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 貿易都市カールフォントから道程を共にした品々が詰め所の一角へ運び込まれていた。

 中身はローレンツの申告通りすぐに必要な書類から、一見今回の騒動とどう関係があるのか分からない品まで様々だ。
 まずは今日中に今回の事件の概要をまとめた報告書を作成し、書記部へ持ち込む必要がある。細かな証拠品を改めるのはそれからだ。

 何度か草稿を繰り返しその都度オスカー団長に確認を願う。しばらくペンを持つ仕事から離れていたせいか、随分時間を掛けてやっと方向性が固まった。
 詰め所の大時計を見ると既に時刻は夕刻を示していて、間もなくイツキが縫製部から解放される頃合いだと分かった。1日中机に向かっていたせいで身体中が固まっているが、もうこれ以上書記部を待たしておけないとオスカー団長が徐に席を立った。

「よーしっその辺で十分だろ。あとは本業に任すぞ」
 手元の書類を束ねて肩を回した団長が、トリス副長と共に部屋全体へ声を掛けた。
「手が空いてるヤツは一緒に来てくれ、多ければ多いほど良いぞ~」
 オスカー団長の言葉に半数以上がすぐに椅子から腰を上げた。
「ついて来るヤツは食堂で夕飯代をもってやる」
 駄目押しの言葉で詰め所にいた全員が集合し、一路書記部へ向かうことになった。


 年中無休の騎士団にとって全員出勤の日は珍しく、それこそ国を上げての大きな式典の時ぐらいだ。それだけ今回の教会も絡む我が国と帝国を跨いだ一連の事件の検挙は、この国にとっては大事だった。
 もちろん皇女が巻き込まれた帝国にとっては、より痛みを伴う事件ではあったが皇女の将来の為にも公にしたくないという帝国の意向を受け、王国と帝国それぞれ名も無い国民が被害に遭ったという事になっている。これまでの被害者の数は分かっているだけでも相当数に及ぶ可能性があるが、遥か海の向こう第三国への捜査協力要請はほぼ意味の無い物と思われる。

 私1人の不在ならまだしも曲りなりにも我が部隊団長の不在で、先輩方にも苦労があっただろうに口々に労いの言葉を頂いた。
 城内の廊下を歩く第三隊は久し振りにオスカー団長を中心に揃った事で、いつもなら隊列を崩さず私語も少ない所を賑やかにゆったりと進んでいた。
「最近は残業続きで飯代も嵩んでたんですよ~」
「オスカー団長、えらく羽振りが良いですね!」
 弾むような先輩達の声にあちらこちらで笑いが起こった。早朝からの書類仕事に部隊の全員が疲弊していたので良い息抜きになりそうだ。
「なにかと入り用ではないのですか?まぁ先程の言葉を取り消しは出来ませんけどね!」
 続いた別の先輩の言葉にまた笑いが起こる。厳しい合宿や訓練の休憩時間にこんな軽口でお互いの緊張を解したりする。

 書類と証拠品から伝わる事件の凄惨さに、これまでこの事案に気が付けず見逃していた自分達に腹が立つのは騎士団の誰しもがそうだ。詰め所では今朝からそんな怒気を含んだ独特の空気が張り詰めていたが今は皆気持ちを切り替えるべく別の話題を探していた。
「そういえば式当日に我々は式服で良いのでしょうか?」
 我が部隊の指令塔の言葉に疑問が浮かぶ、2日後に控えた謁見への参列は各部署の代表者のみである。一瞬今回の一連の騒動の打ち上げ会でも企画しているのかとも思ったが、あったとしても”式”と呼ぶような大層な物ではないだろう。

「他の部隊からの応援も取り付けたので、日取りはいつでも良いですよ!」
 自分だけが知らない話をされているのではないかという考えが、振り返った団長の引き攣った苦笑いで確信に変わった。

「いや~遂にあのオスカー団長も結婚とは!行きつけの酒場の美女も泣いてますよ今頃!!」
「事件の一報を聞いた時は心底肝が冷えましたが、本当に無事で良かったですね」
 温かい空気でオスカー団長を祝う先輩方とどんどん心の温度差が開いていく。
 1人2人と次々に気不味そうな表情を作った団長と立ち止まった私の様子に気が付きはじめた。

 この場にいる全員の視線が次第に団長に集中する中、居心地が悪そうにオスカー団長が頭を掻いた。
「すまん……ヴィルヘルムにはまだ何も言ってねぇんだわ」
「え!?それは拙いですよ、だって相手は……」
 途切れたトリス副団長の言葉を最後まで聞かずともその先は分かった。団長と私の周りから先輩達が一歩二歩と後退りしてぽっかりと我々の間に空間が出来る。

 どうして年中忙しい筈のオスカー団長が自ら遠方の領主に会いに行き、そのまま一部下の家族を捜す為に王都を留守にしたのか。
 今回の事件の規模を事前に察知して団長自ら様子を見る為に国境沿いの町まで出向いたのだと、帝国の皇女の件もあり陣頭指揮を取っていたと今までそう解釈していたがもっと単純な理由だったようだ。
 黙って団長を見る私にオスカー団長は人好きのする笑顔を作って居ずまいを正した。

「ヴィルヘルム……実はお前の姉さんのエルミアと結婚する事になった」
「……」

 言われた言葉が上手く咀嚼出来ず、団長の発言を頭の中で反芻した。
 一体いつから?まさか今回の騒動でという事はないだろう、いくら手が早いと噂の団長でも流石に職務上で関わる人間に対してはしっかり一線を引いている。それにエルミアは団長と違いかなり慎重な人間なので、余程時間を掛けた交際の上での結婚の筈だ。

「なぁ報告が遅くて悪かったって……ヴィルヘルム怒ってんのか?」
 わざとらしく間延びした声で場を和ませようとする団長に余計に苛立ちを覚えるが、この人はいつでもこのような調子だ。エルミアと結婚するという事は私の義理の兄になる、オスカー団長が……義理の兄に……。
「おいヴィルヘルム……可哀想に、固まっていますよ団長……」
 私の肩に手を置いたハンス指令が憐れみを含んだ声で言った。
「だから早く言った方が良いと我々は言いましたよね」
「ヴィルヘルム、団長はこう見えてお前の姉さんには誠実そのものだぞ……」
 口々に非難とも弁護とも取れない言葉が飛び交って、観念したようにオスカー団長が私に対して今度はしっかりと頭を下げた。これ以上この場で上官に頭を下げさせる訳にはいかず謝罪を受け入れ、経緯を聞く事となった。

「3節前の長雨でお前の故郷の近くで大きな土砂崩れがあったろ?ちょうど巡回中にその一報を聞いてなぁ、人手がいるかと俺は駆け付けたワケだ」
「……あの時オスカー団長は10日近くも戻って来ませんでしたね」
 トリス副長の言葉と共に微かにそんな事もあったかと記憶の断片が思い出された、団長の突然の行動で被害をこうむるのはいつも副団長だ。
「まぁ色々あってその現場でお前の姉さんのエルミアに初めて会ったんだ」
 “色々”の部分はなにも分からなかった上に、この際姉さんとの馴れ初めが聞きたかった訳ではないのだが。

「つまり、その時から交際が始まっていたと?」
 知りたかったのはどうして自分にその事実が伏せられていたのかという事だ。
「すまん!最初は姉弟だと分からなかったし、その……」
 言葉を濁す団長を周囲の先輩方も固唾を呑んで見守っている。
「お前俺の事……その苦手だろう?反対されたらと思って言えなかったんだ、すまなかった」
「……オスカー団長」
 また部下である自分に頭を下げさせてしまった事に申し訳なさを感じた。
 謝って欲しい訳ではない、それにオスカー団長の事をやや苦手に思っていた事が本人に直に伝わっていた事に自分の人間としての未熟さを痛感した。
「私こそ、すみませんでした。オスカー団長の事は無論尊敬しています」
 姿勢を正し頭を下げると団長が安心したように短く息を吐くのが分かった。
「良かったですねオスカー団長、ヴィルヘルムが大人で」
「案外団長が義兄も面白いかもしれんぞヴィルヘルム!」
 笑い出した先輩達に釣られて肩の力を抜き歩き出すと、一行はやっと書記部の扉の前に到着した。


 イツキの事をサリウスに頼み、この晩は宿直の時に利用する騎士団の宿坊に落ち着いた。
 あの後書記部での話し合いと書類の作成、会談用の書類の複製依頼が終わる頃には随分晩い時刻になっていた。それぞれ自身の寮へ引き取る事も出来たが翌朝早い事もあり、宿坊に泊まれる数だけ泊まる事となった。

 翌日も早朝から夜まで、各関係機関や書記部に何度も足を運ぶ事となった。
 イツキはどうしているだろうかと考えていたら、オスカー団長に先程まで詰め所に来ていたと言われすれ違った事を知った。
 城内では魔力の高い者も多く、イツキの帽子へ掛けられた不可視化の魔法を意に介さぬ者もいる。また縫製部が触れ回ってでもいるのか、早速珍しい”黒髪の青年”の噂が城内で広まっているようだ。
 サリウスに任せているので城の中で何かあるとは思わないが、王都も他の町よりは安全とはいえ油断は出来ないかもしれない。会談でイツキが王都に落ち着く場合の住居まで話が及ぶだろうか。
 サリウスも話に隙が無いようにと言っていたが、検討するべき事項が多く書類の山を前に頭を抱えた。


 それでも、まさか会談の当日の朝まで証拠品の整理に時間が掛かるとは思わなかった。
 細かな書類仕事を一番歳の近い先輩に引き継いでもらい、先に着替えに行った団長を追い掛ける形で更衣室へ向かった。

 急いで慣れない式服に袖を通し案内された控え室へ到着すると、既に着替え終わったイツキとサリウスが待っていた。
「すまない、遅くなった」
 そこで振り返ったイツキを見て息が止まりそうになった。

 ゆったりとした真白の服は神秘的でまるで彼自身が輝いているようだ。申し訳程度に生地端に向かって染められた淡い色味で、やっと彼が精霊の類ではなく人間だと確認出来る。
 精霊が人の形をとるならばきっと今目の前にいる彼がそうだ。

 白いベールから覗くのは王国を象徴する黒鳥のような、底の無い闇のような黒髪と不思議そうに此方を見上げる瞳も同じく濡れた羽根色のような深黒だ。澄ました顔で佇まれたら畏れ多くてきっと声も掛けられないだろう。
「ヴィルヘルム大丈夫か?」
 いつもの調子で歩み寄って来たイツキに気が付かれないようにそっと息を吐いた。
「イツキこそ、闘えそうか?」
 今日は彼にとって、そして彼と共にいると決めた自分にとって運命を決める日になる。
「もちろん」
 大きく頷いたイツキのいつもと変わらない様子に思わず安心した。

「遅くなったが、とても綺麗だ」
 本心からそう言うと返事をしようとしたのだろう口を開いたイツキが、結局何も言わずに少し顔を赤くして黙り込んでしまった。
 縫製部の所長が茶化すと余計に彼が口を固く引き結んだので、今これ以上褒めるのは得策ではなさそうだ。

 サリウスが肩を竦めると同時に部屋の扉が叩かれ、いよいよ謁見の間へと向かう事となった。


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