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第2章 葛藤

残念美女の玉の輿計画〜後編〜

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 男の手が、私のスカートに掛かった。
 粘液で滑った手が触れる胸の頂に、痛みにも似た痺れが走る。

「ぅあ…ッ」

「お、声が出て来たな…」

「敏感なんだろう?具合が楽しみだ」

 うるさい、やめろ。
 話しかけるな。

 せめて、夢想の中でも良いから、その手がロワクレスのものなら…せめて…。

 無駄と分かっていても、精一杯の抵抗で涙は堪える。
 引き攣れる息が、段々と意識すらも朦朧とさせ始めていた。

 思考が放棄される。
 体が熱い。




(………ロワクレス…)




 思い浮かべた名前は、どうしようもない焦燥感を運んだ。

(守ってくれるんじゃなかったの…?)

 結局助けは来ない。
 帰りたいな。
 もう私が求めても叶わない遠い世界に。

 帰りたい。でもそれはただの、儚い夢。
 幻想は、もうすぐ、地獄を伴って終わりを…ーーーーー。




「あんたがその名前を呼ぶな!」

 叩きつけられた拳。
 朦朧と消え掛かっていた意識が、体のバウンドと共に戻って来た。

「おいおい、だから手を出すなって…」

「あーーぁ、血みどろになっちまった」

 真上から顔面に向かって振り下ろされた拳で、額が切れた。
 じくじくと痛むこめかみに眉根を顰め、薄目で見上げた先。

 口枷はいつのまにか外され、無意識にロワクレスの名を呼んでいたようだ。

 手加減のない拳が一発、もう一発と振り下ろされる。エカテリーナの細腕による拳でも、遠慮のない力と手につけていた指輪が凶器となりかなり痛い。左目が潰されたのか、目が見えない。
 鼻の骨も折れたな。鼻血のせいか鼻呼吸もできない。

 痛い

 苦しい

 痛い

 怖い



 顔面を殴られて、もう意識が……。




「マリー様!!」




 不意に呼ばれた名前に意識が覚醒する。
 そこには、見た事もない形相のロワクレスの侍女がいた。
 髪に香油をつけてくれたりしたあの女性。確かサマンサさん。何故、こんな場所に女性が1人で?




「ヒューッ新たな女が登場だ。俺はガキよりあっちがいいな」

「ちょっと歳いってるけどいい女じゃん」

「ちょっと!そんな事よりどうしてここがバレてるのよ!」

 
 冒険者達も騒然となり、エカテリーナは棒立ちのままにサマンサを見上げていた。


「あぁ、エカテリーナ様、あなたはもうお終いですね」

 手始め、とばかり。

 サマンサの手が水平に振りかぶられ、真上で線が走る。
 私に群がっていた冒険者どもが消え、周りの気配が遠退いた。

 同時、激しく聞こえ始めた足音が、荒ら屋を豪快にノックし始める。

「…か、嗅ぎつけられた…!」

「くそっ!逃げるぞ!」

 一緒に転がっていたエカテリーナが、冒険者達にすらも小突き回されて床を転がる。
 男達が武器を構え、飛び出していく背中を眺めながらもサマンサは私の真上に顔を覗かせたままだったが。

「マリー様、遅くなって申し訳ございません」

「……ッ」

「………っ媚薬ですか…少々お待ちくださいね…」

 そう言って、労る表情を引っ込めたサマンサ。
 まるで削ぎ落としたような無の表情で睥睨をしたのは、奥の小窓から必死に逃亡を図ろうとしていたエカテリーナだった。
 ドレスのせいで尻が突っかかって、抜けなくなった間抜けな格好。

 足を進める傍で、サマンサは私を拘束していた紐を切り上着をかけてくれる。
 素直にありがたい。

「観念なさいな、この犯罪者!」

「ひぎゃぁあ!!」

 そんな間抜けな尻へと容赦なく、鞭を叩き付けたサマンサは生粋のドSと見た。
 一体、いつ鞭を取り出したのか分からない。
 こんな時でも、笑いがこみ上げる。
 貴族令嬢に鞭でお尻叩きの刑なんて。

 引き摺り下ろし、床に放り捨て、更に鞭を一回二回と振り下ろしたサマンサ。

「だから、あなたは結婚できないんですよ?婚約者もできず、ついには犯罪者ですか」

「…ヒィッ!やめっ、ぎゃああ!!」

 どこか急所にでもヒットしたか、汚い悲鳴が上がる。
 その声を聞きつけたか、更に外からの喧騒は大きくなり始めていた。

「…ッ…あ、は…ッ」

 身じろぎ。
 手足に巻きついていた紐を取り除きたいが、手を動かすのも億劫だ。

「…クソ、クソッ、クソォ!!」

 エカテリーナへの叱咤に忙しいサマンサの向こうで、凶相を浮かべながら罵倒を吐き捨てたボーゲン。他の冒険者達と先に逃げ出さなかったのだろうか。

 ボーゲンが逃げ出そうと扉に近づいた直後、その扉が蹴破られ、エカテリーナ共々床へと転がされていた。

「無事か!?」

「…っひ」

 突然、蹴破られた扉に驚いている暇もあればこそ、思わず引きつった息が漏れた。
 いの一番に飛び込んで来たのはロワクレスで、その手には獲物の長剣が血みどろで掲げられている。

「ッ…ロワクレス様、どうしてこちらに…!!あぁ、いやッ、それよりも、この痴れ者をどうぞ成敗くださいませ!私に…貴族令嬢の私に暴力を振るうのです…!!」

 床に転がったエカテリーナが、弾かれたように顔を上げる。
 ロワクレスに向けて、まるで被害者のように縋った言葉は、しかし最後まで続かない。

「うごふっ…!?」

「痴れ者はどちらか!!恥を知れ!」

 私に吐きかけた言葉をそのまま返されるような形となって、エカテリーナは再び床に転がった。
 鳩尾を強かに蹴り抜かれ、二の句も告げられずにその場で蹲り血反吐を吐いていた。

「マリー………」

 扉の先から、続々と騎士達も続いている。

 先頭に立っていたロワクレスが、呆然と私に近づいた。
 見るも無残な姿に、言葉を失っているのだろうか。
 あるいは、こんなことも切り抜けられないで笑わせると、呆れているのかな。なんて。

 意識が飛びそうなほどの痛みと嫌悪感が襲う中、そんな自嘲気味な事を考えながら耐えようとする。


 原型も留めない服は仕事を果たしていないため、サマンサに被せられた上着を引き寄せたいが、身体が痙攣し始め言う事をきかない。
 衣服の擦れにすらも体が火照り、勝手に荒くなる息は止められなかった。
 顔を伝う血の感触が、まだぬるりと鮮明で。

 どこからか、舌打ちが聞こえた。
 ドカドカと床を打ち鳴らしやって来たのは、

「……下手人は、捕らえました」

「……そうか」

 ロワクレスと共に来た1人が、ロワクレスの背後に立ち、低く唸るような声で告げる。
 視界の端では、ボーゲンもその場で蹴り転がされて制圧されている様子が見られ、先ほどから鞭打たれていたエカテリーナもボロボロのドレスであられもない姿で蹲っている。
 啜り泣く声が聞こえたとしても、同情の余地は無い。

「……すまない」

 ロワクレスが苦い顔になっているのは、私のこんな格好が同情でも誘っているのか。

 歯噛みする。
 堪えていた涙が一気に噴き出す。
 ーーーーー同時に、

「…マリー…」

 聞こえた声が、耳に馴染んだ。

「…う……あっ……」

「………マリー?…」

「……あ…あんっ……あっ……」

「………ッ」


 血と涙でグチャグチャな顔で身体だけは良く反応する。涙が止まらない。顔は熱くて痛いのに身体がどんどん疼き寒さを感じる。

 ーーー つらい

 喉が引き攣って、言葉は出なかった。
 なんだ?体の疼きが止まらない。
 身じろぎすると痛みで死にそうになるのに、ロワクレスに抱きしめられてメチャクチャにされたいなんて考えが止まらない。疼きに耐えられず身じろぎすると、今度は痛みに襲われる。

 地獄

 耐えなきゃいけない。
 体が求めてしまうが、これは言ってはいけないセリフだ。
 こんな惨めにボロボロにされた女が綺麗なロワクレスに言って良いセリフじゃない。

 ボロボロにされたって……惨めだな。
 私、この世界に来て何してるんだろう。
 こんな風に世の中の現実を知らされて、どれだけ惨めな気持ちなのか。

「これは……媚薬か…?まさかこの瓶全部?!おい、中和剤はないのか?!」

 騒ついているがもう気にする余裕はない。

「…マリー、本当に」

 うるさい。何も言わないで。

「すまない、マリー、すまない……!」

(うるさい!!これ以上、かまわないで!私のことなんかもう放っておいてよ!!ちゃんとお姫様の黒子の仕事はこなすから!)

 咄嗟に思い浮かんだ叩きつけるような言葉が、どうしようもない本心だった。
 声には出せない。声を発する力もない。
 懇願にも似たその想いは情けないとしか思えない。

 あぁ、辛い。
 こんな風になるぐらいなら、最初から頑張らなければよかった。




 ーーーーー…苦しい。




 エカテリーナの啜り泣く声もどこか遠く、耳鳴りがワンワンと頭蓋を揺らしている。

 必死に堪えていた涙が、嘘のように溢れ出す。
 悔しい。
 起き上がろうと手を動かす。
 しかし、それ以上が動けなくなって、力なくベッドへと投げ出した。

「マリー…ッ」

 全身に走る悪寒。

 この世界に来ていろんな目にあった。

 ひもじい。
 寂しい。
 寒い。
 痛い。
 苦しい。

 たくさんの辛い経験を一度に受けた。それでも頑張ろうと、意地になって、ムキになって、耐えて、耐えて。


 ーーー 限界。


 止まらない涙で視界が歪む。
 「中和剤は?!」と叫ぶロワクレスの声にだんだんうんざりとする。

 それでも、この世界で私が頼み事をできるのは、この人だけ。

 薬の影響で、思うように動かない体に四苦八苦。
 守ると言っていたのに、守ってくれなかったねなんて考えて、そんな恨み言に苦笑する…。

「…ッ」

 ロワクレスに手を伸ばした途端に疼く体。びくりと反応するたびに走る激痛。
 結構痛いな。
 他人事のように考えていた矢先、目の前にロワクレスの顔が飛び込んできた。

「…マリー」

 真上で聞こえた声。
 私の腕を掴み、容易く傾けて抱き込んだロワクレスが、血の気の引いた手を握った。

「…すまない」

 謝罪を落とすロワクレス。
 それが何に対してかなんて、もう分からない。

 目の前が、赤く明滅する。

「…して…ッ」

「………?」

「……ごろ…して……」

「ーーー…ッ」

「……じに…だい………」

 お願い。限界。
 必死に発した言葉にロワクレスの体に力が入る。それが私の体に伝わり、地味に辛い。
 ロワクレスの腕から逃れようと、身じろぎをしてもビクともしない。
 更には、そのまま閉じ込められるように彼の胸へと頰が埋まる。

 火照った体を冷やすはずの外気を纏った体が、しかし、触れ合った箇所から段々と熱を帯びる。
 ずくずくと腹の奥が痺れ始めた。

「…こんなことになって、すまない」

「ッ…も…いい…、離して………」

「…すみません」

 真摯な謝罪。

 ーーーーー…それでも、

「でも、無理だ。……もう離せない」

 殊更、力強く抱擁されて息が詰まる。
 耳朶に直接吹きこまれるような声に、背筋がぞくぞくと粟立ってそのまま溶け落ちそうになる。

 びくり、堪えようもなく震えた背中を、ロワクレスが宥めるように掌を滑らせた。
 その感覚にすらも、堪らない快感が溢れて息が乱れるのを感じた。

「…ッ…ん、は…やめ…ッ」

「マリー、すまない……俺はもうあなたを手放したくない」

「ロワクレス様!早く!!」

 サマンサの声に弾かれたように私を横抱きにしたまま立ち上がる。動くな!刺激するな!そんな言葉は声にはならず。呻き苦痛に耐えるのみ。

「精霊の元に向かう!ここは任せた!」



視界は、勝手にゆらゆらと揺れ始めていた。




 ーーーーー…直後、


 限界だった。私は意識を失った。





 








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