上 下
57 / 57
6章 次代の華

2.その華は枯れず、永久に愛でられる(2)

しおりを挟む


 眠りについていたのだと思う。目が覚めると陽がのぼっていた。真っ暗な倉庫も陽が入りこんでかすかに明るい。
 宮城や道中で健康的な生活を送ってしまったからか腹が減った。昔は空腹など慣れていたのに、宮城での生活は紅妍を変えてしまった。

(……戻りたい)

 許されるのならば、あの時間に戻りたい。冬花宮に住み、秀礼らと共にいた時間に戻りたい。できないことを示すように、頬についた床は冷えている。
 そこで、外が騒がしいことに気づいた。騒ぎに気づき、紅妍は耳を澄ませる。

「使者だ。大都の使者がやってきた」

 里の男が騒いでいる。ばたばたと駆け回る音が聞こえたので、長や婆を呼びに行ったのだろう。

(なぜ大都からの使者が)

 疑問に思うも確かめる術はない。
 どうにかして縄を解けないかと考えていた時、扉が開いた。光が差し込み、その姿を映す。白嬢だ。頭にはあの簪を挿している。

「ねえ、聞いたかしら。大都から使者がくるらしいわよ」

 白嬢は嫌味たっぷりにそう告げる。いちはやく使者の到着を聞いて支度していたのだろう。いつもより良い襦裙を着ている。

「きっと帝が妃を探しにきたのよ。ねえ、この簪、似合うかしら」
「……返して」

 同じことしか繰り返さない紅妍に、白嬢は苛立って木箱を蹴り上げた。がた、と大きな音が響く。

「うるさいわねえ! とにかくあんたはそこにいなさい。今度はわたしが、大都の使者に会うのよ。今度はわたしを連れて行ってもらうの。たくさんの金子に簪、素敵な衣も与えられるのでしょう!」

 どうやら白嬢は、里に戻ってきた紅妍の姿から大都がよいところであると思い込んでいるようだ。仮に彼女が大都に行ったところで、華仙の力が弱いため鬼霊を祓うことはできない。紅妍が大都に連れて行かれた理由を知らないので、都合のよい夢を抱いているのだ。
 白嬢は紅妍を倉庫の奥へと引きずり、その後に出て行った。扉が閉まる。
 紅妍は息をひそめて喧騒に耳を傾けていた。



 しばらく経って、使者たちが里についたらしい。長と婆が出迎えている声がする。その後は屋敷の中に入ったのか声が聞こえなくなった。
 陽が沈んでいく。昨日から食事を与えられていないので腹が減った。喉も渇いている。このまま夜になれば倉庫の中は冷えるだろう。
 紅妍は膝を曲げて少しでも身を丸めようとし――外から声がした。

「どうして、わたしじゃだめなんです」

 白嬢は何かを訴えているようで、その声は少しずつこちらに近づいてくる。

「お前ではだめだ。探している者がいる」
「里にそのような者はおりません。紅妍は死にました」
「ほう。では確認させてもらおう」
「この簪が証拠です。紅妍は死に、わたしがこの簪をもらったのです」

 白嬢は慌てて何かを説明している。それよりも紅妍が気になったのは、白嬢と話す男の声だ。それは聞き覚えがある。いや、いま一番近くにいてほしい声。

(錯覚、かもしれない)

 飢えがそう思わせているだけかもしれないと、期待しかけた心を鎮める。
 しかしまだ騒ぎは続いていた。ついに倉庫の扉前に着いたのか、声がはっきりと聞こえてくる。

「お前にその簪は似合わぬな」
「な……紅妍が持つよりはわたしの方が相応しいのよ」
「どうであろう。ともかく、この扉を開けてもよいか」

 白嬢だけでなく、長や婆もいるのだろう。扉を開けてはならないと口々に叫んでいる。
 扉が揺れた。どうやら開けようとしているらしいが、扉は簡単に開かない。外で棒を差し込むなりしているのだろう。いつも倉庫にはそのようにして扉を閉めていた。
 もう一度扉が揺れる。今度は外から誰かが叩いているらしい。数度強く叩いた後、男が言った。

「紅妍。そこにいるのだろう」

 その声に、紅妍が顔をあげる。

(錯覚じゃない。秀礼様がいる!)

 間違いない。その声は、聞き間違えることなどない。心が急いた。紅妍は床を張って扉の方へと近寄る。

「大切なものを見落とさぬようここへ来た。ここからお前を連れ去っても良いのなら、答えてくれ」

 もう一度扉を叩く。

「私は、お前がいないと幸福を感じることができないようだ。お前もそうであるのなら、私の妃となる覚悟があるのなら、答えてくれ」

 外は悲鳴があがっている。白嬢だ。おそらく秀礼にすがりついているのだろう。紅妍を妃にするぐらいならばわたしが、と泣き叫んでいるのがわかった。
 紅妍は大きく息を吸いこむ。扉の先にいるだろう者に向けて、告げる。

「助けてください。わたしは、あなたのそばにいたいです」

 感情が、秀礼への想いが、溢れていく。
 扉一枚向こうの秀礼に会いたい。触れたい。その腕に抱きしめられたい。
 その想いを込めて、もう一度叫んだ。

「わたしを、ここから連れ出してください!」

 それはじゅうぶんに、彼の耳に届いたのだろう。

「わかった」

 静かな声である。それが紅妍の鼓膜を揺らすと共に、倉庫全体が揺れた。床までもぐらぐらと揺れたような気がしたが、実際には秀礼が扉を蹴破っただけである。よほど力を込めていたらしい。破片は紅妍の近くまで飛んできた。
 しかし扉の惨状など見向きもしなかった。陽が沈み、ゆっくりとのぼった月は低く、秀礼の背で薄い光を放っている。月を背負った彼はにたりと笑みを浮かべて、紅妍の元に駆け寄った。

「お前が出て行った後ひどく後悔してな。離れてこれほどに苦しむのならそばにおいた方がよいと考えたまでだ」
 縄を解く。紅妍のひどい扱いを見た秀礼は苦笑し、髪についた埃を払う。
「戻ろう。私は、お前を手放せぬ」
「……はい」
「だから、これはお前のものだ。二度と奪われぬようにな」

 秀礼はそう言って、紅妍の髪を撫でた。その感触を確かめた後、簪を挿す。白嬢に奪われていた百合の簪だ。秀礼が取り返してくれたのだろう。手元に戻ってきたことに喜び、目が潤んだ。
 秀礼は弱った紅妍を軽々と抱き上げる。振り返り、里の者に告げた。

「華仙紅妍――いや華紅妍は私のものだ。この者を我の妃とする」

 この男が髙の新たな象徴であることを、長や婆、白嬢たちは知っている。長年虐げてきた娘が、帝の妃として選ばれたのだ。白嬢を含む里の者たちは青ざめたり、頭を垂れたりと動揺している。
 それを眺めながら秀礼はもう一度、紅妍を強く抱きしめる。紅妍もまた秀礼の胸元に顔を埋めて泣いていた。



 華仙の里に住む不遇の娘。華仙術に秀でた仙女は再び華妃となった。
 だが今度は飾りの妃ではない。その妃は愛でられ、後宮に咲き誇る華となる。

(了)
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(2件)

にゃんぱち
2023.02.18 にゃんぱち

最後まで一気に読んでしまいました。

途中で話が読めてきたのですが、それでもその結末に向かっての文面が素晴らしく、もっともっと、と読み進めていました。

本当ならラストの離れる前をもう少し長めにして、2人の間の話を読みたかったのですが、これはこれで良かったのかなとも思い。

でもまだ続きが読みたくなるなる作品でした。これで終わりとは寂しいです。

解除
さな
2022.08.04 さな

初めて感想を書きます。

とても素敵で、哀しくて、でも読み応えのあるお話でした。
謎解きするたびに、人々の想いが紐解かれていくのですが、、最後には涙してしまいました。

何より主人公が、淡々としているのが良かった。恋に振り回されるのではなくて、ただ救いたい一心で、それにより周りの人の心もほぐれていく。

ぜひぜひ広く読んでいただきたい、作品です。

薬屋のひとり某がお好きな方は、きっと気にいるのではではないでしょうか。

松藤かるり
2022.08.04 松藤かるり

さな様。感想をありがとうございます。
初めての感想に本作をお選び頂いたこと、光栄に思います。

花詠み仙女を最後までお読みいただきありがとうございます。
素敵な感想を頂き、とても励みになります。

本作は、時期未定ですが年内には非公開とする予定です。
本作の今後の展開につきましてはTwitterや個人ホームページなどでお知らせしてまいります。

解除

あなたにおすすめの小説

江戸旅館

不思議の国のアリス代表悪夢様
歴史・時代
時は江戸。その頃にできたばかりの旅館の江戸旅館でどたばた騒ぎもあるがどんどん旅館が成長していく

最後に願うなら

黒田悠月
恋愛
私には貴方に伝えていない秘密がある。 およそ一年前。 婚約という名の契約を交わした私、ミリーゼ・シュトラトフと彼――カシーム・リジム。 お互いに都合の良い見せかけだけの関係。 最初から、わかっていた。 いつか、そう遠くないうちに終わりにする関係だと。 だからそんな貴方に私の秘密は教えない。

ポリコレ配慮にも程が有る異世界に転生してしまった……/第1部:幻世篇

蓮實長治
ファンタジー
よくあるナーロッパ世界に異世界転生した……と思ってた「僕」。 ところが、その世界は何故かポリコレに配慮したかのような窮屈な世界。 しかも、その世界では、チート能力持ちの転生者……特に地球の日本からの転生者が迫害されている世界だった。 そうとは知らずに、うっかり、奴隷となっていたハーフエルフっぽい白人の幼女を助けてしまった「僕」の運命は……? そして、この世界で転生者が迫害される原因となった理由と……この世界の白人に見える者達のとんでもない正体とは? 「なろう」「カクヨム」「アルファポリス」「Novel Days」「ノベルアップ+」「note」「GALLERIA」に同じモノを投稿しています。(「GALLERIA」「note」は掲載が後になります) ※本作に(名前だけ)登場する過去の転生者の呼び名に関しては、田中啓文氏の短編小説「火星のナンシー・ゴードン」(ハヤカワ文庫JA「銀河帝国の弘法も筆の誤り」収録)のパク……いえ、オマージュです。

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

ずっと君を想ってる~未来の君へ~

犬飼るか
青春
「三年後の夏─。気持ちが変わらなかったら会いに来て。」高校の卒業式。これが最後と、好きだと伝えようとした〈俺─喜多見和人〉に〈君─美由紀〉が言った言葉。 そして君は一通の手紙を渡した。 時間は遡り─過去へ─そして時は流れ─。三年後─。 俺は今から美由紀に会いに行く。

愛しのお姉様(悪役令嬢)を守る為、ぽっちゃり双子は暗躍する

清澄 セイ
ファンタジー
エトワナ公爵家に生を受けたぽっちゃり双子のケイティベルとルシフォードは、八つ歳の離れた姉・リリアンナのことが大嫌い、というよりも怖くて仕方がなかった。悪役令嬢と言われ、両親からも周囲からも愛情をもらえず、彼女は常にひとりぼっち。溢れんばかりの愛情に包まれて育った双子とは、天と地の差があった。 たった十歳でその生を終えることとなった二人は、死の直前リリアンナが自分達を助けようと命を投げ出した瞬間を目にする。 神の気まぐれにより時を逆行した二人は、今度は姉を好きになり協力して三人で生き残ろうと決意する。 悪役令嬢で嫌われ者のリリアンナを人気者にすべく、愛らしいぽっちゃりボディを武器に、二人で力を合わせて暗躍するのだった。

私を虫けらと呼ぶ婚約者。本当の虫けらはどっちでしょうね【完結】

小平ニコ
恋愛
「陰気で不細工な女め。僕は、お前のことがずっと嫌いだった」 廃村に私を呼び出したキュリック様は、徹底的に私を罵倒し、婚約を破棄しました。彼は、私の家からの援助が目当てで私に近づいただけであり、実家の状況が変わり、お金に不自由しなくなった今となっては、私との婚約には、何の価値もないそうです。 「僕にはな、お前と、お前の家に隠れて、ひそかに想いあっていた恋人がいるんだ」 薄々は、感づいていました。 キュリック様の心が、私ではなく、別の誰かに向いていることを。 しかし、私はどうしても納得がいかず、抗議しようします。 ……そんな私を、キュリック様は平手で叩き、「喋るな、虫けら」と罵りました。いきなりの暴力と、冷徹な言葉で、何も言えなくなってしまった私を嘲笑い、キュリック様は去っていきます。 その時でした。 キュリック様が、何者かが作った大きな落とし穴に落ち、致命的な大怪我をしてしまったのです。

私の若き恋物語

ヴォニョ
エッセイ・ノンフィクション
これは、私が10代最後の夏にした恋の話 あの頃は若くて、思慮が足りずに、誰かを傷つけたり、思いやりを知らずにした、恋 ※登場人物は全て仮名です。 ※内容によっては不快な思いをするかもしれません、ご了承ください ※誤字脱字にご注意下さい ※勢いで、起承転結等も考えないありのままの経験した恋の話となりますm(__)m

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。