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2 若草狐
辻に立つ女
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佐次は、黄を見つめる。
「いかがしましたか?」
黄が、あまりに真剣に黄を見つめる佐次に首をかしげる。
「いえ、そんなはずはないと思うのですが、狒々を倒した時に見た、若草の幼い姿と黄様が似ているような気がしまして……」
ちらりと、白金の方を佐次は見るが、白金は涼しい顔でただ黙って座っている。
「もっと教えて下さい」
黄にせがまれて、佐次は語った。
「では、親父が亡くなった時の話をいたしましょう」
佐次は語り出した。
親父の元で修行しながら、仕事をこなす日々。
兄の佐門は、どこにいるのかも分からない。若草は、佐門は、雲外鏡を通って『妖魔の国』にいるのかもしれないと。
「誰か、佐門を助ける位の高い妖魔がいるのかもしれない」
若草の言葉に、親父の佐平の表情が曇る。
「親父、何か知っているのか?」
「知らん。俺が話すに値しない話だ。もう終わったこと」
親父は、不機嫌にそう言って、何も語ってはくれなかった。
その日の仕事は、夜に辻に現れて男を誘って喰らう女の姿をした妖を退治すること。
親父は、別の仕事にまず向かったので、佐次と若草で仕事に向かう。
「美人なんだって。佐次、誘惑されちゃうんじゃない?」
誰もいない山道。姿を現した若草は、軽口をたたく。ピョンピョンと軽い足取りで佐次についてくる。
「されるか。そんなの」
佐次がムッとして答えれば、若草は、そうかな? と笑う。
「だいたい、俺は妖が嫌いなんだ」
佐次がそう言えば、若草の耳がピクリと揺れる。
「そうなのか?」
佐次を見て、悲しそうな顔を若草がする。
若草も妖狐、妖だ。こんな言い方をすれば、それは悲しくもなるだろう。
「あ、いや。若草は別だ。若草は、ちゃんと友達と思っている」
佐次がそう言っても、若草の表情は晴れなかった。
「佐次……私がくっついてくるのも迷惑か?」
「違うって。悪かったって。面倒くせえな」
佐次がイラつけば、若草はシュンとして、静かに佐次の後ろをついてくる。
「ほら。手」
佐次が若草の手を引っ張る。
「いいの?」
若草は、佐次が構ってやれば喜ぶ。小さい弟か妹のようだった。
「この歳になって手なんてつないで歩くとは思わなかった」
佐次がぼやくのを、若草が楽しそうに笑ってみていた。
夕暮れの辻で人の気配を感じて若草は姿を消す。
佐次が独りで歩いていれば、話の通りの長く艶やかな黒髪の女が一人、手ぬぐいを被り、むしろを一つ持って、辻に立っている。
「もし。遊んでいかれませんか?」
女が佐次に声を掛ける。
怪しいが、まだ妖の気配を出してはいない。
この時代には、夜鷹と呼ばれる、売春を目的とした女が辻に立つことは、ままある。辻に立って声をかけたというだけで、この女が妖と決めつけて殺せば、下手をすれば、ただの人間の女を殺めてしまうかもしれない。
もっと、確証が欲しい。
「そうだな……。姉さんはいくらだ」
佐次が問えば、女がこちらに目を向ける。
たしかに美人だ。
切れ長の目。白い面。赤く紅をひいた柔らかそうな唇。ニコリと笑う口元に見える舌は蠱惑的でぞくりとする。
「そうだね。兄さんは具合が良さそうだ。安くしておくよ」
女がそう言って、佐次の左腕をさする。
女の手が、佐次の腕の上の人面瘡をみつける。
「おや……。兄さん。妖を飼っているのかえ?」
今は、河童の薬が効いていて、大人しくしている人面瘡。それを触れただけで、妖と気づくこの女は、人間だとしても、並みのものではない。
不思議な女。こんなに近くにいてまだ、妖の気配がない。
人間の女の気配がする。
ひょっとして、自分と同じ術師なのだろうか?
佐次は身構える。
「佐次」
若草が姿を現して、佐次の腕をグイと引っ張る。
「おや、七尾といえども妖狐まで使役して。これは良い」
女がニイと笑う。佐次の胸にもたれて、佐次を見上げる。
「あ、いや。若草は使役しているわけではない。友達だ」
佐次が若草を腕から離す。
「さ、佐次? 佐次?」
若草が呼んでも、佐次が答えてくれない。
「ふふ。美人でも妖は嫌なのでしょう。人間の女の方が具合がようございましょう」
勝ち誇ったように若草を見る女。
「さっさと消えてろ。邪魔だ。」
佐次にそう言われて、若草は、ハラハラと涙をこぼしながら姿を消した。
「さて、兄さん行きましょうか?」
女は、佐次の手を引く。
佐次は、女に付いて、辻から姿を消した。
若草が再び姿を現したのは、佐次の親父のところ。一仕事を終えて佐次を探しに付近まで来ていた親父は、若草にすぐ気づいた。
クフン。若草は、小さく鳴いて、親父に佐次のことを報告する。
「佐次の奴。調子に乗りやがって。そこまで妖狐様に言わなくても」
「さすがに私も傷付いた。佐次に後で文句を言う」
「さて、行きましょうか。妖狐様」
親父が念じれば、ぼうっと佐次の残した念の道が視える。
親父の手には、新しい護符が握られている。
「これは?」
若草が聞けば、
「私が新しく開発した護符です。女の話を聞いて、役に立つかと持って来ました」
と親父が答える。
何度も同じような場所を巡る不思議な道を、佐次の念の道しるべを頼りにたどれば、パックリと空間に穴が開いている。
妖魔の国への入り口。
呪力で門を作って閉じているから、妖魔が出て来てはないが、これは、やはりあの女は妖魔の類ということだろう。
女の根城まで続く道を、親父と若草はたどっていく。
「本当に魅惑されてしまっているようで、心配になった」
若草がこぼせば、
「佐次が? まさか」
と親父が笑う。
「あの女は、中身は妖魔だ。人間の体を奪って、人間のフリをしている」
若草が言えば、
「心得ております。依頼を受けて調査をした時から。人間の殻を被っていても、中身が妖魔だから、人間が時々喰いたくなるのでしょう」
と親父が答える。
心と魂が縮めば、そこに付け入り、妖魔が取りつき、体を乗っ取ってしまう。人間の体を得て、好き勝手して欲望を果たす妖魔の女。元の女の魂は、とうに喰われているだろう。
道は、小さな家に続いていた。
家の中から、女が笑う声がする。
「覗けば、佐次が女にもたれかかられながら、酒を飲んでいる」
「佐次……」
若草は、心がモヤモヤする感覚にさいなまれる。
演技なのだと分かっているのに、心がチクリと痛む。さきほどの、「妖は嫌いだ」という佐次の言葉が、脳裏によみがえる。
隙を見て、女を取り押さえることになっている。
親父と若草は、中をうかがいながらじっとしている。
「親父。覗きは、趣味として良くないな」
後ろから声を掛けてくる者に、驚いて振り返れば、そこに、佐門が立っていた。
「今、帰ったぞ」
佐門が、大きな声でそう言いながら、家の中に入る。
右手には、親父、左手には若草を掴んで、女に笑いかける。
「おや、大きな魚だこと」
女が嗤う。
「親父、若草」
「ごめん。佐次」
若草はまだ答える元気があるが、親父が返事をしない。白目をむいている。
親父の首から、佐門が手を離せば、どさりと親父がそのまま倒れてしまう。口から泡を吹いて痙攣している。
「若草。久しぶりだな」
親父から離した手で、佐門が若草の体をまさぐる。若草は、佐門の手を嫌がって身をよじるが、よじれば首を絞められて、若草はキュウと鳴いている。
「おや、堂々と浮気とは」
女がゲラゲラと下品に笑う。
「男を連れ込んでいる最中のお前には言われたくない」
佐門もクククッと笑う。
「佐次。返してほしいか?」
佐門が問えば、
「いらん。若草、自分で逃れろ。佐門を殺せ」
佐次が、意外な答えを返す。
「うるさいな。今やっている。でも、こんなに体を触られたら集中力が……。や、だめだって」
若草が、ゴウと音を立てて狐火を放つ。
佐門がゲラゲラと笑う。
「可愛いなあ。妖狐。そんな狐火でいかがする?」
佐門は、全く手を緩めずに、若草を抱きしめる。
「なんでぇ。どうして効かないの?」
必死で暴れる若草を佐門は離してくれない。
佐次は佐次で、女を相手に苦戦している。
女は、蜘蛛の巣を張り、佐次を絡めとろうとしてくる。
「これは、中身の妖魔は、低級妖魔ではないな。元は妖か」
「そう。勘がいいね。女郎蜘蛛の妖が、術師の女の体を乗っ取ったのさ。便利な体。お前のような鼻の下のばした男がわんさと釣れる」
ゲラゲラと笑う女は、舌で自身の唇をゆっくりと舐める。
「佐次! 護符! 親父の護符を女の背中に!!!」
若草が、叫ぶ。
若草の管狐が、佐次を捕えようとする蜘蛛女の糸を切る。
「お前、自分の状況を考えろ。俺の手助けする前に、佐門に身体を触らせるな」
佐次が、若草の手助けに苛立つ。
「そっちも頑張っているんだよ。早く女を片付けてこっちを手伝ってよ」
佐門に若草が噛みつくが、少しも動じてくれない。
「面白いな。性別のない身体。そのように扱えば、次第に変化する。ほれ、胸が女のように大きくなってきた」
ニタニタと佐門が嗤う。七尾といえども、これほど妖狐の攻撃を受けてびくともしないだなんて、どこまで妖力を高めているのだろう。どうやったのだろう?
若草はぞくりと背筋が凍る。
「触るな。佐門は嫌いだ」
若草が、妖力を強めて佐門にぶつける。
バチンと大きな音がして、佐門の腕が焦げる。
佐門の腕からようやく逃れて佐次の隣に若草が立つ。
蜘蛛女を見れば、背中に貼られた親父の護符に魂を吸い出されて、棒立ちになっている。
「元はこいつの体ではない。魂は、体からはがれやすくなっている」
背中に護符を貼られてしまえば、それを自分で取ろうにもてが届かない。
ガ、ガ、ガ、ガ、ガ
悲鳴ともなんとも言えない音を蜘蛛女は口から発している。
「役立たずだな」
佐門が、人面瘡から取り出した槍で蜘蛛女を貫く。
「なんだ? あれ」
苦しむ蜘蛛女を見て、若草が驚く。
「どうした?」
「槍で妖力の器に穴をあけて、吸い上げている。妖力の塊が、蜘蛛から佐門に移動している」
若草がそう言う間にも、女は力を失って、死んでしまった。
そうか。そうやって妖魔界で妖達を殺しながら力を貯めたんだ。
若草はゾッとする。
「だめだ。逃げよう」
虫の息の親父を背に乗せて、狐姿になった若草が佐次を促す。
佐次が乗ったのを確認して、若草が元の道を走り出す。
「佐門、あいつ……」
佐次が悔しそうに顔を歪める。
「駄目だよ。佐次。稲荷様に報告して応援を頼まなければ、あんなの太刀打ちできない」
若草が、佐次をなだめる。
「何が駄目なんだ? 俺は、妖魔を倒しているだけだ。妖狐のしていることとさして変わらないだろう?」
佐門が笑いながら、後を追ってくる。悠然としているように見えるのに、すごい速さで飛んでいる。
「佐門、なんとも嫌われたな。可愛い妖狐が逃げてしまう。あんなに可愛がってやっているのに」
佐門の胸の人面瘡が、大笑いしている。
「全くだ。こんなに俺が、優しくしてやっているのに」
佐門が、やれやれとため息をつく。
道をひた走る若草に、異物に気づいた妖魔の群れがせまってくる。涎を垂らして、喰らいつこうとしてくる。
若草が管狐で妖魔を蹴散らしながら走る。
狐火はバチバチと音を立てて妖魔を焼き払い、管狐は妖魔を喰らう。それでも後から後から、妖魔は若草たちを喰らおうと追ってくる。
あった。あれだ。
ようやくたどり着いた、人間界との境界の門。
転ぶように抜けようとする若草に、佐門の手が伸びる。
気を失っていると思っていた親父の手が、佐門の手をつかみ、佐門が若草を掴むのを防ぐ。
「親父?」
佐次が最後に見たのは、佐次と若草を逃して悔しそうな佐門が、悔し紛れに親父を突き殺す姿であった。
妖魔と人間の世界の境界に作られた門は、若草の力によって閉じられた。
「いかがしましたか?」
黄が、あまりに真剣に黄を見つめる佐次に首をかしげる。
「いえ、そんなはずはないと思うのですが、狒々を倒した時に見た、若草の幼い姿と黄様が似ているような気がしまして……」
ちらりと、白金の方を佐次は見るが、白金は涼しい顔でただ黙って座っている。
「もっと教えて下さい」
黄にせがまれて、佐次は語った。
「では、親父が亡くなった時の話をいたしましょう」
佐次は語り出した。
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「美人なんだって。佐次、誘惑されちゃうんじゃない?」
誰もいない山道。姿を現した若草は、軽口をたたく。ピョンピョンと軽い足取りで佐次についてくる。
「されるか。そんなの」
佐次がムッとして答えれば、若草は、そうかな? と笑う。
「だいたい、俺は妖が嫌いなんだ」
佐次がそう言えば、若草の耳がピクリと揺れる。
「そうなのか?」
佐次を見て、悲しそうな顔を若草がする。
若草も妖狐、妖だ。こんな言い方をすれば、それは悲しくもなるだろう。
「あ、いや。若草は別だ。若草は、ちゃんと友達と思っている」
佐次がそう言っても、若草の表情は晴れなかった。
「佐次……私がくっついてくるのも迷惑か?」
「違うって。悪かったって。面倒くせえな」
佐次がイラつけば、若草はシュンとして、静かに佐次の後ろをついてくる。
「ほら。手」
佐次が若草の手を引っ張る。
「いいの?」
若草は、佐次が構ってやれば喜ぶ。小さい弟か妹のようだった。
「この歳になって手なんてつないで歩くとは思わなかった」
佐次がぼやくのを、若草が楽しそうに笑ってみていた。
夕暮れの辻で人の気配を感じて若草は姿を消す。
佐次が独りで歩いていれば、話の通りの長く艶やかな黒髪の女が一人、手ぬぐいを被り、むしろを一つ持って、辻に立っている。
「もし。遊んでいかれませんか?」
女が佐次に声を掛ける。
怪しいが、まだ妖の気配を出してはいない。
この時代には、夜鷹と呼ばれる、売春を目的とした女が辻に立つことは、ままある。辻に立って声をかけたというだけで、この女が妖と決めつけて殺せば、下手をすれば、ただの人間の女を殺めてしまうかもしれない。
もっと、確証が欲しい。
「そうだな……。姉さんはいくらだ」
佐次が問えば、女がこちらに目を向ける。
たしかに美人だ。
切れ長の目。白い面。赤く紅をひいた柔らかそうな唇。ニコリと笑う口元に見える舌は蠱惑的でぞくりとする。
「そうだね。兄さんは具合が良さそうだ。安くしておくよ」
女がそう言って、佐次の左腕をさする。
女の手が、佐次の腕の上の人面瘡をみつける。
「おや……。兄さん。妖を飼っているのかえ?」
今は、河童の薬が効いていて、大人しくしている人面瘡。それを触れただけで、妖と気づくこの女は、人間だとしても、並みのものではない。
不思議な女。こんなに近くにいてまだ、妖の気配がない。
人間の女の気配がする。
ひょっとして、自分と同じ術師なのだろうか?
佐次は身構える。
「佐次」
若草が姿を現して、佐次の腕をグイと引っ張る。
「おや、七尾といえども妖狐まで使役して。これは良い」
女がニイと笑う。佐次の胸にもたれて、佐次を見上げる。
「あ、いや。若草は使役しているわけではない。友達だ」
佐次が若草を腕から離す。
「さ、佐次? 佐次?」
若草が呼んでも、佐次が答えてくれない。
「ふふ。美人でも妖は嫌なのでしょう。人間の女の方が具合がようございましょう」
勝ち誇ったように若草を見る女。
「さっさと消えてろ。邪魔だ。」
佐次にそう言われて、若草は、ハラハラと涙をこぼしながら姿を消した。
「さて、兄さん行きましょうか?」
女は、佐次の手を引く。
佐次は、女に付いて、辻から姿を消した。
若草が再び姿を現したのは、佐次の親父のところ。一仕事を終えて佐次を探しに付近まで来ていた親父は、若草にすぐ気づいた。
クフン。若草は、小さく鳴いて、親父に佐次のことを報告する。
「佐次の奴。調子に乗りやがって。そこまで妖狐様に言わなくても」
「さすがに私も傷付いた。佐次に後で文句を言う」
「さて、行きましょうか。妖狐様」
親父が念じれば、ぼうっと佐次の残した念の道が視える。
親父の手には、新しい護符が握られている。
「これは?」
若草が聞けば、
「私が新しく開発した護符です。女の話を聞いて、役に立つかと持って来ました」
と親父が答える。
何度も同じような場所を巡る不思議な道を、佐次の念の道しるべを頼りにたどれば、パックリと空間に穴が開いている。
妖魔の国への入り口。
呪力で門を作って閉じているから、妖魔が出て来てはないが、これは、やはりあの女は妖魔の類ということだろう。
女の根城まで続く道を、親父と若草はたどっていく。
「本当に魅惑されてしまっているようで、心配になった」
若草がこぼせば、
「佐次が? まさか」
と親父が笑う。
「あの女は、中身は妖魔だ。人間の体を奪って、人間のフリをしている」
若草が言えば、
「心得ております。依頼を受けて調査をした時から。人間の殻を被っていても、中身が妖魔だから、人間が時々喰いたくなるのでしょう」
と親父が答える。
心と魂が縮めば、そこに付け入り、妖魔が取りつき、体を乗っ取ってしまう。人間の体を得て、好き勝手して欲望を果たす妖魔の女。元の女の魂は、とうに喰われているだろう。
道は、小さな家に続いていた。
家の中から、女が笑う声がする。
「覗けば、佐次が女にもたれかかられながら、酒を飲んでいる」
「佐次……」
若草は、心がモヤモヤする感覚にさいなまれる。
演技なのだと分かっているのに、心がチクリと痛む。さきほどの、「妖は嫌いだ」という佐次の言葉が、脳裏によみがえる。
隙を見て、女を取り押さえることになっている。
親父と若草は、中をうかがいながらじっとしている。
「親父。覗きは、趣味として良くないな」
後ろから声を掛けてくる者に、驚いて振り返れば、そこに、佐門が立っていた。
「今、帰ったぞ」
佐門が、大きな声でそう言いながら、家の中に入る。
右手には、親父、左手には若草を掴んで、女に笑いかける。
「おや、大きな魚だこと」
女が嗤う。
「親父、若草」
「ごめん。佐次」
若草はまだ答える元気があるが、親父が返事をしない。白目をむいている。
親父の首から、佐門が手を離せば、どさりと親父がそのまま倒れてしまう。口から泡を吹いて痙攣している。
「若草。久しぶりだな」
親父から離した手で、佐門が若草の体をまさぐる。若草は、佐門の手を嫌がって身をよじるが、よじれば首を絞められて、若草はキュウと鳴いている。
「おや、堂々と浮気とは」
女がゲラゲラと下品に笑う。
「男を連れ込んでいる最中のお前には言われたくない」
佐門もクククッと笑う。
「佐次。返してほしいか?」
佐門が問えば、
「いらん。若草、自分で逃れろ。佐門を殺せ」
佐次が、意外な答えを返す。
「うるさいな。今やっている。でも、こんなに体を触られたら集中力が……。や、だめだって」
若草が、ゴウと音を立てて狐火を放つ。
佐門がゲラゲラと笑う。
「可愛いなあ。妖狐。そんな狐火でいかがする?」
佐門は、全く手を緩めずに、若草を抱きしめる。
「なんでぇ。どうして効かないの?」
必死で暴れる若草を佐門は離してくれない。
佐次は佐次で、女を相手に苦戦している。
女は、蜘蛛の巣を張り、佐次を絡めとろうとしてくる。
「これは、中身の妖魔は、低級妖魔ではないな。元は妖か」
「そう。勘がいいね。女郎蜘蛛の妖が、術師の女の体を乗っ取ったのさ。便利な体。お前のような鼻の下のばした男がわんさと釣れる」
ゲラゲラと笑う女は、舌で自身の唇をゆっくりと舐める。
「佐次! 護符! 親父の護符を女の背中に!!!」
若草が、叫ぶ。
若草の管狐が、佐次を捕えようとする蜘蛛女の糸を切る。
「お前、自分の状況を考えろ。俺の手助けする前に、佐門に身体を触らせるな」
佐次が、若草の手助けに苛立つ。
「そっちも頑張っているんだよ。早く女を片付けてこっちを手伝ってよ」
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「面白いな。性別のない身体。そのように扱えば、次第に変化する。ほれ、胸が女のように大きくなってきた」
ニタニタと佐門が嗤う。七尾といえども、これほど妖狐の攻撃を受けてびくともしないだなんて、どこまで妖力を高めているのだろう。どうやったのだろう?
若草はぞくりと背筋が凍る。
「触るな。佐門は嫌いだ」
若草が、妖力を強めて佐門にぶつける。
バチンと大きな音がして、佐門の腕が焦げる。
佐門の腕からようやく逃れて佐次の隣に若草が立つ。
蜘蛛女を見れば、背中に貼られた親父の護符に魂を吸い出されて、棒立ちになっている。
「元はこいつの体ではない。魂は、体からはがれやすくなっている」
背中に護符を貼られてしまえば、それを自分で取ろうにもてが届かない。
ガ、ガ、ガ、ガ、ガ
悲鳴ともなんとも言えない音を蜘蛛女は口から発している。
「役立たずだな」
佐門が、人面瘡から取り出した槍で蜘蛛女を貫く。
「なんだ? あれ」
苦しむ蜘蛛女を見て、若草が驚く。
「どうした?」
「槍で妖力の器に穴をあけて、吸い上げている。妖力の塊が、蜘蛛から佐門に移動している」
若草がそう言う間にも、女は力を失って、死んでしまった。
そうか。そうやって妖魔界で妖達を殺しながら力を貯めたんだ。
若草はゾッとする。
「だめだ。逃げよう」
虫の息の親父を背に乗せて、狐姿になった若草が佐次を促す。
佐次が乗ったのを確認して、若草が元の道を走り出す。
「佐門、あいつ……」
佐次が悔しそうに顔を歪める。
「駄目だよ。佐次。稲荷様に報告して応援を頼まなければ、あんなの太刀打ちできない」
若草が、佐次をなだめる。
「何が駄目なんだ? 俺は、妖魔を倒しているだけだ。妖狐のしていることとさして変わらないだろう?」
佐門が笑いながら、後を追ってくる。悠然としているように見えるのに、すごい速さで飛んでいる。
「佐門、なんとも嫌われたな。可愛い妖狐が逃げてしまう。あんなに可愛がってやっているのに」
佐門の胸の人面瘡が、大笑いしている。
「全くだ。こんなに俺が、優しくしてやっているのに」
佐門が、やれやれとため息をつく。
道をひた走る若草に、異物に気づいた妖魔の群れがせまってくる。涎を垂らして、喰らいつこうとしてくる。
若草が管狐で妖魔を蹴散らしながら走る。
狐火はバチバチと音を立てて妖魔を焼き払い、管狐は妖魔を喰らう。それでも後から後から、妖魔は若草たちを喰らおうと追ってくる。
あった。あれだ。
ようやくたどり着いた、人間界との境界の門。
転ぶように抜けようとする若草に、佐門の手が伸びる。
気を失っていると思っていた親父の手が、佐門の手をつかみ、佐門が若草を掴むのを防ぐ。
「親父?」
佐次が最後に見たのは、佐次と若草を逃して悔しそうな佐門が、悔し紛れに親父を突き殺す姿であった。
妖魔と人間の世界の境界に作られた門は、若草の力によって閉じられた。
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