上 下
19 / 57
2章 いつわりの妃

4.芍薬に悔恨を(3)

しおりを挟む
 紅妍は襦裙の裾をまくり上げると、渡り廊下の手すりを飛び越える。そのまま庭に降り立った。
 鬼霊は人を襲う。秋芳宮の宮女たちを逃がすことも考えたが、妃の鬼霊は紅の芍薬が植わる場所で膝をついている。こちらを見ようともしない。生者への関心を持っていないようだった。

(妃の鬼霊は人を襲いにきたのではなさそう。何か目的があるのかもしれない)

 紅芍薬の場所に、妃の鬼霊が想う何かがあるのだ。紅妍は急ぎその場所へ向かい、鬼霊の隣に立つ。何かあれば逃げられるようにと注意を払って忍び寄ったが、鬼霊はやはり紅妍に見向きもしなかった。
 鬼霊との距離を詰める紅妍に目を剥いたのは秀礼である。彼は手柵から身を乗り出して叫んだ。

「華妃! 近づきすぎるな」
「大丈夫。この鬼霊は襲いません」
「襲わない? なぜわかる」

 紅妍は答えなかった。秀礼に背を向け、鬼霊を見やる。

「あなたは……楊妃」

 紅妍が問う。銀歩揺を挿した妃の鬼霊は答えない。ただじいと、紅芍薬の根元を眺めていた。

「まさかこの近くに、あなたの大切なものがある?」

 これにも鬼霊は答えなかった。その代わり、ぽたりと何かが落ちる。紅の花びらだ。妃の左胸に咲いた紅芍薬は血のにおいを放ちながら、花びらをこぼしている。
 紅妍は鬼霊のそばで膝をつき、その場所を掘る。そういえば宮城にきてすぐも土を掘り返していた。人はどうも、不都合なものがあると隠したがる。人様に見つからない場所と考えれば水や土の中が好都合なのだろう。掘ってばかりだと心の中で自嘲する。
 そしてすぐに、それは出てきた。

「……折れた銀の歩揺」

 鬼霊が髪に挿しているものとよく似ていた。柄には芍薬の柄が刻まれている。紅妍が折れた歩揺を手に取ると、鬼霊の視線がこちらを向いた。ようやく紅妍のことを認識したらしい。

「あなたはこれを探していた?」

 答えはない。けれど紅の花びらがゆるやかに風に舞った。張り詰めていた気が少しだけ和らぐ。誰かが、鬼霊が、泣いているような風の音がした。

 ちょうど、その時である。新たな来訪者が庭に足を踏み入れていた。

「これはどういう状況でしょうか」

 現れたのは清益だった。庭にいる紅妍と鬼霊、渡り廊下には宮女長に藍玉が揃い、秀礼は今にも庭に飛びださんと身を乗り出しているのである。駆けつけた清益が呆然とするのも仕方のないことである。
 清益よりも早く状況を理解したのは、彼が連れてきた者だった。薄汚れた襦裙を着た彼女は庭の鬼霊を視るなり、駆け出す。

「まさか、楊妃様!」

 その顔は花詠みで見た、秋芳宮の庭を手入れしていた宮女――霹児へきじである。楊妃に仕えていた霹児は、この鬼霊が妃であるとすぐにわかったらしい。鬼霊の元へ寄ると、その場に崩れて泣き出した。

「ああ楊妃様……可哀想に……まさか鬼霊になっていただなんて……」
「あなたが、秋芳宮の庭を任されていた霹児?」

 紅妍が問うと、霹児は「ええ、ええ」と泣きながら何度も頷いた。

「わたしが悪かったのです。やはり黙っていることは罪でございました。家族がいくら大事といえど、あれほどお慕いしていた楊妃様の恩を裏切り、楊妃様は鬼霊になってしまった。これはすべて、わたしが口を閉ざしたためです」

 これは一体どういうことだろう。訝しんだ紅妍が霹児に問おうとした時、渡り廊下にいた宮女長が声を張り上げた。

「やめなさい霹児。あなたは気が触れておかしくなっているのよ」

 どうやら宮女長は霹児に語ってほしくはないらしい。これに察した秀礼が手をあげる。従えてきた武官が宮女長を抑えた。
 そして清益がこちらに寄る。彼なりに事態を把握し、この鬼霊が楊妃であり、危害を加える気はないと察したようだ。

「話を伺ったところ、この霹児は秋芳宮で起きた『事』を目撃しているようです」
「ほう。では犯人も知っているのか」

 秀礼が訊いた。これに清益は笑みを浮かべて答える。

「はい。どうやらその者から、家族の命が惜しければ口を閉ざすようにと脅されていたようです。里で怯えておりました」
「それは話が早くて助かる――なに、犯人の見当はついているがな」

 そう言って秀礼は宮女長をちらりと見る。宮女長は武官に拘束されながら、顔を白くさせていた。紅妍も犯人が誰であるのかは察していた。答え合わせをするように泣き崩れていた霹児が語る。

「帝の寵愛を受けられず、子を成すこともできなかった楊妃様は秋芳宮の宮女より厳しい扱いを受けていました。宮女長や一部の宮女は春燕しゅんえんきゅうの者と親しく、春燕宮のえい貴妃きひ様は楊妃様を疎んじていましたから、色々な話をふきこまれていたようです。ついに楊妃様と宮女長が口論になったのは冬が訪れる前のことでした」

 はたはたと涙が地に落ちる。楊妃の鬼霊はまだ芍薬のそばから動こうとしなかった。表情が動かないため、その鼓膜が霹児の話を拾えているのかはわからない。

「その日わたしは庭に出ていました。そして楊妃様の悲鳴を聞いたのです。慌てて駆けつけるも既に楊妃様は倒れていました。胸から血を流し、襦裙や床に垂れている。そこにいた宮女長は駆けつけたわたしを見るなり口止めをしたのです――故郷に残した家族が惜しければ、このことは忘れるようにと」
「……それであなたは故郷に戻ったと」
「楊妃様に申し訳ない気持ちはありながらも、家族が大事だったのです。気が触れたと吹聴されても逆らえず口を閉ざしたのはわたしの意志が弱かったがため。楊妃様が鬼霊となったのはわたしの罪でございます」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

逃げるための後宮行きでしたが、なぜか奴が皇帝になっていました

吉高 花
恋愛
◆転生&ループの中華風ファンタジー◆ 第15回恋愛小説大賞「中華・後宮ラブ賞」受賞しました!ありがとうございます! かつて散々腐れ縁だったあいつが「俺たち、もし三十になってもお互いに独身だったら、結婚するか」 なんてことを言ったから、私は密かに三十になるのを待っていた。でもそんな私たちは、仲良く一緒にトラックに轢かれてしまった。 そして転生しても奴を忘れられなかった私は、ある日奴が綺麗なお嫁さんと仲良く微笑み合っている場面を見てしまう。 なにあれ! 許せん! 私も別の男と幸せになってやる!  しかしそんな決意もむなしく私はまた、今度は馬車に轢かれて逝ってしまう。 そして二度目。なんと今度は最後の人生をループした。ならば今度は前の記憶をフルに使って今度こそ幸せになってやる! しかし私は気づいてしまった。このままでは、また奴の幸せな姿を見ることになるのでは? それは嫌だ絶対に嫌だ。そうだ! 後宮に行ってしまえば、奴とは会わずにすむじゃない!  そうして私は意気揚々と、女官として後宮に潜り込んだのだった。 奴が、今世では皇帝になっているとも知らずに。 ※タイトル試行錯誤中なのでたまに変わります。最初のタイトルは「ループの二度目は後宮で ~逃げるための後宮でしたが、なぜか奴が皇帝になっていました~」 ※設定は架空なので史実には基づいて「おりません」

雇われ側妃は邪魔者のいなくなった後宮で高らかに笑う

ちゃっぷ
キャラ文芸
多少嫁ぎ遅れてはいるものの、宰相をしている父親のもとで平和に暮らしていた女性。 煌(ファン)国の皇帝は大変な女好きで、政治は宰相と皇弟に丸投げして後宮に入り浸り、お気に入りの側妃/上級妃たちに囲まれて過ごしていたが……彼女には関係ないこと。 そう思っていたのに父親から「皇帝に上級妃を排除したいと相談された。お前に後宮に入って邪魔者を排除してもらいたい」と頼まれる。 彼女は『上級妃を排除した後の後宮を自分にくれること』を条件に、雇われ側妃として後宮に入る。 そして、皇帝から自分を楽しませる女/遊姫(ヨウチェン)という名を与えられる。 しかし突然上級妃として後宮に入る遊姫のことを上級妃たちが良く思うはずもなく、彼女に幼稚な嫌がらせをしてきた。 自分を害する人間が大嫌いで、やられたらやり返す主義の遊姫は……必ず邪魔者を惨めに、後宮から追放することを決意する。

破鏡悲歌~傾国の寵姫は復讐の棘を孕む

無憂
恋愛
下級官吏の娘であった蔡紫玲は、不遇の皇子・伯祥の妃に選ばれる。互いに比翼連理を誓った二人の蜜月はわずか数か月。紫玲の美しさに目をつけた皇帝は権力を振りかざして紫玲を奪い、後宮に入れた。伯祥の死を知った紫玲は、復讐を決意する――  玉匣清光不復持、菱花散亂月輪虧。  秦臺一照山鶏後、便是孤鸞罷舞時。  (唐・李商隠「破鏡」) 割れた鏡に込められた夫婦の愛と執着の行き着く先は。中華復讐譚。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

追放された薬師は騎士と王子に溺愛される 薬を作るしか能がないのに、騎士団の皆さんが離してくれません!

沙寺絃
ファンタジー
唯一の肉親の母と死に別れ、田舎から王都にやってきて2年半。これまで薬師としてパーティーに尽くしてきた16歳の少女リゼットは、ある日突然追放を言い渡される。 「リゼット、お前はクビだ。お前がいるせいで俺たちはSランクパーティーになれないんだ。明日から俺たちに近付くんじゃないぞ、このお荷物が!」 Sランクパーティーを目指す仲間から、薬作りしかできないリゼットは疫病神扱いされ追放されてしまう。 さらにタイミングの悪いことに、下宿先の宿代が値上がりする。節約の為ダンジョンへ採取に出ると、魔物討伐任務中の王国騎士団と出くわした。 毒を受けた騎士団はリゼットの作る解毒薬に助けられる。そして最新の解析装置によると、リゼットは冒険者としてはFランクだが【調合師】としてはSSSランクだったと判明。騎士団はリゼットに感謝して、専属薬師として雇うことに決める。 騎士団で認められ、才能を開花させていくリゼット。一方でリゼットを追放したパーティーでは、クエストが失敗続き。連携も取りにくくなり、雲行きが怪しくなり始めていた――。

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

立派な公主に育てます~後宮で継母は荷が重いけど、可愛い娘のために頑張ります!~

絹乃
キャラ文芸
母である皇后を喪った4歳の蒼海(ツァンハイ)皇女。未来視のできる皇女の養育者は見つからない。こんなに可愛いのに。愛おしいのに。妃嬪の一人である玲華(リンホア)は皇女の継母となることを誓う。しかし皇女の周りで事件が起こる。謎? 解き明かしましょう。皇女を立派な公主に育てるためならば。玲華の子育てを監視するためにやってきたのは、侍女に扮した麗しの青年だった。得意の側寫術(プロファイリング)を駆使して事件を解決する、継母後宮ミステリー。※表紙は、てんぱる様のフリー素材をお借りしています。

国王陛下、私のことは忘れて幸せになって下さい。

ひかり芽衣
恋愛
同じ年で幼馴染のシュイルツとアンウェイは、小さい頃から将来は国王・王妃となり国を治め、国民の幸せを守り続ける誓いを立て教育を受けて来た。 即位後、穏やかな生活を送っていた2人だったが、婚姻5年が経っても子宝に恵まれなかった。 そこで、跡継ぎを作る為に側室を迎え入れることとなるが、この側室ができた人間だったのだ。 国の未来と皆の幸せを願い、王妃は身を引くことを決意する。 ⭐︎2人の恋の行く末をどうぞ一緒に見守って下さいませ⭐︎ ※初執筆&投稿で拙い点があるとは思いますが頑張ります!

処理中です...