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御角の父親は主にヨーロッパからの輸入家具を扱っていて、都内にインテリアショップも展開している。
御角は幼いころから洗練されたそれらを見て育っただけに審美眼は人並み以上に優れており、その自覚もある。
だからこそ父親の会社《サラフィン》に入りたいと言ったとき、それまで一度も息子に後を継がせるような意味合いのことなど口にしなかった父親が、さしたる苦言もなく了承したのかもしれない。
しかし、それからというもの雑用ともいうべきこまごました仕事を言いつけられるようになり、御角としては大学を卒業するまでは家業に関わらないつもりでいたので少し不満ではあった。
サラフィンで扱う品が高価なために客筋も自然しぼられ、そういった階層では社交を深める食事会やパーティーが頻繁に行われるが、御角はそれらに顔だしさせられることが特に多いのだった。
早いうちから顧客に顔を覚えてもらうようにという父親の配慮かもしれないが、一筋縄ではいかない年配ばかりの集まりは進んで参加したいものではない。
しかし、あいにくその日の夜父親に命じられたのも得意客が開く立食パーティーで、ごく内輪な催しなので気軽に、と言われていてももちろん鵜呑みにはできず一応正装して出向いた。
貿易業を営んでいる招待主の家は白壁と煉瓦造りの豪邸で、その一角だけ日本ではないような雰囲気が漂っている。
「お招きいただきありがとうございます」
自分が明るく整った人好きする造作をしていると自覚のある御角は、最近身についてしまった営業用の笑顔で礼を言った。
夫同様に騒ぎ好きのホスト秋岡夫人は一目見て御角を気にいったらしく、瞳を輝かせて出迎えた。
「よくいらっしゃったわ、御角社長の息子さんね。今夜は若い方が多くて嬉しいこと」
上機嫌な彼女についてなかへ入るとすでに先客が何人もあり、それぞれに食事と会話を楽しんでいる。
堅苦しい場でないことに安堵して、御角は一通り挨拶を済ませるとグラスのシャンパンだけを口にして壁際へ寄った。
いつも仏頂面の父親がこんな場所でにこやかに微笑んでいるのかと思うとおかしかった。
しばらく壁にもたれて周囲をながめていると、秋岡夫人が新たに来た客人を相手に熱心に話しかけていた。
夫人のはしゃいだ様子とは対照的に、笑うでもなく表情の変わらない青年は時折かすかにうなずくだけであまり関心がないようにみえる。
自分と同じような立場なのだろうかと御角が同情を感じていると、秋岡夫人がくるりとこちらを向いて手招きしてきた。
「令一さん、こちらへいらっしゃいな。あなたと同じようなお年だから話が合うんじゃないかしら」
御角が応じると夫人の隣の青年は、じ、と目を向けて凝視するような強さで見た。
御角は居心地の悪さを感じながら浅く礼をする。
「御角令一です、初めまして」
「通崎です」
ひどくそっけない自己紹介に、しかし御角ははっとして顔をあげた。
「通崎というのは茶道の」
「……ええ、先日父がお世話になったそうですね」
変わらず淡白な調子で通崎が答えたとき、秋岡夫人は手を合わせて嬉しそうに言った。
「まあ、お知り合いだったなんて素敵な偶然ね。お邪魔はしませんからお二人で話していらしてね」
友人とでも言いかねない押しつけがましい推測をして気を利かせたつもりの夫人は、二人を残して行ってしまった。
「誤解されてしまったみたいですね」
御角は夫人の早合点に苦笑したが通崎は気にするふうもなく、そんな顔を見ていて不意に記憶のどこかを刺激されたように思った。
あの日、通崎邸をでたときに見た異様な表情で佇んでいた男かと気づいたのも一瞬のことで、それより奥底で通崎のいまどき珍しいほどの真黒い髪や、長身で男っぽくありながらふと性別を失わせるような端正さが、強く既視感を揺さぶったのだった。
普段考えないようにしていた、というより思考にものぼらせない人物とそれはあまりに近しい過去だった。
しかし、通崎という名はいくら考えても先日初めて耳にしたもので、記憶にはそぐわない。
「先日お邪魔したときに少しだけ通崎さんを拝見しました。着物姿だったので今の今まで気づきませんでした」
御角がそろりと話題をもちだすと、通崎はあのときの異様さとは別人のように表情はわずかも動かなかった。
「あの日は稽古がありましたので」
言って目を逸らした横顔はやはり整っていて、御角は心臓に痛みとも高鳴りともつかない動悸を覚える。
「あなたが教えているんですか」
「父は最近身体の具合がおもわしくないので代理です」
あの日相手をした通崎老人が青年の父親なのかと気づいて、御角は意外さを隠せなかった。
かくしゃくとしてはいたものの、七十歳は過ぎているように見えたからだ。
御角の沈黙を解したのか、通崎は目をわずかに細めることで唯一表情らしい表情をつくった。
「俺が二十五なので、父が四十八のときの子供ということになりますね。実際姉とも十八歳離れていますし、少し奇異に感じられるかもしれません」
「いえ、そういうつもりでは」
御角は慌てたが、通崎は機嫌を損ねたふうでもなく、会話そのものにほとんど関心がないらしかった。
初めに御角を見た視線の強さは跡形もなくぬぐいさられている。
今はただ、とりとめのないまなざしが時折かすめるだけだ。
その瞳の暗さを御角はすいよせられるように見て、また動悸が速まるのを感じた。
ゆるやかなまばたきのたびに濡れて真黒く光る虹彩はどこまでも硬質な印象だった。
続ける話題もないまま、あの、と言いかけたが、少し離れたところから通崎を呼ぶ声がして言葉をのみこむ。
呼んだのは知りあいの客人らしかったが、通崎はひどく緩慢にちらりと目をやり、それでも無視することなく御角をおきざりにしてそちらへ行ってしまった。
御角は内心の落胆を隠しきれず、後姿を目で追いながらグラスに残った酒を煽り、なにをそんなに惜しんでいるのか自分でもわからなくなった。
通崎という男に一度に気をもっていかれた自覚はある。
なんとも独特で不思議な印象の人物だと思ったが、浮世離れしているというにはあたらなかった。
それは初めにみせた、鋭さに過ぎるまなざしのせいかもしれない。
茶人などという特殊な職にあるためか、彼がスーツを着て会社に勤めている姿もなんとなく想像しにくかった。
見知らぬ男と話をしている通崎から目を逸らせずにいると、すぐそばにいた二人の客もまた彼を見ていた。
「珍しいな、通崎の若先生が来てる」
「あの爺さんの息子? それにしちゃえらく若いな。名前なんていったっけ」
「確か貴己、だったかな」
たかみと聞いて御角は思わずふりかえってしまった。
会話を聞かれていたのに気づいた二人連れの客は怪訝な顔をしてどちらともなくその場を離れていったが、御角は立ちつくしたまま、たかみ、とつぶやいた。
完全に忘れたと思っていた感情が、その名と共に急激に噴きあげてくるのを鮮明に感じた。
幼いころいだき続けた嫉妬や嫌悪、裏切りへの怒りを。
御角は幼いころから洗練されたそれらを見て育っただけに審美眼は人並み以上に優れており、その自覚もある。
だからこそ父親の会社《サラフィン》に入りたいと言ったとき、それまで一度も息子に後を継がせるような意味合いのことなど口にしなかった父親が、さしたる苦言もなく了承したのかもしれない。
しかし、それからというもの雑用ともいうべきこまごました仕事を言いつけられるようになり、御角としては大学を卒業するまでは家業に関わらないつもりでいたので少し不満ではあった。
サラフィンで扱う品が高価なために客筋も自然しぼられ、そういった階層では社交を深める食事会やパーティーが頻繁に行われるが、御角はそれらに顔だしさせられることが特に多いのだった。
早いうちから顧客に顔を覚えてもらうようにという父親の配慮かもしれないが、一筋縄ではいかない年配ばかりの集まりは進んで参加したいものではない。
しかし、あいにくその日の夜父親に命じられたのも得意客が開く立食パーティーで、ごく内輪な催しなので気軽に、と言われていてももちろん鵜呑みにはできず一応正装して出向いた。
貿易業を営んでいる招待主の家は白壁と煉瓦造りの豪邸で、その一角だけ日本ではないような雰囲気が漂っている。
「お招きいただきありがとうございます」
自分が明るく整った人好きする造作をしていると自覚のある御角は、最近身についてしまった営業用の笑顔で礼を言った。
夫同様に騒ぎ好きのホスト秋岡夫人は一目見て御角を気にいったらしく、瞳を輝かせて出迎えた。
「よくいらっしゃったわ、御角社長の息子さんね。今夜は若い方が多くて嬉しいこと」
上機嫌な彼女についてなかへ入るとすでに先客が何人もあり、それぞれに食事と会話を楽しんでいる。
堅苦しい場でないことに安堵して、御角は一通り挨拶を済ませるとグラスのシャンパンだけを口にして壁際へ寄った。
いつも仏頂面の父親がこんな場所でにこやかに微笑んでいるのかと思うとおかしかった。
しばらく壁にもたれて周囲をながめていると、秋岡夫人が新たに来た客人を相手に熱心に話しかけていた。
夫人のはしゃいだ様子とは対照的に、笑うでもなく表情の変わらない青年は時折かすかにうなずくだけであまり関心がないようにみえる。
自分と同じような立場なのだろうかと御角が同情を感じていると、秋岡夫人がくるりとこちらを向いて手招きしてきた。
「令一さん、こちらへいらっしゃいな。あなたと同じようなお年だから話が合うんじゃないかしら」
御角が応じると夫人の隣の青年は、じ、と目を向けて凝視するような強さで見た。
御角は居心地の悪さを感じながら浅く礼をする。
「御角令一です、初めまして」
「通崎です」
ひどくそっけない自己紹介に、しかし御角ははっとして顔をあげた。
「通崎というのは茶道の」
「……ええ、先日父がお世話になったそうですね」
変わらず淡白な調子で通崎が答えたとき、秋岡夫人は手を合わせて嬉しそうに言った。
「まあ、お知り合いだったなんて素敵な偶然ね。お邪魔はしませんからお二人で話していらしてね」
友人とでも言いかねない押しつけがましい推測をして気を利かせたつもりの夫人は、二人を残して行ってしまった。
「誤解されてしまったみたいですね」
御角は夫人の早合点に苦笑したが通崎は気にするふうもなく、そんな顔を見ていて不意に記憶のどこかを刺激されたように思った。
あの日、通崎邸をでたときに見た異様な表情で佇んでいた男かと気づいたのも一瞬のことで、それより奥底で通崎のいまどき珍しいほどの真黒い髪や、長身で男っぽくありながらふと性別を失わせるような端正さが、強く既視感を揺さぶったのだった。
普段考えないようにしていた、というより思考にものぼらせない人物とそれはあまりに近しい過去だった。
しかし、通崎という名はいくら考えても先日初めて耳にしたもので、記憶にはそぐわない。
「先日お邪魔したときに少しだけ通崎さんを拝見しました。着物姿だったので今の今まで気づきませんでした」
御角がそろりと話題をもちだすと、通崎はあのときの異様さとは別人のように表情はわずかも動かなかった。
「あの日は稽古がありましたので」
言って目を逸らした横顔はやはり整っていて、御角は心臓に痛みとも高鳴りともつかない動悸を覚える。
「あなたが教えているんですか」
「父は最近身体の具合がおもわしくないので代理です」
あの日相手をした通崎老人が青年の父親なのかと気づいて、御角は意外さを隠せなかった。
かくしゃくとしてはいたものの、七十歳は過ぎているように見えたからだ。
御角の沈黙を解したのか、通崎は目をわずかに細めることで唯一表情らしい表情をつくった。
「俺が二十五なので、父が四十八のときの子供ということになりますね。実際姉とも十八歳離れていますし、少し奇異に感じられるかもしれません」
「いえ、そういうつもりでは」
御角は慌てたが、通崎は機嫌を損ねたふうでもなく、会話そのものにほとんど関心がないらしかった。
初めに御角を見た視線の強さは跡形もなくぬぐいさられている。
今はただ、とりとめのないまなざしが時折かすめるだけだ。
その瞳の暗さを御角はすいよせられるように見て、また動悸が速まるのを感じた。
ゆるやかなまばたきのたびに濡れて真黒く光る虹彩はどこまでも硬質な印象だった。
続ける話題もないまま、あの、と言いかけたが、少し離れたところから通崎を呼ぶ声がして言葉をのみこむ。
呼んだのは知りあいの客人らしかったが、通崎はひどく緩慢にちらりと目をやり、それでも無視することなく御角をおきざりにしてそちらへ行ってしまった。
御角は内心の落胆を隠しきれず、後姿を目で追いながらグラスに残った酒を煽り、なにをそんなに惜しんでいるのか自分でもわからなくなった。
通崎という男に一度に気をもっていかれた自覚はある。
なんとも独特で不思議な印象の人物だと思ったが、浮世離れしているというにはあたらなかった。
それは初めにみせた、鋭さに過ぎるまなざしのせいかもしれない。
茶人などという特殊な職にあるためか、彼がスーツを着て会社に勤めている姿もなんとなく想像しにくかった。
見知らぬ男と話をしている通崎から目を逸らせずにいると、すぐそばにいた二人の客もまた彼を見ていた。
「珍しいな、通崎の若先生が来てる」
「あの爺さんの息子? それにしちゃえらく若いな。名前なんていったっけ」
「確か貴己、だったかな」
たかみと聞いて御角は思わずふりかえってしまった。
会話を聞かれていたのに気づいた二人連れの客は怪訝な顔をしてどちらともなくその場を離れていったが、御角は立ちつくしたまま、たかみ、とつぶやいた。
完全に忘れたと思っていた感情が、その名と共に急激に噴きあげてくるのを鮮明に感じた。
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