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Ep2.故郷のすきみはかたくてほぐせず
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しおりを挟むそうして二人が向かったのは、紋別中心地から随分と離れたところだった。海の香りは遠くに消え、あるのはカラスの鳴き声ばかり。
「付き合わせちゃって申し訳ないです」
「構いませんよ――まさか、行きたいところが墓地だとは思いませんでしたが」
咲空が行きたいと指定したのは、墓地だった。お盆時期ではなく、しかも夕方。墓地は閑散としていて、人間よりもカラスの方が多いだろうというほど。
その中を咲空はするすると歩いていく。その後ろをアオイが追いかける形だ。
お花やお供え物を買う間はなく、お墓掃除をする道具なんてものもない。ただ、見にきただけだ。通りすぎていく中には、雑草が生えていたり汚れている墓があって、それが視界に入るたび咲空の胸が痛む。目指す先もそうなっているのだろう。墓参りにこない咲空を責めるように雑草が伸びているのかもしれない。紋別に帰らないと決めてからも、この場所だけは気になっていた。
「結構遠いですね、まだ先にあるんですか?」
「もうそろそろ――」
着きますよ、と言いかけたところで咲空の足が止まった。
視線の先。座りこんでいたため墓に隠れていたその影が、ゆらりと立ち上がる。
「――っ」
息を呑んだ。足が止まる。咲空の体は夕日に縫い付けられてしまったかのように動けず、急いた鼓動に共鳴するようにカラスが一際大きく鳴いた。
(どうして、いるの)
背中だけで老いを感じてしまうのは、その人物を見るのが久しぶりだったからかもしれない。動揺してごくりと唾を飲めば、合図のように振り返る。
「咲空、どうしてここに」
目が合った瞬間。低く、枯れた声が響いた。その人物も咲空がいることに驚いているらしく、目を見開いてじっとこちらを見ていた。
緊張感漂う中。咲空が立ち止まった理由を知らないアオイが顔を出して、二人を交互に見た。
「誰ですか? 知り合い?」
「私の父、です」
父は驚くほどに痩せていて白髪も目立ち、なのに海焼けした赤黒い肌は変わらない。その姿に時の流れを感じるのに、父の背にあるお墓は経てた時と変わらず綺麗で、雑草なんて一つも見当たらない。ここだけ墓石の汚れ一つなかった。
(父さんは、どんな反応をするんだろう)
突然家を飛び出し、一つも連絡をしない娘だったのだ。叱るのか、それとも無事の再会を喜ぶのか。咲空は微動せず、相手が動くまで待つとばかりに父を睨みつけていた。
「……元気か?」
絞り出したような一言。想像していたよりも父の反応は静かだった。
父が歩き出す。咲空の方へとじりじり近づき、そしてすれ違う瞬間、ぼそりと言った。
「家に寄れ」
「そんな時間ない。ここはついでに寄っただけだから」
「飯食わしちゃる――そこのニーチャンも来い」
親娘の緊迫した空気によって静かにしていたアオイにも会話のバトンが与えられてしまった。父が近くにいるため声を出すことはできないが、咲空は顔を顰めたり手をばたつかせて『断って』とサインを送る。
(お願いだから断って! アオイさん、お願い!)
ジェスチャーが届いたらしく、アオイは力強く頷いた。
「じゃあ、お邪魔しますね。お父さん!」
実家に行きます宣言も勘弁してほしいが、それよりも最後の一言である。アオイがただの雇用主だと知らない咲空の父に誤解を与えかねない。
このままではアオイが余計なことを言うかもしれない。面倒なことにならないよう、さっさと父を追い返すことにする。
「とりあえず、家に行くから。先に帰ってて」
父の姿が遠ざかって、墓地から消えていく。声も聞こえなくなりそうなほど離れてからアオイが口を開いた。
「いやあー、まさか実家に行っちゃうことになるなんてねぇ。楽しい楽しい」
「……最悪です」
「いいじゃないですか。ご飯ご馳走してくれるって言ってましたよ」
「食べませんよ。顔も合わせたくないってのに」
げんなりと肩を落として咲空が歩きだす。向かったのは先ほどまで父が訪ねていた墓だ。座りこんで両手を合わせる。何も持ってきていないけれど、声が届けばいいと願った。
「ねえ。ところでこのお墓は?」
顔を上げると隣にアオイが立っていた。その視線は『鈴野原家』と書かれた墓石に向けられている。
「ここにいるのは、私の母です。中学三年生の時に亡くなりました」
「そっか。サクラちゃんのお母さんか……」
アオイは屈んで、静かに手を合わせた。普段と異なる神妙な姿に目が離せない。人をからかって遊んでいたり、突拍子もないことをしている時のアオイではなかった。
(こういう表情もできるのか、この人)
まじまじと観察しているうちに、アオイが顔をあげた。そこにいつもの明るさはまだ見つからない。
「人間は、終わってしまった命を大切にして、忘れることなく、こうして手を合わせますよね」
「国や人によって違うかもしれませんよ」
「そりゃ多少の差はありますよ。でも僕は、人間は優しいと思います。ひとつひとつの命が大切で、きらきら輝いている」
アオイは立ち上がると同時にポケットをごそごそと漁る。取り出したのは今日何度も登板している月寒あんぱんだ。
これからご飯を食べるかもしれないというのに。咲空が唖然とするのも気に留めず、月寒あんぱんを齧る。
「うーん。人間の優しさに感動しながら食べるあんぱんは美味しい」
この男を理解するのは難しそうだ。ため息を残して咲空は歩きだす。
このまま家に帰れたらどんなに楽なことか。これから実家に帰らなければいけないのだ。気が重たくて仕方ない。
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