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プロローグ

とある悪魔の憂鬱③

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それから数日経った。
執刀医をこの男がちゃんと行えるように、色々な人間の心を少しだけ操りはしたが、これは秘密にしておいた。
この男は妙に義理堅い者だから、この事を知ってしまったら、また追加で対価を払うと言い出しかねない。
私はこの男からは、これ以上対価を要求するつもりは一切無かったので、黙っておいた方が良いと判断した。


さらに数日経った。
息子の手術は無事に成功した。
だが、息子の目は覚めなかった。
手術自体は成功したので、しばらくしたら目が覚めるとの事。

私とその男の契約期間は、息子が死ぬか、助かるかを見届けるまでと決めていた。
なので、手術自体が終わったあとも、しばらくの間は、その男と行動を共にした。

私の姿は、使役している本人以外には見る事は出来ない。
だから人の多い日中には話す事はほぼ無いのだが、男が一人になる時はよく私に話しかけてくれた。
妻との思いでや、息子との思いで。
何故医者になったか、など色々な事を語ってくれた。
私についても色々と聞いてきた。
書物を読み漁る事が趣味だと言うと、日本で流行っている本について教えてくれたので、魔界に帰還したら、日本産の書物を集めてみようと思った。
私にとって、これが初めての、人間と普通に語りあった期間だった。


一週間後に息子の目が覚めた。
男は大粒の涙を溢しながら、息子を抱きしめた。
息子は少し痛そうな顔をしていたが、ニッコリと笑っていた。
ニッコリと笑った息子の顔を見て、男はさらに声を荒げて号泣した。

今までその男の印象は、気さくで礼儀正しい中年男性という印象だった。
なので、男がこんなにまで声を荒げる姿に少し驚いた。

(あぁ、なるほど)

驚きはしたが、納得もした。
男が藁にも縋る思いで私を呼び出した理由が、この奇跡を信じたからだ。
息子を自分で助けるという奇跡を。

(この者が奇跡を信じた果てに到達出来た光景だな)

私は、人間と言う存在は愚かで醜い存在としか思っていなかった。
それは、私を使役する人間が大抵の場合そうだったから…というのが要因ではあるが。
だから、この光景を見た私は、心が温かくなるような気持ちだった。

(子を思う親の力は、やはり偉大なのだな)

この光景に立ち会えた事に感謝し、その日の晩に私は男の元から去る事にした。

「もう行ってしまわれるのですね。」

「あぁ。契約は履行された。
私の役目は終わったので魔界に帰るとしよう。」

そういうと、男は少しだけ寂しそうな顔をした。

「…寂しくなりますね。
あぁいや、こんな事を言うのも少し恥ずかしいものですが。」

寂しい?

「えぇ、私にとってダンタリオン殿は息子の命を救ってくれた恩人です。
ですが、それだけじゃありません。
短い期間ではありましたが、私にとっては大切な友人でもありましたから。
こんな事を言うのは悪魔に失礼かもしれませんがね。」

そう言って男はアハハと笑っていた。

「息子の生死がかかっている状態だったからこそ、理性を保つのに必死でした。
私は友人も少ない方ですし、こんな状態だと仕事仲間からも話かけてもらえませんしね。
ですが、アナタがいてくれたおかげで、心を落ち着かせる事が出来ました。
たった数日間ではありましたが、色々な話が出来て楽しかったです。」

そう言うと、男は手を差し出してきた。
最後に別れの握手を、との事だった。

「私も貴公から色々な話を聞けて楽しかった。
魔界に戻ったら、貴公が紹介してくれた書物を読んでみようと思う。
たった数日間ではあったが、私にとっても有意義な時間だった。
…なるほど、確かに私にとっても、貴公は友人であったと認めねばならないな。」

と言って、私は彼が差し出した手を握り返した。
友人と認めた時に、男はパっと明るい顔をした気がする。

「もう会う事は無いだろう。
こんな奇跡は、おそらく二度と起こせないはずだ。
出来たとしても、悪魔に頼るのは止めておいた方が良い。
きっとロクな事にならない。」

「えぇ、わかっています。
これからは悪魔に頼らずに、息子と共に頑張って生きていきますとも。」

私がニヤっと言うと、彼も同じく不敵な笑みで切り返した。

「これから貴公はどうするのだ。
得た医術の知識があれば、おそらく医学界のトップを目指す事は可能だと思うが。」

「いえ、私は今回限りで医者は引退します。」

「…そうか。」

何となく予想はしていたから驚きはしなかった。

「ダンタリオン殿から頂いた知識は、確かに素晴らしい物です。
私が一生かかっても手に入れる事は出来ません。
この知識があれば、現代医術はさらに飛躍すると思います。
ですが、この知識を欲したのは、息子のためです。
息子を助ける事が叶った今、この知識はもう私にとっては不要なのです。
それに…」

握手をした手はまだ放さず、男はニコっと笑みを浮かべて続けてこう言った。

「私が医学界のトップになってしまったら、息子と一緒にいる時間が減ってしまいますからね。
家族との時間が減るくらいなら、そのような地位はいりません。」

「なるほど、実に貴公らしい。」

こんな人物だったからこそ、私は彼の願いを聞き入れたのだと思う。

「それでは、私は元の場所に還るとしよう。
悪魔の私が言うのもあれだが、息災に暮らしてくれ。」

そういうと、男はハハハと笑っていた。

「悪魔から息災でいろと言われるのは面白いですね。
ですが、そうですね。ありがとうございます。
ダンタリオン殿も息災で暮らしてください。」

「ああ、ありがとう。
それでは佐伯殿、さらばだ。」

言い終えると同時に眩い光に覆われて、私は魔界に帰還した。
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