魔法のキスで花咲く恋を

おきょう

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 ネモフィラは頷くしかなかった。

 だってそれしか選択肢は赦されていないのだ。
 ここで逆らえば王も父も強硬手段で別れさせるしかなくなるだろう。
 何より自分はニコラウスにはもう好かれていない。
 迷惑にしかならない。

 だから、ただ素直に頷いたのに――――どれだけ待っても、ニコラウスからの返答がなかった。

「ニコラウス? いいな?」
「ニコラス様?」
「ニコラウス殿下?」

 しばらく沈黙していたニコラウスは、ゆっくりと正面のネモフィラへ視線をむけた。
 どきりとはねる心臓を感じながら見返すと、彼は眉を寄せておもむろに口を開く。

「ネモフィラは、それでいいのか? 私との婚約解消に同意するのか?」
「……それは……はい。仕方がありませんもの」

 いいはずがない。
 
 そう言えればよかった。

(でも、花が咲かないのに……言えるわけがないわ)

 好いてくれていない人を目の前にして、別れたくないですと喚くなんて。
 そんなの絶対に鬱陶しいだけだ。
 今よりさらに嫌われるようなことはしたくなかった。

「わたくしは、国王陛下と父の判断に従いますわ。も、もし……もしも可能でしたら、友人として今後も友好的なお付き合いを続けて頂ければ、幸いでございます」
「ふうん。そういう返しなんだ」

 にっこりと口端をあげたニコラウスの笑顔に、背筋が震えた。

(怒ってる。どうして……?)

 どうしてだか分からないけれど、これまでネモフィラが見たことがない怒りようだ。
 冷めた硬い声と厳しい目が、ネモフィラを突き刺してくる。
 これはもう完全に嫌われた。
 せめて友好的な関係のままの婚約を解消したかったのに、嫌われた。
 絶望的な気分だった。

(だ、だって、わたくしとの婚約解消はニコラウス様の将来にとって絶対に必要なことなのよ)
 
 国王となるべき彼が、いつまでも感情を誰にでも見える形にしておいていいはずがない。
 このままでは彼の次期国王という立場さえ揺らいでしまう。
 せめてネモフィラをまだ好いてくれていたのだったら違う返しも出来たのだろうが、花が咲かないのだから意味をなさない。

 
(……)

 彼にとって。
 国にとって。
 この判断が一番いいことのはずなのに。

 どうして、不機嫌になられるのか分からない。
 せめて笑顔でお別れしたいと言う願いさえ、叶えられないのだろうか。

(だめ……)

 目の奥が熱くなってくる。
 このままではみっともなく泣いてしまう。
 
「はぁ、ネモフィラは、政略結婚だから私と一緒にいたのか?」
「っ違います! 大好きです!」

 反射的に叫んでいた。涙を零さないように必死に力を込めていたから、声も釣られて大きくなってしまう。
 そうやって一度、大きな声を出して感情的になってしまったら、もう止められないのに。

「だ、だって仕方ないではないですか! 原因はわたくしなのですよ!」「ネモフィラ、落ち着きなさい」

 背中を摩る父の声に、子供のように首を振る。

「わたくしが相手だとニコラウス様は王になれない! だから仕方が無いではないですか!」
「それでも、どうなってでも、ネモフィラには私を諦めないで欲しかった」
「っ……で、も……」

 諦めないことなんて、赦されるはずがないのに。
 唇を震わせるネモフィラに、ニコラウスはそっと立ち上がった。
 テーブルをまわって、ネモフィラの傍に屈みこみ顔を覗き込んでくる。
 そっと顔をつつまれて、間近からみつめられ、ネモフィラを促してくる。
 本音を吐き出すようにと、唇の形だけで囁かれてから。
 
「ネモフィラ。君の願いを、私に教えて」

 優しくとろけるような声でそう言われたら、もう逆らえない。
 言ってはいけない我儘をこぼしてしまう。

「わ、わたくしっ、ニコラウス様の……奥様になりたいです。ニコラウス様が他の女性に触れるなんて、嫌なのです」

 妻として隣に立ちたい。

 誰にも取られたくない。

 一緒にいたい。

 でも無理だから、くしゃりと顔がゆがむ。

「こんなのひっ、酷いです、望んではいけないことを、言葉にだせだなんて……!」

 納得して、諦めなければならないことなのに、それをさせてくれないなんて。
 なじるネモフィラに、叱られているほうのニコラウスはなぜか嬉しそうにほほ笑んだ。

「良かった。私の望みと同じで」
「……嘘。わたくしと居ても花が咲かないではありませんか。今だってこんなに近いのに、一輪も……。もうわたくしのことなんてどうでもいいという意味でしょう?」
「――ネモフィラは、花だけを見過ぎだと思う」
「え……?」
「花で私の気持ちを測りすぎだ」

 ニコラウスに花が咲くことは、目に見える形で好かれているのだと分かって嬉しかった。
 でも急に見えなくなったから、もう自分を好きではなくなったのだと思ったのだ。

 それ以前は心と言葉だけで確かめる事が出来たのに、いつしか花咲きという分かりやすいものだけで心を見るようになっていた。
 だから花が咲かなくなったとたん、彼が余計に分からなくなって、不安になった。

「ネモフィラ。花ではなく、私を見て。私の言葉を信じてくれ。愛してるネモフィラ。私の妻になってくれ」
「わ、わたくしもなりたいです。でも、でも……」

 現実的に考えて、できないのだ。
 
「わたくしは、ニコラウス様に王位を諦めて欲しくはありません。今までの努力を知っております。眠る時間さえ削って帝王学を学んでらっしゃった姿もみているのです。それに民が貴方へかける期待と尊敬がどれほどのものなのかも分かっていますから」
「大丈夫。もう問題はないと確証できる」
「っ!」

 人前で、突然のキス。

 しかもそれぞれの親の目の前で、婚約解消の話しをしている最中でだ。
 信じられない行為に、誰もが驚愕した。

「な、な、な、なにを⁉︎」
「殿下! 非常識です!」
「おいニコラウス……」

 親の前でこんな行為、恥ずかしすぎる。
 慌てて両手を突き出し一生懸命押して離れたが、ニコラウスは不敵に笑う。
 怖いままの笑顔で、目元を細めながら。

「ほら、花はでないでだろう?」
「それは私を嫌いになったからでしょう?」
「違うよ。そうじゃない」
「うそ」

 だって今もキスまでして、魔力が混じり合ったばかりなのに出てこない。

 悲壮な気持ちで首を振るネモフィラに、ニコラウスはスラックスのポケットから小さな小さな小瓶を出して見せた。
 それは指先に摘まめるほどのガラス製。
 透けて見える中身には、透明感あるグリーンの液体が入っている。

「繰り返すけれど、ネモフィラは花で私の気持ちを図りすぎだ。目で見えて気持ちを確認できる便利なものではあるけれど、それがなくても私の気持ちを疑わないで欲しいな。これは、ここしばらく飲んでいた薬の効果をすぐに打ち消す魔解薬だよ。本来は時間経過で効果が消えるのを待つものだが今必要みたいだから」

 そういいながらニコラウスは蓋を外し、入っていた薬を飲んだ。
 一口だけで飲み切れてしまうそれが、ごくりと嚥下され動く喉を見上げつつ首を傾げて、一拍後。



 ポ……ポポポポポポポポン!


 ポンポンポンッ!


 ポンッ、ポポポポッ……!!

 いっきに、何百という花が飛び出した。
 視界が一瞬にして花で埋まっていく。

(これ、ネモフィラだわ)

 花弁の中央がしろく、外側にいくほど青に染まる花。
 ネモフィラの名前の由来になった花。
 ニコラウスが大好きな色だと、ことあるごとに撫で梳いてくれた髪の色。

 飛び出すネモフィラの花のいきおいかは収まらない。

 さらにどんどん出て来て、どんどんどんどん部屋を埋めていく。
 
「これはまた盛大だな。何が起こってる?」
「ニコラウス殿下。一体どういうことですか」
「わ、ぁ……!」

 あまりに多過ぎて、どんどん積もっていく花に埋まらないよう、皆が席から立ち上がる。
 父ジェイムは突然の事態から王をかばうためにテーブルの向こう側へ駆けて行った。

「あっ」

 そこでネモフィラは花に足元をとられてしまった。 
 よろけたネモフィラの腰に腕を回したのは、ニコラウスだ。

 彼は驚きに満ちた顔をするネモフィラたち三人を見渡して、悪戯が成功した子供みたいに得意げな顔で頷いている。
 そしてネモフィラの頭や肩の上に積もった花をはらい、ついでに髪に一輪さして笑いながら口を開いた。 

「花咲きの魔体質を一時的に抑えておく薬を開発しました。さきほど飲んだのはその魔消薬で、抑えていた花が一気に出てきます」
「まぁ……」
「効果を試すために試薬もあわせてずっと飲みっぱなしだったから、勢いがすごいなぁ」
「だから……最近花を咲かせてらっしゃらなかったのですね」
「そういうこと」

 自分が傍にいても咲かなかったから、もう嫌われたのかと思ってしまった。
 ただこの魔術薬で止めていただけだった。
 ぼんやりと降り続ける花を眺めていたネモフィラは、はっと我に返った。

「こ、こんなに溜め込んで、お体に支障はないのですか!?」
「この薬を試したのは一週間前からだな。今の所は問題無いね」
「……ご自分のお体で? 弊害がでるまで? というかこの薬以前の試薬では問題が起こったということですか!?」
「あはははははは」
「笑いごとではございません! いったいどんな……」
「……わ、わかった!もうやらない! もう無理に急いだ試薬の実験体に自分でならないって約束するから! しっかり安全確保できるって分かるものだけにするから! 頼むからそんな泣きそうな顔しないでくれ!」

 気づかないままに浮かんでいた涙を、ニコラウスが慌ててぬぐう。

「今回の薬で、一週間は体調に変化なく。副作用もなく抑えられると分かった。大丈夫だ。これ以上の期間使わないと約束するよ」

 その言葉に、ほっと肩から力がぬけた。
 そんなネモフィラの肩を抱きなおして、ニコラウスは自分の方に抱き寄せる。
 そして王とジェイムへと向き直り、まるで戦うみたいに挑戦的に、金の瞳を細めるのだった。

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