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【12 甚五郎さん】

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・【12 甚五郎さん】


 甚五郎さんは自転車で来た。自転車あるんだと思った。逆に、というかさすがにタクシーの類は無いんだろうな、とも思った。
「おー、ねずみよ、どうした、どうした、私が魂を込めて彫ったねずみよ」
 甚五郎さんはねずみの前でしゃがみ、撫でながらそう言った。
 俺は甚五郎さんへ、
「正面の旅館に木彫りの虎を置かれてから、こうなんです」
 とあまり余計なことを言わず、落語の『ねずみ』から外れないように、そう言うと、甚五郎さんは小首を傾げながら、
「はて……? 木彫りの虎……あんなものにビビってどうするんだ、ねずみよ、そもそも出来の良い木彫りの虎でもないぞ」
 と言うと、ハッと木彫りのねずみが動き出し、
「あっ、あれ、虎でしたか、猫だと思って怖かったんですけども」
 その言葉に甚五郎さんは大笑いし、
「そうか! そうか! 猫だと思っていたのか! そりゃ天敵だからなぁ!」
 木彫りのねずみはまた愛想良く動き出し、ホテルマンもホッと胸をなで下ろしたようだった。
 ホテルマンは喉を整えてから、こう言った。
「甚五郎さん、お礼に是非ホテルで泊まっていって下さい。そして既に宿泊券を使っている由宇さんも京子さんも宿泊できる日数を伸ばします」
 京子はバンザイして、俺とハイタッチをしようと促してきたので、とりあえず俺もハイタッチした。
 甚五郎さんはうむうむと頷きながら、
「ではたまには旅館に泊まらせてもらおうかな……ところで」
 と俺のほうを向いて、こう言った。
「私を呼んでくれと言ったのは君かい? 君は勘が鋭いなぁ」
「いえいえ、たまたまです」
 落語として知っていたとも言えないので、そう言っておくと、甚五郎さんが、
「君たちは服も傾(かぶ)いていて恰好良いなぁ、ちょっと話をしないか?」
 と言うとすぐさま京子が目を輝かせながら、
「はい!」
 と答えた。もうクールに行クールなんてものはない状態に入ったな。
 旅館の甘味処に入って、俺と京子と甚五郎さんで座った。
 すぐさまお店の人が来て、
「サービスです」
 と言ってお団子とお茶を持ってきてくれた。この旅館、良すぎるなぁ。
 甚五郎さんが、さてといった感じに座り直したところで、すぐさま京子が口を開いた。
「甚五郎さんの彫る木彫りはどんなモノも魂が入るんですか?」
「どんなモノでもか、まあ確かに入ると言えば入るな」
「今までで1番すごい木彫りって何でしたかっ?」
 すごい漠然とした質問だな、と思いながら、俺はお茶をすすると、甚五郎さんは少し間を持ってから、
「そうだな……若い女性が……とっとっと、この話は子供にすることじゃないな、やっぱり大きな木彫りの熊を彫ったら、それが動き出した時が1番驚いたことだな」
 何を言いかけたのかはよく分からないけども、そのあとの熊ってやっぱりすごいなぁ。
 京子は上半身を前のめりにして、
「その熊、どうなったんですか!」
「基本的に私の彫る木彫りは性格が温厚でなぁ、一緒に炭鉱を手伝ったりしているって毎年手紙が届くよ」
「すごい! 役に立っているんですね!」
「そうだと嬉しいけどね」
 甚五郎さんは人格者といった感じに優しく喋る。
 そこから京子の質問攻めが始まり、その度に甚五郎さんは全て答えてくれた。
 俺も落語の世界の話を聞くことは心が躍った。
 京子の怒涛の攻めも終わったところで、甚五郎さんがこう言った。
「で、君たちはどこから来たんだい?」
 俺と京子は顔を見合わせた。
 どう答えればいいか分からなかったからだ。
 この江戸時代っぽい国の名前を、地名を言えばいいのか、それとも正直に言っていいのか、迷っていると、甚五郎さんが咳払いをしてから、
「じゃあちゃんと聞いたほうがいいな、君たちはどこの世界から来たんだい?」
 その言い方に俺も京子も目を丸くしてしまった。
 世界って、明らかに嘘の地名を求めていないことは明白だったからだ。
 俺は正直に、
「2022年の日本というところから来ました。この世界とは別の世界です。この世界は日本に言い伝えられている落語、という物語によく似た世界で」
 と言ったところで、甚五郎さんが笑いながら、
「君は的確に喋るなぁ、つまり私たちは物語の中の人物だと」
 京子がすぐさま、
「いや! 生きてます! 生きてると思います!」
 と言ったのだが、甚五郎さんはそれを制止するように手のひらを前に出し、
「いやいやいいんだ、いいんだ、私たちも生きているという感覚はあるから。でも物語の中の人物のようなんだろう?」
 俺はゆっくりと頷くと、
「いやそれでいいんだ、そのことはまあ、一部の人間は、まあ分かっていると思うから」
「そっ、そうなんですか……?」
 と俺が言うと甚五郎さんは優しく笑ってから、
「そうだ、だってこの世界はどこかおかしいだろう? だから私もそう思っているんだ、きっとこれは誰かが作った世界だって」
「それは誰だと思いますか?」
「そうだなぁ、そう言われると難しいが、なんていうかそれよりもまず似た人物も多いからなぁ」
「それは! 秀道さんや修司さんですか!」
 俺がそう言って、つい立ち上がってしまうと、甚五郎さんは落ち着いてというジェスチャーをしながら、
「そういう特定の個人というよりは、ご隠居の言いっぷりがどこもかしこも似ていたりだな」
 俺は頭上に疑問符を浮かべると、京子が、
「落語の世界には知ったかぶりをするご隠居というのがいっぱい出てくるの」
 と言うと、甚五郎さんが、
「そうそう、まさにその通りだ。ご隠居と言えば知ったかぶり、それと同時にご隠居が適当に言っていることに気付かないバカな若者もセットで現れる」
 京子が首を縦に振りながら、
「落語ってそういうパターンが多いんだよ、由宇」
 そうなのか、さすが京子のほうが落語に詳しいだけあるなぁ、と感心した。
 でもそんな違和感に気付くなんて、
「甚五郎さん、何だかつらくありませんか、そういう違和感に対して気になったりしませんか?」
「いやつらくはならないな、むしろそういうところを探して楽しんでいるよ」
 何だか甚五郎さんから器の大きさを感じた。
 この人はきっとどんな世界でも生きていけるんだろうなぁ、と思ったその時だった。
「ねずみがぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 ホテルマンのドデカい声だ。
 俺も京子も甚五郎さんもすぐさま、旅館の玄関へ行くと、そこには地面に膝をついてガクっとうなだれているホテルマンがいた。
「どうしたんですか?」
 と俺が真っ先に言うと、ホテルマンが泣きながら、こう言った。
「ねずみが! ねずみがいないんです!」
「探します!」
 すぐさま京子は旅館の周りの狭いところを覗き始めた。
 甚五郎さんは顎に手を当てて、悩みながら、
「でもねずみはな、木彫りのモノはな、あくまで木彫りなんだ、木彫りとして設置したところからあまり動かないものなんだけどな。まあ人間に促されれば別だけども。炭鉱の熊のように範囲を広げることもあるが、だが、ここのねずみはこの旅館の玄関だけをうろちょろしていただけなんだが」
 俺はまた”落語のその後”が起きたと思った。
 どうやら必ず落語のその後が起きるらしい。
 じゃあ一体これはどういうその後なのか、と考えたら、1つ浮かんだ。
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