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7 ◆ニコラウス視点
しおりを挟む「……何もないなんて、当たり前のように言うのだな」
落ち込まずにはいられないネモフィラからの言葉。
ニコラウスはもう見えなくなった彼女の消えた方向を眺め、力なく肩を落とした。
たぐいまれなる二属性の魔力もち。
鮮やかな青の髪と瞳に似合う、特別に整った美しい容姿。
さらに国内有数の名家の令嬢。
凛とした佇まいに完璧なまでな所作――まさに高嶺の花。
誰もが羨望する令嬢であるネモフィラが、自分にだけはふにゃりと崩れた笑顔をみせてくれて。
少し距離を近づけてみれば、真っ赤になって恥ずかしそうにもじもじする。
あの瞬間にわいてくる、堪らないほどの愛おしさ。
何度も名前を読んでくれて、大好きですという言葉をくれた。
ニコラウスの隣に立つためという理由ひとつのために、他の貴族子息よりも多くの事を学び身に着ける努力をしてくれた。
好きなこと、やりたいことを我慢させてしまったことへの申し訳なさと、自分との未来のために努力してくれるひたむきな姿に、生涯大切にしようと思っていた。
なのに――――父である国王陛下に、十日ほど前に知らされたのは婚約解消だ。
(納得できるはずがないだろう)
頷くなんてありえない。
だからこそ、コラウスは近ごろ眠る間もなく奔走していた。
もっとも花咲きの魔体質が現れた直後から、これがいずれは婚約解消が懸念材料になることが予想できていた。
対策をと半年前からずっと準備してきたが、ほんの少しだけ時間が足りなくて、今必死で間に合わせようとしている。
「つっ……」
寝不足から重い頭が、またズキリと痛む。
同時に心臓もが重苦しくなった。
ネモフィラの言葉が頭の中で繰り返しワンワン響く。
(ネモフィラは婚約解消しても平気なのか……? どうにか捻出した昼食の時間さえ会ってはくれないし)
自分よりも数日はやく婚約解消を知らされていたらしい彼女は、それを聞いた途端にニコラウスと距離をとりはじめた。
あれが作り笑顔だとは分かるのだ。でも、上手く読めない。
これまで見抜けていたのは、ニコラウスへの心の壁が一切なかったからなのだろう。
しかし明らかに距離を採られているところでは、どこまでが本当なのかが分からない。
引きつった硬い微笑みだといことは分かるのに、それが本当の拒絶を現しているのか、それとも手を引いて欲しいのかが読めなかった。
もし本当に、あっさりと婚約解消を受け入れて、ニコラウスとの距離を取る為に離れているのなら。
ニコラウスを拒絶しているのならば……。
「はぁ」
重いため息が何度もでる。
怖くて聞けない自分の臆病さがなさけない。
ニコラウスは自分の手のひらを見下ろした。
ネモフィラを想っても、やはり花は咲かない。
「いつもなら目を瞑って笑顔を妄想するだけでポンポン飛び出すほどの想いなのだと、きっと知らないのだろうな」
しかし今は抑えられている。
――花咲きの魔体質は、魔力の揺らぎの波長によって顕現するもの。
怒りや喜びという、感情ごとに魔力の揺らぎには波長が異なっているのだとも解明できた。
ニコラウスとネモフィラの魔力が交わった特殊な魔力の、さらに『喜び』の時のみに発せられる波長を封じ込める事さえできれば、花咲きの魔体質も制御できるはずなのだ。
今はその実験中で、だから花が咲かないようになっているのだ。
ネモフィラのそばにいると感情の揺らぎは顕著になってしまうが、今の所は成功しているようだ。
失敗である可能性がまだあるために、まだ言えない。副作用へ対する検査の時間を省略して使っているのだからきっと叱られる。
それでも本来は今、彼女を安心させるための言葉を紡ぐべきだったのだろう。
でも本当に、ネモフィラの言う通りに『何もない』のだったら?
婚約破棄が彼女にとってこの婚約解消が『何でもない』ことなのだったら?
と、想像してしまったから。
昼食に会わなくなったのは、もう仲良くする必要がないからと見限られたのだったら?
自分達は今まで想い合っているのだと思ってた。
しかし全ての前提に政略結婚というものがある。
政略結婚する必要がなくなったのなら、ニコラウスはネモフィラにとってもういらない存在なのかもしれないと、ネモフィラから距離を開け始めたことで気づいてしまった。
確かめることが怖くて、及び腰になってしまっている自分がいる。
「恋とはやっかいなものだな」
ほとんどの事は何とでもできるのに、ネモフィラに対してだけが上手くできない。
一言聞くだけで確認出来るのだと頭では分かるのに、悪い返事が返ってきたらと想像すれば喉が仕えて声がでなくなる。
万が一『せっかく婚約がなくなったのだからもう関わらないで:』なんて言われたら、一生立ち直れない。
しかし事実、彼女が今ニコラウスに何も相談してくれない状況が、その嫌な可能性を高めていく。
「……頼って欲しかったんだが」
婚約破棄の話をきいてすぐ、ニコラウスに頼ってほしかった。
なのに彼女は距離をとることを選んだ。
もう一緒にいる意味がないとばかりに、顔もあわさなくなった。
それがニコラウスをまた不安にさせ、躊躇させる。
他の女性徒と親しくしているとの変な噂があるのに怒らない。問い詰めない。
ネモフィラには怒る権利があるのに、何も言わずに平然としている。
それが少しばかり苛立たしい。
親に反対されても、国のために諦めるように言われたとしても。
それでもニコラウスがいいのだとはっきりとして欲しかった。
「すまない……それでも、離すつもりはないんだ」
婚約解消の話しがでたとたんに自分を避けるようになったネモフィラ。
距離をあけようとする彼女に、ニコラウスは追いかける勇気をもてない状況。
もしかしたらもう、完全に彼女の心は自分にはないのかもしれない。
これまでずっと政略結婚の相手だからこそ傍にいてくれたのであって、本心では嫌がっていたのかも。
ニコラウスが王族だから、ただ逆らえなかっただけなのかも。
絶望的な妄想がどんどん膨らむが、それでも手放す決断なんてもちろん出来ず、こうして足掻いている。
「万が一、ネモフィラの心がここにないのだとしても。離すなんてありえない」
たとえ、嫌われ避けられているのだとしても。
もうネモフィラのいない未来なんて考えられないのだ。
「もう少しで、最終調整も出来るから」
たとえネモフィラの心が自分に向いていないのだとしても。
彼女が望んで離れることを選んでいるのだとしても。
それでも婚約解消なんて、さらさら受け入れる気はないのだ。
あまり綺麗ではない、どろりとした薄黒い執着心というのだろう感情が自分にあったなんて、このことが起きてからニコラウスは初めて気が付いた。
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