追憶

土岐鉄

文字の大きさ
上 下
4 / 12

***** 4 *****

しおりを挟む
 「通崎、貴己」
 幾分かためらいを含んだ呼びかけにふりかえると、忘れようにも忘れられない顔があった。
 貴己は案外冷静な自分を他人事のように感じながら青年を見た。
 青年は怒っているのか迷っているのか、それよりも悲しんでいるのか判別しがたい複雑な面持ちをしている。
 「俺に見覚えがあるだろう」
 「御角さんですね。先日、秋岡さんの会食でお会いした」
 「違う」
 令一はかぶりを振って苛立たしげに貴己につめよった。
 「その目だ。その顔も……忘れるわけがなかったんだ。あんた、たかみさんなんだろう。三羽のおじさんのところの」
 「どなたかと間違われているようですね」
 貴己が少し目を細めて見ると、令一はきついまなじりにわずかに躊躇をただよわせて、それでもさらに歩を詰めて見あげてきた。
 「間違うわけがない。なんで昔は女の恰好をさせられてたのか知らないけど、雰囲気は全然変わってないからな。なあ、こんなところでなにやってるんだよ。なんで……なんで凌の葬式にもでなかったんだ。あいつはあんたに会いたがってたのに」
 最後は吐きすてるような口調をぶつけられて、貴己はただ沈黙した。
 答えられる言葉はひとつもなく、首を傾けた額にさらさらと髪が流れおちる。
 令一はしばらく真意を探るように黒い瞳を睨んでいたが、やがて耐えられず顔を伏せて唇を噛んだ。
 その繊細な造作の目鼻だちをひとつひとつながめて、貴己は遠い面影と重ね、やはり二人は双子のようによく似ていると思った。
 令一ほど勝気なところはなく読書ばかりを好んだおっとりした少年の、はにかんで笑う姿やぽつぽつと所在なく交わした言葉が蘇ってきて、そういえば彼もしばらく自分を少女と誤解していたことを思いおこす。
 今はもう懐かしいばかりのつたない自分たちを。
 「申し訳ありませんが人違いと思います。俺は通崎貴己以外の人間だったことはありませんので。これから稽古があります。どうぞおひきとりください」
 大きくもなくむしろ静かな口調だったが、ともなう強制力が令一の反論を押さえこんだ。
 青年は懐疑と失意を滲ませた一瞥を向け、やがて言葉もなくきびすをかえす。
 その背中は頼りなかったが、貴己が声をかけることはなく、初めから通崎貴己だったという自らの言に意外なまでの苦々しさを感じたことの方に少しショックを受けていた。
 通崎の人間である以外の立場が自分にないことはわかっていたが、たんに通崎という家の五代目を埋めるための意味しか持たないこともよく理解している。
 結局自分を一番必要としていないのは自分自身で、それならばいっそ令一に事実を告白してもよかったはずだ。
それでも今なお律儀に三羽の命令に沿って沈黙を守っているのは義理堅いのでもなんでもなく、憎悪とか嫌悪という一種人間らしい豊かな感情を三羽に持ち続けているということだろうか。
 周囲の思惑や変化に対して喜怒哀楽を示すことの無意味さを早々に悟った自分をかわいげのない子供だと蔑んだ大人へこそ、そんなふうに情を傾けている皮肉さを貴己は密かに自嘲した。
 今さらこんなことを考えるのも、ほとんど十年ぶりに令一に会ったからで、彼に連なる懐かしさと共に封じておきたかった澱んだ過去もまたどろりと流れだしたのを感じていた。
 「貴己」
 呼ばれてふりかえると、和装の老人が険しい顔つきで玄関からでてくるところだった。
 「表で騒ぐのはやめなさい、見苦しい。家のなかまで声が聞こえていた」
 「申し訳ありません、お父さん」
 「誰だったんだ」
 「先日、秋岡さんの食事会でお会いした人です。少し誤解があっただけでなにも問題ありません」
 老人は令一の去った方へ目をやったが、それ以上は言及しなかった。
 「早く準備を整えなさい。もうすぐお弟子さんが来る」
 はい、と返事をする貴己を残して家へ戻っていく彼の表情が、いつもの気難しさに加えて鬱とした暗さを含んでいるのを青年は気づかず、冷えたまなざしをわずかに向けただけだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

手作りが食べられない男の子の話

こじらせた処女
BL
昔料理に媚薬を仕込まれ犯された経験から、コンビニ弁当などの封のしてあるご飯しか食べられなくなった高校生の話

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

俺の彼氏は俺の親友の事が好きらしい

15
BL
「だから、もういいよ」 俺とお前の約束。

オレに触らないでくれ

mahiro
BL
見た目は可愛くて綺麗なのに動作が男っぽい、宮永煌成(みやなが こうせい)という男に一目惚れした。 見た目に反して声は低いし、細い手足なのかと思いきや筋肉がしっかりとついていた。 宮永の側には幼なじみだという宗方大雅(むなかた たいが)という男が常におり、第三者が近寄りがたい雰囲気が漂っていた。 高校に入学して環境が変わってもそれは変わらなくて。 『漫画みたいな恋がしたい!』という執筆中の作品の登場人物目線のお話です。所々リンクするところが出てくると思います。

処理中です...