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Ep3.親子熊の涙もぬかぼっけも塩辛い

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***

 北檜山に宿泊予定という玖琉を見送った咲空は、駐車場でアオイたちが来るのを待つ。連絡してからほどなくして、アオイの車がやってきた。

「……浮かない顔ですねぇ」

 咲空が車に乗り込むなり、アオイが心配そうに言った。沈んだ咲空の表情はアオイだけでなく双子も読み取ったらしい。後部座席から「おねえちゃんどうしたの?」と声が飛んでくる。

「大丈夫です」
「そういう時は大丈夫じゃないのが鉄板です。デートは失敗でした?」
「……玖琉とは、そういう関係じゃないですから」

 見ればまだ夕陽はかろうじて海面に姿を残していた。西側は赤く染まっているが、東の空は夜の紺色が伸びている。

「サクラちゃんのデート結果は気になりますが、まずは昨日話していた場所に行きましょう」
「はい。井上ちゃんのお母さんがいる場所、ですね」

 咲空の頭に浮かんだ場所は、この大成区のシンボルともいえる場所だ。
 そこは咲空も好きだった。特に太陽が水平線に隠れ沈み行く頃に見るのが。

 車で十五分ほど走るとそれが見えてくる。巨大な岩だ。車が止まり、三人は外へ出る。

「これが……井上ちゃんと、お母さんだと思います」

 巨大な岩を見上げながら咲空が言った。

 それは親子熊岩と呼ばれるものだ。
 頂部に草を生やした大きな岩に細長い小さな岩が繋がっているのだが、これはある角度から見ることで印象が大きく変わる。小さな岩は子熊の横顔に、大岩は母熊に見えるのだ。二つの岩が繋がっている部分は母熊が手を差し伸べ、子熊がそれを掴もうとしているように見える。
 この親子熊岩はせたな町大成区の観光名所で、アオイが買いにいった大成区の羊羹も親子熊岩の写真を使っている。日本海沿岸を走る国道229号でもこの辺りは奇岩ロードと呼ばれ、マンモス岩やタヌキ岩、夫婦岩など。いまは崩れてしまったが三味線の形をした岩など様々あるが、この親子熊岩は独特の悲しい空気を纏っていた。

 近くにはこの岩の伝承を記した看板もある。咲空が看板の前に立つと、井上もそれに倣った。しかし人間の文字は読めないらしく首を傾げている。

 何度も読んだことがあるが、井上のためにわかりやすく解説をする。
 親子熊岩の伝承は切ないものだ。飢饉により食べるもののなかった親子の熊は、空腹の子のため海岸へやってきた。食糧探しをしている間に子熊は足を滑らせて海に落ち、母熊はそれを助けようと手を伸ばした。しかし母熊も足を滑らせて落ちてしまい――その親子愛に胸を打たれた海神は親子を救い、想いの形をそのまま岩に変身させたのだ。

 悲劇の伝承があるからか、しんみりと切ない気持ちがこみあげてくる。海沿いにあるため波音がし、特に夕陽の時刻になると逆光によって岩のシルエットがくっきりと浮かびあがるので、岩ではなく生き物を見ている気がしてしまう。

「……井上ちゃんは、この子熊だと思います」
「これが、ぼく? おかあさんはどこ?」
「たぶんこの……岩……?」

 咲空の予想では、この岩が母親だと思っていた。しかしいざ親子熊岩にきても変化はない。井上もぴんときていないようだ。
 その代わりにと歩み出たのはアオイだった。親子熊岩を見上げた後首を横に振る。

「……やっぱり、ここにはいませんね」
「え、えええ!? でも親子の熊は岩に変えられたからここにいるんじゃ……」
「これは抜け殻ですよ――だから、子熊の岩があるのに井上ちゃんは君の隣にいる」

 言われてみれば。子熊の岩は変わらずあるのに、井上だけが隣にいる。となれば、井上の母親もどこかにいるのだろうか。

「……ぼくのおかあさん、いないの?」

 不穏な空気に怯えたのか、眦に涙が浮かんでいる。今にもわあっと泣き出してしまいそうな様子に、アオイはくすりと笑みを浮かべた。優しく井上の頭を撫でる。

「井上ちゃんのお母さんは、海神を探しにいったのかもしれません」

 巨大蜘蛛であった鈴木を海に封じ、親子熊を助けて岩に変えた神だ。鈴木も井上も『海神から聞いたご飯の話』をしていたので、咲空は会ったことはないくせにその名をはっきりと覚えている。

「何らかの理由で海神の力が弱まっている。だから、鈴木さんは巨大タコから蜘蛛へと戻って陸にあがり、親子熊岩の魂も地上に戻った。井上ちゃんのお母さんは、何らかの理由で力が弱まった海神を探しにいったのかもしれません」
「となると……お母さんがいる場所は」

 アオイもそれ以上の見当はつかなかったらしく両手をあげて「わからない」と答えた。その様子は悲嘆にくれていた井上にとどめを打ち、ついに双眸からぼたぼたと涙がこぼれていく。肩を震わせて泣くその姿は切なく、アオイも咲空も俯いた。

「どうにも……ならないんですか?」
「海神がどこにいるのかわからないし、手がかりもない。でもこうして海に異変が起きているということは、海神は別の場所に――」

 いるのではないか。そう結ぼうとしたアオイの口がぴたりと止まる。
 顔をあげ、咲空の背――遠くの方を見ていた。
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