『少女、始めました。』

葵依幸

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【4】ひと休みしましょうじょ?

4-6

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「なぁ、晋也っ? このシーンは絶対あそこが良いと思うんだ。ほら、あそこ……修学旅行で行った――なんだっけか、ほらッ確か……」
「伊豆半島、だろ」
「そうそうイズッチイズッチ! あそこにあった旅館なんてイメージぴったりだって!」
「そりゃそうだろうが、流石に遠すぎる。もっと近場で探さないと」
「近場つったってー……んぅー……」

 相変わらず白い清潔なベットの上でシナリオと睨み合いをしている姿は、2年前の光景と重なって見える。「――そーだ! イズッチだ!」「――なんだよ、そのイズッチって」「――良いんだよ、細かい事は。とにかく、あそこの旅館がイメージにぴったりなんだって!」

 そんな会話を俺たちはあの部室で繰り広げていた。到底叶わないような事ばかり提案する姿に呆れつつも、ロケ地は少しずつ埋まって行く――。

 この後、こいつが言い出す事は確か――、

「――ぁ、そうだ、忘れてた」

 と思い出して笑い。

「俺の親戚が古い旅館買い取ったんだよ、だからそこでロケしよう!」

 っと勝手に決定しやがる。

「……ああ、そうだな。埼玉の奥地なら日帰りで行けるしな」
「へ、あれ? なんで埼玉って知ってるの? 前話した事有ったっけ……?」
「ああ、何となく埼玉な気がしただけだ。サイターマ」
「まさかエスパー能力に目覚めたなんて言わないよね……?」
「違う」

 一人楽しそうに笑う荒太とそれにめんどくさそうに返す俺。
 以前の光景がそのまま映し出されてるかのようだった。

 ――だが、俺はあの時よりも2歳年を取り、荒太は生死の狭間を1年間彷徨い続けた。
 場所だって大学から病院に移ってしまっている。そもそも俺達の撮ろうとしている映画は既に完成していて、賞までとって。ついこの前ドラマ化までしちまったんだぜ……? そんな風に話したらコイツはどんな顔をするだろうか。慣れない冗談だと取り合ってくれないだろうか――?

 荒太は話し続ける。思い描く理想の映画を。撮りたいと思っている景色を。
 俺はそれに相づちを打ち、耳を傾けながら眠りに落ちて行く。

 ――俺たちの関係はあの時のままだった。

「……どうしたんだよ暗い顔して」
「ぇ?」
「ははーん? さては笠井先輩に面倒な事押し付けられたなぁ? 深夜も大変だねぇー」
「……いや、そういうんじゃないんだ」
「ん……? じゃあなに?」

 無邪気に、まるで子供のように好奇心丸出しで尋ねてくるコイツに罪は無い。
 きっと、何の罪も無い。

「――……晋也?」

 知らず内に涙が溢れて来ていた。
 ぼろぼろと大粒の涙が次々と零れ落ち、自分でも訳か分からず戸惑いながらもそれを拭う。

「な、なんでもないんだ、なんでも……」

 けれど涙は止まる事は無く、まるで涙腺が壊れてしまったかのように溢れて溢れ出て、止まらない。

「は、はは、変だなこれ……なんだろうな……こんなっ……」

 笑ってみせながらも涙は頬を流れ続ける。

 ――信じてやりたい。何も無かったのだと、何かの間違いだと、信じたい。

「っ……」

 先輩の事も、荒太の事も、そうして全部、全部全部元に戻れば良い。あの頃に戻れればきっと俺達は――、

「――――は……」

 見上げた先に、先輩が居た。
 荒太の斜め後ろでタバコを浮かしながら、退屈そうに窓の外を見つめる後ろ姿。
 綺麗に、茶色に染まった長い髪が風に揺れる。

 細い、繊細な線で描かれている切れ目が夕日を見つめて細くなる。まるでガラス細工のように光を反射して――、きっと乱暴に触れれば壊れてしまうんだろうけど――。

「せん、ぱい……」
「ぇ?」
「先輩――、先輩ッ……!」

 構わずその手を掴もうと椅子から立ち上がると、足に力が上手く入らずによろける。揺れる視界で先輩がこっちを向くのが見えた。

「せんぱいっ!」

 ベットに手をつき、手を伸ばした先にはその姿は無く、ただ冷たい秋風が吹き込んで来ているだけだった。

「ぁ……」

 伸びた前髪が虚しく弄ばれ、その冷たさに思わず言葉を失う。

「ほんとにどした……?」

 荒太が怪訝そうに様子を伺う。覗き込んで来た目の中に目を丸くした俺の姿が映り込んでいた。

「あ……ああ、わりぃ……、ちょっと寝不足みたいで……」

 倒してしまった椅子をよろよろと元に戻し、座り直すと少し頭がクラクラした。

「大丈夫……、平気だから……」
「それなら良いんだけど……」

 それ以上は追求せず、再びシナリオに視線を落とす荒太。静まり返ってしまった病室に流れる空気は重い。荒太も気付いてはいるようだった。だが、静かにページを捲り続ける。まるで俺から話し出すのを待っているように。
 ――だが、そんな事出来る訳が無い。大丈夫な訳が無かった。俺と荒太が2人きりであの部室にいたんじゃない。今こうして2人で時間を過ごしているとしても、そこには足りない物が多すぎる。――あの場所には先輩も居たんだ。

 俺と荒太と先輩と、3人で下らない話をして、下らない映画を見て、ああだこうだと言い合って――、

「…………」

 やはり、あの時の光景が重なって見えた。
 黙ってページを捲り続ける荒太と、答えられずに居る俺。

「……笠井先輩と、何かあった訳じゃないから、安心しろ」

 俺は知っていた。こいつが――、荒太が先輩に惹かれている事を。そして、それが叶わないであろう事も。思えば歪な関係だったんだろう。いつ崩れてもおかしくない、歪な関係だった。だけど、俺たちは確かにあの時同じ場所にいて。同じ物を見ていた。

「――俺と先輩は、そう言う関係じゃねぇから……」

 ただ、一本の映画を作り上げていく景色を。
 微妙なバランスの上で、俺たちは揺れながらもあの映画を撮っていたんだ。

 それを成り立たせていたのはあの映画で、その為にならばと互いに胸の内は明かさず、荒太と先輩は映画を撮る為に、俺は2人が映画を撮る為に。ただ、その為だけに俺達はあの時を誤摩化して過ごした。
 きっとずっと、気付いていたであろう事には触れず、ただ黙って。気付かない振りをして――。

「……気を使わなくたって良いって」

 荒太は言った。

「お前と先輩が上手く行ってるなら、俺はそれが嬉しいよ」

 隠しきれていない笑顔で、また告げた。

「だからさ、デートでも何でもしてこいよ? な?」

 いつのように子供のような無邪気さで笑い、俺の背中を押す。
 そんなつまんない顔してないで外に行こうぜ、と。面白い事はいっぱい転がってんだぜ? と。

 白い病室で一人シナリオを手に微笑む荒太は今にも掻き消されてしまいそうだった。
 ここでこうして話している事すら幻で、言葉を発すれば――何かを変えてしまおうとすればそのまま白い背景に溶け消えてしまうんじゃないかと思える程に淡く、弱々しかった。

「……なぁ、荒太……」

 俺の言葉がこいつを追い込んだんだろうか?
 俺の言葉が、先輩を殺しんだろうか……?

 もしもこのとき俺が手を引いていれば、荒太と先輩と付き合っていたならば、あんな事故は起こらずに済んだんだろうか……?
 何食わぬ顔で首を傾げ、「なんだい?」と尋ねる姿に胸が締め付けられる。――自然と顔が歪む。

「……俺は……、俺は……っ……、」
「――ん?」


 教えてくれ、俺はどうすればお前を、先輩を失わずに済んだんだ――?


 尋ねた所で何も戻っては来ない。何も変わりはしない。分かっているからこそ、言葉が紡げない。目の前のこの光景を失う事が怖くて、何も言えない――。 

「―――――…………、」

 静かな沈黙が病室に訪れ、廊下を誰かがパタパタと走っていくのが聞こえる。

「……すまない」

 きっと俺たちはもう、元の関係には戻れないんだろう。そんなこととっくの昔に分かっていた事なのに。戻れない事をとっくの昔に受け入れて諦めていたはずなのに――、どうして今になって俺は足掻いているんだろう……?

「気にすんなよ、荒太っ?」

 俯き、黙り込む俺に荒太は笑う。

「ンなもんは早いもん勝ちだって言うだろ?」


 ――嘘が下手なんだよ、バカ。


 そのとき俺は、どんな顔をしていたんだろう……?
 出来れば、目の前のそいつよりも嘘が上手く有って欲しいと願った。

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