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Ep2.故郷のすきみはかたくてほぐせず
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***
二人が札幌に戻った後、いよいよ鈴木が店にやってくる日がきた。
出す料理は紋別からヒントを得た『すきみたらのお茶漬け』である。北海道食糧庫の協力を得て、父が作ったものを真似る。鈴木とアオイと咲空、三人分のお椀を持ってカウンターに戻ると鈴木が鼻で笑った。
「その美味しそうな手が持っているそれは何かな? とても地味な料理だ」
「確かに地味ですね……」
「私は、こんな料理よりもサクラくんが食べたいですねぇ。程よい肉付きで咀嚼しがいがあります」
ねっとりと頭から足の先までを眺められ、全身が粟立つ。あまりの気持ち悪さに手にしていたお盆を落としてしまいそうだった。しかし鈴木はお客様であって、粗相なく対応しなければならない。うんざりとした気持ちをなんとか抑え、営業スマイルを作る。最も巨大蜘蛛に営業スマイルが通じるのかはわからないが。
「こちらが『すきみたらのお茶漬け』です」
「私がこれを認めなかったら、サクラくんを食べて口直しするとしよう」
いよいよ鈴木が匙を持つ。あつあつのお茶漬けを一つ掬い、息を吹きかけて冷ます。ここらへんの仕草は人間と何も変わらない。
咲空は固唾を呑んで見守っていた。
(どうか、気に入ってもらえますように。私の小指が生還しますように)
グルメらしい鈴木は、一匙を味わうのが長い。瞳を閉じて舌の感覚に集中し、咀嚼するもゆっくりだ。噛みしめる、という表現が似合う時間だった。
ごくり、とそれが喉を通ってようやく鈴木が瞳を開く。ハンカチを手にして口元を拭った後、鈴木は匙を置いた。
「これは……悪くない」
どんな感想が出るだろうかと見守る咲空の視界で、縦に動く鈴木の頭。その表情は、未知なるものに出会った一驚と興奮が詰まっていた。
「私が指定したものは相当難しいものだったでしょう。人間に作れるわけがないと思っていました」
「うわあ、難題を吹っかけていた自覚があったんですね」
「でも、驚くことにこれは私の提示したものを越えている。海に封じられていたことを思い出す味。想像よりも人間が作るご飯は美味しい」
咲空は心の中でガッツポーズをとった。鈴木を認めさせることができたのだ、これで小指がくっついたまま帰ることができる。
しかし――鈴木の口元が怪しく歪む。
「ですが私はね、食べたいと思った者は逃さない巨大蜘蛛です。どうしてもサクラちゃんを食べたいのですよ。ですからここは『美味しくない』と答えましょう」
「え、さっきの感想は嘘ですか!?」
「はい。サクラさんを頂くために『美味しくない』と答えます」
鈴木を満足させて喜んだのもつかの間、卑怯な発言が飛び出した。
つまるところ、鈴木に何を食べさせてもだめなのである。咲空を食べるためならば何を出されようが美味しくないと答えるつもりだったのだ。
「この卑怯蜘蛛!」
「ふふん。なんとでもどうぞ。さあ楽しい食事パーティーをはじめましょう」
「こ、こうなれば……さよなら私の小指!」
仮に期限を延ばしてもらったとしても、すきみたらのお茶漬け以外に浮かぶものはないだろう。覚悟を決めた咲空がカウンターに自らの手を置くも、鈴木はくつくつと嗤った。
「おやおや! 手だけで済むと思っているんですか!」
「手っていうか小指で……」
「頭から足までがっつり、脳みその味まで覚えて帰りますよ~」
「ちょ、ちょっとまって! それって私、死ぬ!?」
小指どころか今日が咲空の命日だった。
死を突きつけられ、頭に浮かぶのは紋別でのことだ。今日ここで咲空が死んでしまえば、実家に帰ったのは死の前に別れを告げに行ったと父や玖琉は考えるのかもしれない。まったくそんなつもりはなかったのだが、ただの旅行がお別れ旅行となってしまう。
鈴木はもう咲空を食べる気でいるらしく、カウンターを乗り越えてじりじりと距離を詰める。後退りをする咲空だったがいよいよ壁に追いつめられ、右手を掴まれてしまった。
「ではさっそく頂きます。大丈夫ですよ、骨まで美味しくしゃぶって噛み砕きますから」
心中で父や玖琉に別れの言葉を告げつつ、どうせ死ぬのなら楽に死ねることを願う。咲空だって痛いのは嫌だ。助けてくれるのならばお金を払ってでも助けてほしい。鈴木に食べられたくない。
二人が札幌に戻った後、いよいよ鈴木が店にやってくる日がきた。
出す料理は紋別からヒントを得た『すきみたらのお茶漬け』である。北海道食糧庫の協力を得て、父が作ったものを真似る。鈴木とアオイと咲空、三人分のお椀を持ってカウンターに戻ると鈴木が鼻で笑った。
「その美味しそうな手が持っているそれは何かな? とても地味な料理だ」
「確かに地味ですね……」
「私は、こんな料理よりもサクラくんが食べたいですねぇ。程よい肉付きで咀嚼しがいがあります」
ねっとりと頭から足の先までを眺められ、全身が粟立つ。あまりの気持ち悪さに手にしていたお盆を落としてしまいそうだった。しかし鈴木はお客様であって、粗相なく対応しなければならない。うんざりとした気持ちをなんとか抑え、営業スマイルを作る。最も巨大蜘蛛に営業スマイルが通じるのかはわからないが。
「こちらが『すきみたらのお茶漬け』です」
「私がこれを認めなかったら、サクラくんを食べて口直しするとしよう」
いよいよ鈴木が匙を持つ。あつあつのお茶漬けを一つ掬い、息を吹きかけて冷ます。ここらへんの仕草は人間と何も変わらない。
咲空は固唾を呑んで見守っていた。
(どうか、気に入ってもらえますように。私の小指が生還しますように)
グルメらしい鈴木は、一匙を味わうのが長い。瞳を閉じて舌の感覚に集中し、咀嚼するもゆっくりだ。噛みしめる、という表現が似合う時間だった。
ごくり、とそれが喉を通ってようやく鈴木が瞳を開く。ハンカチを手にして口元を拭った後、鈴木は匙を置いた。
「これは……悪くない」
どんな感想が出るだろうかと見守る咲空の視界で、縦に動く鈴木の頭。その表情は、未知なるものに出会った一驚と興奮が詰まっていた。
「私が指定したものは相当難しいものだったでしょう。人間に作れるわけがないと思っていました」
「うわあ、難題を吹っかけていた自覚があったんですね」
「でも、驚くことにこれは私の提示したものを越えている。海に封じられていたことを思い出す味。想像よりも人間が作るご飯は美味しい」
咲空は心の中でガッツポーズをとった。鈴木を認めさせることができたのだ、これで小指がくっついたまま帰ることができる。
しかし――鈴木の口元が怪しく歪む。
「ですが私はね、食べたいと思った者は逃さない巨大蜘蛛です。どうしてもサクラちゃんを食べたいのですよ。ですからここは『美味しくない』と答えましょう」
「え、さっきの感想は嘘ですか!?」
「はい。サクラさんを頂くために『美味しくない』と答えます」
鈴木を満足させて喜んだのもつかの間、卑怯な発言が飛び出した。
つまるところ、鈴木に何を食べさせてもだめなのである。咲空を食べるためならば何を出されようが美味しくないと答えるつもりだったのだ。
「この卑怯蜘蛛!」
「ふふん。なんとでもどうぞ。さあ楽しい食事パーティーをはじめましょう」
「こ、こうなれば……さよなら私の小指!」
仮に期限を延ばしてもらったとしても、すきみたらのお茶漬け以外に浮かぶものはないだろう。覚悟を決めた咲空がカウンターに自らの手を置くも、鈴木はくつくつと嗤った。
「おやおや! 手だけで済むと思っているんですか!」
「手っていうか小指で……」
「頭から足までがっつり、脳みその味まで覚えて帰りますよ~」
「ちょ、ちょっとまって! それって私、死ぬ!?」
小指どころか今日が咲空の命日だった。
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