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第一部

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「すまない。私は真実の愛に巡り合ったんだ。彼女以外愛せない。君とは白い結婚になる」

 ジークハルト・ブリーゲル侯爵令息は婚約者候補のミケーレ・ハーマン公爵令嬢にそう告げた。


****

 ジークハルトが真実の愛に巡り合ったのは一年前の事だ。家の持つ爵位の一つの伯爵位を継ぐように父親に言われ、準備に追われていたが、貴族街でなく平民の住む下町も見学しようと思い付き、平民が着るような服を執事に誂えさせて、下町に降り立ったその日だった。
 ジークハルトは一人で歩いてみたいと言い張った。護衛達は反論したが、ジークハルトに押し切られて、遠巻きにしている筈だ。
 下町は雑然としていたが活気に溢れていた。道沿いに広げられた店からはひっきりなしに呼び込みの声がかかる。

「そこのお兄さん!いい男だねぇ。貴族様みたいだよ。これ美味しいよ!一口どうだい!」

 大声をあげて、試食を勧める売り子に一瞬気を取られて、前から歩いてくる女の子にぶつかってしまった。小柄な女の子は大柄なジークハルトに押されて、道に膝をついていた。

「すまない!怪我はないか?」

 慌てて呼びかけると女の子は花が綻ぶように、にっこりと笑い

「前見て歩かないとこの辺はすりが出るから気をつけて!!」

 と言いながら膝をはらってぴょんと立ち上がった。みたところ10代半ば過ぎの思わず目を見張るほど可愛らしい女の子だった。その上、笑顔の可愛らしいことと言ったら!
その飾らない可愛らしい笑顔にジークハルトは思わず魅入ってしまった。

「待って!お詫びに何かご馳走するよ!」

 ジークハルトは思わず、そう言って女の子を呼び止めた。


 ジークハルトは貴族の女が苦手だった。どんな時にも表情を動かさず冷静でいる。喜怒哀楽を見せることは、貴族令嬢として恥とされているらしい。ジークハルトは人間だったら悲しかったら泣いたらどうだ、嬉しかったら喜んでみろと思っていた。





 ジークハルトは一人っ子で母は次の子に恵まれなかった。
 それをいいことに新年の宴で親戚が第二夫人を娶って子をもうければいいと騒ぎ始めた。ジークハルトは母を心配して思わず視線を向けたが、母はそれを咎めもせずに黙って見ていた。
 領地の代官の一人である父の従弟がさも案じてますという顔をして

「もしジークハルト様に何かあったら歴史あるブリーゲル家が途絶えてしまいます!私の娘は十七歳で健康です。医師に太鼓判を押された安産体型です。愛娘ですが、本家のブリーゲル家のためです。第二夫人でも構いません。どうぞ娶ってやって下さい。」

 と大柄で肉付きのいい娘を前に押し出し、小柄で華奢な母を馬鹿にした様に見て鼻で笑った。母はそれを顔色も変えずに黙ってみていた。

「お前達は本家の跡取りに何かがあって欲しいのか!」

 父の一喝で流石に父の従弟は黙ったが、その後、本邸の使用人を買収し、娘を父の寝室に裸で潜り込ませた。その後領地の収穫の横領が見つかって父の従弟一家全員処分された。

 裸の娘を見つけたのは母だったのだが、母はその時も表情を変えず、娘にシーツを巻きつけて執事に渡していたそうだ。よくできた奥様と評判の母だが、ジークハルトとしては、なぜたかが親族と言うだけの奴らに、こんなに蔑ろにされて文句を言わないのか、文句を言わない事が淑女だと言うのならそんなもの糞食らえだと思っていた。


 ジークハルトはそんなわけで貴族令嬢が苦手だった。社交界でジークハルトは背丈が高く鍛えられた筋肉が程よく付いて見目麗しいと評判だった。その上、裕福な侯爵家の跡取りという事で次から次へと令嬢が群がってくる。令嬢と言うのは人の話を聞かず、自分の言いたいことだけを言うくせに、気位は高く拒否を許さないところがありジークハルトは処置なしと思っていた。
 こんな令嬢達と婚姻は嫌だとずっと思っていた。

 そんな時に下町で巡り合ったエマは表情がころころ変わり、ジークハルトと居ていつも楽しそうに笑ってくれていた。ジークハルトは平民で下町の庶民であるエマに惚れ込んだ。度々下町に行きエマとの逢瀬を楽しんだ。エマといると煩わしい貴族社会のしきたりや常識が馬鹿らしくなって気分が高揚する一方だった。
 
 エマは平民だが慎み深く、ジークハルトが贈りたいと言ったドレスや宝石を断った。お金目当てで付き合ってるんじゃないもんと拗ねる仕草も可愛くて好ましかった。

「平民がそんな高価なもの貰ってもどうしようもないんだよ。どこに着てくの?つけてくの?もう!平民の暮らしわかってる?ジークったらぁ」

 とジークハルトの腕に己の腕を絡ませて身体を寄せてくる。ジークハルトはその貴族令嬢のきつい香水と違う清潔な匂いにくらくらした。

 そんなある日エマがジークと会うのを減らしたいと言い出した。そんなのは嫌だと思い理由を訊ねたら、母親が病気なので薬代のためにもう一つ仕事を増やすと言う。だったらジークハルトが援助すれば良いのだ。
 ジークハルトはジークハルト自身では軽く出せるが、平民にとっては大金をエマに渡した。エマはもらえないと言って最初は拒んだが、ジークハルトが強硬に手渡したので、涙を浮かべてお礼を言って受けとった。
 それからエマの遠慮がなくなり、母親の薬代が、弟が怪我して治療代がとエマはしょんぼりと俯いてジークハルトからお金を受け取った。

 それからはエマは仕事を辞めて、いつもジークハルトが来ると一緒にいてくれる様になった。それでも慎み深いエマはキスまでしか許してくれない。

「平民だって結婚するまでは清いお付き合いをと思ってるんだからぁ」

 とエマはジークハルトに身体を寄せてささやいた。ジークハルトはエマは貞操観念が強くて可愛くて申し分のない恋人だと思っていた。


 そんなふわふわとした日を送っていたある日ジークハルトは父に呼ばれた。

「侯爵位を継ぐ前に家の持っている伯爵位をお前にという話はしてあるな。伯爵位を継ぐと社交が始まるから配偶者がいた方がいい。ちょうどハーマン公爵令嬢との縁談が来てる。一度お会いして来い」

「父上、お待ち下さい。私には心に決めた人が居ます。その人以外と婚姻など」

「お前は一人息子だ。平民とは婚姻できない」

 ジークハルトは驚愕の面持ちで父を見つめた。

「父上、ご存知だったのですか?」

「お前にはこの前の様な不届きな親族が何か企み襲ったらと護衛が付いてる。全て報告が上がってる。お前とあの平民との関係は把握している。火遊びだろうと見逃していたが」

「火遊びなどと!私はエマに本気です」

「だが、平民と婚姻は出来まい。とにかくハーマン公爵令嬢と会って来い」

「父上!」

 ジークハルトの抗議は歯牙にも掛けられなかった。ジークハルトはエマになんでも隠さずに話したかった。エマ会いに行った。

「エマ 実は今度私に公爵令嬢と縁談がある」

「えぇー、ジークぅ私を捨てるの?」

「そんな訳ない。エマとは真実の愛なんだ。絶対に別れない。相手は貴族令嬢だ。仮面夫婦などお手の物だ。白い結婚をして別居する。公爵令嬢には社交界での社交と侯爵家の家政をしてもらって、私はエマと別邸で住んでエマに子供を産んでもらう」

「ジークぅ。愛してるわ」

「エマ。愛してる」

 二人は固く抱き合い、キスをした。

「じゃあ、私はお邸に住めるのね。着ていくところが無いからって買って貰わなかったドレスや宝石をやっぱり頂戴。奥様になる公爵令嬢なんかに負けない様に豪奢で贅沢な暮らしをさせてね」

 この時ジークハルトはあれ?エマは慎み深い娘では無かったのかと疑問に思ったが、妻になれずに愛妾になれと言われてプライドが傷ついたのだろうと疑問を飲み込んだ。






 

 
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