VOICE-Run after me-

紅と碧湖

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1章 Run after me -若狼-

15.狩り

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 ふっ、と気づいた。
 かなり激しく揺れている。

「起きたか」

 聞こえたのは、耳慣れた狩りルウ筆頭の声。
 俺は背負われて、腰を腕で支えられてる。ひどく揺れるのは、背中の主であるルウ筆頭が走ってるから。

「起きたなら自分でつかまれ」

 慌てて筆頭の背中にしがみついた。支えてた腕が離れる。

背中そこでおとなしくしてなー」

 すぐ横から声がかかった。ルウ次席だ。三席もいる。

「急ぐからな。しんどくても耐えろよ」
「……急ぐって、どこに」
「郷に決まってるだろ」
「……え。……シグマは?」
「あいつが俺らに追いつけるはずないだろー。ちんたら馬車で戻ってくるとさー」

 気楽な感じで喋ってるけど、ルウたちはずっと走ってる。新月近いのに、たぶん満月で俺が走るよりずっと速い。これだけの速さで走って、筆頭は俺を背負ってるのに息ひとつ乱れてない。
 これが本物のルウ。そのなかでも最も優れた三匹。……すごいな。
 仕事を教えてもらってた頃もルウはすごいって思ったけど、筆頭は七つ上だし次席は五つ上。だから経験とかの差かなと思ってた。
 でも三席は二つ前の冬に成人したばかり。俺とそんなに変わらない。
 子狼の頃は良くかけっこしたし、足が速いのは知ってた。けど、こんなに違うなんて。

「しかしあの薬、最悪だったな」

 筆頭が苦笑気味に言う。

「やっと感覚が戻ってきた。やばかったなー」

 次席が続けて、「いやホント、怖かったス」と三席が呟く。

「飲んでても臭くてうるさくて、しんどかったス。聞いてた以上に、ひと族ってヤバいスね」
「もう絶対にあんなもの飲まないぞー俺は」

 次席が言うと、筆頭は俺を少し背負い上げて、クッと笑う。

「俺だって二度とごめんだよ。だがアルファが命じれば従うさ」
「……スね」
「そうですねー。嫌ですけど俺はー」

 軽い調子で話してるルウたちの声を聞いて、なんだかがっかりした。
 あの薬を飲んでも感覚を殺しきれない。それくらい本物はすごいんだ。俺がひと族の町で過ごせたのは、そこまで感覚が鋭くなかったってことなんだ。

「安心しろ、ひと里に行くなんてもう無いだろうよ」
「……ごめんなさい」

 俺が逃げたから、だからこんなに優れたルウが感覚を抑えてひと里に来た。抑えなければ、ひと里には近寄れないから、あの薬を飲んでまで。

「気にしすぎない程度に気にしてくれ」

 筆頭が笑った気配がした。

「ひと族ってみんな、あんななの? よく生きていけるっスね」
「そういう能力なのかもなー」
「臭いのもうるさいのも平気な能力ってなんスか」
「知るかよー」

 走りながら次席と三席が喋ってる。次席が「ほれ」と干し肉を差し出した。

「腹減ってるだろー。俺らの特別製で固いから、良く噛めよー」
「え、でも走ってるのに」

 背負われてる俺だけ食べるなんて、走ってるみんなに悪い……と思ったら三匹とも足を止めることなく、モグモグ干し肉食ってた。腰に付けた皮袋に入ってるらしい。

「行儀悪いんじゃない? 俺たちと狩りに行くときは座って食べてたよね。むしろ俺たちが遊んでたら、ちゃんと座って食えって叱られたよね」

 次席なんていっぱい怒鳴るし、すごくおっかなかった。筆頭はいつも静かだけど、目つき鋭いし迫力あるんだ。逆らえない感じで。

「ああ、そりゃ、あんときはなー」
ガキどもおまえらに仕事教えてんだし、躾もしないとだろ」
「いつもと同じにはできんよ」
「えー……」

 なんとなく騙された感じがした。だって俺はルウとしてちゃんとやれるって、かなり自信あったのに。
 干し肉を食い終えると、次席がラムウの実をくれた。

「喉渇くから、こいつをくちに入れてろー」

 背の低い木の実で、ドングリより少し大きいくらい。郷近くの山の崖の日当たり良いところに生えてる。すごく酸っぱいからおやつにはならないけど、採ってくと褒められる。なにに使うのかって思ってたけど……

「くちに入れといたら唾が出てくるから、それ飲めー」

 次席が言うから、水を飲めば良いのにと不思議に思う。

「川はないの?」
「止まってるヒマ無いからな」

 筆頭が言うと、三席が続ける。

「ホントは酒作る時に使うもんだけど、急ぐときはコレくちに入れるんだよ」
「どうしてそんな急いで……」

 ずっと走ってるんだし、みんな少し休んだ方が良いんじゃないかと思ったのに……次席が言った。

「おまえのせいだろー。シグマに言われたからなー」
「え、俺……?」
「そうそう、とにかく急げってさー」
「そ、それってどういう……」

 筆頭がチラッと俺を振り返った。

「よく分からんが、アルファとシグマが言うなら俺らは従うさ」
「……そっか」

 そうだよな。
 それが人狼おれたちだ。上が命じ、下は従う。それが群れだ。
 町にいた時、“自由”とか言われたけど、どんどん苦しい感じになった。やっぱり俺は人狼で、群れの一員なんだって思う。

「ガンマも慌ててたしな」
「あー、おまえ戻ったらガンマのところに連れて行くからなー」

 そういえばシグマは、これからガンマと協力とかなんとか言ってたような気が……ああ、そっか。俺、オメガなんだ。もう逃げられないんだ。そうしないと郷が困るなら……俺だって従うしかないんだろう。
 背中にしがみついたまま考えてたら、次席が言った。

「そうだ、これ言っとけって言われてたんだったー。ベータは郷にいないから安心しろってー」
「え?」

 ベータが? どういうことだ?

「あいつイヤだとか大騒ぎしてただろー」
「ガンマが声裏返して怒ってたな」
「ああ、あの声! 初めて聞いたっスよ!」
「えっ?」

 ものすごく興味が湧く。

「あれは笑ったー」
「確かに。あんな声とはな」

 え? どんな声してるんだ?

「あんな甲高い声だったなんてなー!」
「まじで? 俺も聞きたい!」
「いいからおまえはラムウ食っとけー」
「うわ、すっぱぁ!」

 高速で走り抜けながら、俺と三匹は笑った。
 いや俺は背負われてるだけだけど。
 ルウの三匹は、かわりばんこに背負い合って短く眠り、昼も夜も足を止めずに走り続けてる。けど息の乱れもなければ汗ひとつかいてる様子もなく、まるでお茶を飲みながらおしゃべりしてるみたい。まだ新月から何日も経ってないはずなのに。びっくりするほど速く走ってるのに。
 俺は満月から夜三つ走り続けただけで倒れちゃったのに、三匹はまるで平気に見える。
 こんなに違う。
 俺はぜんぜんだ。なにもできない。
 筆頭の背中にしがみついたまま、落ち込んできた。
 しみじみ思う。一緒にルウの仕事してて、今までもルウはすごいと思って尊敬してたけど、想像できないレベルで凄まじいんだ。俺なんかとぜんぜん違うじゃないか。
 自分の能力とか、周りの能力とか、分かってなかった。ちゃんとルウの仕事をやれるなんて思ってたけど、俺なんてぜんぜんダメじゃないか。

「やっぱり俺、ルウには成れなかったんだな……」
「なに言ってんの、成人前が分かったようなことを」
「鍛えてんだよー、俺らは」
「成人してから鍛えんと、使えるようにはならんよ」
「え。でも成人って十八になって階位が決まるって事だよね? 他にもなんかあるの?」

 そう聞くと、三匹とも笑った。

「違うって、成人の儀を超えると変わるんだって。階位に合った身体にさ」
「それからさらに鍛えて、やっと使えるようになるんだぞー。俺らが成人前に負けられっかよー」
「成獣になって変わるのは、身体だけじゃないがな」

 そうなんだ……ひとつ年取るだけじゃないんだ。成獣になるって、そんなにすごいことなんだ。

「まあ、別格なやつもいるがな」
「ベータとシグマはすごいよなー」
「俺が成人したときもうベータだったから、そっちは知らねえけど、シグマは最初からすごかったスね」
「ああ、あいつもすぐ筆頭になったな」
「走るの遅いくせにな!」
「木から落ちるしなー!」

 足を緩めることなく、三匹はまた笑った。
 そんなふうに、会話だけ聞いてたらお気楽なのに、ルウは昼も夜も止まらず走り続ける。
 背負われたままなのに、走ってるわけじゃないのに、俺はやっぱりおかしくて。
 薬が切れてくると、ベータの声が響いてくる感じがして身体は熱くなる。胸がモヤモヤ苦しくて力が入らなくて、背中からずり落ちそうになる。
 すると背負ってるルウが気づいて立ち止まり、イプシロンの薬を飲まされる。水を飲む暇もないと言っていたのに止まって、薬が効いてきて落ち着くまで待ってくれる。いつのまにか果実を採ってきて、食えと言われたりもした。しんどくなって干し肉を食えなくなってたからだろう。果実なら少しは食えた。
 俺が落ち着いてきたら違う背中に乗って、俺を背負ってたルウはもう一匹の背中に乗って仮眠する。俺も背中で揺られながら眠れと言われた。
 無理だと思ったのに、感覚が薄れると俺は寝てしまう。目が覚めたら違う背中に移る。

「お前が寝て起きたら交代って、分かりやすくていいな」
「おまえー、いつまで俺の背中に乗ってる気だー」

 次席が恨めしげな声をかけ、「あれ、先輩気が付いちゃった?」調子よい声を上げた三席を振り落としたりして、思わず笑っちゃう。

「お、笑った! イイねその顔、その調子~」
「少しは元気出たか」
「まあー、俺の背中に乗ってたら居心地良さに笑うしかないよなー」

 三席はおちゃらけて、筆頭は言葉少なに、次席は冗談交じりに、俺を気遣ってくれる。
 三匹に疲れた様子は見えない。むしろ月が満ちるに合わせて、走る速度は早くなってる。
 背負われてるだけの俺の方がひどく疲れて、必死にしがみついてるのに落ちそうになったりした。
 寝たり起きたりでハッキリしないけど、たぶん夜を五つくらい超えるほど走り続け、昇った陽が落ちようとする頃。知ってる匂いがしてきた。
 森に帰ってきたんだ。もうすぐ郷に着くんだ。

「また熱くなってきたな」

 速度を緩めず走り続けながら筆頭が言うと、次席も続けた。

「疲れたかー? けど森が見えたら薬はダメって言われてんだよなー」
「あとちょっとだから頑張れ?」

 声を掛けてきた三席に、筆頭が言う。

「おまえ先に行って、もうすぐ着くってガンマと語り部シグマ次席に伝えろ。荷車に干し草かなんか敷いたやつ用意して迎えに来いって」
「あー、俺らもそろそろヤバイっすねー」
「スね! うーっす行きまーす」

 じゅうぶん速く走ってると思ったのに、三席はさらに足を速めた。

「おまえの足! 異常だなー!」
「言い方だいじ! ひでーよ!」

 次席に抗議の声を声を上げながら、三席の背中はみるみる遠くなっていく。
 逆に筆頭は速度を緩め、次席の手が俺の腰を支えるみたいに添えられた。
 こんなにも、成獣は強く優しい。
 知らなかったよ。
 それだけじゃない。郷には、人狼には、俺の知らないこと、子狼たちに知らされてないことが、たくさんあるんだ。そんなことも知らなかった。
 俺もこれからそれを知って、郷のために働く、んだ、よな。
 ……オメガになって……。
 アルファの鈍銀の瞳が浮かぶ。ごわごわしてそうな銀灰の毛も、ちょっと眠そうな目も。

 ──────番うんだ。アルファと。

 子作りって、どんなことするのかな。
 その時になったらおのずと分かるって言われてるけど、もしかして、あの夜ベータがやったようなこと、なのかな。思い出しただけで身体が熱くなるみたいな、あんな……
 ぞくり、と背筋が凍る。
 いやだな。すごくいやだな。なんだかすごく。ちょっと想像しただけで、指先が冷えて震えるくらい、ものすごく嫌だな。
 ギュッと目を閉じて、頭からアルファを追い出した。
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