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10-②
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「ジン……」
ロザリアの紫色の瞳が揺れる。
混乱と不安で、今何を言うべきなのかが分からない。
ただ彼はもうロザリアの傍に居てくれるつもりは無いのだということは分かった。
(ジンはもう、私の騎士ではない?)
信じた人に裏切られるのは、暗く深い穴に突き落とされるような気分なのだと初めて知った。
苦しくて、息が詰まる。
もう何も言えず、項垂れ肩を落としてしまったロザリアを、ジンは一体どんな顔で見ているのだろう。
想像すると怖くて、ロザリアはもう顔を上げられない。
うつむき黙り込んでしまったロザリアの上から、良く知っているのに知らないような、固い声がふる。
「…時間まで、待っていてくれ」
「じ、かん」
「…………」
ロザリアを殺すために時間が重要なのか。
それとも反王派の誰かが到着するのだろうか。
もしかすると、5年前と同じようなことをするつもりなのかもしれない。
だとすると薬漬けにされてもう判断も着かないような狂った男たちの中に、ロザリアを放り捨てるための準備の時間か。
「や…や、だっ…」
ロザリアは弱々しくかぶりを振った。
(怖い!)
5年前の記憶がはっきりと思い出されてしまって、全身から嫌な汗が噴き出した。
母の悲鳴。
殴られた時の鈍い音。
押しつけられた煙草で肉が焼かれる、あの匂い。
狂った男たちの笑い。
身体を擦りつけ下卑た台詞を耳元で囁き続ける、見知らぬ男の体温。
酷似しすぎたこの状況のせいで、まるで昨日のことのようにロザリアの感覚をあのころへと戻してしまう。
今度は見せつけられるだけでなく、実際にロザリアが拷問を受けるのだと諭しされてしまえば、血の気が引いて指先の感覚さえおぼつかない。
こういう時こそ王女らしく背筋を伸ばさなければならないのに。
だって自分はそういう立場の人間で、いつどうあっても俯いてはいけないのだ。
頭が悪くて難しい政務が出来なくて、だから笑って元気を分けることくらいしか出来ることがないから、それだけは無くさないようにしようと決めいていた。
だけどどうしても震えが、とまらない。
「ジ、ン…ジン!ジン!やだ、助けてっ…!」
いつだってロザリアに差し出してくれた力強くて優しい手を、今これほどまでに欲している。
けれど滲んだ視界で見上げたロザリアの目に映る彼の表情は冷たく凍ったまま。
ロザリアを救ってくれようというそぶりなんて、僅かにも見せてはくれない。
「っ……」
アメジストのような瞳から、大粒の涙がほろりとこぼれおちる。
うっすらと土埃の張った古い木床に落ちた涙は、そこへ点々と跡をつけた。
それにさえもジンは一切の反応をしない。
もう視線さえもロザリアに向けてくれず、明後日の方を向いて、凄く面倒くさそうに赤い髪をかきあげ、深い息を吐く。
「変な抵抗なんかしないで、大人しくしといてくれよ。頼むから」
そう言い捨てて、縄で縛られて動けないロザリアを残し、ジンと他の男たちは部屋を出て行ってしまう。
「………うそ」
扉が閉じられると、部屋の中はまた暗くなってしまった。
唯一の灯りは、やはり窓からさし入る月光くらいで、しかし室内を照らすには弱すぎる。
暗い世界に一人きりになれて、ロザリアは膝を抱えこんで小さくなる。
「っ……セイン…」
彼が来てくれないことなんて分かっている。
だって今頃セインは、床に伏せている。
どうやったって立ちあがるのさえ難しい体調のはずで、呼んだって彼が来てくれる可能性なんて1ミリもありはしない。
それでも無意識に、ロザリアは幼馴染の王子様の名前を何度も呟く。
-------5年前。
壊れてしまう寸前まで追い詰められたロザリアを救いあげてくれたのは、彼だから。
誘拐事件のあとはジンも、ミシャも、父でさえもロザリアに気を使って息が詰まるような毎日。
悪戯をしても苦笑されて、授業をエスケープしても仕方ないと許されて。
ひそひそと交わされる声の中身は、尾ひれをつけてひろまってしまったロザリアと母の受けた仕打ちの話。
いつもと違う周囲の反応。 王宮に蔓延する張りつめた緊張感。
母を亡くしたショックと悲しみに押しつぶされそうな状態なのに、ピリピリとした空気の中では声を上げて泣くことも憚られた。
24時間絶え間なく監視がつくことになってしまったから、隠れてこっそり落ち込むことさえ難しくて。
周りの大人たちが放つ息苦しさにも耐えられなくて、不安定なロザリアは壊れてしまいそうだった。
でもセインだけは、相変わらずロザリアを馬鹿だと言って、頭を小突いてきたのだ。
ロザリアを思いっきり怒らせたり、うっかり言い過ぎて泣かせたりと、心の中にたまった色々なものを吐き出させてくれた。
セインがああやって発散させてくれなければ、ロザリアは今のように奔放な性格のままでは絶対にいられてなかった。
(そう言えば、セインがことに意地悪になったのってあの頃からだったわ)
考えてみれば幼いころのセインはただ大人しくて無口な子だった。
わざわざ嫌なことを言うためにロザリアの居る所に足を向けてきたような覚えは無い。
今でこそすらすらと湯水のごとく溢れでてくるあの憎まれ口の最初は、ロザリアを元気づけるために始まったのだったのだ。
「助けて…」
もしかしてまた今回も救ってくれるのではと期待してしまうのは、浅はかな望みだろうか。
ロザリアの紫色の瞳が揺れる。
混乱と不安で、今何を言うべきなのかが分からない。
ただ彼はもうロザリアの傍に居てくれるつもりは無いのだということは分かった。
(ジンはもう、私の騎士ではない?)
信じた人に裏切られるのは、暗く深い穴に突き落とされるような気分なのだと初めて知った。
苦しくて、息が詰まる。
もう何も言えず、項垂れ肩を落としてしまったロザリアを、ジンは一体どんな顔で見ているのだろう。
想像すると怖くて、ロザリアはもう顔を上げられない。
うつむき黙り込んでしまったロザリアの上から、良く知っているのに知らないような、固い声がふる。
「…時間まで、待っていてくれ」
「じ、かん」
「…………」
ロザリアを殺すために時間が重要なのか。
それとも反王派の誰かが到着するのだろうか。
もしかすると、5年前と同じようなことをするつもりなのかもしれない。
だとすると薬漬けにされてもう判断も着かないような狂った男たちの中に、ロザリアを放り捨てるための準備の時間か。
「や…や、だっ…」
ロザリアは弱々しくかぶりを振った。
(怖い!)
5年前の記憶がはっきりと思い出されてしまって、全身から嫌な汗が噴き出した。
母の悲鳴。
殴られた時の鈍い音。
押しつけられた煙草で肉が焼かれる、あの匂い。
狂った男たちの笑い。
身体を擦りつけ下卑た台詞を耳元で囁き続ける、見知らぬ男の体温。
酷似しすぎたこの状況のせいで、まるで昨日のことのようにロザリアの感覚をあのころへと戻してしまう。
今度は見せつけられるだけでなく、実際にロザリアが拷問を受けるのだと諭しされてしまえば、血の気が引いて指先の感覚さえおぼつかない。
こういう時こそ王女らしく背筋を伸ばさなければならないのに。
だって自分はそういう立場の人間で、いつどうあっても俯いてはいけないのだ。
頭が悪くて難しい政務が出来なくて、だから笑って元気を分けることくらいしか出来ることがないから、それだけは無くさないようにしようと決めいていた。
だけどどうしても震えが、とまらない。
「ジ、ン…ジン!ジン!やだ、助けてっ…!」
いつだってロザリアに差し出してくれた力強くて優しい手を、今これほどまでに欲している。
けれど滲んだ視界で見上げたロザリアの目に映る彼の表情は冷たく凍ったまま。
ロザリアを救ってくれようというそぶりなんて、僅かにも見せてはくれない。
「っ……」
アメジストのような瞳から、大粒の涙がほろりとこぼれおちる。
うっすらと土埃の張った古い木床に落ちた涙は、そこへ点々と跡をつけた。
それにさえもジンは一切の反応をしない。
もう視線さえもロザリアに向けてくれず、明後日の方を向いて、凄く面倒くさそうに赤い髪をかきあげ、深い息を吐く。
「変な抵抗なんかしないで、大人しくしといてくれよ。頼むから」
そう言い捨てて、縄で縛られて動けないロザリアを残し、ジンと他の男たちは部屋を出て行ってしまう。
「………うそ」
扉が閉じられると、部屋の中はまた暗くなってしまった。
唯一の灯りは、やはり窓からさし入る月光くらいで、しかし室内を照らすには弱すぎる。
暗い世界に一人きりになれて、ロザリアは膝を抱えこんで小さくなる。
「っ……セイン…」
彼が来てくれないことなんて分かっている。
だって今頃セインは、床に伏せている。
どうやったって立ちあがるのさえ難しい体調のはずで、呼んだって彼が来てくれる可能性なんて1ミリもありはしない。
それでも無意識に、ロザリアは幼馴染の王子様の名前を何度も呟く。
-------5年前。
壊れてしまう寸前まで追い詰められたロザリアを救いあげてくれたのは、彼だから。
誘拐事件のあとはジンも、ミシャも、父でさえもロザリアに気を使って息が詰まるような毎日。
悪戯をしても苦笑されて、授業をエスケープしても仕方ないと許されて。
ひそひそと交わされる声の中身は、尾ひれをつけてひろまってしまったロザリアと母の受けた仕打ちの話。
いつもと違う周囲の反応。 王宮に蔓延する張りつめた緊張感。
母を亡くしたショックと悲しみに押しつぶされそうな状態なのに、ピリピリとした空気の中では声を上げて泣くことも憚られた。
24時間絶え間なく監視がつくことになってしまったから、隠れてこっそり落ち込むことさえ難しくて。
周りの大人たちが放つ息苦しさにも耐えられなくて、不安定なロザリアは壊れてしまいそうだった。
でもセインだけは、相変わらずロザリアを馬鹿だと言って、頭を小突いてきたのだ。
ロザリアを思いっきり怒らせたり、うっかり言い過ぎて泣かせたりと、心の中にたまった色々なものを吐き出させてくれた。
セインがああやって発散させてくれなければ、ロザリアは今のように奔放な性格のままでは絶対にいられてなかった。
(そう言えば、セインがことに意地悪になったのってあの頃からだったわ)
考えてみれば幼いころのセインはただ大人しくて無口な子だった。
わざわざ嫌なことを言うためにロザリアの居る所に足を向けてきたような覚えは無い。
今でこそすらすらと湯水のごとく溢れでてくるあの憎まれ口の最初は、ロザリアを元気づけるために始まったのだったのだ。
「助けて…」
もしかしてまた今回も救ってくれるのではと期待してしまうのは、浅はかな望みだろうか。
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