VOICE-Run after me-

紅と碧湖

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1章 Run after me -若狼-

23.アルファの棲み処

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 キュウッと胸が痛む。
 フウッと息を吐き、頭を振って、いやな考えを追い出そうとした。
 でも胸のざわつきは止まらない。
 もし、もしこのまま、あのアルファと……いや、そんなわけない。
 そう自分に言い聞かせ、アルファの棲まいへ目を戻す。
 人狼の棲まいは丸い椀を伏せたような形で、木と葉で造られる。この夏の新しい葉で葺きなおされたらしく、ピカピカだ。
 ここはもともと、失われたオメガの親が棲まっていたところらしい。
 オメガとなって、それまで寝起きしていたシグマの建屋にいられなくなった親は、自分の親が棲まっていたここに寝泊まりしていて、番たるアルファも毎日来た。二匹で過ごすうち、アルファ自ら建て増しして共に眠る寝床を造り、ここをアルファ自身の棲まいとした。
 けど子狼おれたちにはオメガの棲まいって感じが強かった。当たり前だけどアルファは忙しくてあまりいなかったし、俺たちは寝床にいることの多いオメガに、しょっちゅう甘えに来てたから。
 オメガはいつだって穏やかに微笑んでいて優しかったし、強請れば面白いお話や、ためになるお話をしてくれた。オメガにあげる一番おいしい果実を誰が採るか、子狼みんなで競争したりも多かった。
 俺も集会場でじゃれあいながら育ったから、みんなと同じにオメガが大好きだった。俺の親だってのは、いつの間にかみんな知ってたけど、特別になんか言われたことなんて無かったし、俺も『オメガの子なんだから俺は賢いんだ』とか思ったくらい。
 雌たちも本能を失ってたからかな、誰が産んだ仔か、なんて気にする感じはなくて、成獣おとなたちも普通に話してたし。誰が親か知らない奴の方が多いけど、成獣おとなたちがしゃべってるの聞いて知ったやつもいる。俺もその一匹ってだけ、親がオメガだって自然に耳に入った。
 結局、俺たちの世代はみんな等しく郷の子狼で、それがすべてだ。郷のすべてが俺たちを健やかに育んでくれたんだ。

 そんなこと思いながら、俺はアルファの棲まいから十五歩くらい離れたところに立っている。
 ていうか肉喰いたい。
 そうだ、肉が喰いたくなって、それで追い出されたんだから肉喰わなきゃ。肉を喰えばもっと元気になる。俺が元気になったら、────帰って来る。……ベータは、帰って来る。シグマはそう言ってた。
 肉……シグマが持って来てくれるのかな。でもシグマは狩り下手だし俺は自分で狩れる。そこら辺で狩ってきて良いのかな。ああでも狩ってきますとか言った方が良いんだろうな。じゃないと先輩が怒られるみたいだし。
 じゃあ扉開いて声かけて、……と、思うのに。もし扉の向こうにいるのがアルファだけだったら────そう思うと進めない。
 なんか、アルファと二匹だけになるのは嫌な感じで。
 いやでも、そうはならない、よな? シグマが来てるんだよな? 大丈夫だよな?
 そうだよ、いくら足が遅くても、これだけ遠回りしたんだから先に着いてるだろ。鼻抑えて感じ悪かったけど、あの良く動くくちで、ちゃんと説明してる。俺がここに来るって伝えて、一緒に待ってる……んだよな?
 アルファと二匹だけになるなんて無い……よな?
 うん。なら。……入ってた方が良い、ん……だよな? 先輩が怒られたら悪いし、うん。
 なんて思いながらぼうっとしてたら扉が開き、太い腕が見えた。
 身体が見えて、顔がまっすぐこっちを見る。銀灰の髭に覆われた顔。暗い鈍銀の眠そうな瞳。────アルファだ。

「なにをしている。入りなさい」

 枯れた声。
 でも動けない。
 アルファがこちらへ向かって歩いてくる。何も感じない。アルファになにも、感じない。……あれ?
 前はアルファの波動みたいなの感じたよな? それが無い。それになんか、小さくなった?
 違う、痩せたんだ。郷で一番大きくて力強いアルファ、だったのに……歩みも少しよろけ気味。足に力が入らないのか?
 目の前に来たアルファ。じっと見つめて、感覚を向ける。
 やっぱり何も感じない。なんで?

「あ」

 腕をつかまれ、棲まいの方へ向かって引っ張られる。
 けど俺は動かなかった。なにも感じないから。

「どうした」

 アルファの顔がこっちを見る。眠そうな目が、ゆっくりと俺を捉え、少し笑んだ。

「入って休みなさい。肉が届くまで座って待っていれば良い」
「肉……」
「食いたいのだろう。ルウが狩ってくるから、中で待っていなさい」

 腕を掴む手は力を強め、俺を家へ入れようと引っ張る。

「おまえはオメガだ。自覚を持ちなさい。大切な身体なのだから」

 ────あ。

『オメガを失うとアルファは衰える』

 アルファ。うん、衰えてる。

「…………いやだ」

 ―――オメガを求めてる、のか?
 俺はつかんだ手を振り払おうと腕を振る。

「これ、おとなしく」

 ―――衰えた身体を戻すために? 精霊の恵みを受けるために? オメガを……俺を?
 手は離れない。俺は頭をぶんぶん降る。

「や、やだ」
「なに?」
「オメガなら、言うこと聞くってっ」
「なにを言ってる」
「俺は違うぞっ! 俺には番が、運命がっ!」
「ああ、分かっている。だからおまえがオメガに……」
「離せぇぇぇっ!」
「これ、おとなしくしなさい」

 強く引っ張られる。足を踏ん張り、腕を振って抗う。

「わがままな」
「やだっ! 行かない、行かないっ!」

 めいっぱい体を振ると、アルファの太い腕が背後から俺の身体に回り、両腕がアルファの腕に拘束される形で抱きしめられて、そのまま少し持ち上げられる。足が地面から離れて踏ん張れない。アルファはそのまま棲まいへ向かった。

「やだ! やだっ!」

 めちゃくちゃに足を振る。腕の力はそれほど強くない。拘束から逃れようと、全身で身悶える。

「なにを教えていたんだガンマは、こらっ」
「ガンマはっ! アルファなんて! おまえなんて! ケンカ強いだけでっ!」
「おとなしくしなさい。まったく……」
「離せっ!」

 アルファのため息が頭の毛にかかった。

「聞き分けが無いのは、アレとそっくりだな……」
「うるさいっ! 離せって!」
「……血は争えん。ああこれ、おとなしくしなさい」
「離せっ! 離せぇぇぇっ!」

 めちゃくちゃ暴れた。
 ―――いやだ、無理だ、こいつじゃ無理だっ!!

「毛の色も似ているが、強情なところも、ああ、匂いも」

 ククッと、アルファが笑う。
 俺を拘束したまま、呟いた。

「アレと、我がオメガと似ている」

 ゾクッとした。

「親と同じ……同じことするのか、俺も、親みたいにっ!」
「なにを言ってる。今はそういう話じゃない。肉が来るまで待ってろと……」
「離せ、離せぇっ!」

 足がアルファの脛を蹴る。「むっ」唸るような声。腕の力が緩む。振った頭がアルファの顎に当たった。

「これっ、なにを……」

 必死に身悶えし、腕の拘束を振り払う。動くようになった腕で身体を押し、足でアルファの内腿を蹴る。
 放り出されるように離れた身体を空中で回転し、ズサッと着地した。

「待ちなさい、なにか勘違い……」

 アルファがなにか言ってたけど、聞かずに俺は走った。
 無理だ、アルファと番うなんて絶対無理、だから行くべきところへ、俺は行く!
 俺のいるべきところ

 ベータのいるところへ──────!
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