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Ep3.親子熊の涙もぬかぼっけも塩辛い
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今回もアオイの意向で下道を走ることとなった。というよりも、高速道路を使うとなれば少し問題が生じるのが道南旅行である。
「札幌から函館までの高速道路はありますが、室蘭経由になるのが面倒でして。やっぱり一車線だからねぇ」
あれこれと理由をつけて下道をのんびり走りたいだけではないかと疑いつつ、咲空は後部座席でロードマップを確認する。井上は隣のジュニアシートに座っていた。
長旅になるからとジュースの紙パックやお菓子をもってきたことが功を奏した。出発してからしばらくの間はそれが暇つぶしとなった。特にお菓子の箱に書いてある絵は興味深いものらしく「にんげんってふしぎだね」と話していた。
「高速道路を使わない場合、だいたい二方向から長万部入りすることになりますが、定番は国道230号線を走る南ルートでしょうか。中山峠も通りますし、道の駅も結構多いです。オススメは南ルートですね」
「サクラちゃんのオススメで行きましょう。南へ行って、中山峠であげいもだ」
ルートが決まったところで、まずは中山峠へ。札幌から一時間ほどで向かうことのできるドライブ定番の場所だ。道路も整備されていて広く走りやすく、北海道の峠でも比較的優しい方だろう。
咲空は運転席のアオイをちらりと見る。街中は信号が多いため、停車のたびに月寒あんぱんに噛り付いている状態だ。これでよくぞあげいもを食べるといったものだ。
「アオイさんって食べるの好きですよね」
「色んなもの食べて色んなこと知りたいので」
最後の微妙な笑い方によって格好いいのか格好悪いのかわからない。
アオイはフロントガラスの上部を指で示した。
「今日は天気がいいですね。空が青い。これなら蝦夷富士綺麗に見えそうだ」
雲一つない空である。新緑映える心地よい時頃だ。
蝦夷富士とは羊蹄山のことで、その形が富士山を思わせることから蝦夷富士と呼ばれている。
「サクラちゃん知ってます? この山は後方羊蹄山って書いて、しりべし山って読みます。後方で羊蹄だね」
「北海道の地名って、やたらとシリシリ言いますよね。後志地方なんて初見じゃ読めないでしょうし、奥尻とか利尻なんてストレートに尻って漢字を当てる地名もありますし」
アオイは笑って「確かに」と頷いた。
「北海道の地名はアイヌ語からきているので、独特なものが多いんですよ」
「なるほど……」
「例えば札幌ならサトポロペッ、これは乾いた大きな川って意味。そういったアイヌ語に無理やり漢字を当てはめているから、北海道の地名は読みづらいのかもしれません」
難読地名が多いとは聞くが、その理由はアイヌ語かと咲空は納得していた。北海道に生まれ北海道に育っている咲空としてアイヌの名は聞いたことがあるが、そこまで詳しくない。さらさらと流れるように札幌名称の由来を語るアオイに違和感を抱いた。
「アオイさん、ずいぶん詳しいですね……」
「そりゃこういう仕事をしているからね」
「仕事って、ソラヤのことですか?」
アオイは頷いた。赤信号で車が止まったのをきっかけにハンドルから手を放し、大きく伸びをする。車はようやく定山渓へと入り、信号機の数が減っていく。久々に車が止まったと窓の外を見やれば定山渓の温泉街が見えた。それを眺めているうち、アオイが語る。
「アイヌの人たちは、自然のあらゆるものに魂が在ると信じていたよ。山の神様や海の神様――例えば、人々に災いの到来を報せる黒狐様なんてのも」
「あ……もしかして山田さん」
「正解。この北海道にはアイヌの人が語り継いできたものが残っている。ソラヤで出会う神様や妖怪だけじゃなく、毎日目にしているようなものにも混ざっているかもしれないよ。さっきの地名のようにね」
なるほど、と感心している咲空の隣で井上が顔をあげた。
「でも。いまは、かみさまをおもうひとがへってしまったんだよね? 海神様がいってたよ」
「そうですね。北海道という土地は大きく変わりました。現在は井上ちゃんの言う通り、あらゆるものに神様がいることなんて知らない人たちが多いです」
「あ……」
以前山田が『我々が与える恵み、食べ物への感謝もできぬ人間』と言っていたことを思い出し、咲空は口を閉ざした。それは北海道に住む人間たちが変化していったことを指すのだろう。
「海神様はね、にんげんがおもってくれないとちからがでないっていってたよ」
「人間が、想う?」
「アイヌは自然や神への感謝を忘れない人たちでした。それが蝦夷神様の力となっていました。でも現代はそういった感謝や神様の存在を知る人たちが減り、その分だけ神様たちの力が失われています」
「じゃあ山田さんも……?」
「山田さんもこれ以上力を失うことを恐れ、ウェンカムイに堕ちようとしていました。今では人間擬態生活を満喫しているみたいですが。一度人間に擬態する楽しみを覚えたらやめられませんからねぇ」
そこでようやく信号は青へと変わった。ゆるやかに車は走りだす。中山峠を抜けてしばらくは周りの車も多いだろう。温泉街の景色は遠ざかっていく。
「でも……あの時は黒狐だからよかったものの、他の神となればどうなるかわかりません」
「それって、人間を滅ぼそうとする神様がいるかもしれないってことですか?」
咲空が聞くも、アオイは答えなかった。後部座席から運転席を見やれば、眉間にしわを寄せて真剣な顔つきがある。それは運転席から見えない遠くの、アオイだけにわかる何かを睨みつけているようで、それ以上声をかけることはできなかった。
今回もアオイの意向で下道を走ることとなった。というよりも、高速道路を使うとなれば少し問題が生じるのが道南旅行である。
「札幌から函館までの高速道路はありますが、室蘭経由になるのが面倒でして。やっぱり一車線だからねぇ」
あれこれと理由をつけて下道をのんびり走りたいだけではないかと疑いつつ、咲空は後部座席でロードマップを確認する。井上は隣のジュニアシートに座っていた。
長旅になるからとジュースの紙パックやお菓子をもってきたことが功を奏した。出発してからしばらくの間はそれが暇つぶしとなった。特にお菓子の箱に書いてある絵は興味深いものらしく「にんげんってふしぎだね」と話していた。
「高速道路を使わない場合、だいたい二方向から長万部入りすることになりますが、定番は国道230号線を走る南ルートでしょうか。中山峠も通りますし、道の駅も結構多いです。オススメは南ルートですね」
「サクラちゃんのオススメで行きましょう。南へ行って、中山峠であげいもだ」
ルートが決まったところで、まずは中山峠へ。札幌から一時間ほどで向かうことのできるドライブ定番の場所だ。道路も整備されていて広く走りやすく、北海道の峠でも比較的優しい方だろう。
咲空は運転席のアオイをちらりと見る。街中は信号が多いため、停車のたびに月寒あんぱんに噛り付いている状態だ。これでよくぞあげいもを食べるといったものだ。
「アオイさんって食べるの好きですよね」
「色んなもの食べて色んなこと知りたいので」
最後の微妙な笑い方によって格好いいのか格好悪いのかわからない。
アオイはフロントガラスの上部を指で示した。
「今日は天気がいいですね。空が青い。これなら蝦夷富士綺麗に見えそうだ」
雲一つない空である。新緑映える心地よい時頃だ。
蝦夷富士とは羊蹄山のことで、その形が富士山を思わせることから蝦夷富士と呼ばれている。
「サクラちゃん知ってます? この山は後方羊蹄山って書いて、しりべし山って読みます。後方で羊蹄だね」
「北海道の地名って、やたらとシリシリ言いますよね。後志地方なんて初見じゃ読めないでしょうし、奥尻とか利尻なんてストレートに尻って漢字を当てる地名もありますし」
アオイは笑って「確かに」と頷いた。
「北海道の地名はアイヌ語からきているので、独特なものが多いんですよ」
「なるほど……」
「例えば札幌ならサトポロペッ、これは乾いた大きな川って意味。そういったアイヌ語に無理やり漢字を当てはめているから、北海道の地名は読みづらいのかもしれません」
難読地名が多いとは聞くが、その理由はアイヌ語かと咲空は納得していた。北海道に生まれ北海道に育っている咲空としてアイヌの名は聞いたことがあるが、そこまで詳しくない。さらさらと流れるように札幌名称の由来を語るアオイに違和感を抱いた。
「アオイさん、ずいぶん詳しいですね……」
「そりゃこういう仕事をしているからね」
「仕事って、ソラヤのことですか?」
アオイは頷いた。赤信号で車が止まったのをきっかけにハンドルから手を放し、大きく伸びをする。車はようやく定山渓へと入り、信号機の数が減っていく。久々に車が止まったと窓の外を見やれば定山渓の温泉街が見えた。それを眺めているうち、アオイが語る。
「アイヌの人たちは、自然のあらゆるものに魂が在ると信じていたよ。山の神様や海の神様――例えば、人々に災いの到来を報せる黒狐様なんてのも」
「あ……もしかして山田さん」
「正解。この北海道にはアイヌの人が語り継いできたものが残っている。ソラヤで出会う神様や妖怪だけじゃなく、毎日目にしているようなものにも混ざっているかもしれないよ。さっきの地名のようにね」
なるほど、と感心している咲空の隣で井上が顔をあげた。
「でも。いまは、かみさまをおもうひとがへってしまったんだよね? 海神様がいってたよ」
「そうですね。北海道という土地は大きく変わりました。現在は井上ちゃんの言う通り、あらゆるものに神様がいることなんて知らない人たちが多いです」
「あ……」
以前山田が『我々が与える恵み、食べ物への感謝もできぬ人間』と言っていたことを思い出し、咲空は口を閉ざした。それは北海道に住む人間たちが変化していったことを指すのだろう。
「海神様はね、にんげんがおもってくれないとちからがでないっていってたよ」
「人間が、想う?」
「アイヌは自然や神への感謝を忘れない人たちでした。それが蝦夷神様の力となっていました。でも現代はそういった感謝や神様の存在を知る人たちが減り、その分だけ神様たちの力が失われています」
「じゃあ山田さんも……?」
「山田さんもこれ以上力を失うことを恐れ、ウェンカムイに堕ちようとしていました。今では人間擬態生活を満喫しているみたいですが。一度人間に擬態する楽しみを覚えたらやめられませんからねぇ」
そこでようやく信号は青へと変わった。ゆるやかに車は走りだす。中山峠を抜けてしばらくは周りの車も多いだろう。温泉街の景色は遠ざかっていく。
「でも……あの時は黒狐だからよかったものの、他の神となればどうなるかわかりません」
「それって、人間を滅ぼそうとする神様がいるかもしれないってことですか?」
咲空が聞くも、アオイは答えなかった。後部座席から運転席を見やれば、眉間にしわを寄せて真剣な顔つきがある。それは運転席から見えない遠くの、アオイだけにわかる何かを睨みつけているようで、それ以上声をかけることはできなかった。
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