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2 若草狐
若草狐<わかくさきつね>
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今から二百年ほど前のこと。
串本の家は、古い神社を守る一族であった。
人里離れた山の中で、何代もの間住み続けてきた。
串本は、ここで父親の佐平と兄の佐門、そして自分の三人で暮らしていた。
串本の名前は、佐次と言った。
佐次は、この社での暮らしを嫌っていた。里の友人と遊ぶ暇もなく修行と称した謎の儀式に参加させられる。だが、この家には、優秀な兄の佐門がいる。佐次にその修行の成果を使う機会はほとんどない上に、一子相伝の技は佐門のみに知らされて、佐次には知らされていなかった。
佐次は、佐門に何かあった時のみの予備の役割。佐門の影として、このように留守を守り雑務をこなして過ごす人生を強要されている。佐次は、親父や佐門が仕事で集めた妖しい品々を守り、社の安全を確保するのが仕事。
七つ離れた兄の佐門は、親父と一緒に仕事に出かける。仕事の内容は、厄払い、妖怪退治、お祓い……。そういった類の仕事を依頼されるたびに行ってこなしているようだったが、佐次には関係のない世界。佐次は、そういった物には興味はなく、逃げ出したいと願う毎日だった。
その日も、佐次に修行し留守番をするように申し付けて、佐門と親父は、仕事に出ていた。
黄昏時に、佐次が庭掃除をしていると、蔵の中から何かの気配がする。物音と誰かの声がする。
……なんだろう。
佐次が蔵を覗けば、しめ縄で何重にも囲まれた真ん中に、誰かが座っている。
「出せ!! このやろう!!」
一生懸命縄を引っ張りながらそう叫んでいる。
「誰?」
佐次が声を掛ければ、縄の中の誰かが、こちらを向く。
大きな黒い瞳。金に輝く髪の美しい風貌の誰かは、佐次の方をみて、
「こんにちは。私は、若草。お前は?」
とニコリと笑った。
若草の頭には、髪と同じ金色の狐耳がピョコピョコと動いていた。
自分とそう変わらない年齢に見える若草は、ここに何日も前から閉じ込められているのだと言っていた。
「失礼しちゃうよね。呼び出されたから出ていったら、いきなり捕縛。そして、この中に閉じ込められたっきり。一体、私が何をしたっていうんだろう」
若草はそう言ってむくれる。
どうやら、親父か佐門が、若草を捕えたらしい。
このしめ縄は知っている。妖を捕まえておくための物。四隅に昔先祖の誰かが烏天狗から譲り受けたと言っていた秘伝の烏天狗の矢がさしてあるということは、この若草は、化け狐……妖狐ということだろう。狐耳があることからも、間違いはない。
「お前が悪いことでもしたんだろ?」
「失礼な。この若草、稲荷神様に言えないようなことは、一切していない」
「じゃあ、捕獲されるはずないじゃないか」
「だって、本当だもの」
若草はむくれながらしめ縄に喰いつくが、しめ縄はびくともしない。
キュウウウ。
若草が鳴く。
可哀想になってくる。しめ縄を取ってやろうと手をのばすが、佐次の力では、しめ縄はびくともしなかった。
親父ではない。これは、佐門の術の力がここに込められている。
佐門が、何を思って妖狐を捕まえたのかは分からない。
そもそも、妖狐は稲荷神直属の妖のはずだ。よほどの悪さをしたのでなければ、捕らえれば禍になると言われているのに、なぜこのようなことをしているのか。
どうして、佐門がこんなことをするのに、親父の佐平が、それを咎めなかったのか。
佐次には、まるで分からなかった。
その日、親父も佐門も、家には帰って来なかった。
二人が何日も戻らないのは、珍しいことではない。依頼内容によっては、何日もかかるような難しい物もある。
佐次は、握り飯を握って、妖狐に持って行った。妖狐は妖だから、何日も食事をとらなくても平気だとは聞いているが、食事はとる生き物だと聞いている。
蔵の中に入れば、若草が座っていた。佐次は、しめ縄を越えて、若草と一緒に握り飯を頬張る。
「久しぶりに食べ物を口にした。ありがとう」
若草がニコリと笑う。
こんな風に誰かと笑いながら食べる飯は、佐次には久しぶりだった。
それから何日も、親父も佐門も帰ってこなかったから、佐次は、若草と過ごす時間が増えた。
「出してやれれば良いのだが。力不足でゴメン」
佐次が謝れば、若草は首を横に振る。
「本当は、私が自力で出ないといけないのだけれども。どうにも烏天狗の矢が邪魔で、動かせない。佐次は、こうやって私と話してくれるだけで良い」
若草が、そう言って笑う。
優しい若草。佐次は、若草の笑顔に、小さい頃に亡くなった母を思い出す。
思えば、母が亡くなった時から、親父は厳しく佐次たちを育てるようになった。幼い佐次には、母の亡くなった原因は知らされていなかったが、そのことも何か関連があるのかも知れない。
この先、親父と佐門が帰ってくれば、若草はどのような目にあうだろう。
佐次は、そう思えば、気が焦る。
若草を何のためにこんな風に閉じ込めたのか。何かに利用するためか、殺すためか。どう考えても、若草はろくなめに合わないだろう。
佐次は、今まで見向きもしなかった秘伝の文献を読み漁り、若草を出すための方法を探した。
分かるのは、圧倒的に佐次に力が足りない事。若草には、烏天狗の妖力に打ち勝てないこと。烏天狗を探し出してその力を借りるにも、佐次にはその方法が分からない。
ようやく見つけたのは、佐次が手っ取り早く力を付けるには……ある禁断の方法に手を出すこと。
もう懐に、見つけた奥の手は忍ばせてある。だが、佐次は迷っていた。早く若草を出してやらなければ、親父と佐門が帰ってくる。だが、その禁断の方法に手を出せば、もう自分は普通の生活は送れなくなるだろう。
ひょっとしたら、人間でいられなくなるかもしれない。
迷う佐次が決断を先延ばしにしている間に、時間は過ぎていってしまった。
いつものように若草の所に行けば、若草が舞っていた。
美しい舞。風のように軽やかに足を運び、月明かりの中で若草の金の髪が跳ねる。本当は、もっと広い空間で自由に舞いたいのだろうに、この狐は、蔵で一人悲しみに満ちて舞っている。
「若草」
呼べば、若草が佐次に目を向けてくれる。
目が合えば、若草がニコリと笑う。
佐次は、若草に手を伸ばす。
若草のためならば、こんな腐った人生投げ出してもいいかもしれない。
月明かりの中、狭い蔵で閉じ込められて一人悲し気に舞う若草をみて、そんな想いが佐次の中にほのかに灯る。
「触るな。愚弟」
と、後ろから佐門の声がする。
「なんだ。帰ったのかよ。佐門」
時間切れだ。佐次は緊張する。
「お前、怪異にそそのかされおって。化け狐だと分かって放とうとしてんのか?」
佐門が、嘲笑を浮かべている。
「だって可哀想だろ?何にもしていないのに閉じ込められたら」
「佐次、それが愚かだっていうんだ。妖なんて、その存在が闇の物なんだから、人間の役に立つならば、何やったっていいんだよ」
佐門が嗤う。人を心の底から馬鹿にした冷笑に、虫唾が走る。
「佐次。私のことは放っておいて、母屋にでも行きなよ。もう、時間切れだ」
若草は諦めている。佐次に危害が加わらないように、蔵から出るように促す。
このままで良いのか?
佐次の中で、もう一人の自分が引き留める。このまま、佐門に従って、どんな人生が待っているというのか? そんなに大事か? この蔑まれて下僕として過ごす人生が?
「佐門、お前のしていることは間違っている。無辜の妖狐を捕えれば、妖全体の怒りを買うぞ」
佐次は、佐門に反発する道を選んだ。これで追い出されるなら上等。願ったり叶ったりだ。
「はっ。化け狐と馴れ合いやがって。ここまで愚かとは」
佐門は高笑いする。
佐門が大きな鏡を持ち出す。中からぎょろりとした目がこちらをのぞいている。
妖魔だ。
一子相伝の妖魔の世界と人間界をつなぐ雲外鏡。
……なんで? あれは、親父の持ち物のはずだ。雲外鏡は、まだ佐門は継いではいないはずなのに。
「弟だと思って大目にみてやっていたが、俺の計画の邪魔をしたいなら、容赦はしない」
佐門が、妖魔を呼ぶ術を唱え始める。
「佐次、結界の……しめ縄のこちらに来い。私がお前を守る」
若草の目が妖力で輝きだす。
若草の言う通りにしめ縄を越えれば、若草が佐次を後ろに隠して、佐次を守ろうと佐門を睨む。
「若草。佐次が気に入ったか。これは、妬けるなぁ」
佐門がゲラゲラと笑っている。
「佐門! 鏡を返せ!」
血まみれの親父が、蔵の入り口に立つ。
「お、親父! どうした!!」
「佐次、佐門は危険だ。こいつ狂ってやがる」
こんな親父は見たことがない。血まみれで衣もボロボロ。目だけがギラギラして佐門を睨んでいる。
「なんだ。まだ生きていたか。親父。さすがだな。鏡も護符もなく、良く生き延びた」
佐門は、親父の姿を見ても余裕そうだ。
親父の力には、まだ佐門は敵わなかったはずなのに、どうしたというのだろう。
「ああ、くだらない」
ぐっと佐門が着物を引っ張れば、佐門の右胸には、人面瘡が嗤っていた。
佐門は、人面瘡の口の中から、槍を取り出して、構えている。
佐門もあれに手を出したんだ。
佐次の背筋が凍る。親父よりも力を持ったのは、あの人面瘡の力。
懐に入れている奥の手の存在が、ジンと重く感じる。
「化け物に成り下がりやがって」
親父が槍を持った佐門に身構えるが、佐次の目にも、佐門の方が力が上回っているのは歴然。雲外鏡も護符も持たない傷だらけの親父に、人面瘡の力を得て、妖魔の鏡を操る佐門に勝てる道理はない。
「若草。この人間どもを助けてやろうか?」
佐門が、笑いながら若草に言う。
「お前が、この佐門の下僕となる約定を交わせば、この人間どもは助けてやろう」
「私が、お前の下僕?」
若草が佐門に聞き返す。
「ああ。可愛がってやろう。そして、下僕、使い魔として佐門のために働け。七尾の妖狐を使役すれば、ずいぶん仕事はしやすくなろう。人間の役に立て、化け物」
なるほど、若草を捕えたのは、若草を使い魔とするためだったのかと、佐次は納得する。
若草が迷っている。今の佐門の様子をみれば、その仕事の内容は、決して稲荷神のご意向に沿うような善良なものではないだろう。佐門の欲望のために、佐門の思うままに、妖狐の高い妖力を使うなんて、世の中にとって害悪でしかないだろう。
だが、ここで若草が断れば、佐門は、いともたやすく瀕死の親父と佐次を殺す。
「若草。佐門に従う必要はない」
「さ、佐次? お前、その力。何をした?」
若草の後ろに隠れていた佐次からは、大きな力がムクムクと湧いて出てくる。
「ぎゃははは。面白れえなあ、親父よ、お前と俺は敵対するようだぜ」
佐次の腕に現れた人面瘡が、大笑いしている。
佐次が、大口を開けて笑う人面瘡の口に手を突っ込んで、中から剣を引っ張り出す。
「佐次。いけない。人間に戻れなくなる」
若草が焦る。
「若草。もう遅い。俺がやらなければ、佐門はとめられない」
佐次は、人面瘡から取り出した剣でしめ縄をぶった切る。
「親父、どけ! 俺が佐門を始末する」
腕でゲラゲラ笑う人面瘡から、とんでもない力が佐次に流れ込む。魂の中から作り変えられいく奇妙な感覚。
若草を守る。佐門が許せない。佐門を止める。
佐次は、必死で意識を保つ。
「久しぶりだな息子よ。なんとも弱そうな駄馬を捕まえたものだ」
佐門の胸の上の人面瘡が、そう言ってあざける。
佐門の周りに妖魔が群がる。
「佐次!!」
佐次の周りの妖魔を金色の管狐が喰い荒らす。解放された妖狐の妖力に妖魔が慌てふためく。
親父が、烏天狗の妖力を解除してくれたんだ。
「ちっ」
苦々しげに佐門は顔を歪めると、槍と鏡を人面瘡の中に入れて蔵から逃げ出した。
「待て!!」
追おうとする佐次に、
「駄目だ。佐次。」
親父が止める。
蔵から出ようとする佐次を潰そうと大きな手が降ってくる。
若草の管狐が体当たりして佐次を止めてくれなかったら、佐次は一瞬で潰されていただろう。
「なんだ、こいつ?」
「だいだらぼっちだ。佐門に操られていてる。」
若草が金色の狐に変化して、佐次と親父を乗せて宙を飛ぶ。
蔵が一瞬にしてぺしゃんこに潰される。
「本当は、人間の手助けをする良い妖なのに、佐門に操られて判断が出来なくなっている」
若草が夜空を駆ける。
だいだらぼっちが、若草を捕まえようと腕を振る。だが、風にのる若草は、だいだらぼっちよりも速く容易には捕まらない。
「儂を傷だらけにしたのもあの妖だ」
親父が若草に捕まりながら叫ぶ。
「佐次、儂の剣を使え。あやつの目をつぶしてしまえばよい」
佐次の人面瘡が嗤う。
「だめ。こいつの力を使えば使うほど、お前は人面瘡に支配される」
若草が、佐次を止める。
「だが、今、それ以外に道はない!!」
佐次が、若草の上からだいだらぼっちの上に飛び降りる。
佐次の剣は、だいだらぼっちの目を貫き、だいだらぼっちは、粉々にくずれて消え去った。
串本の家は、古い神社を守る一族であった。
人里離れた山の中で、何代もの間住み続けてきた。
串本は、ここで父親の佐平と兄の佐門、そして自分の三人で暮らしていた。
串本の名前は、佐次と言った。
佐次は、この社での暮らしを嫌っていた。里の友人と遊ぶ暇もなく修行と称した謎の儀式に参加させられる。だが、この家には、優秀な兄の佐門がいる。佐次にその修行の成果を使う機会はほとんどない上に、一子相伝の技は佐門のみに知らされて、佐次には知らされていなかった。
佐次は、佐門に何かあった時のみの予備の役割。佐門の影として、このように留守を守り雑務をこなして過ごす人生を強要されている。佐次は、親父や佐門が仕事で集めた妖しい品々を守り、社の安全を確保するのが仕事。
七つ離れた兄の佐門は、親父と一緒に仕事に出かける。仕事の内容は、厄払い、妖怪退治、お祓い……。そういった類の仕事を依頼されるたびに行ってこなしているようだったが、佐次には関係のない世界。佐次は、そういった物には興味はなく、逃げ出したいと願う毎日だった。
その日も、佐次に修行し留守番をするように申し付けて、佐門と親父は、仕事に出ていた。
黄昏時に、佐次が庭掃除をしていると、蔵の中から何かの気配がする。物音と誰かの声がする。
……なんだろう。
佐次が蔵を覗けば、しめ縄で何重にも囲まれた真ん中に、誰かが座っている。
「出せ!! このやろう!!」
一生懸命縄を引っ張りながらそう叫んでいる。
「誰?」
佐次が声を掛ければ、縄の中の誰かが、こちらを向く。
大きな黒い瞳。金に輝く髪の美しい風貌の誰かは、佐次の方をみて、
「こんにちは。私は、若草。お前は?」
とニコリと笑った。
若草の頭には、髪と同じ金色の狐耳がピョコピョコと動いていた。
自分とそう変わらない年齢に見える若草は、ここに何日も前から閉じ込められているのだと言っていた。
「失礼しちゃうよね。呼び出されたから出ていったら、いきなり捕縛。そして、この中に閉じ込められたっきり。一体、私が何をしたっていうんだろう」
若草はそう言ってむくれる。
どうやら、親父か佐門が、若草を捕えたらしい。
このしめ縄は知っている。妖を捕まえておくための物。四隅に昔先祖の誰かが烏天狗から譲り受けたと言っていた秘伝の烏天狗の矢がさしてあるということは、この若草は、化け狐……妖狐ということだろう。狐耳があることからも、間違いはない。
「お前が悪いことでもしたんだろ?」
「失礼な。この若草、稲荷神様に言えないようなことは、一切していない」
「じゃあ、捕獲されるはずないじゃないか」
「だって、本当だもの」
若草はむくれながらしめ縄に喰いつくが、しめ縄はびくともしない。
キュウウウ。
若草が鳴く。
可哀想になってくる。しめ縄を取ってやろうと手をのばすが、佐次の力では、しめ縄はびくともしなかった。
親父ではない。これは、佐門の術の力がここに込められている。
佐門が、何を思って妖狐を捕まえたのかは分からない。
そもそも、妖狐は稲荷神直属の妖のはずだ。よほどの悪さをしたのでなければ、捕らえれば禍になると言われているのに、なぜこのようなことをしているのか。
どうして、佐門がこんなことをするのに、親父の佐平が、それを咎めなかったのか。
佐次には、まるで分からなかった。
その日、親父も佐門も、家には帰って来なかった。
二人が何日も戻らないのは、珍しいことではない。依頼内容によっては、何日もかかるような難しい物もある。
佐次は、握り飯を握って、妖狐に持って行った。妖狐は妖だから、何日も食事をとらなくても平気だとは聞いているが、食事はとる生き物だと聞いている。
蔵の中に入れば、若草が座っていた。佐次は、しめ縄を越えて、若草と一緒に握り飯を頬張る。
「久しぶりに食べ物を口にした。ありがとう」
若草がニコリと笑う。
こんな風に誰かと笑いながら食べる飯は、佐次には久しぶりだった。
それから何日も、親父も佐門も帰ってこなかったから、佐次は、若草と過ごす時間が増えた。
「出してやれれば良いのだが。力不足でゴメン」
佐次が謝れば、若草は首を横に振る。
「本当は、私が自力で出ないといけないのだけれども。どうにも烏天狗の矢が邪魔で、動かせない。佐次は、こうやって私と話してくれるだけで良い」
若草が、そう言って笑う。
優しい若草。佐次は、若草の笑顔に、小さい頃に亡くなった母を思い出す。
思えば、母が亡くなった時から、親父は厳しく佐次たちを育てるようになった。幼い佐次には、母の亡くなった原因は知らされていなかったが、そのことも何か関連があるのかも知れない。
この先、親父と佐門が帰ってくれば、若草はどのような目にあうだろう。
佐次は、そう思えば、気が焦る。
若草を何のためにこんな風に閉じ込めたのか。何かに利用するためか、殺すためか。どう考えても、若草はろくなめに合わないだろう。
佐次は、今まで見向きもしなかった秘伝の文献を読み漁り、若草を出すための方法を探した。
分かるのは、圧倒的に佐次に力が足りない事。若草には、烏天狗の妖力に打ち勝てないこと。烏天狗を探し出してその力を借りるにも、佐次にはその方法が分からない。
ようやく見つけたのは、佐次が手っ取り早く力を付けるには……ある禁断の方法に手を出すこと。
もう懐に、見つけた奥の手は忍ばせてある。だが、佐次は迷っていた。早く若草を出してやらなければ、親父と佐門が帰ってくる。だが、その禁断の方法に手を出せば、もう自分は普通の生活は送れなくなるだろう。
ひょっとしたら、人間でいられなくなるかもしれない。
迷う佐次が決断を先延ばしにしている間に、時間は過ぎていってしまった。
いつものように若草の所に行けば、若草が舞っていた。
美しい舞。風のように軽やかに足を運び、月明かりの中で若草の金の髪が跳ねる。本当は、もっと広い空間で自由に舞いたいのだろうに、この狐は、蔵で一人悲しみに満ちて舞っている。
「若草」
呼べば、若草が佐次に目を向けてくれる。
目が合えば、若草がニコリと笑う。
佐次は、若草に手を伸ばす。
若草のためならば、こんな腐った人生投げ出してもいいかもしれない。
月明かりの中、狭い蔵で閉じ込められて一人悲し気に舞う若草をみて、そんな想いが佐次の中にほのかに灯る。
「触るな。愚弟」
と、後ろから佐門の声がする。
「なんだ。帰ったのかよ。佐門」
時間切れだ。佐次は緊張する。
「お前、怪異にそそのかされおって。化け狐だと分かって放とうとしてんのか?」
佐門が、嘲笑を浮かべている。
「だって可哀想だろ?何にもしていないのに閉じ込められたら」
「佐次、それが愚かだっていうんだ。妖なんて、その存在が闇の物なんだから、人間の役に立つならば、何やったっていいんだよ」
佐門が嗤う。人を心の底から馬鹿にした冷笑に、虫唾が走る。
「佐次。私のことは放っておいて、母屋にでも行きなよ。もう、時間切れだ」
若草は諦めている。佐次に危害が加わらないように、蔵から出るように促す。
このままで良いのか?
佐次の中で、もう一人の自分が引き留める。このまま、佐門に従って、どんな人生が待っているというのか? そんなに大事か? この蔑まれて下僕として過ごす人生が?
「佐門、お前のしていることは間違っている。無辜の妖狐を捕えれば、妖全体の怒りを買うぞ」
佐次は、佐門に反発する道を選んだ。これで追い出されるなら上等。願ったり叶ったりだ。
「はっ。化け狐と馴れ合いやがって。ここまで愚かとは」
佐門は高笑いする。
佐門が大きな鏡を持ち出す。中からぎょろりとした目がこちらをのぞいている。
妖魔だ。
一子相伝の妖魔の世界と人間界をつなぐ雲外鏡。
……なんで? あれは、親父の持ち物のはずだ。雲外鏡は、まだ佐門は継いではいないはずなのに。
「弟だと思って大目にみてやっていたが、俺の計画の邪魔をしたいなら、容赦はしない」
佐門が、妖魔を呼ぶ術を唱え始める。
「佐次、結界の……しめ縄のこちらに来い。私がお前を守る」
若草の目が妖力で輝きだす。
若草の言う通りにしめ縄を越えれば、若草が佐次を後ろに隠して、佐次を守ろうと佐門を睨む。
「若草。佐次が気に入ったか。これは、妬けるなぁ」
佐門がゲラゲラと笑っている。
「佐門! 鏡を返せ!」
血まみれの親父が、蔵の入り口に立つ。
「お、親父! どうした!!」
「佐次、佐門は危険だ。こいつ狂ってやがる」
こんな親父は見たことがない。血まみれで衣もボロボロ。目だけがギラギラして佐門を睨んでいる。
「なんだ。まだ生きていたか。親父。さすがだな。鏡も護符もなく、良く生き延びた」
佐門は、親父の姿を見ても余裕そうだ。
親父の力には、まだ佐門は敵わなかったはずなのに、どうしたというのだろう。
「ああ、くだらない」
ぐっと佐門が着物を引っ張れば、佐門の右胸には、人面瘡が嗤っていた。
佐門は、人面瘡の口の中から、槍を取り出して、構えている。
佐門もあれに手を出したんだ。
佐次の背筋が凍る。親父よりも力を持ったのは、あの人面瘡の力。
懐に入れている奥の手の存在が、ジンと重く感じる。
「化け物に成り下がりやがって」
親父が槍を持った佐門に身構えるが、佐次の目にも、佐門の方が力が上回っているのは歴然。雲外鏡も護符も持たない傷だらけの親父に、人面瘡の力を得て、妖魔の鏡を操る佐門に勝てる道理はない。
「若草。この人間どもを助けてやろうか?」
佐門が、笑いながら若草に言う。
「お前が、この佐門の下僕となる約定を交わせば、この人間どもは助けてやろう」
「私が、お前の下僕?」
若草が佐門に聞き返す。
「ああ。可愛がってやろう。そして、下僕、使い魔として佐門のために働け。七尾の妖狐を使役すれば、ずいぶん仕事はしやすくなろう。人間の役に立て、化け物」
なるほど、若草を捕えたのは、若草を使い魔とするためだったのかと、佐次は納得する。
若草が迷っている。今の佐門の様子をみれば、その仕事の内容は、決して稲荷神のご意向に沿うような善良なものではないだろう。佐門の欲望のために、佐門の思うままに、妖狐の高い妖力を使うなんて、世の中にとって害悪でしかないだろう。
だが、ここで若草が断れば、佐門は、いともたやすく瀕死の親父と佐次を殺す。
「若草。佐門に従う必要はない」
「さ、佐次? お前、その力。何をした?」
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「ぎゃははは。面白れえなあ、親父よ、お前と俺は敵対するようだぜ」
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「佐次。いけない。人間に戻れなくなる」
若草が焦る。
「若草。もう遅い。俺がやらなければ、佐門はとめられない」
佐次は、人面瘡から取り出した剣でしめ縄をぶった切る。
「親父、どけ! 俺が佐門を始末する」
腕でゲラゲラ笑う人面瘡から、とんでもない力が佐次に流れ込む。魂の中から作り変えられいく奇妙な感覚。
若草を守る。佐門が許せない。佐門を止める。
佐次は、必死で意識を保つ。
「久しぶりだな息子よ。なんとも弱そうな駄馬を捕まえたものだ」
佐門の胸の上の人面瘡が、そう言ってあざける。
佐門の周りに妖魔が群がる。
「佐次!!」
佐次の周りの妖魔を金色の管狐が喰い荒らす。解放された妖狐の妖力に妖魔が慌てふためく。
親父が、烏天狗の妖力を解除してくれたんだ。
「ちっ」
苦々しげに佐門は顔を歪めると、槍と鏡を人面瘡の中に入れて蔵から逃げ出した。
「待て!!」
追おうとする佐次に、
「駄目だ。佐次。」
親父が止める。
蔵から出ようとする佐次を潰そうと大きな手が降ってくる。
若草の管狐が体当たりして佐次を止めてくれなかったら、佐次は一瞬で潰されていただろう。
「なんだ、こいつ?」
「だいだらぼっちだ。佐門に操られていてる。」
若草が金色の狐に変化して、佐次と親父を乗せて宙を飛ぶ。
蔵が一瞬にしてぺしゃんこに潰される。
「本当は、人間の手助けをする良い妖なのに、佐門に操られて判断が出来なくなっている」
若草が夜空を駆ける。
だいだらぼっちが、若草を捕まえようと腕を振る。だが、風にのる若草は、だいだらぼっちよりも速く容易には捕まらない。
「儂を傷だらけにしたのもあの妖だ」
親父が若草に捕まりながら叫ぶ。
「佐次、儂の剣を使え。あやつの目をつぶしてしまえばよい」
佐次の人面瘡が嗤う。
「だめ。こいつの力を使えば使うほど、お前は人面瘡に支配される」
若草が、佐次を止める。
「だが、今、それ以外に道はない!!」
佐次が、若草の上からだいだらぼっちの上に飛び降りる。
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