『少女、始めました。』

葵依幸

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【5】少年少女。

5-5

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「――――で、まだなんですかぁー……?」

 最初は意気揚々と登っていたバカの顔にも流石に疲れが浮かんでいた。荒太を除いた他の2人も同じだ。慣れない荒れた道を歩き始めて1時間弱、流石に疲れも出て来ていた。

「言っとくが俺が文句を言われる筋合いは無いからな」

 とりあえず釘は刺しておく。

「大体お前が言い出した事だろう」
「むぐぅ……」

 俺は悪く無い。寧ろ被害者だ。

「まぁまぁ、そう言わずにさ。まだ小さいんだし」
「ふぐっ……!」

 さりげない一言に仰け反るバカ。――以外とダメージデカいみたいだぞ、荒太。

 なんとかパートナーさんはプライドがそこそこ高いらしく、お子様扱いされた事が気に食わないらしい。ムスッと少し先を歩く圭介とミコノの元へ行ってしまった。こりゃぁ当分機嫌直さないな……。

「子供の扱い下手だろ、おまえ」

 いままではそんな風に感じた事も無かったが、思えば子供の相手は大抵先輩がしていた事に気付く。元々俺達は子供に縁がない。

「んー、そんな事無いよ? 僕は子供好きだし」
「じゃ、余計にタチがワリぃ」

 子供に嫌われる体質で、子供に寄って行くだなんて。何処の人間魚雷だテメェは。
 うだうだ言っていた所で目的地が迎えに来てくれる訳もでなく、ただ黙々と足を動かし続ける。子連れとはいえそろそろ見えて来てもいいハズだ。

「んなに遠かったけかなぁ……」

 一向に山の切れ目は見える事無く、ひたすら緩やかな傾斜が続いていた。

「あれ? 来た事あるの?」
「んぁ……、あー……昔にちょっとな」

 重い機材を担がされて連れてこられたとは言えない俺の隣で、本人は至って楽しそうだった。アチコチに視線を泳がせては「なるほどなるほど」なんてぶつぶつ呟いている。残念ながらあの映画にこの道中、使えるようなシーンは無かったと思うんだが――それにしても本当に楽しそうだった。ロケハンを行う時はいつも一人で出かけていっていたからその様子を俺は知らない。コイツは一人見知らぬ土地をこうして巡り、目に映るもの一つ一つに目を輝かせていたんだろうか。だからだろうか、

「楽しいか、荒太?」

 自然とそんな風に聞いていた。

「え? 楽しいに決まってるじゃないか?」
「だよな」

 当然だ。コイツは根っからの映画バカで――、いや、あの映画に限っては何かに取り憑かれたかの様に熱中していた。それまで映画なんてこれっぽっちも興味が無かった癖に、あの映画だけは――、

「ぁ……」

 いつの間にかコイツが映画を撮る事を当たり前に思っていたが、そうじゃない。きっとコイツも――、

「ていうか、なに変な事聞いてるのさ。変なキノコでも食べた?」
「……そこのバカと一緒にするな」
「むぁっ! なにかバカにされた気配……!」

 地獄耳のバカが振り返り叫ぶが放っておく、事実お前が食おうとしていたのは事実だろうが。
 ケラケラと笑う荒太は本当に、改めて確認するのもバカバカしくなるほどに楽しそうだった。

 ……お前も先輩の為に映画を撮ってたんだよな……?

 当たり前の事だった。どうしていままでそんな事に気付かなかったのかが不思議なくらいに。

 なのに、俺はこいつに何をしようとしてるんだ……?

 このまま、こんな風に笑っているコイツをそっとしておいてやった方が良いんじゃないか。先輩の事は水に流し、何事も無かったかの様に記憶をなくしたままの生活を送る。それがコイツに取っては幸せなんじゃないか……? 先輩がいなくなった事は上手く誤摩化せば良い。無理矢理に失踪したとでも言えば――。

 いや……無理だ。愚問だった。そんな事は出来る訳が無い。俺も、コイツも、先輩の存在は余りにも大き過ぎる。俺が何も言わなくてもコイツは先輩の事を聞き出そうとするし、自分で連絡を取ろうとするだろう。先輩の行方を探し、そうしていずれ事実に辿り着く。あの日の事を知ってしまう。

 そうなったとき、コイツは思い出すんだろうか、全てを。あの日何が起こったのかを俺に語ってくれるのだろうか。それとも何も思い出せず、ただ先輩がいなくなった事の重荷に堪え兼ねて押し潰されてしまうんだろうか。――俺の様に。

 しかし、そうしてそうなったとして俺は何を想うだろう……?
 独り膝を抱える荒太を前に俺は何を思うだろう……?

「っ……」

 きっと俺もまた荒太を許せなくなる。何も思い出せなかったとしても、いまの荒太に何の責任が無いとしても。俺は先輩の最後の時、隣にいたコイツの事を恨み、憎み、嫉妬する。そうなってしまったら俺はきっともう――……。とはいっても、そんな痛みもいずれ忘れ去ってしまうんだろう。この一年で先輩がいなくなった悲しみがいつの間にか過去の物になって行った様に。荒太を再び失ったとしても俺はいつかこんな風にへらへらと笑うんだろうか。――果たして、そんな人生に何の意味があるのか……? 先輩も、荒太も失い。ただ喃々と生き続ける人生に――。

「…………」

 何度も巡った考えは尽きる事無く浮かんでは消え、答えなど出ないと分かっていながらも頭から押し出す事が出来ない。

 夕焼けの窓際で煙草を吹かす先輩の後ろ姿が懐かしかった。
 もう一度先輩に会う事が出来たなら、その腕を掴む事が出来たなら。

 下らない考えだけど、今度は一時も離れず、傍に置いておく。タバコの煙だって幾らでも我慢してやる。だから幾ら文句を言われたってその腕は絶対に放さない。何が有っても俺は先輩の元から離れない。もう、独りでは絶対に逝かせない――。何となく思い浮かべた窓辺の先輩は俺の視線に気付き、振り返って「あほぅ」と笑ったような気がした。

「ああ! 見えて来たですよぉ!」

 バカの素っ頓狂な叫び声で意識を引き戻される。
 いつの間にか潮の香りが辺りに漂い、微かに波打ちの音が聞こえて来ていた。

「おお! 遂にかっ……!」

 バカを追いかけて荒太が走り出し、圭介はうんざりした表情でそれを眺める。

「圭介くんも、ほら、いきましょうよっ」

 だがその手を取り、楽しそうにはしゃぐミコノ。腕を引っ張られ渋々後ろを着いていく姿は何処か昔の俺に似ている気がした。渋々と後を付いて行きながらも従ってしまう――、それはきっと俺も圭介もその相手を必要としていたからなんだろう。

 一人取り残された俺も後をのんびりと後を追いかけた。足を踏み出す度に波の音は大きくなり、潮の薫りを乗せた海風が流れ込んでくる。

 ……この前来た時はこんな事、考える余裕も無かったな――。

 先を行く後ろ姿に先輩が霞んで見えた。
 担がされた機材は重く、額に流れる汗は髪を頬を伝って気持ちが悪い。シャツだって汗でびしょびしょで動くたびに張り付いて、足を踏み出す事すら億劫だった。だけど少し先を行く先輩が時々振り返っては笑って見せるから俺はその笑顔に近づきたくて、少しでも先輩の近くに行きたくて足を動かした。

 ――そうだ、あの日もこんな風に――。

「ごっしゅじんさーまーっ! はやくはやくーっ!」
「ムード打ち壊しだ、あほ……」

 大きく手を振り、大声で叫ぶバカは先輩とは全く正反対だった。
 餓鬼で、落ち着きが無くて、何をしても失敗ばかりで――、何がパートナーになりますだ、良い迷惑だ。しかしまぁ、

「ほらほらーっ、おいていきますよーっ!」
「先輩も料理は出来無かったしな」

 唯一の共通点を思い浮かべ、自然と頬が緩んだ。
 そんな事でさえ少し嬉しく思ってしまうのはきっと、俺自身こんな下らない事を楽しく思っている証拠なんだろう。きっと。

「なんだかんだでハートフルなんとかの仕事をこなしてるってか?」

 あまり認めたくは無いがな――。
 坂を上りきり、森を抜けると大きな展望台に出る。
 殆ど人が来ないからか手入れはされていない物の、自然と一体になったようなそこは寧ろ趣が有っていい。

「――つぅか、おまえ、さっき“ご主人サマ”て呼ばなかったか?」
「へ? 何の事でしょう?」

 とぼけている訳ではなく、素でそう思っているらしく頭の上に大きなはてなマークが浮いていた。

「……なんつーか、まぁ、いいや」
「むぅっ、なんか心外です」
「知らん」

 顔を膨らませるが取り合えって等いられない、というのも――。

「うわーっ! 凄い凄い凄いっ!」
「あっ、危ないですよっ! 朽木さん!」
「み、ミコノ! 何処行くんだよ!」

 荒太のテンションの上がりようは他の3人を遥かに凌駕しており、放って置けば崖から落ちそうな雰囲気すらある。

「うわーっ、何これ!? まさに撮影の為に用意されたようなロケーションじゃん!?」
「落ちますって朽木さん!」

 ミコノが必死にその腕を掴み、その様子に圭介が嫉妬する。バカは隣で「もう、お子ちゃまなんだから」とかほざいてやがるし、絶景を前に”感動”の「か」の字すら無かった。転落防止用に設置されているらしい木の柵から荒太は乗り出し、「うぉーっい! きこえるかーっ!」などと叫び出している。悪酔いしたおっさんかお前は。

「おい、バカ。どうにかしてこい。アレがお子ちゃまに見える程お前は大人なんだろ?」
「バカにしてますか!?」
「しとらん、ほら早くどうにかしろ。荒太に引っ張られてミコノが落ちかけてるぞ」
「なな!? みっ、ミコノさーんっ!」

 バタバタと走って行く後ろ姿に何とも呆れる。とはいえ、本当にやかましい。荒太は一人でロケハンしている時もあんな風に騒がしかったんだろうか。ともなれば変人以外の何者でもない気もするのだが――。


「ふぇっ……!?」



 ――悲鳴には聞こえない可愛らしい声とともに、ミコノの足が宙を舞った。




「――――は?」

 突然の出来事に頭が追いつかない。

「みっ、ミコノ!」

 圭介が叫び、バカが跳び込むのが見えた。

「――――!!」

 きっと多分、俺も叫んでいた。

「――――」

 そんな中で唯一、

「きゃっ――」

 冷静に動いている人物が一人――、

「っ……、大丈夫……?」
「あ、あの……すみません……ありがとうございます」

 荒太だけがミコノを抱きかかえ、彼女を救っていた。

「気をつけなきゃ駄目だよー?」

 上半身を柵の向こう側にやったままのミコノは戸惑いの色を浮かべつつも、荒太は涼しい顔をしている。
 海から吹き込んでくる潮風が二人の柔らかい髪を弄び、不覚にもそれが絵になっていて見蕩れてしまう。

「――――ぁ……」

 それはあの日カメラ越しに見た光景に何処か似ていて思わず言葉を失い。

「――いでっ……!」

 荒太の頭を殴るのが一瞬遅れた。

「なにするんだよ~……」
「元はと言えばお前の責任だろ! ひやひやさせやがって!!」
「もうだよ! 早くミコノからはなれろ!」
「……ん?」

 隣から声がしたかと思えば圭介が肩で息をしながら荒太を殴りつけていた。

「圭介さん……」

 抱きかかえられたままのミコノが驚いて瞬く。そんな二人に何を思ったのか「ああ、ごめんごめん」と笑って見せる荒太。
 柵の向こう側から戻って来たミコノはすぐさま圭介の元に寄り添った。

「……ったくおまえは……」
「えへへ、いやぁ、僕も冷や汗かいちゃったよ?」

 その冷や汗とやらは一体なんに対しての冷や汗だ? と睨んでみせると意味有りげに首を傾げられる。

「――ったくホントにお前は……」

 叱る気も失せた。圭介は圭介で完全に拗ねてしまってそっぽを向いているし、ミコノはそのご機嫌取りに勤しんでいた。

「なんか可愛らしいよねぇ~」
「性格悪いなテメェは……」

 天然なのかわざとなのか、あざとく面白いことをあざとく見つけてきやがる。
 そんな中、無言で地面に這いつくばっているバカに目をやる。

「…………」

 しかし掛ける言葉は思い浮かばず、顔をしかめるに至った。

「……あのぅ……、努力賞とかありますか……?」

 地面に俯せになったままバカが情けない声を上げた。

「……ねぇな」
「残、念……です――がくっ……」

 ――ああ、死んだな。死んだ死んだ。ここに置いていこう。なんなら埋めてやろう――。

 振り向けば見下ろす海岸は何も言う事も無く、静かに波を打ち付けていた。
 海の色もあの日と違う。

 青く、白く――、波が打ち付ける度に白い飛沫は上がり、それが風に乗ってここまで届いてくる。
 遠くで海鳥達が鳴き、群れを成しては海岸に沿って飛んでいく。

 遥か沖に浮かぶ船は何処に向かうかも知らない。漁船か、タンカーか。小さすぎるそれは俺たちからは判別出来ない程だった。自然の時の流れに身を任せると不思議と気持ちが落ち着いて行くようだった。

「浸ってるねー」

 そんな俺を荒太が茶化す。

「たまには良いだろ、こういうのも」

 少し、先輩の気持ちがわかった気がする。
 窓の外をボンヤリと眺め、タバコに火をつける先輩。
 いつも何を考えているのだろうと不思議だった。

 いまになってその理由に気付くなんて、遅すぎるだろうか?

 タバコを取り出し、口に咥えて火をつけてみる。
 肺に含んだ煙を吐き出し、白い煙が潮風に流されて行った。

「そういやいつから?」

 不思議そうに荒太が首を傾げる。

「……さぁな、気が付いたら吸ってたよ」
「ふーん……」

 それで納得したのかそれとも察したのか、荒太はまた海に顔を向けた。遠くを見つめるその目はなんだか俺とは違う何かを見ているようで、俺は何も言えず、また海に目をやった。

 懐かしい香りに少しだけ、目を細めた――。
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