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78)スペア(律火視点)
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東條院グループはこの現代日本において、いまや知らぬ者はいない、業界を代表する大企業のうちの一つだ。
元は地元の名士であった曽祖父が興した地元の中小企業であった物を、現会長である東條院魁斗が一代でここまで大きくした。
今やこの業界では押しも押されぬ一流企業と言えるだろう。
そんな東條院家の次男、東條院律火。
この情報と見た目だけで、大概の人は僕を『何の苦労も知らずに幸せに育った、お金持ちのお坊ちゃん』と思うらしい。
他を知らないから何とも言えないけれど、僕は自分をなんの苦労も知らないお坊ちゃんだとはあまり思っていない。
どんな人もきっとそうなんだろうけれど、僕にだって僕なりの努力や苦労があったからだ。
むしろ僕の人生はどちらかと言うと、波乱万丈だった気がする。
幼い頃に母が亡くなり、父は失踪。
その後は祖母に女手一つで育てられた。
そんな祖母も、僕が中学に上がる頃には亡くなってしまった。
何年も前に父が失踪しているというのに、僕が引き取られたのは父方の本家筋である東條院家だった。
だからといって本家の人達と一緒に穏やかで幸せに暮らせたかというと、そうはならなくて。
祖母が亡くなった後、祖母の遺してくれた家には僕の世話役という名の元に、東條院家から派遣された使用人達がやってきた。
彼らは、口を揃えて僕にこう言った。
『あなたはスペアなのだから、東條院家の名に恥じぬよう、これからは常に優秀でいなくてはならないのよ』
はじめ僕は『スペア』の意味が分からなかったけれど、彼らと暮らすうちに嫌でもすぐに分かった。
なんのことはない。
僕は会ったこともないの長男の……東條院家の跡継ぎの、予備という意味だ。
***
僕の一番古い記憶は、母と父が毎晩のように言い争っている場面だ。
いや、言い争っているというのは正確な表現ではないかもしれない。
正しくは、父が母を一方的に非難し、母はただただ僕を庇うように腕に抱いて、僕とお父様に『ごめんなさい』『仕方がなかったの』と謝って涙を流す。
ある日突然始まったその夫婦喧嘩は、その後何ヶ月も続いた。
優しかった父も母も、どんどんおかしくなっていった。
「律火、お前はあっちに行っていなさい」
「……はい、お父様」
僕は当時飼っていた小型犬のマルを抱いて、寝室に追いやられることが多かった。
父も母も、うんと幼かった頃は僕にすごく優しかった気がしたのに。
いや、母はその頃もちゃんと優しかったけれど、僕を抱きしめて『こんな家に産んでしまってごめんなさい』と泣いてばかりだった。
その頃の父はと言えば、僕が父を『お父様』と呼ぶ度に、嫌な物を見るような目で僕を見ていたと記憶している。
そんな中ずっと変わらず僕の傍に居てくれたのは、小型犬のマルだ。
マルは僕が両親に寝室へ追い払われると、決まって心配そうに僕の傍に寄り添って、僕のベッドで一緒に寝てくれた。
僕は布団に潜って寝たフリをしながら、夜通し続く両親の争う声や、物に八つ当たりするような大きな物音に耐え忍んでいた。
そんな日々が何ヶ月か続いたある日。
僕はついに母方の祖母の家に預けられることになった。
その頃には父は家に帰らないことが増え、母は精神がおかしくなってしまって、僕の世話を満足に出来る者が誰も居なくなったからというのが理由らしかった。
いつからか僕を冷たい目で見るようになった父。
母も初めは「あなたは何も悪くないのよ」と言って僕を守ってくれていたけれど、その頃になるともはや僕の存在が目に入らなくなっているようだった。
母は焦点の合わない目で、父が居ない時も、「あの子を産んでしまってごめんなさい」「私が全て悪いの」「もう、楽になりたい。死んで償いたい」とうわ言のように繰り返していた。
僕は両親にとって『要らない子』だったんだ。
僕がいるから、両親は喧嘩をするのだろう。
僕を庇うから、母は父に怒られて自分を責めているんだ。
その頃の僕はそう思うようになっていたから、僕が両親から離れさえしたら、また両親は仲の良い優しい二人に戻ってくれるのでは? 彼らは幸せな夫婦に戻れるのでは?
だったら、僕は寂しいなんて言ってはいけない。
母が僕を祖母に預けた罪悪感を持たないよう、どんなに寂しくてもニコニコしていよう。
両親や祖母に迷惑をかけないよう、良い子でいよう。
そんな気丈な事を思っていた気がする。
両親と離れて祖母と過ごした数ヶ月の後。
「律ちゃん、落ち着いて聞いてね。昨夜、梨衣子が亡くなったの」
「そっか……」
ある朝起きると、祖母が泣き腫らした目をして僕にそう告げた。
元は地元の名士であった曽祖父が興した地元の中小企業であった物を、現会長である東條院魁斗が一代でここまで大きくした。
今やこの業界では押しも押されぬ一流企業と言えるだろう。
そんな東條院家の次男、東條院律火。
この情報と見た目だけで、大概の人は僕を『何の苦労も知らずに幸せに育った、お金持ちのお坊ちゃん』と思うらしい。
他を知らないから何とも言えないけれど、僕は自分をなんの苦労も知らないお坊ちゃんだとはあまり思っていない。
どんな人もきっとそうなんだろうけれど、僕にだって僕なりの努力や苦労があったからだ。
むしろ僕の人生はどちらかと言うと、波乱万丈だった気がする。
幼い頃に母が亡くなり、父は失踪。
その後は祖母に女手一つで育てられた。
そんな祖母も、僕が中学に上がる頃には亡くなってしまった。
何年も前に父が失踪しているというのに、僕が引き取られたのは父方の本家筋である東條院家だった。
だからといって本家の人達と一緒に穏やかで幸せに暮らせたかというと、そうはならなくて。
祖母が亡くなった後、祖母の遺してくれた家には僕の世話役という名の元に、東條院家から派遣された使用人達がやってきた。
彼らは、口を揃えて僕にこう言った。
『あなたはスペアなのだから、東條院家の名に恥じぬよう、これからは常に優秀でいなくてはならないのよ』
はじめ僕は『スペア』の意味が分からなかったけれど、彼らと暮らすうちに嫌でもすぐに分かった。
なんのことはない。
僕は会ったこともないの長男の……東條院家の跡継ぎの、予備という意味だ。
***
僕の一番古い記憶は、母と父が毎晩のように言い争っている場面だ。
いや、言い争っているというのは正確な表現ではないかもしれない。
正しくは、父が母を一方的に非難し、母はただただ僕を庇うように腕に抱いて、僕とお父様に『ごめんなさい』『仕方がなかったの』と謝って涙を流す。
ある日突然始まったその夫婦喧嘩は、その後何ヶ月も続いた。
優しかった父も母も、どんどんおかしくなっていった。
「律火、お前はあっちに行っていなさい」
「……はい、お父様」
僕は当時飼っていた小型犬のマルを抱いて、寝室に追いやられることが多かった。
父も母も、うんと幼かった頃は僕にすごく優しかった気がしたのに。
いや、母はその頃もちゃんと優しかったけれど、僕を抱きしめて『こんな家に産んでしまってごめんなさい』と泣いてばかりだった。
その頃の父はと言えば、僕が父を『お父様』と呼ぶ度に、嫌な物を見るような目で僕を見ていたと記憶している。
そんな中ずっと変わらず僕の傍に居てくれたのは、小型犬のマルだ。
マルは僕が両親に寝室へ追い払われると、決まって心配そうに僕の傍に寄り添って、僕のベッドで一緒に寝てくれた。
僕は布団に潜って寝たフリをしながら、夜通し続く両親の争う声や、物に八つ当たりするような大きな物音に耐え忍んでいた。
そんな日々が何ヶ月か続いたある日。
僕はついに母方の祖母の家に預けられることになった。
その頃には父は家に帰らないことが増え、母は精神がおかしくなってしまって、僕の世話を満足に出来る者が誰も居なくなったからというのが理由らしかった。
いつからか僕を冷たい目で見るようになった父。
母も初めは「あなたは何も悪くないのよ」と言って僕を守ってくれていたけれど、その頃になるともはや僕の存在が目に入らなくなっているようだった。
母は焦点の合わない目で、父が居ない時も、「あの子を産んでしまってごめんなさい」「私が全て悪いの」「もう、楽になりたい。死んで償いたい」とうわ言のように繰り返していた。
僕は両親にとって『要らない子』だったんだ。
僕がいるから、両親は喧嘩をするのだろう。
僕を庇うから、母は父に怒られて自分を責めているんだ。
その頃の僕はそう思うようになっていたから、僕が両親から離れさえしたら、また両親は仲の良い優しい二人に戻ってくれるのでは? 彼らは幸せな夫婦に戻れるのでは?
だったら、僕は寂しいなんて言ってはいけない。
母が僕を祖母に預けた罪悪感を持たないよう、どんなに寂しくてもニコニコしていよう。
両親や祖母に迷惑をかけないよう、良い子でいよう。
そんな気丈な事を思っていた気がする。
両親と離れて祖母と過ごした数ヶ月の後。
「律ちゃん、落ち着いて聞いてね。昨夜、梨衣子が亡くなったの」
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