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四年目 ~春の訪れ 新婚の二人~
『次は』
しおりを挟む夜になり、屋敷はすっかり静まりかえっていた。
いつもならこの時間はまだ侯爵家の皆が寛げるよう采配をしている使用人や片づけをしている者などがいるはずなのに。
呼ばなければ誰も来ないだろうと思われるほど廊下は静かだった。
言い含めてあるという手紙の通り邪魔をしないように配慮されているのだろう。
灯りを落とした部屋で、ベッドに座りぼんやりと宙を眺める。
侯爵様はどちらでもいいと言った。
俺たち二人に任せると。
クリスティーヌ様は何を思っているだろうか。
俺は――。
……ここで悩んでいてもしょうがない。
ベッドから降り扉を開く。
「きゃっ」
「クリスティーヌ、様」
扉を開けた体勢のまま固まった。
そこには柔らかな夜着に身を包み目を丸くしているクリスティーヌ様の姿。
慌てて声を掛ける。
「すみません! お怪我はありませんか?」
当たった感覚はなかったが、ぶつけてないか確認する。
「大丈夫よ、取っ手を掴もうとしたら開いたから驚いただけ」
大丈夫との言葉を受けてほっと息を吐くと、クリスティーヌ様の瞳が俺を捉えた。
「部屋に入ってもいい……?」
「はい……」
明かりを落としていた部屋は暗い。
けれど外からの光だけでもお互いの表情を見つめるのに苦労はしなかった。
明かりを点けようとした俺をクリスティーヌ様の手が押し止める。
「今日は……、ここにいてもいい?」
月明かりに照らされる中、薄闇に深みを増した紫の瞳が俺を見つめる。
薄闇の中でもクリスティーヌ様の頬が色づいているのがわかる。
この言葉を告げるのにどれだけ勇気を振り絞ったのか。
言わせてしまった不甲斐なさを胸に収めクリスティーヌ様を抱き寄せる。
緊張にか不安にか、触れた肩はわずかに強張っていた。
「正直に言うと、俺はまだ迷ってます。
関係を先に進めていいのか、後悔することにはならないか」
腕の中のクリスティーヌ様が微かに肩を揺らす。
抱きしめる力を強め、拒否ではないと伝える。
誤解を与える言葉であると承知で思いを明かすのは、全部知っていてほしいという我儘だ。
「けれど、迷っているのはいつも思考の部分なんです」
クリスティーヌ様が意味を問うように顔を上げ、俺を見つめる。
負担にならないか、周りはどう考えるか、万が一卒業に影響を与えることになったらどうしようか、なんてデメリットばかり考えて迷う。
そういうものを取っ払って浮かぶ想いはどちらなのか。
答えは一つだった。
「俺は、あなたに触れたいと感じている」
「アラン……」
迷いが消えた訳ではないけれど。それでも心が訴える。
「許して、くれますか?」
迷いごと打ち明けそれでも触れたいと願う。
「お母様が手紙で言っていたの。 心が一緒なら、なるようになるからって。
お互いを見つめて相手を尊重していれば大丈夫よって……、私もそう思うわ」
クリスティーヌ様の手が俺の背に回る。
「言葉で決めることはないわ。
触れ合って躊躇うなら止めればいい」
クリスティーヌ様はそう言うけれど、その通りにできるとは言えない。
「止められないかもしれませんよ?」
こういう時の男の理性なんて信用に値しないと数多の書物が言っている。
無理強いすることになれば俺は俺を許せなくなりそうだ。
「アラン……」
背に回された腕が、俺を許すように抱き寄せる。
耳元に唇を寄せ、知ってた?とクリスティーヌ様が囁く。
「私は、止めてほしいなんて思ってないのよ?」
そう言って浮かべた微笑みは、全てを許す慈母のようにも、美しい声で人を誘い水底深くに引き込み離さない妖魔のようにも見えた。
「……っ、クリスティーヌ」
もう何も言わないでとクリスティーヌ様の指が俺の唇に触れる。
指が横に引かれ唇をなぞられる感触にぞわりと何かが走った。
背に回した手で身体を支え、ゆっくりとベッドに押し倒す。
止める気はないと言っていた通り、何の抵抗もなく仰向けに倒れた。
顔の横に手を付き、見下ろす紫色に懇願の言葉を吐く。
「クリスティーヌ……、この夜俺がどんなことをしても嫌わないでくれますか?」
情けなくもそんな願いを口にしてしまう。
ふふっと吐息のような笑いを零し、クリスティーヌが俺を見上げる。
「嫌うわけないわ。
……もっと好きになる予感がしてる」
「こんなに情けない俺でも?」
そんな問いを向けると、彼女の笑みが深くなる。
「アランを情けないなんて思ったことない。
どんな姿も愛おしいの」
そう言って蕩けるような笑みを浮かべたクリスティーヌが手を伸ばす。
俺の頬へ伸ばされた手を取り、手首へ口づける。
ほんのわずか詰めるように息を吐いた彼女へ微笑み、指を絡めた。
「もし不満があったら言ってください」
不安ではなく不満と言った俺にクリスティーヌが目を瞬く。
「『次は』善処しますから」
俺の落とした言葉に頬がじわじわと染まっていく。
――止めるつもりなんてないと言った声に虚勢が混じっていたのを知っている。
望んでいても、お互いに求めていても、未知への恐れがないわけがない。
熱を持った頬をゆるやかな動きで撫で、安心を誘う。
緊張や不安が少しでも解けるようにと、ゆっくりと。
微かに震える肩に気づいていても、もう止められない。
だから震えが止まるまで幾度も愛を囁き、甘やかな触れ合いを贈る――。
頬に口づけを落とし、耳元に寄せた唇から愛の言葉を囁く。
とろりと溶けた視線が向けられるようになる頃――。
俺は理性というものの脆さを実感することとなった。
この夜に何があったのか――。
それは二人の秘密だが――。
ただ嫌われることはなかったと言っておこう。
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