上 下
92 / 103

新たな戦争の始まり

しおりを挟む
白狼達は、年若い白狼を3匹残すと自分達の縄張りへと戻って行った。大きな脅威が去り、胸を撫で下ろす一方でこれから起こる獣族との戦争に不安が広がる。そんな中、真奈美は、オレ達が乗る馬を部下に用意するように指示すると紅牙の元へと向かった。
「紅牙様。クレア様の件ですが…」
真奈美は、そう言うとクレアに起こった経緯を紅牙に伝えた。紅牙は、東の平野を見ると
「イヴァイル達の逃げた方向と一馬君が向かった方向が一緒とは…最悪な状況だな。」
と呟き、真奈美に
「真奈美さん。俺にも馬を用意してくれ。事は一刻を争う。」
と命じた。だが、真奈美は、首を振ると
「何を言っているんですか。そんな状態で。今だって立っているのが、精一杯なのに。貴方は、先程まで瀕死の状態だったんですよ。」
と言って紅牙を止めた。真奈美が言った事は、紅牙自身が一番よく分かっている。里の民達も心配する中、紅牙は、
「皆も聞いていただろ。俺は、今この場で白狼達に誓った。先程は、永遠君に。そして、あの日…エレナ様にも。俺は、自分の言葉、使命に目を背けて生きるくらいなら死を選ぶよ。だから、頼む。真奈美さん。」
と真奈美に頼んだ。紅牙の強い意志に真奈美は、もう何も言わなかった。
「ありがとう。真奈美さん。必ずクレア様を連れ戻してくるから。それまで里を頼む。」
紅牙の言葉に真奈美は、頷くともう一頭馬を用意した。そして、朱李を呼ぶと
「紅牙様。私は、ご指示通り里に残ります。ですが、せめて朱李ちゃんは、一緒に連れて行って下さい。」
と紅牙に進言した。紅牙を心配する真奈美の最低限の譲歩だった。紅牙は、その進言を受け入れると朱李と一緒に馬に乗った。オレ達も馬に乗ろうとした時、撫子が何かを思い出したようにヤマモト達に近づいた。再び訪れた恐怖にヤマモト達の表情が引き攣る。
「貴方達、私のお願い聞いてくれるわよね。」
撫子の言葉にどうしていいか分からず、ヤマモト達は、只々無言になる。そんな様子に撫子は、
「き、い、て、くれるわよね。」
と言い直した。目の座った撫子の姿にヤマモト達は、怯えながら何度も頷くと
「は、はい。」
と即答した。その言葉を聞いた撫子は、丘の一本杉を指差すと
「あそこに私達の荷物があるの。取ってきてくれるかしら。大至急で。」
と指示した。そして、ヤマモトとカトウの首元を掴むと耳元で
「私達の大切な物なの。1つでも失くしたら…分かってるわよね。」
と呟いた。撫子の睨みと言葉にヤマモト達は、身震いをすると撫子から逃げるように丘へと走って行った。その後ろ姿を見届けると撫子は、颯爽(さっそう)と馬に乗り、オレ達は、東の平野へと向かった。

永遠達が紅南の里を出発する半刻前
水帝の砦近くの森。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
数時間走り続け、桜は、息を切らしていた。
「何処まで行ったのよ、あの野郎。」
そう呟くと桜は、近くの木にもたれかかって一息ついた。いくら走力の優れた桜でも馬を相手にしては到底追いつく事はできない。桜は、遠ざかり、見失った一馬達を馬の足跡と辛うじて残る蓮華の香りを頼りに走ってきたのだ。そのせいで桜は、体力だけでなく、気力もかなり削られていた。そんな気力を奮い立たせ、桜が再び走り出そうとした、その時
(ドカン!…ドカン、ドカン!!)
と数回の爆発音がした。行く先から聞こえた爆発音に桜が慌てて森を抜けると、そこには、爆発により立ち上る煙と怒号を発しながら砦へと攻め込む複数種の獣人族達の姿があった。獣人達は、爆発により多くの犠牲を出した様だが、それを更なる怒りに変え、守り手のいない砦を越え、怒涛の勢いで領内へと入って行った。そんな中、砦の外側で群がる獣人達がいた。数人の獣人達は、誰かを嬲(なぶ)る様に攻撃するとボロ雑巾の様に投げ飛ばした。それを見た桜は、直ぐに周囲を確認した。何故なら、顔こそ分からないが、見覚えのある服装は、一馬の物だったからだ。近くに蓮華らしき姿は見えない。焦った桜は、森を出るとまだ一馬を嬲り続けている獣人達に風の刃を放った。桜の奇襲に一馬を襲っていた獣人達は、慌てて桜に武器を構えたが、その武器が振り下ろされるよりも先に桜が首元を切り裂いた。声も上げられず、倒れて行く獣人達。一馬を襲っていた獣人達を一掃した桜は、増援が来ない事を確かめると足を砕かれ、顔を腫れあがらせたボロボロの一馬の胸ぐら掴み
「蓮華ちゃんは、何処!!」
と聞いた。一馬は、痛みのせいか、悔しさのせいか、涙を流し、腫れた口を震わせながら
「グレアざまは……グレア様は、…連れざら、れた。」
と答えた。桜は、その答えに拳を振るわせると、一馬に馬乗りになり、殴りつけた。何も言わない人形の様に桜の拳を受け入れる一馬。怒りのおさまらない桜は、再び拳を振り上げたが、既に身も心もボロボロの一馬の姿にその拳を地面へと叩きつけた。拳から血を滴(したた)らせ、立ち上がる桜は、無言で一馬を見下すと爆発で残った火種に撫子からもらった玉を投げ入れた。
しおりを挟む

処理中です...