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Ep4.最後の晩餐、キンキの晩餐、シメの雑炊

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 鍵はかけていたはずなのに、どういうわけか扉が開いている。その主犯だろう人物が飄々と言った。

「それ。僕も聞いてみたかったんですよねえ。玖琉はサクラちゃんに刃を向けることができますか?」

 振り返り、確認する。アオイだ。
 玖琉もアオイを見た後、忌々しく吐き捨てる。

「鍵、かけていただろ」
「ふっふっふ。この程度のなまぬるい鍵は効かないんですよ。何なら扉ごと消してみますか? 山田さんって黒狐さんに教えていただいた技がありまして」

 玖琉は苛立っているのかこめかみを押さえている。眉間には跡が残りそうなほど深い皺が刻まれていた。
 その隙にアオイは部屋に入り込み、じりじりと玖琉に迫る。ベッドに腰かけた玖琉を見下ろしながら、一転して真剣な声音で訊いた。

「人間を滅ぼすと決めたのは雷神です。確かに雷神はあなたに人間を滅ぼすよう命じたのでしょう。でも――あなたは、サクラちゃんを消すことができますか?」
「……」
「その覚悟があるなら、夏のせたな町でサクラちゃんを滅ぼしていた。でもそれができないほど人間に情を抱いてしまったから、姿を消して頭を冷やそうとした――違いますか?」
「……黙れ」
「今の宝剣でも一人くらいなら消すことができますよ。躊躇わなければ、ですがね」

 アオイの瞳がすっと細くなって、矢のように鋭い視線が玖琉へ向けられる。玖琉は苛立ちながらもアオイを睨み返した。

 答えは、出てこない。
 誰の唇も動きを止めて、部屋は緊迫して重たい。その中で玖琉が、絞り出すように震えた声で呟いた。

「出ていけ」

 アオイは頷くことも答えることもなく、咲空の腕を引いた。その力は強く振りほどくなんてできそうにない。
 玖琉の方を振り返ることなく、咲空を連れて部屋を出て行った。



 部屋、廊下、ホテルのエントランス。アオイは黙って咲空の腕を引いたまま歩き続ける。ようやく止まったのは、港へ向かう道の途中だった。

「……ごめん」

 立ち止まったアオイの背が、短く告げた。いつもと違うひどく暗い声である。
 しかし振り返った時はもう、暗さは消えていた。いつものへらへらとした笑い方をしてアオイが言う。

「気分転換に海まで行きたかったんですが、薄着では厳しいですねぇ」
「私は大丈夫です。海の方まで歩いてみますか?」

 するとアオイは頷いた。「ありがとう」と小さくお礼を告げて、咲空の腕を離す。
 街灯のオレンジ色の光が照らす、紋別の夜道。冷えた風にさらされながら、二人は横並びで海を目指す。

「玖琉のこと。サクラちゃんの友達が蝦夷神様だってとっくにわかっていたのに、言わなくてごめんね」
「謝らなくていいですよ。教えてほしかったな、ってちょっとは思いますけど」

 アオイは遠くを見つめていた。別の世界を覗き込むようにぼんやりと。
 似ている、と思った。春に浮島トンネルを通った時の感覚。トンネルの暗さとオレンジの光。それは咲空だけでなくアオイも感じているのかもしれない。細められた瞳に見えるものは何なのか、ゆっくりと唇が動き、それを紡ぐ。

「玖琉は……僕の主みたいなものです。僕は彼から逃げ出しました。自由になって人間世界を歩くために」
「……前に浮島峠で言ってましたね」
「人間に擬態して歩く世界は美しかった。抜けるような青い空。周囲にものはなくてだだっ広い大地、色濃い緑と花々。延々と遠くまで続くまっすぐすぎる道。ころころと変わる季節がこの景色を変えてしまう――自由だと思ったんです。僕の知らないものがたくさんここにある。もっと人間を知りたくて、ソラヤをはじめた」

 アオイは空を見上げた。うすら雲がかかって月を覆い隠す、星も見えない寂しい夜だ。

「僕は人間が好きです。面白いんだ。だから人間を守りたくて、ウェンカムイに堕ちかけている神様たちを救おうとした。サクラちゃんと出会うまで、結果は散々だったけれど」

 海の香りが強くなる。港に近づいているのだ。このトンネルのような夜が終わってしまわないよう願っているのは咲空だけではないのかもしれない。アオイの歩みも、いつもより遅いものだった。

「玖琉はカムイモシリに戻ったと思っていましたが、サクラちゃんを通じて人間に擬態したままだとわかりました。逃げ出した罪悪感があるので会うのは気が引けましたが、元気そうにしているようで安心しました」
「アオイさんは玖琉のことに気付いていたんですね。玖琉は、いつ気づいたんでしょう」
「あの住所を見た時から気づいてたと思います――試しにちょっかいかけたりしたんだけどなあ」
「ちょっかい、ですか?」
「サクラちゃんと紋別に行ったり、せたなに行ったりとか」
「それがどうしてちょっかいになるんです?」

 いまいち理解していないといった様子の咲空に、アオイは吹き出して笑う。

「そういう子だよね、サクラちゃんは」
「え? 私、何か変なこと言いました? 今って笑うタイミングじゃないですよ」
「うんうん。いいんです、君はそのまま少しズレた子でいてください」

 咲空には関係ないよ、と宥めるようにアオイの手が咲空の頭をとんとんと軽く叩いた。その口元はまだ緩んでいたが、咳払いを一つして話を戻す。

「僕は――玖琉と戦う。人間に手を出させない」
「戦うって……そんなのだめですよ!」

 気づけば防波堤が見えていて、アオイの歩みが止まる。ここがトンネルの出口なのだと報せる、少し切ない顔をして。
 咲空はその手を掴んでいた。少し冷えた指先を掴めば、触れたところから熱くなる。秋も、海も、トンネルも忘れて咲空は叫ぶ。

「きっと方法があるはずです。そんなこと玖琉だって望んでないはず」
「玖琉だって僕と戦いたくないでしょう。あれも不器用だけど優しいやつです。しかし玖琉には立場がある。雷神の命令に背くことはできない。だから僕と玖琉の想いは平行線で、交わることがない」
「諦めないでください。想いが繋がるって話をしてくれたの、アオイさんなんですから!」

 アオイは悲しげに微笑んで、咲空の手を握り返した。

「僕はいいんです。戦って傷ついたとしても、人間に擬態できなくなってもいい。それよりも君が問題なんだ。僕はサクラちゃんが消されないよう最後まで玖琉と戦います。君だけは絶対に守ります――だから、」

 相手は神様なのに指は先まで温かい。温度も泣きそうな顔も、ぜんぶ一緒なのに。紡がれる言葉は繋がるなんて程遠い、引き離すようなもの。

「もうすぐ、さよならです。ソラヤで君に出会えてよかった」

 アオイの指先は離れて、先を歩いていく。夜の散歩は終わりだと目指すはホテルの方角。
 浮島トンネルを通った時、出口に至れば天気が変わっていたように。アオイは憂いを隠して、いつも通りの顔をしていた。

***
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