまた母を責めるのではないか。
そう思うと自然と足取りは重くなった。
賑やかに行き交う人々の流れについて行く事が出来ず、ため息をつき道の片隅へと腰を下ろす。港に降り立った時の苛立ちはすでに治まっていたが、気分はやはりすぐれない。こんな気持ちの時でなければ市場のこの賑やかさは心を浮き立たせただろうに。
立ち並ぶ店々は様々な物を売り買いしている。魚や果物等の新鮮な食材から珍しい宝石を使った装飾品や布、生活用品等々、ここへ来れば何でもひと揃い揃えられるだろう。
そんな市場の様子をぼんやりと見ていたシガツの目にふと一人の少女が目に留まった。キョロキョロと物珍しそうに市場を見て歩いている彼女は、女性らしく特に装飾品や衣類の店を好んで覗いている。
シガツはゴクリと息を飲んだ。
上手く気配を隠しているが、あれは風の精霊だ。しかもまだ年若く、力も弱い。
シガツは無意識にポケットへと手を伸ばしていた。そこには海へと捨てようとしてどうしても捨てられなかった指輪が入っていた。
力の弱い精霊さえ捕まえられないだろうと言われた指輪。
だけど本当に? あんなに若く力の弱い精霊にさえ、通用しないのだろうか……?
気がつくとシガツは指輪を握りしめ、ゆっくりと風の精霊へと歩み寄っていた。
ソキは浮かれながら市場を歩いていた。
人間は精霊を忌み嫌うから、あまり頻繁には来れないけれど、こんな風に人混みに紛れて立ち並ぶ店々を覗いて歩くのが大好きだった。
特にこの港の市場は余所の街から来た人々もたくさん行き交っているから、見知らぬ顔が歩いていても特段目立ちはしない。
気配を隠し、人間のフリをして歩いていれば誰も彼女が風の精霊だとは思わないだろう。
実際彼女が歩いていても誰も騒ぎ立てる者はいなかった。たまに彼女に目を留めて声をかけてくるのは、若い女性が好みそうな装飾品や衣類を売っている店の人達ばかりだった。
そんな店主達の声を巧みにかわしながらソキはあれこれと店を見てまわり、楽しんでいた。
やっぱり人間はおもしろい。こんなに様々な美しい品物を自分達の手で生み出し、惜しげもなくそれを手放す。
人々の会話も面白かった。風の精霊は基本、群れる事はない。もちろん精霊同士で話をしないわけではないのだが、そう頻繁に同じ者と話す事は滅多とない。
だからソキにとって人間同士の会話を盗み聞く事も楽しみのひとつだった。その会話の中に入れたら……とちらりと思わなくもなかったけれど、万が一精霊だと気づかれた時の事を思うと、やっぱり会話に入る事は出来なかった。
そんな風に店先の品物を見て回ったり人々の会話を聞いて楽しんでいたソキに、声をかけてきた人がいた。
「あの……これ、落としましたよ」
振り返るとひとりの少年が、ハンカチをこちらに差し出し立っている。
「え…。あの……」
わたしのじゃありません、と言おうとしてその小さなハンカチの美しさに目を奪われた。白い布地にはかわいらしい小花が刺繍してあり、縁取りにはレースがあしらってある。
その美しさについ、自分のものではないのに手を伸ばしてしまう。もちろん、偽って自分の物にするつもりなんてなかった。ただ、手に取って近くでよく見てみたかったのだ。その後でやっぱり自分の物ではないと返せばいい。
だけどその布に触れる直前、聞こえてきた少年の言葉にビクリと我に返った。
魔法の呪文だ。何の呪文かはっきりとは分からないけれど、きっと彼は風使いで自分を捕まえようとしているのだ。
ザッと血の気がひいた。上手く人混みに紛れたと、誰も自分を精霊だと気づいていないと油断していた。
呪文が身体にまとわりつくのを感じる。きっと一時的に身体の自由を奪う魔法なのだろう。
呪文を唱え終えた少年はソキの左手をとると、隠し持っていた指輪をポケットから取り出す。
ああ、やっぱり。
目の前が真っ暗になるような気持ちでソキは少年を見た。少年はニヤリと笑いながら言葉を紡ぐ。
「汝、風の子、風の一族。創世の二神より風と共にある事を定められし者。名を、なんと言う?」
ここで名を答えてはならない事をソキは知っていた。ソキがもっと力の強い精霊だったなら、もしくは目の前の少年の魔法がもっと稚拙なものであったなら、ソキは口を噤む事も出来ただろう。だけど少年の魔法は正確にソキの身体を捕らえ、そして意志をも捕らえようとしていた。
「名を名乗れ」
長い時間続く魔法ではないと、ソキも知っていた。けれどあらがえない。
言ってはならない、と分かっていながらも、言葉が紡がれる。
「……ソ…キ……」
呪文に絡め取られ、答えてしまう。名前を知られてしまう事自体は問題ではなかった。恐ろしいのは、名前を知られる事によって、風使いとの契約が可能になってしまう事だった。
少年が呪文を唱える。風使いが風の精霊と契約を交わす為の呪文だ。
「汝、風の精霊ソキ。この契約のリングにて我シガツの僕とする」
そう言うと少年はソキの指にするりと契約の指輪をはめた。
それがシガツとソキ、二人の出逢いだった。
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