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ヴァンパイア編。

118.やはり貴女は、言葉にならない程に美しい。

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 兄さんがリリの部屋を出て行った。

「ふぅ・・・」

 思わず漏れた溜息に、リリがオレを覗き込む。

「大丈夫ですか? アレク様」
「ん。大丈夫」

 思ったよりは、大丈夫だった。
 リリがいるから、兄さんも遠慮がちだったし。
 ぐいぐい来られると困るんだよね・・・

 まあ、それは置いといて。

 どうせならスーツがよかった。
 ドレスめんどい。

 あと、シーフのこと聞くの忘れた。
 ま、リリに聞くからいいけど。

「ところで、リリ。シーフは?」
「シーフさん、ですか? 呼んでいませんわ」
「・・・まあ、だと思った」

 アイツ、元々パーティー向きの性格してねーし。
 アイツが呼ばれるとは思っていなかったけど、兄さんと会うときにはいてほしかった。
 自分勝手だとは思うが、残念だ。至極。

「はぁ・・・」
「シーフさんがいた方がよかったでしょうか?」
「レオがいないからね」
「レオンハルトさん、ですか…」

 リリの表情が曇る。

「うん。物理的に兄さんを止められる奴が欲しい」
「リリでは力不足でしょうか?」

 この船の中でなら、リリにも兄さんを止めることは可能だろうけど・・・

「そういうことじゃないよ」

 舌戦ならかく、オレがリリに、兄さんと実戦をしてほしくないだけだ。

「リリのことはあてにしてるよ? けど、レオやシーフの方が心置き無く盾にできる。それよりさ、ちょっと一服しない?」

 兄さんは、リリにお茶用意させといて結局は飲まないで行っちゃったし。

 どうせ、パーティー始まるとなにも食べられないだろう。今のうちに食べとかないと。

「…喉がお渇きでしたら、どうぞリリの血をお飲みください。アレク様♥️」

 恥ずかしそうに頬を染め、オレを見上げるリリ。

「・・・」

 喉は、渇いていなかった。けど・・・

 リリの手をそっと取り、その白い手を開かせて親指の付根の、皮膚を薄く透かせて浮き上がる血管をゆっくりと指先でなぞり・・・

「っ…」

 リリの手へ爪を立て、その白い皮膚をぷつりと引き裂く。そして、血を流すその手へ口付けて傷口へ舌を這わせると、痛みにかピクリとリリが震える。

「アレク様ぁ♥️」

 とろりと甘いリリの血の味と芳しい匂いが、口の中にふわりと広がり・・・コクンと飲み込む。

「んっ…はぁ…美味し♥️…けど、ここまで」

 チュッと既に傷の塞がったリリの親指の付根にキスをして顔を上げる。

「? アレク、様?」

 上気して潤んだアクアマリンが、不思議そうにオレを見詰める。

「後で、パーティーが終わってから、飲ませてくれる? リリ」

 多分、そのときは疲労困憊だろうから。

 今のは味見というか…これから頑張るぞー! と気合いを入れる為だ。

「っ…はい…♥️」
「ありがと、リリ」

 頷いたリリの頬へキスを落とす。

※※※※※※※※※※※※※※※

 リリアナイトの部屋を出て、早数時間。

 ロゼットへ着てほしいドレスや装飾品は、既にリリアナイトの部屋へ届けさせました。

 ああ…ロゼットが美しく着飾った姿が待ち遠しく、とても胸がはやりますっ!?

 ロゼット、ロゼット、ロゼットっ・・・
 貴女の白くなめらかな肌、月色の長い髪、銀の浮かぶ神秘的な翡翠の瞳・・・

 貴女が選ぶのは、どのドレスでしょうか?

 無論、どのドレスも最高級のオーダーで、貴女の為だけに作らせた一点物です。
 どのドレスを着ても、きっと貴女は麗しいのでしょうね。ロゼット。

 いえ、着飾らなくても、貴女は十二分に美しいということは判っているのですが・・・
 いえ、僕が、貴女が着飾った姿を見たいというだけなのかもしれません。

 女性の支度を急かすのは無粋。判ってはいるのですが、貴女を早く見たくて待ち遠しい。

 そわそわと、僕も支度を終わらせて・・・

「フェンネル様。ローズマリー様から、部屋にいらしても宜しいですわ…との言伝ことづてが」

 メイドが言い終わるよりも前に足を動かし、早足で部屋を飛び出します。
 本当は全速力で走りたいところですが、僕が慌てている姿を晒すのは宜しくありません。
 なるべく落ち着いて見えるように、けれどそれなりの速さで歩きます。

 というか、これはきっとリリアナイトの嫌がらせのような気がします。わざわざ、リリアナイトが嫌っている僕の使用人へ伝言させなくても、伝えようと思えば、いつでもその声をこの船中へ伝えることができるでしょうに。全く・・・

 長く感じる通路を進み、リリアナイトの部屋へ。ノックをするのももどかしく、らすようにゆっくりしたリリアナイトの返事に苛立ちます。

『どうぞ、お入りくださいフェンネル様』

 声が言い終わるよりも早くドアを開けて、急いで閉めてから部屋の奥へ向かいます。そして・・・

「っ…ロゼットっ!?」

 振り返った貴女の姿に、目を奪われます。
 珍しく下ろされた、腰まである月色の長い髪の毛が、遅れてサラリと揺れます。

 シンプルなデザインのドレス。落ち着いた深いワインレッドの赤が、ハイネックのノースリーブから晒された華奢な肩と腕の白さを引き立てます。普段は男装で隠されている女性らしい丸みを帯びた体つきと、ほっそりとした腰から曲線を描いて流れるAラインのナイトドレス。

 麗しい貴女の美貌は変わらない筈なのに、格好を変えるだけで貴女はその雰囲気を一変させる。
 貴女が好む男装では、美しい少年に。そして今の貴女は、誰が見ても完璧に、美しい女性です。

 やはり貴女は、言葉にならない程に美しい。

「兄さん?」

 不思議そうに僕を見やるロゼットへ近寄り、そのサラリと長い月色の髪を掬い取り、口付けます。

「…綺麗ですよ、ロゼット」
「ありがと」

 見上げる銀の浮かぶ翡翠。思わず白い頬へ手を伸ばし、その薄く色付く唇をそっと塞ぎます。

「…兄さん」
「・・・」
「フェンネル様っ…」

 触れただけですが、ほんのりと香る血の匂い。リリアナイトの風味、ですか・・・

 まあ、僕はリリアナイトの血は飲みませんけど。ロゼットへ口付けをすると、偶にこの味がするのです。それで、不本意ながらもリリアナイトの血の味と匂いを覚えてしまったというワケですが・・・

 この匂いと風味がロゼットからすると、こう・・・そこはかとなく、沸々と苛立たしい気持ちが湧いて来るのです。

「ロゼット、愛しています」

 華奢な背中へ腕を回し、ロゼットを僕の腕の中へ。薄く色付く柔らかい唇をもう一度塞ぎ、

「ちょっ、兄さ…ん」

 触れては離れ、軽くやわやわと何度もついばみます。

「フェンネル様っ!?」

 ソプラノが五月蝿うるさく僕を呼びますが、そんな声は無視して、今はロゼットの唇に集中します。

 メイクをする前でよかったです。口紅を引いてからキスをしてしまうと、後が少し面倒ですからね。それに、個人的に口紅の味はあまり好きではありません。ねっとりとした感触になってしまうことと、油っぽいような味と匂いがどうにも好きになれません。

「…ロゼット。貴女は、僕の愛しい方…なのですから、僕の匂いを…付けなくては…ね?」

 キスの合間に囁きます。

「んっ…!」

 僕の意図を察して唇を離そうとしたロゼットの後頭部を固定。見開く翡翠を覗き込み、

「ダメです。我慢して飲んで・・・くださいね? 愛していますよ、僕のロゼット」

 閉じる唇に口付けを落としながら、

「んんっ!?」

 ガリッと舌を噛み切り、操血そうけつでロゼットの柔らかい唇へゆっくりと僕の血液を流し込みます。

「っ、んっ、くっ…!」

 コクンと喉が血液を飲み下すと、抵抗がゆっくりと弱くなって唇が小さく開きました。その隙間から舌を差し込み、ロゼットの舌へ血液を塗り込みます。

「・・・は、ぁ…」

 やがて翡翠の瞳が艶やかに赤みを帯び・・・その瞳の中に緩やかに滲み出す、喜悦の色。

 僕の血に酔い始めたようです。

 ああ…僕は、僕の血を飲んで酩酊する瞬間のロゼットのこの表情が、一番好きなのです。

 僕の血に酔う貴女は、愛おしくて堪らない。

 さあ、もっと飲んでくださいね?

 ロゼット。貴女のハーフとしての気配を、僕の気配で染め上げないといけないのですから。

 愛しい愛しい僕のロゼット
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