意地っ張りの片想い

紅と碧湖

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17.意地っ張りの片想い

215.認識合わせ

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 あまりに忙しい毎日で、仕事以外に意識が向いてなかった。
 さらに自分の中で『丹生田と別れる』という大問題が発生していたがために、客観的な視点を失ってたんだろ。
 けどそんな理由で丹生田の一大事にまったく気づいてなかったなんて、言い訳にもならないだろ! なにやってんだ!? なにやってんだ俺!?
 それだけでも十分パニクってんのに、ハンリョとかって言い出すから、もうもうもう、もう無理! 限界超えた!
「ちょい! ちょい整理! 整理させて! ちょい待って!」
 まずパニックから立ち直ろうと必死に脳細胞を働かせようと────してんだけど! つうかアタマ働かない!
 もともと主観的な結論で突っ走りがちだという自覚が無いまま、考えは同じ所をグルグルするばかり。ゼンゼン前に進まない。
 え? え? てかどういう? は、はっ、ははは、はんりょって、言ったよな?
 ……てかハンリョ? そそそうハンリョ、ハンリョ、って伴侶、だよな、うん。
 てか伴侶ってアレだよな? あの、あのあのあの……ふっ、夫婦、的な……?
 だよな? そうだよな。だよなっ! てか、てかてかてか
「てか、おまっ!」
 アタマの中が途中から声になる。その自分の声に驚いて、ハッとくちを閉じる。
 その様子を見て、丹生田は「……いいか」睨むような目のまま、低く問うた。



 呆けたような顔でくちを噤んだまま、ウンウン頷く藤枝を見て、健朗もひとつ頷いた。
「俺が一人で行って住む場所を探しても良いが、一緒に行った方が良いのなら合わせる」
 低く告げると
「いや、だから一緒にって」
 まだ動揺が消えない声が返ったが、健朗は強引に声を進めた。
「どっちだ。一人で行って部屋を決めても良いのか」
「や、……いや、俺も」
「なら、一緒に行こう」
 藤枝はこちらから目を離さずに、すぅぅ、はぁぁ、と深呼吸して「うん」と頷いた。
 健朗は目を細める。少し落ち着いたようだと判断したのだ。
 パニクり癖と突っ走る傾向を熟知している自分だからこそ、藤枝をこうまでコントロール出来る。他の誰も、こうまでタイミングを計ることは困難だと言ったのは、橋田だったか、仙波だったか。
「その前に、おまえの会社でこの部屋を使うかどうか、確認が必要だろう。ショールームで使ったときは、藤枝がオーナーに話していたが、忙しいなら俺から話しても良い」
 淡々とした声で続けると、クールダウンしてきた藤枝は、伸びすぎた前髪を何度も後ろにかき上げ、深呼吸を繰り返している。
 その様子を黙って見やり、小さく頷いた。すっかり通常の冷静さを取り戻している自分に、満足したのだ。
 いや、むしろ、いつもに増して頭は冴え渡っている。コレからの生活を確かなものにするのだという意欲が発動させた、仕事モードになっていた。
 長く作業の監督をしていたため、脳は自動的に必要事項を上げ、優先順位をつけていく。
「引っ越し先にもよるが、できたらこの家具は持って行きたいと思う。俺たちで買ったものだし、問題は無いだろう。引っ越しにまつわる雑事は俺に任せてくれ。柘植が結婚したとき、勝手に色々言っていたので、ノウハウは記憶に残っている。藤枝は忙しいだろうから、無理をするな、俺に任せろ」
 部屋を見回しながらの声は淡々としているが、なにげにトーンは上がっている。柘植が新婚時代に話していた内容を覚えていたのは、自分が藤枝とそうなったときに必要なノウハウだと考えたからである。むろんそんなことは恥ずかしすぎて言えないが、顔は無自覚にニヤリと笑んでしまっている。
 嬉しくてしょうがない。
 ずっと言えずにいたことを、ようやく、くちに出せたのだ。
 自分と藤枝が伴侶であるということ。伴侶とは、死ぬまで共に連れ立って行くもの。つまり自分と藤枝は、生涯を共にするということだ。
 あの賢い妹が当たり前に言ったことが間違いであるはずが無い。ゆえに健朗の中で、それは既定となっていた。しかし藤枝にもその認識があるという確信が無かった為、恐れを感じていた。
 好きだと言ってくれている。しかし生涯を共にするような意識は無いとしたら。いつか離れていくのではないか。
 今は動転が勝っているが、藤枝に拒否する気配は無い。ゆえに健朗は、彼にしては珍しく浮かれていた。浮き立つ心を抑えることへなど意識は向かない。
 藤枝が認識を自分と同じにするならば、この関係は確固としたものになる。つまり家族となり、この関係は永劫続くのだ。
「……そうだ。入籍はするのか」
 浮かれついでに、くちから飛び出した言葉に、しかし藤枝は、くちをあんぐり開け、声も出ない様子だったので、ハッとする。
 いかん、先走ったかと奥歯を噛みしめて反省し、健朗も声のトーンを下げた。
「…………いや、藤枝の気が進まないというなら、別になくても良いが」
 低く言って目を逸らせた健朗に、
「……てか!」
 怒鳴り声と共に立ち上がった藤枝が腕を伸ばす。
「おま! いっ、いつからンな……っ」
 シャツの襟首を掴み、全力で健朗を揺さぶった。
「んなコト考えてたんだよっ!!」
 いつからだろう。
 抗うこと無く揺さぶられながら自問した健朗は、やがて揺さぶることをやめ、それでも襟元を掴んだまま、息荒く睨み下ろしてくる藤枝の目をまっすぐに見返した。
 伴侶と考えたとき、という事だろうか。それなら……
「おそらく、ココに引越したときには」
「はあ!? 四年も前じゃん! 言えよバカ!」
「……言っていただろう」
 健朗は、大学三年の夏、ホテルで精一杯の告白をして、その時点で自分の気持ちが伝わっていると、微塵も疑いなく思っている。その後も折々に、言わずとも分かってくれている、さすが藤枝だと納得していた。
 卒業時、同居を考えていなかった藤枝に衝撃を覚えたが、結果的に同意を受け、ソコから健朗なりの努力もしてきたつもりだ。
 ひとつベッドで眠り、食事を共にして、定期的にセックスもして……藤枝の多忙ゆえに間があくことはあったが、これはもう普通に夫婦だろうという認識だった。
 保美も父もその認識だ。そしておそらく橋田や姉崎も、実質的に婚姻している状態だと思っているだろう。
 しかし
「は? いつ言った? なに言ったつんだよっ!? 聞いてねえよそんなん!!」
 泣きそうな顔で怒鳴られ、健朗は目を見開いて固まった。
「そんなん思ってンなら言えよっ! 言えよバカッ!」
 健朗が常日頃、美しいと思い、見つめるたびに幸福を感じている瞳が……涙を滲ませ歪んでいるのだ。
「俺バカじゃんっ! ずっとずっと俺……俺! 俺……」
 美しい瞳が、長くて濃いまつげに隠れ、そこから……ぽろりと、涙が零れた。
「……俺、俺じゃあ、なんのために今まで……バカじゃんアホじゃん俺……俺……」
 襟元から離れた手がテーブルに落ち、顔を伏せたまま、ガクッと膝をついた藤枝の頬には涙が幾筋も流れ、唇は歪んで震えていた。
「ばっかやろっ、おれ、の……片想いを返せっ! くそバカ丹生田っ!」
「……片想い……?」
 すっかり泣き声になっている、力ない叫びを聞いて、ナチュラルに驚きを露わにする健朗を見ることなく、俯いたままポロポロ涙を流し続ける。
「俺……セフレなんだって……でも超マブだから、一緒にいる、だけで……」
 セフレ、セフレ、セフレ……脳内で検索しても、健朗の語彙には無い言葉であった。無自覚に眉間に皺が刻まれる。地味に静かに、健朗はパニクっていく。
「………それまで一緒にいれればって、だって丹生田……優しいから、だから、だって……いつか丹生田いつか結婚してガキできて、イイ父親になるってだからそれまで……それ……まで……」
 聞き捨てならない。結婚? ガキ? 父親? どこからそんな単語を拾ってきた。どこから出てきた。
「……どうしてそうなる」
 戸惑いの色も濃い低音に、涙「だってそうだろっ!」混じりの裏返った声が返る。
「おま……おまえ……はっ……! 女にモテたいって……言ってたし……っ」
 健朗の眉間の皺は深まった。そんな大昔のことを言われても困る。
 そして健朗は、膝をつき項垂れている藤枝の頭を見下ろしながら、細く息を吐いて呼吸を整えつつ、ひとつまばたきした。仕事でパニクりそうになったとき、いつもやることである。
 不測の事態は、いつも突然訪れる。その度にパニクっていては仕事にならない。ゆえに健朗は、いつもこうして自分を落ち着かせ、冷静に考えられるように持って行くのだ。そうして少し落ち着き、ハッとした。
(───そういえば)
 藤枝は良く、どうしてそうなるか分からない飛躍した言葉を発する。
 おそらく高度な思考が展開されたがゆえの論理の飛躍。橋田や姉崎、そして保美にも見られるものなので、自分などには分からない、高次元な思考経路が存在しているのだろうと今まで流していた。
 が、今回はそうも行かない。
 なぜなら、藤枝が泣いているからだ。これはいけない。藤枝は泣いてはいけない。
 ゆえに健朗は、腰を上げ、ガシッと藤枝の両肩を掴んだ。
「落ち着け。どうしてそうなる」
「だって……だって丹生田、……だって……」
「…………ひとつ、確認して良いか」
 俯いたまま、譫言のような呟く声を漏らし続ける藤枝に聞くと、小刻みに何度も頷いたので、話を聞ける状態にはあるのだと、少し安堵しつつ、健朗は続ける。
「ここに越すとき、おまえは喜んでいたと思っていた。だが……」
 最初の同居は、姉崎の悪巧みを使った。しかしココに引っ越してきたときは、健朗は自分の言葉で伝えた。そのとき藤枝に聞かれて、いずれ終の棲家を手に入れるつもりで貯金していることも明かした。
 笑っていたでは無いか。
 とても楽しそうに、嬉しそうに、笑ったでは無いか。
 足下が脆く崩れる砂の山になったような感覚に、愕然としながら、健朗は呟くようになってしまった低い声を漏らした。
「…………違ったのか」
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