白と佐知

桧山 紗綺

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怪しげな村

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「何か申し開きすることはあるか」
  反論を許さないような声で言われたら大概の人間は黙ってしまうのではないかと思ったが、佐知は慣れていたので特に恐れた様子もなく言葉を紡ぐ。
 「だって、あそこまで言われたら断りづらいじゃない」
  答えると怒気が膨らんだ。
 「しつこすぎる奴は、なにか企んでいるに決まっている。
  今からでもこの村を出たほうがいい」
 「そんな! いきなりいなくなったら心配させるでしょう」
 「心配したところで三日もすれば忘れる」
  白は頑として譲ろうとしない。
 「ねえ、どうしてそんなに嫌がるの?」
 「この村からは嫌な臭いがする」
  白は簡潔に自分の感じたものについて伝える。
 「嫌な臭い…。 どんな?」
 「血や泥の混じった臭いだな。 落ち武者狩りでもやってるんじゃないか」
  何年も戦が続いている。ここは戦場からは少し離れているが、戦場から逃げてきた雑兵や落ち武者が逃げて来ることもあるだろう。
  そうした者たちに略奪を受けることもあれば、村民たちが兵から奪うこともある。荒れた時代に起こる現実に、佐知は眉をひそめる。
 「私たちからも奪おうとしてると思うの?」
  白の強さを知っている身からは理解しがたい。
 「でなければ、あそこまでしつこくする理由が見つからない」
 「でも白の力を見て、そんな気起こすかな」
  母子は昼間、白の力の片鱗を見たはずだ。
  あんな力を持った者相手に盗みを働こうなんて自殺行為でしかない。
 「知るか。 人間というのは愚かなものだからな」
  白はちらりと佐知を見る。その視線で佐知にも白の考えたことがわかった。
  佐知を人質に取れば白が動けない。そう考える人も時々いる。実際には佐知がいようがいまいが、白が負けることなんてありえないが。
 「じゃあ、用意された家には泊まらない。
  だから村から出るのは、明日にしよう?」
  白の懸念もわかるが、想像の域を出ないので黙って出るのは躊躇われた。
  また少し怒気が上がったが、佐知が譲ったことで一応納得したようだ。


 「ねえ、白」
  村にいるのに野宿というおかしな状態も一緒にいると気にならない。
  空気が澄んで星がよく見える。寒さも白といれば無縁のものだ。
  白の腕の中で佐知は昔語りをせがむ。
 「また聞かせてくれる? 佐夜さやさんの話」
  白は少し眉を寄せたが、嫌とは言わない。
  空を見上げて話し出す白の声を聞き、一瞬瞼を閉じる。
  目の奥で遠い昔の情景が浮かんだ。
 「あれはまだ俺が若造の頃、猟師の作った獣用の罠に掛かって傷を負った。
  罠は壊したが傷は治らず、身体を引きずりながら山の中へ逃げ、傷が治癒するのを待っていた。 するとひとりの女が俺の隠れている岩場までやってきて、こう言った」
 『あなたが猪用の罠に掛かったお方?』
 「獣用の罠に引っ掛かったなど腹立たしいばかりだったから俺は無視をした」
  何百年も昔のことなのに白の口調は忌々しそうだ。そんなに悔しいものだろうか。
 「女は警戒もせずに俺に近づいて、とんでもないことを言った」
 『あなたが罠を壊したせいで、また作り直さなければならないわ。
  責任取ってちょうだい』
 「傷がなかなか治らなかったこともあって、俺はいらついていた。
  その罠のせいだと思えば、こんな生意気な女など腹いせに殺してしまおうかと、そう思った。 だが、そんなことをすれば傷も治ってないうちに、また休む場所を変えなければならない。 それも面倒だった俺は女に消えろ、とだけ言った。 女は俺の傷に気がついたようで、手を伸ばして傷に触れた」
 『怪我をしているの? だったら私が治してあげる』
 「あまりに自然な動きだったので俺は動けなかった。
  そうしていると女が触れたところから痛みが引いてきた。
  目をやるともう傷が無い。 女が治癒の力を用いて、俺を治したことはわかった。
  だが何故なのか、俺は混乱した。
  人間は妖を畏れ、妖は人間を厭うものだ、俺はそう思っていた」
  だが女は違っていた。そう語る白は、在りし日を思い出し遠い目をしている。
  佐知は白の思い出を聞きながら、ずっと白の顔を見ていた。
  遠い昔の大切な片恋。佐夜さんの話をしているときの白は優しい顔をしている。
 「女に興味を持って、俺はしばらく女を観察することにした。
  女は嫌がりもせず、俺を住まわせて色々なことを手伝わせた」
 「罠を作るのを手伝ったり?」
 「ああ、それもやらされたな。 何を頼むのも物怖じしない奴だった」
  白は長くその土地に住んだ。佐夜さんが死んでも、ずっと。
  …私がそこを出るまで。
  佐夜さんを語る白の目には思慕が宿り、遠い昔になくした人をいまだ想っていることが知れる。佐知はその顔が好きで、…胸が痛くなる。
 「女は嫁ぎ、子供を産んで死んだ。 今際にその土地を守ってほしいと言い残して」
 『山深く、獣に怯える土地。 そこに住まうみんなを守ってほしいの。
  あなたの力なら、できるでしょう?』
 「最後の頼みだと、そう言って女は死んだ」
 「佐夜さんがいなくなってからもずっと、守ってたんだよね。 …長かった?」
 「長く感じたときもある…。 だが、過ぎればあっという間だ」
  佐知の知ることのできない、長い、長い時間。
  亡くしてからもずっと守りつづけた約束。
  もう届かない恋心。
  そうとわかっていて、なお慕い続ける一途さ。
  それらも含めた白の全てが、佐知は好きだった。
 「人の生きる時は短い。 わかっているくせに生き急ぐ」
  白の顔は寂しげで、自分で聞きたがったのにちくり、と胸が痛い。
  腕の中にいても、白の想いは遠い過去に向けられている。
  知っているのに、悲しい。胸が痛い。
  ――それでも、普段は見せない瞳が好き。
  佐夜さんを思い出す寂しそうな横顔が好き。
  優しく、悲しい、思慕が好き。
  自虐的な恋をする、自分に笑ってしまう。
  白に身体を寄せる。寒がっていると思ったのか、白も佐知を包む腕を強くした。
  まったく意識なんてされない。子供の頃からこういった関係だ。佐知もいちいち顔を赤くしたりしない。
  白にとって佐知はまだ子供なのかもしれない。
  大切な人が残した子供……。そんな関係に近い気がする。
  さらに話を聞こうとした佐知は白が険しい顔をしていることに気がつく。
 「どうしたの? 白」
 「村が騒がしい」
  確かにもう夜も更けたのに村が明るい。まるで松明を持った人々が歩きまわっているように…。
  白の腕から出て、村の様子を確認すると、やはり村のあちこちで灯りが動いている。
 「だから言っただろう。 人に関わると、ろくな事にならないと」
  白が言ったように村人たちの様子は尋常なものではなかった。
  誰かを、おそらくは白と佐知を、探している。
  もれ聞こえる声は『逃げた』、『気がつかれた』などと言い合い、かなりの人数が捜索しているように見えた。
  ぎらついた目で歩きまわる姿は獲物を探す、野犬…。いや、その例えが犬に失礼なほど狂気に満ちた目をしている。
 「どうしようか? ここにいたら、見つかるかな」
  今は村の様子が見えるほどの距離にいる。山狩りをされたら、多分発見されるだろう。
  村人が山に入る前に、動くべきだろうかと佐知が考えていると、白が事も無げに言う。
 「さっさと山を越えてしまえばいい」
  夜の山だろうと白には恐れるものではない。しかし佐知は迷った。
  迷いを見透かしたように白が佐知の手を掴む。
 「この期に及んで状況を見たいなんて言うなよ」
  実際に危険が及んでいる今、それは許さないというように厳しい口調だった。
 『なぜ』『どうして』自分たちを探しているのか、それが知りたい。
  それを知れば何かが変わるかもしれないと思う反面、知ったところで過去は変わらないと思う。
  白は言うだろう。人が人を傷つけることに意味なんてない、と。
  それでも佐知は理由が知りたいと思っていた。
  村人の一人が目ざとく林の中にいる佐知たちに気づく。
 「まだ留まるというなら、お前が嫌う展開になるぞ」
  佐知が嫌がっても襲ってきたら村人を殺す。暗に白はそう言ったのだ。
 「…わかってる。 山に入ろう」
  さすがに佐知も村に留まることは諦めた。
  村の灯りから遠ざかりながら、佐知は状況を確認する。
  村人たちは松明の他には何も持っていなかった。
  ということは、生け捕りにするつもりだったのだろう。
  そこが不可解だ。強盗目的なら殺してしまったほうが早い。
  白が言っていたように落ち武者狩りをやっているのなら、獲物を生け捕りにするのは危険だとわかっているはず。
  佐知たちを生かしておく理由とは何だろう。
  脳裏には今まで見てきた様々な人々の行動が浮かぶ。
  その中から佐知は一番古い記憶を思い出す。生まれ育った土地で起きた、同じような光景を。
  武器を手に持ち、大勢で囲みながら、怯えたような表情で丸腰の子供を見ていた。
  あんな子供相手に何をそれほど恐れていたんだろう。
  今でもわからない。
  振り下ろされた切っ先が縁となって、佐知は白と出会い、村を出た。
  目的も行く先もない旅をいつまで続けられるんだろうか。
  いつまで、一緒にいられるんだろうか。
  黙って先を行く背中を見ていると、そんな想いがよぎってしまう。
  足を速めて白の隣に並ぶ。置いていかれてしまわないように。
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