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1章 Run after me -若狼-
13.声
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膠がすっかり落ちていたブーツは館の職人が綺麗に直してくれた。
それを履き、郷にいた頃着ていた服を身に着けた。
月が満ちようとしている。変化するならこの服の方がいい。
そう考えながらウサギのベストを重ねる。
アグネッサにもらったカネと貯めていたカネは皮の小袋に入れて腰につけた。背負い袋に貰った服いくつかを適当に詰め、屋敷を出る。
はあッと息を吐き、自分に気合を入れる。
発情したのは初めてだけど、こんなに辛いものなのか。
とにかく行こう。
ベータが入ってこれるってことは、ルゥだって入ってこられるのかもしれない。居場所が分かってしまった以上、もうここにはいられない。
前から考えてたんだ。ここが見つかったら鉱山へ行こうって。
鉱山は山を掘る所でひと族がたくさんいる。しかも男が多いと聞いた。紛れ込みやすいだろう。宿や店も多いらしいので、ここで学んだことを生かして働けるんじゃないか。馬車で一週間と三日かかると聞いたけれど、満月まで夜五つだし、早ければ満月前に着くだろう。
―――そう思ってたのに、ぜんぜんダメだ。
暗いうちになるべく走って距離を稼ごうと考えたのに、走り続けられない。
疲れ、というのは違う。匂いも気配もまったく遮断できないので、肌がそそけるような状態が続いていて、全身が熱を持って汗がダラダラ流れ続け、足も手も腹も力が入らないし、頭がぼうっとして全身怠い。
この月齢なら飲まず食わずで夜通し行けるはずなのに、ぜんぜん無理。ひどく腹が減ったような、何も食いたくないような感じ。わけが分からない。
あの時あいつに呪いでも掛けられたのか。精霊師でもないのに、そんなことができるのか。
それとも人狼の本能が、能力が、衰え始めてるのだろうか。
そう考えて、さらにゾクゾクした。
夜のうちに狩りをして何か食おうと思ってたのに、ダメだった。気配を抑えられないから獲物に使づけないのだ。
人狼の気配を感じると、たいていの獣は逃げる。素早く追えばいいんだけど足に力が入らなくて、走ってもぜんぜんダメだった。
カネはあるから、ひと里で食料を得ればいいんだけど、全部感じとってしまうこの状態でひと族に近づくのはきつい。
実りの季節だし、果実か木の実でも採ろうと思ったけれど木に登れない。足がうまく動かなくて手に力が入らなくて、すぐ落ちてしまう。
これじゃ語り部と一緒だ。
シグマはとても賢くて、たくさんのことを知ってるし、お話もうまい。郷のことを子狼にもわかりやすく説明できるし、大切なこともたくさん考えてる。けれど鼻は利かないし走れば遅いし木に登れば落ちる。三歳の子狼だって木登りくらいできるってのに、シグマは全然ダメなんだ。なのにくちで挽回しようとするからうるさくて……
子狼みんなで陽気で騒がしい語り部をからかったことを思い出し、くすっと笑ってから泣きたくなった。
あのうるさい声を聞くことも、なくなるのかな。
ベータにも……もう会えないのかな。
慌てて頭を振り、浮かびそうになる顔を追い出す。
それでも消えない。声が。
ずっと、ずっと―――
声がするんだ。
『蒼の雪灰』
夜が明けてきた。
足に力を入れ、一歩一歩進む。朝もやの中、ひと里が見えた。
その前から匂う。聞こえる。
落ち着かなく吠える犬、そのビビった匂い。宥める牧夫の声と汗ばんだ匂い。おびえた匂いをまき散らす羊の鳴き声。ときおり糞尿も臭う。畑に水を運ぶ音と一緒に、ひどく臭い匂いも。
イラっとする。
犬が尻尾巻いて逃げた。牧夫が追い、羊が騒ぐ。
―――疲れる。
抑えないと。
抑えたい、なのにできない。
声がする。ダメだ、聞くな。
『蒼の雪灰』
見えてからひと里まで歩くのに、ひどく時間がかかった。
日はすっかり上って炊事の煙が上がってる。ひと族の気配がする。匂う。
羊、犬、幼子、赤子、雌、雌、雌、赤子、雄、犬、鶏、幼子、老いた雄、老いた雌、雄、雄、若い雄、雄、若い雄、雄……それにいろんな食い物、ミルクやお茶、スープ、また糞尿、糞尿、……町ほどじゃないけど、ひと族の集まるところは糞尿の臭いがする。
うるさい。くさい。イライラする。
ちゃんと始末すれば、糞尿だって精霊が香しくする。なのに、なんでだ? なんで始末しない?
いくら服や家を作るのがうまくたって、こんな匂いじゃ台無しだろ? 香油でごまかすとかバカだろ!
『蒼の雪灰』
声がする。ダメだ、聞くな。
木にすら登れないこんな状態じゃ、ひと族にカネを渡して食い物を得るしかない。食い物を得る手が他にない。仕方ないんだ。
うるさい。くさい。イライラする
多めに手に入れよう。もうひと里に寄らなくて済むように。
ひと族の里に入る。さっきまでよりもっと酷い。
いろんなものに打ちのめされながら、多めにカネを渡し、硬いパンとたくさんのチーズを背負い袋に入れる。
くさい雄が声をかけてきた。
「おい若いの、そんな食いもん持ってどこ行く?」
「鉱山」
「あんたが鉱山? なにしに」
「働く」
「はあ? あんたが鉱山で働くって? やめとけやめとけ!」
「……?」
雄はちょうど鉱山から帰ってきたところだと言った。
「あんたみたいのが行くような、お上品なとこじゃねーよ? 野郎ばっかできったねえし」
「いいよ」
「なにヤケになってんだ。ひっどくクサいんだぞ、あそこは」
「……!!」
ひと族ですら臭い? なんてことだ。
「悪いこと言わん、やめとけ」
打ちのめされた気分で頷くと、くさい雄は背中を叩いた。
「気を落としなさんな。おめえさんなら、いくらでもいい働き口があるだろうよ」
そんなとこで暮らせるわけ無い。絶対に無理だ。
仕方ない。行く先を変えよう。
鉱山よりもっと遠い、王都と呼ばれるところ。前にちょっと聞いた、ひと族の王とやらがいるところらしい。
とても美しい所だと聞いた。きっと臭くない場所があるはず。それに鉱山よりもっとたくさんひと族がいるとも聞いている。
きっとそこなら隠れられる。これからそこで暮らすんだ。
なのに声がする。
『蒼の雪灰』
聞こえて……いや、感じてしまう。
耳に響くんじゃ無い。身体の奥から滲み上がるみたい。
ベータの部屋で、ふくれあがる存在感を感じ取った、あのときから俺はおかしい。おかしくなってる。
あのとき……わけ分からなくて、分からないことになって……あれは、ベータだから、ああなったんじゃ?
ベータが番だから、あんなことになったんだろ? それとも俺がオメガだから?
そうなんだろうか。オメガは番じゃなくても、誰とでも……?
それは……やだな。すごくやだ。
じゃあどこが変わる? オメガになったらどう変わる? 身体が熱くなる? この間みたいに?
儀式を超えたみんなと同じ? それとも違う? 成獣になると、みんなこんな感じなのか?
俺はまだ成人前で、なにも学んでない。
知ってるのは、オメガはアルファの番で雄なのに仔を産めるってことだけ。
『蒼の雪灰』
子狼の頃から憧れていた、儀式。
冬になると行われる、成人の議。
ついこの間まで転げて遊んでいたやつらが、儀式から戻ると見違えるほど変わっていた。成獣としての気配と匂いを身につけ、とても立派になってた。
成獣になるって、階位に選ばれるって、そういうことなんだなぁって、なんとなく思ってた。けど……それだけじゃないんだ、きっとなにか学ぶんだ。だからあんなに違うんだ。成獣に、変わるんだ。
でもベータが言った。やっぱり俺は、オメガなのか?
オメガってことは、仔を産めるってことだ。今の俺は違うよな。……郷に戻ると、変わるんだろうか。
俺は────成獣になるのに必要なことを、知ることができない。
『蒼の雪灰』
銅色の強い髪の感触、熱かった肌や、匂いや、
……色々思い出しそうになる、あの時みたいに身体が───だから夜は歩いた。
気配は感じない。追ってきてない。なのに……俺を呼んでる。
ような、気がする。
どこにいるの? どうして俺を呼ぶの?
『蒼の雪灰』
あの声で、言った。
郷に戻っろう、オメガだって。
アルファと番う。それだけは絶対に嫌だ、ダメだ。
それが正しい答え。でもずっと胸がモヤモヤしてる。だって郷に戻らないってことは、ベータと逢えないってことだ。
……逢いたい。
あんなに怖かったのに。
なのに逢いたい。逢いたい。逢いたくてたまらない。
これってやっぱり、俺の番、そういうことなんじゃ?
『蒼の雪灰』
胸の中がモヤモヤする。
そうでなくても感覚を抑えられない身体は熱を持って、ひどく怠い。
一日中走るなんて無理。夜の間は休めばいい。
……でも、夜じっとしてると、しつこく響く。
『蒼の雪灰』
少し掠れた、低い……。
身体の奥から滲み上がるみたい。響いてくる。
俺は変だ。
慣れてるはずなのに、感覚を閉じられない。
『蒼の雪灰』
────聞こえる。聞こえ続ける。
こんなの、普通じゃ無いよな? これで番じゃない?
『蒼の雪灰』
もう全然分からない。それとも俺は、狂ってるのかな。身体だけじゃなく心も、頭も、おかしくなったのかな。
『蒼の雪灰』
身体は怠いまま。すぐ疲れるし喉がひどく渇く。腹も減る。満月になっても変化しない。
胸の奥のモヤモヤのせいか。それとも……
『蒼の雪灰』
あの声がずっと追ってきている、からなのか。
逃れてからずっと、声だけ追ってくる。
閉じられないからひと族のいるところは辛い。なのに王都に向けて進めば畑や家が増える。どこにでもひと族がいる。臭くなる。
ひと族は臭くする。街道にはひと族がたくさん。
『蒼の雪灰』
聞こえ続ける。
気配も無いのに、追ってきてるわけないのに、すぐ後ろで言われてるみたいに。
耳に聞こえるんじゃない。
身体の一番深いところに刻印されて、そこから湧いてくるみたい。いや背中から追ってくるみたい。風に乗ってくるみたい。月から降ってくるみたい……分からない。
けど嫌じゃない。
『蒼の雪灰』
あの響きが湧いてくる。
そのたび身体の自由が奪われていくよう。焦れるのに、なのに嫌じゃない。
もっと呼んで?
俺を呼んでよ。
『蒼の雪灰』
近くに来てくれないかな。
触れたいな。匂いたいな。
思うと身体が熱く。気づいたら発情してる。
『蒼の雪灰』
ひと族のいない畑の脇の森で、小さな村で一晩だけ借りた小屋で
俺はあの夜みたいに──────
「あっ、……ああ……」
『蒼の雪灰』
あの夜ベータの手がしたみたいに
熱を持って昂ぶるものを擦った。
でも違う。うまくできない。
『蒼の雪灰』
自分の手じゃ、
ダメなんだ。
あの時みたいには……
『蒼の雪灰』
なんとか精を吐き出して、でも熱は収まらない。
俺はずっと、おかしい。
新月になって、声があまり聞こえなくなってきた。感覚を閉じることもできるようになった。
すっかり疲れ果ててた。
食欲も無い。
少し大きな町で宿を取った。
貰った湯で久しぶりに身体を拭き、寝台に転がって。
────すぐに寝てしまった。
それを履き、郷にいた頃着ていた服を身に着けた。
月が満ちようとしている。変化するならこの服の方がいい。
そう考えながらウサギのベストを重ねる。
アグネッサにもらったカネと貯めていたカネは皮の小袋に入れて腰につけた。背負い袋に貰った服いくつかを適当に詰め、屋敷を出る。
はあッと息を吐き、自分に気合を入れる。
発情したのは初めてだけど、こんなに辛いものなのか。
とにかく行こう。
ベータが入ってこれるってことは、ルゥだって入ってこられるのかもしれない。居場所が分かってしまった以上、もうここにはいられない。
前から考えてたんだ。ここが見つかったら鉱山へ行こうって。
鉱山は山を掘る所でひと族がたくさんいる。しかも男が多いと聞いた。紛れ込みやすいだろう。宿や店も多いらしいので、ここで学んだことを生かして働けるんじゃないか。馬車で一週間と三日かかると聞いたけれど、満月まで夜五つだし、早ければ満月前に着くだろう。
―――そう思ってたのに、ぜんぜんダメだ。
暗いうちになるべく走って距離を稼ごうと考えたのに、走り続けられない。
疲れ、というのは違う。匂いも気配もまったく遮断できないので、肌がそそけるような状態が続いていて、全身が熱を持って汗がダラダラ流れ続け、足も手も腹も力が入らないし、頭がぼうっとして全身怠い。
この月齢なら飲まず食わずで夜通し行けるはずなのに、ぜんぜん無理。ひどく腹が減ったような、何も食いたくないような感じ。わけが分からない。
あの時あいつに呪いでも掛けられたのか。精霊師でもないのに、そんなことができるのか。
それとも人狼の本能が、能力が、衰え始めてるのだろうか。
そう考えて、さらにゾクゾクした。
夜のうちに狩りをして何か食おうと思ってたのに、ダメだった。気配を抑えられないから獲物に使づけないのだ。
人狼の気配を感じると、たいていの獣は逃げる。素早く追えばいいんだけど足に力が入らなくて、走ってもぜんぜんダメだった。
カネはあるから、ひと里で食料を得ればいいんだけど、全部感じとってしまうこの状態でひと族に近づくのはきつい。
実りの季節だし、果実か木の実でも採ろうと思ったけれど木に登れない。足がうまく動かなくて手に力が入らなくて、すぐ落ちてしまう。
これじゃ語り部と一緒だ。
シグマはとても賢くて、たくさんのことを知ってるし、お話もうまい。郷のことを子狼にもわかりやすく説明できるし、大切なこともたくさん考えてる。けれど鼻は利かないし走れば遅いし木に登れば落ちる。三歳の子狼だって木登りくらいできるってのに、シグマは全然ダメなんだ。なのにくちで挽回しようとするからうるさくて……
子狼みんなで陽気で騒がしい語り部をからかったことを思い出し、くすっと笑ってから泣きたくなった。
あのうるさい声を聞くことも、なくなるのかな。
ベータにも……もう会えないのかな。
慌てて頭を振り、浮かびそうになる顔を追い出す。
それでも消えない。声が。
ずっと、ずっと―――
声がするんだ。
『蒼の雪灰』
夜が明けてきた。
足に力を入れ、一歩一歩進む。朝もやの中、ひと里が見えた。
その前から匂う。聞こえる。
落ち着かなく吠える犬、そのビビった匂い。宥める牧夫の声と汗ばんだ匂い。おびえた匂いをまき散らす羊の鳴き声。ときおり糞尿も臭う。畑に水を運ぶ音と一緒に、ひどく臭い匂いも。
イラっとする。
犬が尻尾巻いて逃げた。牧夫が追い、羊が騒ぐ。
―――疲れる。
抑えないと。
抑えたい、なのにできない。
声がする。ダメだ、聞くな。
『蒼の雪灰』
見えてからひと里まで歩くのに、ひどく時間がかかった。
日はすっかり上って炊事の煙が上がってる。ひと族の気配がする。匂う。
羊、犬、幼子、赤子、雌、雌、雌、赤子、雄、犬、鶏、幼子、老いた雄、老いた雌、雄、雄、若い雄、雄、若い雄、雄……それにいろんな食い物、ミルクやお茶、スープ、また糞尿、糞尿、……町ほどじゃないけど、ひと族の集まるところは糞尿の臭いがする。
うるさい。くさい。イライラする。
ちゃんと始末すれば、糞尿だって精霊が香しくする。なのに、なんでだ? なんで始末しない?
いくら服や家を作るのがうまくたって、こんな匂いじゃ台無しだろ? 香油でごまかすとかバカだろ!
『蒼の雪灰』
声がする。ダメだ、聞くな。
木にすら登れないこんな状態じゃ、ひと族にカネを渡して食い物を得るしかない。食い物を得る手が他にない。仕方ないんだ。
うるさい。くさい。イライラする
多めに手に入れよう。もうひと里に寄らなくて済むように。
ひと族の里に入る。さっきまでよりもっと酷い。
いろんなものに打ちのめされながら、多めにカネを渡し、硬いパンとたくさんのチーズを背負い袋に入れる。
くさい雄が声をかけてきた。
「おい若いの、そんな食いもん持ってどこ行く?」
「鉱山」
「あんたが鉱山? なにしに」
「働く」
「はあ? あんたが鉱山で働くって? やめとけやめとけ!」
「……?」
雄はちょうど鉱山から帰ってきたところだと言った。
「あんたみたいのが行くような、お上品なとこじゃねーよ? 野郎ばっかできったねえし」
「いいよ」
「なにヤケになってんだ。ひっどくクサいんだぞ、あそこは」
「……!!」
ひと族ですら臭い? なんてことだ。
「悪いこと言わん、やめとけ」
打ちのめされた気分で頷くと、くさい雄は背中を叩いた。
「気を落としなさんな。おめえさんなら、いくらでもいい働き口があるだろうよ」
そんなとこで暮らせるわけ無い。絶対に無理だ。
仕方ない。行く先を変えよう。
鉱山よりもっと遠い、王都と呼ばれるところ。前にちょっと聞いた、ひと族の王とやらがいるところらしい。
とても美しい所だと聞いた。きっと臭くない場所があるはず。それに鉱山よりもっとたくさんひと族がいるとも聞いている。
きっとそこなら隠れられる。これからそこで暮らすんだ。
なのに声がする。
『蒼の雪灰』
聞こえて……いや、感じてしまう。
耳に響くんじゃ無い。身体の奥から滲み上がるみたい。
ベータの部屋で、ふくれあがる存在感を感じ取った、あのときから俺はおかしい。おかしくなってる。
あのとき……わけ分からなくて、分からないことになって……あれは、ベータだから、ああなったんじゃ?
ベータが番だから、あんなことになったんだろ? それとも俺がオメガだから?
そうなんだろうか。オメガは番じゃなくても、誰とでも……?
それは……やだな。すごくやだ。
じゃあどこが変わる? オメガになったらどう変わる? 身体が熱くなる? この間みたいに?
儀式を超えたみんなと同じ? それとも違う? 成獣になると、みんなこんな感じなのか?
俺はまだ成人前で、なにも学んでない。
知ってるのは、オメガはアルファの番で雄なのに仔を産めるってことだけ。
『蒼の雪灰』
子狼の頃から憧れていた、儀式。
冬になると行われる、成人の議。
ついこの間まで転げて遊んでいたやつらが、儀式から戻ると見違えるほど変わっていた。成獣としての気配と匂いを身につけ、とても立派になってた。
成獣になるって、階位に選ばれるって、そういうことなんだなぁって、なんとなく思ってた。けど……それだけじゃないんだ、きっとなにか学ぶんだ。だからあんなに違うんだ。成獣に、変わるんだ。
でもベータが言った。やっぱり俺は、オメガなのか?
オメガってことは、仔を産めるってことだ。今の俺は違うよな。……郷に戻ると、変わるんだろうか。
俺は────成獣になるのに必要なことを、知ることができない。
『蒼の雪灰』
銅色の強い髪の感触、熱かった肌や、匂いや、
……色々思い出しそうになる、あの時みたいに身体が───だから夜は歩いた。
気配は感じない。追ってきてない。なのに……俺を呼んでる。
ような、気がする。
どこにいるの? どうして俺を呼ぶの?
『蒼の雪灰』
あの声で、言った。
郷に戻っろう、オメガだって。
アルファと番う。それだけは絶対に嫌だ、ダメだ。
それが正しい答え。でもずっと胸がモヤモヤしてる。だって郷に戻らないってことは、ベータと逢えないってことだ。
……逢いたい。
あんなに怖かったのに。
なのに逢いたい。逢いたい。逢いたくてたまらない。
これってやっぱり、俺の番、そういうことなんじゃ?
『蒼の雪灰』
胸の中がモヤモヤする。
そうでなくても感覚を抑えられない身体は熱を持って、ひどく怠い。
一日中走るなんて無理。夜の間は休めばいい。
……でも、夜じっとしてると、しつこく響く。
『蒼の雪灰』
少し掠れた、低い……。
身体の奥から滲み上がるみたい。響いてくる。
俺は変だ。
慣れてるはずなのに、感覚を閉じられない。
『蒼の雪灰』
────聞こえる。聞こえ続ける。
こんなの、普通じゃ無いよな? これで番じゃない?
『蒼の雪灰』
もう全然分からない。それとも俺は、狂ってるのかな。身体だけじゃなく心も、頭も、おかしくなったのかな。
『蒼の雪灰』
身体は怠いまま。すぐ疲れるし喉がひどく渇く。腹も減る。満月になっても変化しない。
胸の奥のモヤモヤのせいか。それとも……
『蒼の雪灰』
あの声がずっと追ってきている、からなのか。
逃れてからずっと、声だけ追ってくる。
閉じられないからひと族のいるところは辛い。なのに王都に向けて進めば畑や家が増える。どこにでもひと族がいる。臭くなる。
ひと族は臭くする。街道にはひと族がたくさん。
『蒼の雪灰』
聞こえ続ける。
気配も無いのに、追ってきてるわけないのに、すぐ後ろで言われてるみたいに。
耳に聞こえるんじゃない。
身体の一番深いところに刻印されて、そこから湧いてくるみたい。いや背中から追ってくるみたい。風に乗ってくるみたい。月から降ってくるみたい……分からない。
けど嫌じゃない。
『蒼の雪灰』
あの響きが湧いてくる。
そのたび身体の自由が奪われていくよう。焦れるのに、なのに嫌じゃない。
もっと呼んで?
俺を呼んでよ。
『蒼の雪灰』
近くに来てくれないかな。
触れたいな。匂いたいな。
思うと身体が熱く。気づいたら発情してる。
『蒼の雪灰』
ひと族のいない畑の脇の森で、小さな村で一晩だけ借りた小屋で
俺はあの夜みたいに──────
「あっ、……ああ……」
『蒼の雪灰』
あの夜ベータの手がしたみたいに
熱を持って昂ぶるものを擦った。
でも違う。うまくできない。
『蒼の雪灰』
自分の手じゃ、
ダメなんだ。
あの時みたいには……
『蒼の雪灰』
なんとか精を吐き出して、でも熱は収まらない。
俺はずっと、おかしい。
新月になって、声があまり聞こえなくなってきた。感覚を閉じることもできるようになった。
すっかり疲れ果ててた。
食欲も無い。
少し大きな町で宿を取った。
貰った湯で久しぶりに身体を拭き、寝台に転がって。
────すぐに寝てしまった。
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