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第二話
しおりを挟むそんなある日の事だった。
村はずれの草原で野苺摘みをしていて、ふと誰もいない事に気づいた。
私は野苺摘みが好きで、毎年この季節には毎日の様にここに来ることは誰もが知っている。
だからいつも誰かしら同じように野苺を摘んだり近くの森で仕事をする人の姿が見えていた。だけど今日はその気配すら感じられない。
どうしたのかしら?
いつでも見られていると思うと息がつまるけれど、急に独りきりになると不安にもなる。だからといって村に逃げ帰るのも子供じみている気がして、私はそのまま苺摘みを続けた。
しばらくして、ふと森から人の気配を感じた。
誰かが来たんだわ。
ほっとして顔を上げ、森の方を見た。するとそこには大人ではなく、私と同じくらいの年頃の少年が立っていた。
誰?
なんだか見てはならない人を見てしまったような気がした。
そこに立っていたのは見たことのない少年だった。小さな村だから、村の人たちの顔は誰もが皆知っている。
どこか近くの村からやってきたのだろうか?
だけどひとりで?
その違和感に背中がゾクリとする。
しばらくの間、どちらからも声をかけず見つめ合っていた。
ふと、少年が笑い、声をかけてきた。
「君はこの先の村の子? もうすぐそこから生贄が出されるって聞いたんだけど、それってどんな子なの?」
更に違和感を感じて足が震えだした。
目の前にいるのは近隣の村の子でさえない。
確かに近隣の村の住人の顔を皆知っている訳ではないけれど。だけど近隣の村の住人のほとんどは、私の顔を知っているはず。その為に年に数度、私はお披露目をされているのだから。
隣の村などは、動ける者は総出で来たのではないかというくらい大人数で来るし、少し遠い村からも顔ぶれを変えながら代表者が訪れ、私の特徴や絵姿を描いて村へと持ち帰っている。
たぶん、万が一私が逃げ出した時に見つけるために。
それになにより、守り神に由縁のある村の者は、花嫁を生贄とは呼ばない。たとえ心の中でそうと分かっていても、決して口には出さない。
それはたぶん、花嫁を怖がらせない為でもあるし、花嫁の身内を気遣う言葉でもあるんだろう。
いつかは自分達の村に順番がまわってくる。その時に選ばれるのが自分の血を引く者かもしれないのだから。
目の前の少年はいったいどこから来たのだろう。遠くからたった一人でここまで来たの?
彼の問いにどう答えていいか分からず、私は黙ったまま彼を見ていた。
彼もしばらくの間、興味深げに私を見ていた。
「そうか、お前が生贄なのか」
ふいに少年が口を切った。
「生贄じゃないわ、花嫁よ」
呼び名が変わろうと同じ事と分かっているのに、そんな言葉が口をついて出た。
私の考えなど見透かしたように少年が笑う。
「あんなのの花嫁になりたいのか?」
随分と意地悪な質問をする。好んで得体の知れないものの『花嫁』になりたい者などいるはずがないではないか。
だけど。
「村を、皆を守れるなら、仕方ないじゃない」
私が行かなければ、どんな災厄が起こるか分からないのだから。
「偽善だな。なぜお前一人が犠牲にならなければならない?」
まるで心のずっと奥底に隠し続けてきた思いを暴くかのように彼は私を見つめた。
「わ、私一人じゃないわ」
声が震える。けれど早く否定しなければ。心に蓋をしてしまわなければ。
「私一人じゃないわ。今までもたくさんの女達が花嫁となったし、私の後も村々を守るために花嫁は選ばれるのだもの」
それが現実。村々を守るために花嫁は選ばれ続ける。
「生贄を差し出すのではなく、あれをどうにかしようとは思わないのか?」
「あれ? あれって守り神のこと?」
何を言い出すのだろう。
「どうにかって、神様をどうするっていうの? 逆らえば殺されるだけだわ」
「生贄になったところで殺されるだろう?」
面白がるように少年は言い放つ。
けれどそれは違うわ。
「私ひとりが逆らって私ひとりが殺されるのならそれは仕方のない事だけれど、私ひとりが逆らった為に村の人みんなが死ぬなんて嫌よ」
花嫁に選ばれたことを一度も恨まなかったと言えば嘘になる。けれど今まで優しく育ててくれた人達や友達まで殺されてしまう事になるのはやはり嫌。
「なるほど。でも俺だったら殺される前にあいつを殺すね」
鋭い瞳をキラリと光らせ、彼は言った。
「殺すって、相手は神様なのよ? 山や海を動かす力を持っているのよ?」
とうてい人間の敵う相手ではない。
私の言葉を聞き、彼はますます瞳を鋭くした。
「あいつが神様だって? あれはただの化け物さ。けど確かにあんたの言う通り、人間では太刀打ち出来ないのかもしれないね」
何が可笑しいのか少年はニタリと笑うと、もう話は終わったと言わんばかりにくるりと背を向け歩き出した。
「待って、あなたは誰なの? 守り神の正体を知っているの?」
思わず呼び止めてしまった事に自分でも驚いた。
少年はチラリとこちらを振り返ったが、再び前を向いて歩き出した。そしてもう振り向くことなく、答えた。
「縁があれば二年後にまた会おう。その時に教えてやるよ」
そして少年はそのまま森の奥へと消えていった。
二年後って、私が花嫁になる年じゃない。
彼はどういう意味でその言葉を放ったのだろう。
縁があれば……。
縁などあるはずがない。二年後には私は花嫁となり、この世からいなくなる。
たとえ花嫁になる前に来たとしても……。
「ここにいたの! 姿が見えないからびっくりしたわ。捜したのよ」
村の人に声をかけられ、急に現実に戻ってきたような気がした。
笑顔を作り、そちらを向く。
「野苺摘みに来ていたの。ほら、こんなに取れたわ」
籠の中の野苺を見せると彼女は安心した様に笑った。
「それにしても、黙ってひとりでこんな所に来るもんじゃないわ? 毒蛇に噛まれたり熊に襲われたりしたらどうするの? 野苺摘みなら今度から私でも誰でもいいから誘ってね?」
それはお願いではなく、強制。
「ええ、分かったわ」
彼女を、村人を安心させる為に私は笑顔で同意する。
縁なんて、あるはずがない。
たとえ花嫁になる前に彼が会いに来てくれたとしても、その時は私は一人ではいない。村の人達は他所者を私に会わせようとはしないだろう。
本当はここで他所者に出会った事を村の人に告げるべきなのかもしれない。
けれど私はこの事を自分の胸の奥深くに、こっそりとしまいこんだ。
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