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第8章 薫風かおる秩父路 at 西武秩父線

薫風かおる秩父路②

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 ホームに降り立つと、コンクリートの硬さがダイレクトに足裏に伝わってきた。ゴツゴツとしたセメント色のホームが秩父っぽさを感じさせる。

 4両編成の列車が発車すると、後には静けさだけが取り残された。しんとした清廉な静寂が支配する空間。時折吹く風が周囲の木々を揺すって、瑞々しい若葉のざわめきを生み出していた。

「すっごい……」

 見渡す限りの山、山、山。360度、視界は緑色に埋め尽くされていた。青々とした新緑が支配する空間は、緑色のカーテンに包まれているかのよう。山間に向かって伸びる線路は、まるで異世界へ続くルートのように思えた。

「本当にすごいよな」

 隣に立つさくらも言葉が漏れてしまったかのようだった。

「ガチ山奥じゃん」

「ね。同じ埼玉とは思えないなぁ」

 島式ホームに私たち2人だけ。この空間だけ現世から切り離されたような気分だ。

 私たちが降り立ったのは正丸しょうまる駅。埼玉県飯能はんのう市にある西武秩父線の駅だ。

 ここは正丸峠という峠道の途中にある駅。関東平野から秩父山地へ向かう途上に立地している。その影響もあって、駅の周辺は山しかない。ロケーション的には、山奥の小駅といった具合だろうか。

 これが地方のローカル線ならいざしらず、関東の大手私鉄・西武鉄道の駅なのだ。立地の秘境感と西武の駅であるという事実のミスマッチ感がたまらない。以前訪問した大佐倉おおさくら駅とも趣を異にする、大手私鉄の秘境駅なのだ。

 ちなみに、立地上の問題もあってか、利用者は西武鉄道全駅の中で最も少ない。そんな部分も鉄オタ魂をくすぐるポイントだ。

 大きく息を吸う。新緑の香りが鼻腔をくすぐった。植物たちの命の昂ぶりを感じる。

「よし」

 この地の空気を肺一杯に吸い込んで、私はカメラを構えた。折角誰もいないんだ。列車も来ない。絶好の撮影タイムだ。

 ホーム、線路、枕木、砂利。信号、架線、駅名標。そして、周りの景色。私が見る景色を1枚1枚切り取って、データの海の中へ落とし込んでいく。

 非日常の空間をファインダーで切り取る、切り取る、切り取る。こうして生まれたデータは、思い出とラベルを付けられて永遠に残っていくのだ。

「なあ、みずほ」

 ふと、さくらが声をかけた。

「あっち行ってみようぜ」

 彼女はホームの端を指さしていた。

 さくらについていきながら、8両編成対応のホームを進んでいく。その末にたどり着いたのは、西武秩父方面を臨む光景だった。

 線路が右側にカーブしている。駅を出てすぐのところにポイント。そこで線路が合流する。その先にはトンネルが真っ黒な口を開いて待ち構えていて、その奥には遥かに連なる山並みがそびえ立っていた。

 このトンネルは、正丸トンネルといって、西武秩父線最長の距離を有する。トンネル内に信号場が設置され、列車の行き違いが可能となっているほど長大なのだ。開業当時には日本の私鉄で最も長いトンネルだったのだとか。この地が峠越えの難所であることを如実に表している。

「あのトンネルを越えると秩父なんだね」

「そうだな」

 埼玉県民でありながら、私は秩父と縁がなかった。思い起こせば、今まで一度も訪れたことがないはずだ。今日だって、結局峠の途中で降りちゃってるし。

 そんな風にまだ見ぬ秩父の風景に思いを馳せていると、カーンカーンカーンと間延びしたような高音が響いた、まるで踏切の警報音のようなそれは、列車の接近を知らせる合図だ。踏切のような列車接近音は西武の特徴の1つでもある。

「まもなく2番線を──」

 アナウンスを聞く限り、どうやら特急列車が通過するらしい。

「ちょうど良いな」

 そう言って、隣の親友はホームの先に向かってカメラを構えた。

「折角だし、撮るか」

「そうだね」

 まるで親友に並び立つように、私もクリムゾンレッドの愛機を持ち上げるのであった。
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