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3章 罪

牛草秋良と牛草ファナエルの逃避行

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 「まだ掛かるのか?」
 「もうちょっとで終わるから待ってて」
 「‥‥‥そんなに丁寧にしなくてもパパッと終わらせば良いんじゃ」
 「駄目だよ。髪の毛は定期的にメンテナンスしないと直ぐに傷んじゃうんだから」

 俺を諭すような口調でそう言ったファナエルは銀色の髪の毛をそっとヘアブラシでとかす。
 スースーとヘアブラシが奏でる音は落ち着くけれど、流石に長い時間上半身裸で座りっぱなしなので飽きてきたところだ。

 「それじゃ、最後にドライアーで乾かすからね。アキラみたいに長い髪の毛はちゃんと隅々まで乾かせないと駄目だよ」
 「これ、髪の毛って言うよりは髪の毛で出来た触手って感じだし、やっぱそこまで丁寧にメンテナンスしなくても良いと思うんだけど」
 「だ~め。そこに座って大人しくしてて」

 少し意地悪な笑顔を浮かべたファナエルは、6本もある俺の触手を一本ずつドライアーで乾かしてゆく。
 これを全部乾かすのは大変だろうとは思うけど、ファナエル本人が譲らないし、なにより楽しそうだ。
 そんな姿を見せられたら何の反論も出来ない。

 手持ち無沙汰になった俺はグル~っと視線を動かして、昨日ファナエルと一緒に準備した荷物を見つめていた。

 「‥‥‥今日でこの街ともお別れだな」

 アルゴスを殺したあの日を堺に『牛草秋良』と言う人間はこの街から居なくなった。
 俺を覚えている人が居なくなって、俺の戸籍まで消失していた。
 帰る家も無くなり、2日ほどファナエルの家に泊まらせてもらっていたのだ。

 斬琉きるともすれ違ったけど、俺のことなんかちっとも覚えていない様子だった。
 本当にあいつの記憶から俺が消えたのか、それとも魔法とかが使える『私』と言っていた方の斬琉きるが『僕』を演じていただけなのかは分からなかったけど‥‥‥どちらにせよもう話すことは無いだろう。

 アルゴスが記憶を消したのはこの街に住んでいる人間だけって言ってたから、今どこにいるのか分からない超能力者集団『シンガン』のメンバーは俺の事を覚えているのかもしれないな。
 それはそれで厄介事が増えただけの様な気はするけど。

 ファナエル曰く、神様は一人一人が異なる権能を持ち、それに合わせた仕事をしているらしい。
 いわばワンオペ業務だらけの会社の様な感じだと。

 だからこそ『天界と地上を監視していたアルゴスと言う神の死』が他の神々に与える影響は計り知れない。
 アルゴスが死んだ事実が天界で発覚することも遅れるだろうし、彼女を殺した俺を罰する為に動こうにも人間界を見る目を失ってしまった以上、俺達を追跡することも敵わない。

 極論、この街を一旦離れてさえしまえば神々は俺達を見失う訳だ。

 「やっぱりアキラ的には寂しい?」
 「まぁな。ずっと暮らしてきた故郷だし寂しい気持ちはあるよ。でも、もうお別れは済ませてきたから大丈夫」
 「そっか」

 この後の生活がどうなるかはまだまだ未知数で、この街を離れると言う目標こそあるものの最終的にどんな生活をすることになるかは皆目検討もつかない。

 でも、ファナエルと二人きりで幸せになれる場所を見つけるんだって考えるとドキドキもする。
 ドラマとかでよく駆け落ちがロマンチックに描写されるたびに『はいはいこのパターンね』と感じていたけれど、実際に自分の出来事として起こってしまうとその常識離れした感情の高ぶりを実感してしまう。

 「はい、終わったよ~」
 
 ファナエルはそう言うと、テキパキとドライアーやらヘアブラシやらを片付ける。
 それを見て、俺も準備を使用と背中に生える触手を体の中にひっこめた。
 随分と俺も人間離れしたもんだ。

 自分の両手をじっと見つめる。
 こうやって光輪と触手を引っ込めてしまえば人間の頃の見た目の何ら変わりはー

 『あなた達二人の罪人にどんな罰が下るのか、冥府の世界から監視し続けています』

 ギニャリ、グニャリと柔らかくなった肉を裂く感覚が蘇る。
 そうだ、『恋人を守る為』だの『今の生活が幸せ』だのどんな理論や感情論を振りかざそうとも、俺は人の道理を外れたクズでー

 「アキラ」

 俺の名前を呼ぶ声でハッと意識が覚醒する。
 心の中で暴れる声に気を取られていた俺は自分の手が震えていたことも、その手をファナエルが優しく握ってくれていたことも気づかなかった。

 「アルゴスは酷いよね。最後に呪詛を吐いていくなんてさ」
 「あ……え……」

 こうなってしまうと上手く声が出せなくなる。
 アルゴスを殺したあの日から、ふとした拍子に突然起こる発作。

 『誰かを犠牲にして幸せになっている』という状況そのものを許さないとする何かが心の中に現れて俺の精神をずぶずぶに砕いてくる。
 しかしその苦しみは皮肉にもファナエルを選んだ俺が『幸せ』に過ごしている事の証明にもなっている。

 今の俺はアルゴスを殺したあの日よりもずっとずっと苦しくて、ファナエルと出会う前よりずっとずっっと幸せだ。

 「アキラがあいつに何を言われたか分からないけど、苦しむ必要ないんだよ。アキラのその両手は私を守ってくれた優しい手。世界がどれだけアキラを否定しても、私はずっとアキラを肯定し続けるからね」

 気づけばファナエルは俺の頭を優しく撫でてくれていた。
 心がスゥっと落ち着いて発作が収まってゆく。

 「あ……は……フゥ、落ち付いた」
 「うん。またしんどくなったらいつでも私に言ってね。アキラの心が落ち着いて幸せに包まれるまでこうしてあげるから」
 
 結局、この後1時間ぐらい俺はファナエルに甘え続けていた。
 その内発作に苦しんでいたのは20分ほどだけ。
 残りの40分は俺の我儘だ。

 「さて、それじゃぁぼちぼち行くよ」

 ファナエルはそう言って俺に一枚の服を渡してくれた。
 彼女が着ている服と同じ位真っ白な色をしているゆったりとした一枚のシャツ。
 ペアルックとまではいかないけど、二人で同じ系統の服を着ているのは俺とファナエルの関係性を周囲に見せびらかせているようにも見える。

 「忘れ物はない?」
 「うん、大丈夫」

 お互いに小さなバックを肩にかける。
 二人分の荷物が入った少し大きなキャリーケースの取っ手を俺が握る。

 「ねぇアキラ、ここを出る前に一つお願いがあるの」

 玄関の靴を履いているその時、ファナエルが左腕にはめているお揃いの腕輪を優しく握りしめながらそんな声をかける。

 「私のユピテルって名字はね、私が天使でるある事を表すものなの。天使と悪魔は神様と違って数が多いから天使にはユピテル、悪魔にはシャイターンって名字がつけられるの」

 天使として天界の神々に身も心も捧げますって意味があるらしいよと彼女は笑って呟いた
 それと同時に聞えて来たのは『もう天界の神々なんかどうでもいいけど』と言う心の声。

 「だからね、ユピテルって名前は捨てようと思うの。その代わりにアキラの名字が欲しい。私に牛草って名前を名乗らせてほしいの」

 『私の心も体も、もう全部アキラのだから』

 「ああ。むしろ大歓迎だ」
 「ふふ、それじゃぁこれから私は牛草ファナエルだね」
 
 そう聞くとなんか変な感じがするというと、ファナエルはすぐに慣れるよと言って微笑んだ。
 ガチャリという音が鳴り、玄関の扉が開く。

 これから始まる愛の逃避行にどうか幸せがあります様にと願いながら、俺達はその一歩を踏み出した。
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