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 今日も暮れ始めた空を見上げて、暗くなる前になるべく距離を稼いでおきたいという焦りから無理に歩調を速めていた。

 団長命令とはいえ王立騎士団の略装そのままに王都を出てくるべきではなかったと、ここ数日は強く後悔していた。

 両親から10日程前に急ぎの知らせが入り、なんでもエルミアが隣の町へ使いに出たまま行方が分からなくなったから、こちらからも捜してほしいという事だった。
 エルミアは3つ歳上の姉だが温厚で大人しく突然何処かへ姿を消すような人間でない事はもちろん分かっていた。
 地元の自警団では手が足りず役場へも相談に行ったそうだが、事件性が認められないと門前払いをくらったとの事だった。

 あまりの対応に王都で勤める私にも捜索の嘆願書に口添えを頼むとの事だが、一介の国民の捜索に人を動かせないのはよく分かっている為、両親の心労を考えると私は特に躊躇もせず辞表を提出し己の力のみで一刻も早く姉を捜しに行こうと思っていた。


「おいヴィルヘルム、これは何の冗談だ?」

 昨日副団長に処理をお願いしたはずの辞表を、眠たげな顔をした騎士団長が片手でヒラヒラと遊ばせていた。
 我が騎士団の団長は騎士然とした副団長と違い年間で数度あるかないかの式典や祭典の時にしか精悍な顔付きを見せようとはしない。
「申し訳ありません一身上の都合により誠に勝手ながら……」

「まぁまぁ良いから、その荷物置いてちょっと一緒に来いよ」
 片付けを始めていた自分の鎧の手入れ道具等を元へ戻し、詰め所の裏口から出ていく団長を追いかけた。

 城と王都全体を護るように配置されている幾つもの詰め所の中でも、城内に設けられたこの詰め所は重要拠点という事もあり同輩の中では昇進が早かった私も、この詰め所の中では一番年齢も下の若輩者に過ぎない。
 学ぶ事も多く心から尊敬出来る先輩方ばかりだが、この団長だけはどうも芯になる部分が見えず捉え処の無い人物で、やや苦手に感じている。

「よし!じゃあ詳しく理由を聞こうじゃねーか」

 人気の無い中庭の見える回廊まで来てベンチに座った団長が、腕を組んで何度か頷いた。
「昨日は珍しくトリスに呼び止められてな、呑みの誘いかと思って喜んでたらこんなもん渡して“どうしたらいいと思うか~”なんて聞くもんだから、俺が直接お前から話聞いてやるって言った訳だ」
 副団長ことトリス様はとても聡明な方だが、この騎士団長にやや甘い所がある……。
 黙っていても私が理由を話すまで辞表が受理されない事を悟って、両親からの手紙と自分が姉を捜しに行くしかない為に騎士を辞める覚悟でいる事を簡単に伝えた。


 誰かを護る為により強くなりたいと思い王立騎士団を目指したが、近年隣国等との大きな問題はなく軍事力は主に街の治安維持活動に使われ、中でも騎士団は重役の大臣や来賓客の護衛など形式的な職務が多い。
 家族も護れないようでは誰を護れるというのかという思いもあり、姉を見付けた後は今まで鍛えた剣の腕を更に磨き、田舎の自警団の立て直しをするのも良いかと辞表を書く段になってそう漠然と考えていた。

 しかしこれはまた一方で自分の事を正当化する為の綺麗事で、単に私は大切な私の家族の捜索にも動いてくれない国に、又は今までそれを仕方のない事だと割り切っていた騎士である自分に失望をしたのかもしれなかった。
 他人事ならば一民間人の捜索は出来ないと断るのに、自分の家族に話が及ぶと特別に助けてくれないのかと一瞬でも考えてしまった自分が、己の理想としてきた騎士道から最も外れるものだと気が付いたのだ。
 つまり自分が騎士である自信も失いかけこんな中途半端な気持ちであるなら、いっそ言い訳がましい釈明等せず最後は潔く辞めようと思っていた。

「……なんかまた自分1人で勝手に難しく考えてんじゃねーのか?ヴィルヘルム」

 人の悪い笑みを浮かべもう一度私の辞表を広げた団長は、事もあろうに散々考えて書き上げたその紙を勢いよくグシャグシャと丸め自分のジャケットのポケットへ詰め込んでしまった。
「要するに国境の沿いまで行きたいんだろう?俺に任せとけ、なにかしら任務付けて仕事として送り出してやるよ」
「いえ団長、自分はただ……」

「いや!いやいや良いって!礼なんか帰って来てからいくらでも言ってくれ。先輩団員達はお前がいなくなると寂しがるからな~俺の立場も分かってくれよ」

 この話はこれで終わりというように立ち上がり、私の肩を大きく叩く団長に二の句も継げずに唖然としていると、何時からいたのか近くの柱や廊下の影から副団長と先輩方が数人出て来て、思い留まってくれて良かった良かったと私の肩を同じように叩くと揃ってバラバラと詰め所へ戻って行ってしまった。

 自分の決意を誤魔化された……と打ちひしがれているとそれから数時間もしない内に旅に必要な物資が届き、国の大臣からの正式な書簡を国境沿いの町まで急ぎ届けるという大義名分が用意されていて、笑顔の団長以下先輩方騎士団員に見守られる中、1人旅路へと発ったのだった。


 ここまでは良い。急に辞めたいと言い出した自分は随分子どもだったのかもしれないと納得している。
 ただこの書簡の配達というのが曲者で、余程急がない限り辿り着かないであろう日程で予定ルートや宿泊工程が指示されていた。
 城勤めで随分鈍っていたのかもしれないと自分の普段の生活態度について考えさせられる事ばかりだ。

 またこの王立騎士団の略装で旅をするせいでとにかく人からよく声を掛けられるのだ。
 最近の治安がどうだとか困っている事があるなんて相談ならまだ良い、果ては騎士を目指す親戚を騎士団へ推薦してくれないか等、思い付く限りの“騎士を見掛けたら声を掛けようと思っていた”人々に対し、さもその代表であるかの様に対応をしなければならずこの対応に割かれる時間と精神的な労力を感じていた。

 この国では任務中の騎士は略式とはいえ正装が崩せず、マントの留め具に並ぶように取り付けた国の紋章をあしらったブローチには“この騎士は任務中であるが困り事がある国民は自由に話し掛けるように”という意味もあり、一度声を掛けられると決して無碍には出来ないのだ。


 遅れた分を取り戻す為に何も無い拓けた道を猛然と歩いていると、少し前に土埃を立てて私を追い越していった年期の入った荷車が道の真ん中に止まり、複数の人間が騒いでいるのが確認出来た。
 仲間内の揉め事かと思ったが近付くにつれ、小柄なかなり変わったシルエットの服装の人物を取り囲み取り押さえようとしている事が分かった。
 これ以上面倒事に関わる時間は正直惜しかったが目の前で困っている人間を見逃せる筈もなく、静かにその如何にも人攫いらしい男達の背後を取ったのだった。


 助け出した人間はこの国の男性にしては華奢な体躯の男で、成人を迎えているのかどうか怪しい。
 見た事もない変わった仕立ての服を着ていて旅装にしては随分と歩きにくそうな靴を履いている。小綺麗な服装に対して頭髪だけは随分汚れているのか暮れ始めた空の下では黒ずんで見え、その正確な色は判別出来そうにない。

「×××××」
 おそらく助けられた礼を言っているのだろう、思ったよりも落ち着いた声なので見た目よりも年齢は随分上なのかもしれない。
 隣国からの行方不明捜索希望者のリストにこんな特徴の人物はいなかっただろうか……自分で立ち上がった所を見ると大きな怪我はなさそうだが、念の為に彼をグルグルと見回しながらいくつか聞いてみる事にした。

「怪我はないか?先程の男達は知り合いか?」

 何処から来たのか連れはいないのか等いくつか質問するが、首を傾げるばかりで全く言葉は通じていないようだ。

 困ったな……普段であれば一も二もなく保護対象に該当する人物だが、次に立ち寄る町までまだ距離もあり何よりこれ以上遅れる訳にはいかない。
 昨日立ち寄った村の方が最寄りではあるが、頼れるような知り合いもいないので保護を頼むのは難しいだろう。
 しばし考え込んでいると彼は突然顔を上げて何事か私に話始めた後、私のマントを軽く握り助けを求めるように見上げてくる。

 先程あんな目に遭って何故こんな偶然居合わせただけの私を、ここまで信用出来るのだろうか?
 確かに彼には他に今頼るべき人間はいないようだが、それにしても警戒心が一切感じられずこちらの方が不安になってくる。

「分かった次の町まで一緒に行こう。君が安全と思える場所を見付けられるまで私が君の守護騎士だ」
 頷きながら軽く彼の肩を叩き歩き出すと、表情を明るくして尚も大切そうに私のマントの裾を握り直した彼が後ろに続いた。

 自分でも咄嗟に出た言葉に驚いた。
 本来“守護騎士”とは騎士が王族や高貴な身分の人間に対して生涯に1人と定めて誓いを立て、その主を護る為に生きると決めた騎士の事だけをいう。
 騎士に憧れていた私も幼い頃にはどんな方にお仕え出来るのかと騎士の数ある式典が説明された本の中でも“守護騎士”の宣誓の場面は、それこそ何度も読み返したりしていたものだ。
 実際は近年大きな争いや国内での揉め事も少ない我が国では、王族の中で派閥が生まれる事もなく平和そのものの為、誰か1人の専属騎士では効率が悪く何年も守護騎士の式典は行われていない。

 1度は辞表まで出したがやはり騎士として人の役に立てるのは嬉しい。相手が言葉が分からない事もあり思わず調子付いて誓いを立ててしまった、また新しく発見してしまった己の子どもっぽさに辟易する。
 言ってしまったものは仕方ない、きっとあと数日の話だ。



 明くる朝いつものように朝日の上がりきる前に起き出すと、真っ先に少し離れた藁の上で着ていた上着を被り丸くなって眠る人物に視線がいった。

「……!?その色本物なのか!?」

 突然の私の大声に驚き飛び起きた彼はしきりに辺りを見回したあと特に危険がある状況ではないと判断したのか、眠そうに何度も目元を擦っている。
 彼の傍に膝をつき昨晩は泥か何かで特別汚れているのだろうと思っていた真っ黒な髪を一房掴み、光に透かして見てみるが特に魔法で手を入れたような気配は感じない。

 されるままにされていた男だったがようやく意識が覚醒したようで、その大きな瞳を見開いたがその色は髪色と揃いの水分を含んだ夜の黒鳥の羽根色で思わずその瞳に吸い込まれそうだった。
 彼の容姿を確認して慌てて一番近い民家へ声を掛けた所、なんとか唯一目隠しの魔法が掛かった被り物を譲ってもらい彼に着せる事に成功したがなるべく早く別の物を用意するべきだろう。


 今まで余程心細かったようで道中彼はやっと出来た同行者の私に懸命に話をしてくれているが、また面倒な連中に見付かるリスクもあり少し静かにするように伝えると、意味までは伝わっていない筈だが寂しそうな表情をされてしまいやや罪悪感を覚えた。

 おそらく暑くて脱ぎたいのだろうせっかく調達したフードを隙さえあればすぐに外そうとするので、頑なに手で上から押さえる事を何度か繰り返すとやっと諦めた様子だった。


 身なりや所作から時折上流階級の人間にも見えるが、腰の低い態度から貴族とはまた違うように思う。
 希少な黒髪に黒い瞳の彼は今まで危険な目に遭う事も多かったかもしれない。
 だが先日の男達に易々と攫われそうになっていた所を見ると、今までどうやって無事に生きてこられたのか不思議で仕方ない。
 薄々感じていたが彼には警戒心が欠落している。
 何処の国にこんな世間知らずな人間が育つ家があるのだろうか……。

 言葉の発音も全く聞いた事がない事から、かなり遠い国から連れて来られたのではないかと推測される。
 おおかた何処かの箱入り息子で、賊に連れ去られて売られる途中だったのだろう。

 数多ある髪色の中でも我が国王の美しい灰色に近い黒の系統は、特に精霊に愛されていると言われており希少で特に闇の精霊の狂信者であれば、幾らでも大金を積む者がいるだろう。

 今日中に町に到着する事は分かっているようで俄然元気を取り戻した彼は、昨日までの疲労感を忘れたように私を追い越し先へ先へと行こうとする。

 君がもっと早く歩いていれば今朝にはもう到着していた筈だったと、言葉が通じるようになったら真っ先に言ってやろう。

 少し先まで行っては何度も振り返りやっと見えてきた町の外壁を指差し私を急かす彼に、そんなに急ぐと転ぶぞと忠告すると、直後に見事に派手に転んだ彼には悪いが思わず笑ってしまった。


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