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第四話

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 それから私は禊をし、衣装を着替え、髪を結った。化粧をし、皆の前で輿入れのお披露目をされ、御輿の中へと入った。

 その間にも時折地面は揺れ、空からは雷のような音が鳴り響いた。

 村の男達と各村の代表達とで輿は担がれ、花嫁行列は守り神の住む洞穴へと向かった。

 揺れる輿の上で頭が真っ白になりながら、私は恐怖と闘っていた。

 私は今から、守り神の花嫁となる。

 私は今から、化け物の生贄になる。

 地面がぐらりと揺れる。

 早く生贄をよこせと言っているのかしら。

 天から雷鳴が轟く。

 来るのが遅いと怒っているのかしら。

 ああ、とうとう彼に会うことはなかった。

 会えないことは分かっていたけれど、会いたかった。

 私は必死で色んなことを考えた。恐怖から逃げ出したかった。

 色んなことを考えている内にふと、年寄り達の昔話を思い出した。

 花嫁を出さずにたくさんの犠牲が出た、あの話。

 山が崩れるとか大波が来るとか警告があったという。

 今回はなぜ具体的な警告をせずに地面を揺らすのだろう? 花嫁を用意して差し出す気があるのは知っているから、細かい警告はしないの?

 何かがおかしい。こうして輿入れをしている最中にも地面を揺らすのはなぜ?

 来るのが遅いと怒っているのかしら。もし怒っているのだとしたら、きっと私は一瞬で八つ裂きにされるのかしら?

 その方がいい。恐怖を感じる暇などないほどあっという間に死ねるなら、その方がいい。

「大丈夫ですか?」

「え?」

 突然声をかけられ、驚いた。村を出てからここまで、誰一人として口を開かなかったのに。

 声をかけてきた男の人が、私に布を差し出す。

「口から血が出ていますよ」

 言われてようやく、自分が恐怖のあまり唇を噛み締めていた事に気づいた。あんまり強く噛み締めていたので唇が裂け、血が流れている。

 私は慌てて布を受け取り唇を押さえた。幸運にも花嫁衣裳には血のしみは出来ていなかった。

 時々御輿を担ぐ男達が哀れんだ眼で私をチラリと見ているのに気がついた。

 そんな眼で見るくらいなら、代わってよと言いたい気分になった。

 八つ当たりなのは分かってる。けれどそんなことでも考えていないと、今すぐ声を上げて逃げ出してしまいそうだ。

 覚悟は出来ていたはずなのに、逃げ出してしまいそうだ。



 皆は出来うる限りの速さで守り神の棲む洞穴を目指した。近づくにつれ雷鳴の音も近づいてくる。

 それが天から聞こえてくるのではないと気づいたのも、それからすぐのことだった。

 まるで、地の底から聞こえてくるような、恐ろしい音。なんの音なの?

「花嫁、着きましたよ」

 その恐ろしい音は守り神の棲むという洞穴の中から聞こえていた。

 人々は震えている。もちろん私も。

「さあ」

 長老が輿を降りるようにと手を差し出し、私はその手を掴んでなんとか震える足で地面へと降りた。

 ガタガタと震えているのが自分でも分かる。立っているのがやっとだ。

「あの洞穴の中へまっすぐに進みなさい」

 無慈悲に長老が告げる。

 まさか、ひとりで?

 そう問いたくて皆の顔を見たけれど、皆黙ったまま私を見ているだけだった。

 ひとりで行かなければならないのだ。

 そうよね、と震える手で胸を押さえて目を閉じた。

 生贄になりに行くのだもの。誰もついてきてくれやしないわよ。私は独りであの中に入らなくては。

 出来ればこの場で気絶してしまいたかった。そうすれば男達が私を抱え上げ、あの洞穴に放り込むことだろう。そうすれば守り神の手に掛かる時、私は意識もなく恐怖も痛みも感じずに済むかもしれないのに。

 だけど私は意識を失ってはいない。

 逃げ出したいとも思うけれど、今更逃げ出した所で即座に男達に捕まってそのまま洞穴に放り込まれてしまうだろう。

 私は震える足をゆっくりと動かし始めた。転びそうになりながら、恐怖に耐えながら洞穴へと進む。

 ああ、もしこの場に彼がいたなら、化け物の所へなんか行くことはないと止めてくれたかしら?

 だけど彼が現れる様子もなく、私は暗い洞穴の前にたどり着いた。

 また、あの恐ろしい音がする。うなるようなこれは、守り神の声? きっと守り神はそうとう怒っているのだろう。

 この恐ろしい真っ暗な中に、灯りも持たずに私は入らなければならない。

 でも、灯りが無いほうが幸せなのかもしれない。化け物の恐ろしい姿を見ることなく、どこから襲い掛かってくるかも分からないまま、そう、気がつかないまま逝けるかもしれないから。

 どうせ中は真っ暗で何も見えないのだから、私は目を閉じ手探りで洞穴の中へと入っていった。

 そして完全に洞穴の内部に入り、更に奥へと歩を進めた時だった。

 耳を塞いでもふさぎきれない程の大音響と共に、洞穴が崩れそうな程に地面が揺れた。

 とうとう化け物が私を食べにきたのね。

 そう思った途端に、私は気を失っていた。


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