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Ep2.故郷のすきみはかたくてほぐせず
2-21
しおりを挟むいつ来るかわからぬ痛みに備えてぎゅっと目を瞑り――だが、いくら待てども痛みはなかった。
(あれ?)
どうなっているのかと恐る恐る目を開けば、咲空と鈴木の間にアオイが立っていた。アオイが鈴木の手首を掴んでいる。
「ねえ、鈴木さん」
アオイの声音は地の底を這うように低かった。目つきは鋭く、普段のような柔らかさは影も見当たらない。
「彼女、大切な従業員なんですよ」
「そう言われてもね。これは彼女と私の間で交わした約束です。いまさら保護にするつもりはありません」
「困りましたねぇ。じゃあこうしましょう」
そう言うと、アオイは人差し指を鈴木に向けた。いや、正確には鈴木の真横だ。そしてすっと、短く息を吸いこむ。
(そのポーズ、どこかで見たことが――)
咲空が思いだそうとし、それは以前対応したお客様の山田がやっていたポーズだと気づいた時にはもう、鈴木から少しずれたところにあった観葉植物が消えていた。最初から何もなかったかのように跡形もなく消えている。それは間違いなく、山田が使っていた不思議な技だ。
これは咲空だけでなく鈴木をも震撼させた。余裕に満ちていた顔つきは一変し、怯えている。
「そ、それは――!」
「最近覚えたので、使ってみたかったんです。鈴木さんぐらいなら消せちゃうかもしれませんよ」
「チッ、なるほど。お前はそういうものだったな……小賢しい。私を脅す気か」
「とんでもない! これは話し合いです。ずるいことをしてまで彼女を食べるというのなら僕も黙ってはいられません」
アオイが鈴木に顔を寄せる。
「人間は様々なおいしいものを作ることができます。北海道にはたくさんの食材があり、たくさんの調理方法がある。このご飯以外にも、鈴木さん好みの味があるかもしれません」
「それは認めよう。だが人間は食べるとも」
「では話し合いしましょう。クラちゃんだけではなく、人間を手にかけるというのなら――僕は全力で応えます」
アオイにしては珍しく、有無を言わせない圧力を含んだ言葉だった。わざとらしく人差し指を揺らして凄んでいるのも恐ろしい。おそらく山田のものを真似たのであろう消滅させる技を再び使われたらたまったものではない。
鈴木はアオイを睨みつけていたが、ついに諦めて咲空から離れた。
「やはりこいつはごみですね。厄介だ」
「なんとでも言ってください。今更何を言われても傷つきませんよ」
「ここは諦めましょう。すきみ茶漬けが美味しかったのでね、他の食べ物をもっと探してみたい」
鈴木はカウンターから出て行き、その間もアオイは咲空の前に立っていた。表情は穏やかなものに戻ったが鈴木を警戒しているらしく、緊張感が咲空にまで伝わってくる。
「ですが、北海道の食事を制覇しても満足できなければここに戻りますよ」
「ええ。その時は僕の全力を出して、封印どころか消滅させます」
「お前に、海神ほどの力があるとは思えぬがな――まあよい。今は身を隠そう。人間のふりをして過ごすのも悪くはない」
カウンターチェアに立てかけていた杖を手に取ると、鈴木は店を出て行った。
その姿が店から消えて、扉の閉まる音が聞こえると――咲空はへなへなと力なくその場に座りこんだ。
「どうしたの、サクラちゃん」
「死ぬと思って……今回はやばいかと……助けていただいてありがとうございました」
アオイも飄々とした態度をとってはいるが、緊張していたのかもしれない。張り詰めていたものを解くように、へにゃりと笑う。
「……いやあ。大変でしたね。まさかの巨大蜘蛛ですし、封印解けちゃってますし」
「海神様が封じたんですよね? どうして解けちゃったんでしょう」
「さあ……山田さんは岬を守護する黒狐。鈴木さんは封じられて海にいた巨大蜘蛛ですから、海に何かが起きているのかもしれません」
「……海神様に、何かが起きている?」
「そもそも山田さんが現れたことがよくなかったんです。あれは人間に災いを報せる存在、だから北海道に何かが災いが起きつつあるのかもしれない――なーんて、僕にはわかりませんけどね!」
真剣に話すのかと思いきや、アオイはさくさくっと切り上げてテーブルの上に置いてあったお茶漬けを手に取る。
「これ、美味しいんですけどね――でもサクラちゃんのお父さんが作ったものと少しだけ味が違う。何かが足りないのかもしれません」
言われて咲空も一口食べる。食材や調理法は間違っていないと思うのだが、アオイの言う通り、何かが欠けた味をしていた。それに気づき、咲空の表情が曇る。
「ソラヤは想いを?ぐ店。住む世界が違って価値観が異なっていたとしても、気持ちを繋ぐことができる。サクラちゃんが作ったごっこ汁は、山田さんとサクラちゃんの気持ちを繋ぎました」
「今回のお茶漬けは、私と鈴木さんを繋げなかった?」
「鈴木さんはちょっとずるいけどね。でも何かが足りなかったから、彼の卑怯な企みを崩せなかったのかもしれません」
もう一度お茶漬けを見る。足りなかったものが何か、咲空にもそれはわかる。
父だ。人間同士でさえ繋げない食べ物で、咲空と鈴木を繋げるわけがない。
「……いつか繋ぎましょう。人の想い、神様の想い、色んな想いを」
アオイの言葉はそこで終わっていて、咲空と鈴木に対してかそれとも咲空と父に対してかはわからない。もう一口食べたお茶漬けはやっぱり欠けていて、あの日紋別で食べた父のお茶漬けが恋しくなる、寂しい味だった。
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