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第8話 予兆

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「ところでこの街は一体なんなのだ。歯車仕掛けの奇妙なものがあちこちに見受けられるが……」
「そっか。マオの所じゃ珍しいんだよね?」

 言って胸元から取り出したのは懐中時計だった。服の中に入れていたらしく、チェーンを引っ張って引きずり出すと手のひらに置いた。蓋を開き、私に楽しげな笑みを見せる。何が起きるのかと覗き込むと軽く針の中心部を押し込んだ。するとガシャンガシャンと音を立てて中身が切り替わり、横に大きく広まっていく。動きが止まり、展開し終えると空中に光の地図が浮かび上がる。

「蒸気歯車《スチーム・ギア》ってみんなは呼んでる。正式名称はすんごい長いんだけど、そっちの方がわかりやすいから」
「ほぅ……?」

 よく見れば小さな懐中時計から微かに煙が溢れ、シュコシュコと金属片が忙しく動いているのが見える。

「お水を沸騰させて生まれる蒸気っていうのを使って機械を動かしてるんだって。これはこの街の地図!」
「……すごいな」

 人の頭ほどの大きさで広がった立方体のそれは懐中時計(のようなもの)を触ると拡大したり回したりできるようになっているらしい。光の発生源は魔法石ではなく透明なガラスを通して生まれており、「おや……?」なんだ、あるじゃないか魔法石。

「ん? どうしたの?」
「いや、安心しただけだ。まるで違う世界にでも放り込まれたような予感がしていたからな」
「ふーん……」

 当たり前のように目の当たりしていたそれを見つけて少し安心する。
 得体の知れない物スチーム・ギアだが、その機構の中に魔法式は組み込まれているらしい。

「……?」

 と言ってもその魔法石には特に何の役割も与えられておらず、ただそこで「光を拡散させる」だけの目的しか果たしていないようだった。
 これほどの純度となれば相当の価値があるはず……。それをガラス細工のように埋め込むなど……信じられん。

 もしかすると「魔法」という概念そのものを必要としていないのか……?

「街全体がそうなのか?」
「うん、この街は城塞都市だから。いざという時は街全体が動くんだよ?」
「なるほどな……」

 この張り巡らされている鉄の管はその“蒸気”を行き来させるものなのだろう。
 水を沸騰させるには木が必要になる。周囲の山が荒れはてているのはそれが原因か……。

「でも蒸気歯車なんて何処の国にでもあるものだと思ってたよ。それともマオが忘れてるだけ……?」
「どうだろうな、記憶にないことは確かだ」
「んー……なにか力になれればいいんだけど……」

 十分になってるさ。

 そういってやりたかったが、柄にもないと思って私は口を閉じる。
 少しずつではあるが当初の目的である情報収集は問題なく進んでいる。あとはこの国の位置などがわかればいいのだが……、それはなんとでもなるだろう。周辺諸国の情報が集まれば芋づる的に把握することは可能だと思う。
 そうなれば現地の我が軍と連絡を取って他の隊にも私が存命であることを知らせられるはずだ。
 城が落ちた所で私の死体が掲げられない限り人類は勝利を声高らかに上げることは難しいだろう。

 長い間、私は「そういう存在」として君臨し続けてきた。
 殺しても死なぬ、不死身の王として。

「んふふ、……なんか不思議だね」
「なにが」

 繋いだ手が揺れ、くすぐったそうに少女は笑う。

「マオと手を繋ぐとね、ずーっと前から知ってたような気がするんだ? この手の感触……なんだか落ち着くなーって」
「……ふん」

 所詮人間の小娘が何を、そう言いたかったがムキになって否定すれば自分もそう感じていることを認めるような気がしてただ黙っていた。そうだ、不思議と覚えがあるのだ、この手に……。
 もしかすると何かの繋がりがあって、それを元にこの場所に転移させられたのか?
 自分を飛ばした白銀の魔導士に聞くことができれば手っ取り早いのだが、残念ながら向こうからのコンタクトはまだない。
 長距離の通信魔法はそれだけ傍受される可能性も高くなるし、同じように転移してくるとしても相当の魔力が必要になるだろう。
 今は同じように身を潜めているのだと思いたい。
 そもそも彼奴《あやつ》に限ってやられる、ということはないだろうしな。
 見上げれば灰色の雲が空一面を覆っている。
 その所為《せい》で太陽の明かりさえも時折陰るほどだ。

「これほどの技術を持った国が戦火を間逃れておるというのは信じられんな」
 ついて出た独り言だった。

 魔法ではなく、蒸気歯車《スチーム・ギア》などという得体の知れない技術を獲得しながらも戦場においてはその名前を耳にしたことがない。門外不出なものだというのならわかるが、このような娘が持ち歩いている所を見るとそうでも無いらしい。

「マキナ様が頑張ってくれてるからなんだって」
「マキナ?」
「うん、この国の神様っ。ずーっと私たちの事を見守ってくれてるんだって」

 その目は山の麓、鉄の塊が生えた山々の麓に注がれており、恐らくそこに「マキナ様」はいるのだろう。

「なるほどな……」

 神がいるから戦火を避けているからと言うわけでもあるまいに。
 我が国を大事と思うか、我が身の保身に走るかの違いなど微々たるものだ。
 相変わらず店へと戻る道すがら直視することすら躊躇われるほどの行為が街陰で行われていた。
 この国の惨状を見るに、とても民のことを見守っているとも思えない。

「……でも最近はどうしちゃったんだろ」
「アレのことか?」
「うん」

 私の視線を察したのか彼女も路地裏に目を向けていた。

「どんどん新しい人も入ってきて、なんだか変な感じなんだ……」
「なにか聞いていないのか? 噂話程度でも」
「わかんない……もしかしたら大変なことになるかもなって親父さんたちが話してるの聞いたことはあるけど……」

 まさか、この方面においてある我が軍が打って出ようとしているのか?
 私が討たれたと早まって……? いや、そこまで無能に育てた覚えはない。
 それに変化が起き始めたのがここ数日の出来事というわけでもなさそうだ。少なくとももう少し長いスパンでの変化なのだろう。人が堕落するのは早いが、今日明日で滅ぶのであれば文明として成立してはいない。そうではなく街全体、この国全体に徐々に変化が生まれ、だんだん悪い方向へと転がり続けているような感覚だ。
 堕ちるならどうか勝手に落ちてくれれば私が手を下す必要もなくなるのだがーー、

「……どうした」

 不思議そうにこちらを見つめる目に首を傾げる。

「いや、なんだか深刻そうな顔してたから……もしかして何か知ってたりするの? マオちゃん強いみたいだし、誰かに追われてたり!?」
「ふむ……」

 まぁこれまでそういった考えに至らなかった方がどうかと思うが、直接的に魔王と私が結びつきそうな予感がして「何か思い出す手がかりになればと思ったんだけどね、ダメみたいだよ」と曖昧に笑って誤魔化す。誤魔化してから何を誤魔化す必要があったのかと苦笑した。
 つい居心地の良さにこの者との会話を求めてしまうが、私と彼女も水と油。
 相容れぬ存在だというのに。

「さて、もうここまでくれば十分だろう」

 散々歩き回っていつのまにか日は傾き始め、目の前の顔を洗う猫のプレートは赤みかかっている。
 夜の営業に向けての仕込みの時間なのか、入り口には「支度中」の板が掲げられ、中から男どもの喧騒は聞こえてこない。
 パッと手を離した私を驚きの表情で彼女は振り返り「いいや、一人で行くべきだよ」と私は告げる。

「あくまで部外者だからな」

 仲介の役割はもう果たした。
 決して悪意の上でのすれ違いだったわけじゃない。
 当人同士で話し合えば後は解決するだろう。

「一緒に謝ってくれるって言ったのにー! 嘘つきはいけないんだよ!?」
「言ってない。嘘つきはいけないんだぞ?」
「むーっ……」

 膨れる様はまさに子供そのものだ。
 他愛もない。
 この私が面倒だと言いながらもここまで付き合ったのだ。不思議と人徳があるのだろう、この娘には。だから安心すればいい。

「それじゃあの」
「あっ!」

 何か言いかけたのを背に跳び上がり、反対側の店の屋根に踏み台にそのまま立ち去るつもりだった。
 事実、すでに半分膝を曲げ跳躍する準備はできていた。
 しかし店の中から溢れてきた殺気に思わず振り返り、後ろに軽く距離をとった。

「……? どうしたの?」
「いや……」

 店の中から男たちの声は聞こえない。
 だとすれば中にいるのは店主と女将だけ……いや、なんだこの気配は。

 異様な空気感に神経をとがらせ、降りかかる火の粉は振りはらわせて貰おうと臨戦態勢に入る。
 目立つことは避けたい。大規模魔法は使わない。身体強化と近距離魔法だけで対応するーー。
 自身に言い聞かせ、体内の魔力を練り上げて全身に張りめぐらせる。
 徐々に枯渇しつつあるそれに舌打ちするが、三下相手なら問題あるまい。

 問題はこの「異様な殺気」が勇者共の仲間だった場合だ……。
 精霊達の魔力を借りねば、彼奴らの特異体質は少々厄介だった。
 幾つか憎たらしい顔が浮かんでは消える。
 私が生き延びている以上、彼奴《あやつ》らが止めを刺すのを諦めるとは思えない。

 どいつだ、いったい、どの者が追ってきたーー?

「ッ……!」

 そして音を立てて開いた扉の向こう側から現れたのは、私の予想を裏切りーー、

「おやおやおや、よーやくお帰りですかァ」

 ヘンテコな衣服に身を包んだ、白髪の貴族だった。
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